定年物語第三章 くらげ出て 海水浴は お盆まで

 二〇二〇年八月。
 定年になって、ひとつきを家で過ごして......毎日陽子さんと二人で一万歩を目標に散歩する、そして、台所の洗い物と洗濯を一挙に引き受けることになった正彦さん、大体これくらいの頃から、自分の〝野望〟に向かって突進しだした。
 正彦さんの野望。
 とにかく、自分の趣味に思うさま没頭すること。

       ☆

 もともと正彦さんというひとは、多趣味なひとだったのだ。陽子さんの方は、趣味といえば〝読書〟くらいしかない、ほっとけば一日中ずっと本を読んでいる、それしかしないひとだったのに比べて......正彦さんの趣味は、おそろしい程多数あり、しかも没頭の仕方が凄い。
 そして、定年になるちょっと前、正彦さんが始めた新しい趣味っていうのが、俳句だったのだ。

       ☆

 きっかけは、正彦さんが定年になる前、陽子さんが一緒に食事をした妹夫婦に、こんな話を聞いたこと。
「最近はね、『プレバト!!』っていう番組に、うちは一家揃ってはまってるの」
 この時、正彦さんはまだ会社に勤めている。ということは、陽子さん、まずTVを見ない。(このひとは、ほっとけばずーっと本を読んでいるだけで、ひとりでは音楽を聞いたりTVを見たり、まったくしないひとなのだ。つまり、正彦さんが帰ってきて、二人で夕飯を食べる時まで、大島家のTVに電源がはいることはなかった。故に、夜七時頃にやっている『プレバト!!』という番組を、陽子さんが見ることはなかった。だって、正彦さんがその時間に家にいることが、まず、ないから。)だから、陽子さん、こんな番組のこと、まったく知らなくて。
「ぷれ......ばと?」
 それは何だろう、耳で聞いた陽子さんは、まず、〝プレ鳩〟って文字を想像した。で......プレ鳩って、何? 鳩になる前の状況を指す言葉か? ......いや、鳩は生まれた時からずっと鳩だろう。プレ鳩なんて状況になる訳がないし、かといって、これ、卵のことだとも思えずに。(かなり、のちに、これ、〝プレ鳩〟じゃなくて〝プレッシャーバトル〟の略だって判った。――出演者がこんなことを言っていた――。うん、これなら判る。ひたすらプレッシャー掛けられながら戦っている番組なんだね。)
「うん、面白いんだよー。いろんなことで競う番組なんだけれど、特に俳句が面白いの。あれは絶対はまるって。見たらいいと思うよ」
 ここまで言われてしまうと。ちょっとは陽子さんも興味がわく。しかも、その直後、偶然にも正彦さんが、その番組をやっている時間帯に帰ってきて、一緒にTVを見ることができた。(これは、この頃の正彦さんの帰宅時間を思えば、奇跡的に早かった。だから、二人は揃ってこの番組を見ることができたのである。)
 そして......見たら。
 見て、しまった、ら。

「俳句って、おもしれー」
 まず、正彦さんが、熱狂。
「それに、あの、講師役の夏井......せん、せい? あのひと、ほんとにおもしれー」
 で。この時以降、正彦さんはこの番組を予約録画することになり、大島家の御飯時には、この番組がプレイバックされることが何回もあり......そうして、連続して見てしまうと、確かにこの番組は面白かったのだ。

「俺、俳句、始めようかなあ」
 この流れになったのなら。そりゃ、正彦さんがこんなこと言い出すのも、陽子さんにとっては想定内。そして、正彦さんは俳句を作り出し......と、こんなことになると。

 陽子さん、ふと気がつく。この番組の俳句の講師をやっている夏井先生......夏井いつきさん。このひとの名前、陽子さんは、過去見たことがあったような気がする。いや、陽子さんはまったく俳句を嗜(たしな)まないから、俳句関係の書籍なんて読んだことはないよね、でも、見たことがあるような気がする。
 で、うーん、うーんって思い返してみたら......あ! 『月刊カドカワ』だ! あの雑誌で、このひとの名前、見たことがあったような気がする。(注・この雑誌は、今、紙の雑誌としてはなくなっています。)
 ああ、そうだよ、この雑誌、多分、毎月、俳句と短歌の募集をしていて、その選者のひとりが、夏井さんって名前だったんじゃないのか?(前に、〝ティッシュペーパーを貰う〟処で書いたと思うんだけれど、陽子さんは、〝受け取ったものに印刷された字があったのならそれを読む〟っていうことを実践しているひとなんである。で、陽子さんの処には、職業柄、かなりの数の雑誌がおくられてきていて、陽子さんは、一応それに、すべて目を通す。さすがに、雑誌を全部読むのは、時間がいくらあっても足りないからできないんだけれど、ざっと目を通すだけは目を通す。――というか、ほんとは陽子さん、雑誌に載っている、その雑誌を出している出版社の新刊のコマーシャルを、熟読しているのだ。ここで、「あ、これ、私好きかも」って新刊をチェックして、そしてそれを本屋さんで買う。だから、文庫の新刊を買って、その中におりこみ広告がはいっていたら、陽子さん、ほんと、目を皿のようにしてこれを読む。少なくとも、陽子さんに限っては、文庫新刊に自社の宣伝の為の紙を挟(はさ)み込むのは、効果絶大である――。)
 うん。この夏井いつきさんって俳人は、多分、『月刊カドカワ』で俳句の選者をやっている、そのひとではないのか?
 それが判った処で。
 ちょっと嬉しくなって、陽子さんは正彦さんにこの話をしてみる。
 陽子さんが、とにかくやたらといろんなものを読んでいる、正彦さんは、これに関しては苦笑いしかしていないんだけれど、でも、正彦さんの様子を見ていれば、正彦さんがこの事態をあんまり好意的に思ってはいないことだけは、推察できる。
 けど、ここで、陽子さんが夏井さんに関する情報をあげてみれば、正彦さんも、陽子さんがひたすらいろんなものを読んでいることを肯定的に評価してくれる、そんなことになる可能性があるんじゃないのかなあって思って。
 そして。
 実際。
 正彦さんの反応は、激烈だった。

「陽子! 教えてくれてどうもありがとう!」
 おお。すっごい、情熱的。まさに、陽子さんの手を握って、それをぶんまわす感じでの正彦さんの台詞。ここまで言われてしまえば、陽子さんにしてみれば、正彦さんに『月刊カドカワ』のこと、教えてよかったって納得できたんだけれど......でも......この後の正彦さんの台詞が......台詞が......その......。
「俺、ここに投稿してみるわ」
 これが大問題である訳なので。
「今まで俺、句を作っても句を作っても、それがいい句かどうかがまったく判らなくって......」
 ......まあ......初心者なら、そうだろうな。実際、陽子さんも〝そう〟だった。以前、ひとりでお話を書いていた時。そのお話が面白いのかどうかが、自分ではまったく判らず、また、このお話をSFとして評価して貰えるのかどうかが、自分ではまったく判らず、あの時は不安しかなかった。だから、今、正彦さんがこんな気分に陥っていること、それは、すべて、判る。
 判るんだが、あのねっ!
 ここで、正彦さんが、『月刊カドカワ』に俳句を投稿するっていうのが、大問題。
 何故かというと。
 正彦さんの句は、絶対に、この雑誌には採用されない。
 そんな確信が、陽子さんには、あったから。
 だって......。
 だって、あの。
 だってあの......この時の正彦さんの句が、ある意味で、凄すぎたから。

       ☆
 
 陽子さんにはまったく〝俳句〟の素養がない。だから、陽子さん、いい句と悪い句の区別なんてつかない。
 ......けれど......そんな陽子さんにだって、判ることは、ある。
 だって、この時期の正彦さんが、自信満々に言った、正彦さんの代表作が、これ、だよ。
 くらげ出て 海水浴は お盆まで 

 ......。
 ............?
 ..................?
 え?

 聞いた瞬間。
 まず、陽子さん、疑問に思った。
 これは、俳句なのか? って。
 いや、どう考えても......これは、〝俳句〟ではないような気が、陽子さんは、している。 この時、陽子さんが思い出してしまったのが、こんな言葉。

『注意一秒 怪我(けが)一生』
『マッチ一本 火事の元』

 ......あの。
 正彦さんが俳句だって主張しているこれは......これは......こういうものと、どこが違うの。というか、どう考えても、〝俳句〟というよりは、こっち寄りだって気がしてしまうのは......いかんともしがたい。
 この場合の〝こっち〟って何だかよく陽子さんにも判らないんだけれど......まあ、俳句というよりは、〝警句〟、ひとに注意を促すもの。間違っても、〝詩〟である〝俳句〟の範疇(はんちゅう)にははいらないもの。そうとしか思えない。時事を扱っている〝川柳〟にもまったくなっているとは思えない。
 でも、正彦さんは、これを〝俳句〟だと思っていて、そして、『月刊カドカワ』に、これと同じようなレベルの作品を投稿しようとしているんだよね。
 ならば。
 どう考えても、正彦さんの作品が、採用される筈がない。
 それが。
 陽子さんには判っていたのに。
 かといって、これを〝阻止〟するのも変だって言えば変なので。
 陽子さんが何も言わないでいるうちに、正彦さんは、どんどん、俳句を、『月刊カドカワ』に投稿する。投稿し続ける。その情熱たるや凄いもので、毎月十何句も投稿している。
 ......そして、当たり前だけれど、まったく、選考にはひっかからない。

       ☆

 この時。
 ある意味卑怯(ひきょう)な話だったのだが、陽子さんは、当該出版社の編集者に伝(つて)があった。だから、正彦さんには内緒で、こっそり聞いてみた。
「あの......『月刊カドカワ』の俳句コーナーなんですけれどね」
「あ、あれは、凄い人気です。毎月、これだけの応募があります」
 って、言われた投稿数はほんとに凄いもので、「ああ、俳句って、ほんっとに嗜むひとが多いんだ」って陽子さんは思うしかなかった。
「しかも、かなり名のある作家の方なんかが、応募してきてくれているんですよ。なんとかさんとか、かんとかさんとか」
 名前を聞いて、陽子さんも驚く。そんなひと達が応募しているんだ。
 そうか。
 これは、そんな人気コーナーなのか。
 なら、旦那の句がひっかからないのは、まったく当たり前か。(いや、その前に。〝くらげ出て......〟を俳句だと思っている限り、このひとの句は、絶対に選ばれないだろうと思ってはいたんだけれど。)

 と、そんなことを陽子さんが悩んでいたある日。
 まったく明るく、正彦さんはこんなことを言う。

「おい、陽子、知ってたか?」
 って、何を?
「俺のあの〝句〟なんだけど、今、調べて判った。判ったから、驚いた。うん、〝くらげ〟も、〝海水浴〟も、〝お盆〟も、季語なんだよっ!」
 ......って......それが、何、か?
「ひとつの句に、三つも季語がはいってる。というか、この句、もう、季語だけで構成されているとしか思えん。だって、季語以外の言葉って、〝出て〟と、〝は〟と、〝まで〟だけなんだもん。......これって、俺、天才じゃねーの? 季語だけで俳句作っちまった。俺って、天才?」
 ......って......は?
 って、は?
 陽子さん、くらくらと。
 うん、陽子さんは、俳句についてはまったく詳しくないので、だから判らないのだけれど......俳句って、〝季語〟が、沢山はいっていればいる程いい、その方が素晴らしいって評価される、そんな文学形態なのか?
 間違いなく違うと思う。
 そこの処だけは、陽子さんにも判っていた。
 というか、確か、俳句には〝季重(きがさ)なり〟っていう言葉があった筈だ。
 これは、季語が、だぶってしまうこと。
 そして、俳句は、これを嫌がっていた筈だって認識が陽子さんにはあったので......ということは、ひとつの俳句に三つも季語がはいってしまっている正彦さんの俳句は(いや、季重なりの前に、これは、俳句ではない、違うものだっていう認識が、陽子さんにはあったんだけれどね)、天才どころか、俳句を知っているひとに見せたら、怒られるものにしかならないんではないのか......?
 かといって。
 もう、得意満面でふんふんしている正彦さんに、そんなことを言える訳もなく。

       ☆

 この事態を打開してくれたのは、正彦さんの、俳句にかける情熱だった。
 『月刊カドカワ』の俳句のことを正彦さんに教えるのと同時に、陽子さんは、こんなことも正彦さんに言っていた。
「私の××社の担当編集の○○さんなんだけれど、もう、ずっと長いこと、俳句をやっていて、結社にも入会しているらしいんだよね。俳句歴、数十年。このひとに、紹介してあげようか?」
 『月刊カドカワ』にいくら応募しても、まったく結果がでなかった正彦さんは、やがて、時間がたった処で、「このひとに紹介して欲しい」ってことを言い出したのだ。勿論、陽子さんはこれに諾(うべな)い、正彦さんを、自分の担当編集者の方に紹介する。
 これが、正彦さんの〝俳句〟にとって、転機となる。
       
       ☆

 その方は。
 とても優しいひとだったので。
 こんなことを言ってくれる。
「私はとある俳句の結社に所属してますけれど、この結社では、毎月、句会をやっているんですよ。大島さんも、その〝句会〟に、〝お試し参加〟してみます?」
 ここで正彦さん、ちょっと驚いて。
「え......句会って、まったく関係のないひとが参加してもいいんですか?」
「はい。うちの場合は、大丈夫だと思います。〝お試し参加〟って制度がありますから。ただ、句を詠んでいただかなきゃなりません」
 ......って......へ?
「お試し参加であっても、句会に参加する以上、三句詠んでいただかなきゃいけません。それから、選句もしていただかないと......」
 ......これは、何を言われているのか、まだ、正彦さんにはまったく判らない。
 でも。
 〝句会〟。〝結社〟。〝選句〟。
 ああ。なんか、すっごい、プロっぽい。こういう言葉をちりばめられてしまうと、正彦さん、心をくすぐられてしまう。
 で。
 正彦さんは、あっという間に、この〝句会〟に参加することを決めてしまった。
 同時に。
 このひと、陽子さんにこんなことを言う。
「原さんも、よかったらこの句会、見学してみます?」
「いや、私、まったく俳句なんて詠めないから、それは無理です」
 これはもう、陽子さんにとっては、決定事項だ。
 俳句について詳しく知れば知る程、陽子さんは思ったのだ。
 私には、俳句は、詠めない。

 だって。
 多分、根本理念が......まったく違う。

       ☆

 俳句をやっているひと達。
 このひと達が描いているのは......おそらくは、〝詩〟。そして、陽子さんが書いているのは〝小説〟。
 これには、おそろしい程違うことが......多分、あるのだ。
 また。
 書いている分野による差異も、あるのだ。
 陽子さんが書いているのは、エンターテインメントとしてのSF。
 正彦さんが目指す〝詩〟としての俳句とは、まったく違う。
 この違いは、恐ろしく、ある。
 エンターテインメントとしてのSF。
 これを書いている陽子さんには、絶対に守らなきゃいけない(と、陽子さんが思っている)ことがある。
 それは〝何か〟って言えば......読者に、〝判らせる〟ことだ。
 うん、そうだ。エンターテインメントである以上、絶対に守らなければならない原則は、〝読者を楽しませること〟。だから、すべてのことは、読者が判るように書かなきゃいけない。だって、これが守られていないのなら、そもそも、読者、楽しむ余地がないじゃない。で、何が書いてあるのか、読者が判らなければ、そりゃ、楽しむも何もないんじゃない?
(勿論、すべてのことを書く訳ではなくて、〝ほのめかす〟とか、〝読者に推測させる〟とか、そういう技術はあるよ。全部書かずに、読者に推測してもらって、それがあたった処で読者が深い喜びを覚える、そういう書き方も、ある。とは言うものの、それは、すべてを、読者に〝説明〟と判らない形で〝説明〟しているからこそ、あり得る形態だ。最初っから、〝これは判って貰えない可能性があるな〟ってお話は、陽子さんにしてみれば、絶対に書いてはいけないものなのだ。)
 陽子さんが。自分で勝手に作って座右の銘(めい)にしている言葉がある。
 エンターテインメントを書いている以上、「つまらない」って読者に言われるのは、そりゃ、屈辱(くつじょく)である。できるだけ避けたい事態ではある。けど......万人に面白がってもらえるお話っていうのは、多分存在しないから、これは、まあ、あっても仕方がないこと。
 けれど。
 読者に「判らない」って言われるのは......これも、屈辱なんだけれど、先程の〝屈辱〟とは話が違う。
 仮にもプロを名乗るのなら。
 これは、これだけは、あってはいけない。
 読者に判ってもらった上で、それで〝つまらない〟んならしょうがない、でも、そもそも、読者に〝判らない〟って言われてしまったら......それだけで、これは、作者の〝負け〟だ。
 だから。
 勿論、それが前面に出てきてはまずいんだけれど、けど、陽子さんにとって、〝説明〟は、必須だった。できるだけ読者には判らない形で、でも、すべてのことを説明する。エンターテインメントを書いている限り、陽子さんが絶対にやらなきゃいけないのは、これだ。だから、陽子さんは、自分が原稿を書いている限り、すべてのことを説明する。勿論、説明があんまり前面にきちゃうとまずいから、できるだけ〝説明〟していないような形にはするんだけれど、でも、〝説明〟だけは、必須。(あ。これは、あくまで、陽子さんの意見である。エンターテインメントを書いていても、この陽子さんの意見に賛成してくれないひとは、勿論、いるだろうと思われる。)
 ところが。
 この〝説明〟を、まったく拒否している文学形態も......あるんだよね。
 そのうち、一つが、〝俳句〟。
 と、いうか。
 〝俳句〟という文学形態は、〝説明〟をしてはいけないっていうのを、掲げているんだよね。そんな風情があるんだよね。
 うん、説明をしてはいけない、絶対に〝俳句〟はそう思っている。だって、俳句を否定する表現に、「この俳句は説明をしている」って言葉があるので、陽子さんは余計そう思ってしまう。
 いや。
 説明を拒否しているだけじゃない、〝季語〟っていう問題もある。
 〝季語〟に、すべてのことを委ねろって、〝季語〟の力を信じろって、俳句っていう文学形態は言っている。
 で......んなもん、ひたすら説明をしたい陽子さんが納得できる訳がない。
「だって、それじゃ、判らないひとには判らないじゃないっ! 使われている季語を知らないひとには判らない可能性あるじゃないっ! 読者が誤解する余地、あまりにもありすぎっ!」
 この時、陽子さんが言いたいことは、ほぼ、これに尽きる。
 また。句をけなす言葉の一つとして、「これは散文だ」っていうのもあって......これがもう、陽子さんには絶対に駄目。だって、陽子さん、散文を書いているんだもん、いつも。散文を書くのが仕事なんだもん。だから、「これは散文だ」って言葉を否定的に遣われると、これだけで、もう、陽子さん、駄目。
 いや。
 これは、言っている陽子さんの方が、無理。
 だって、俳句はエンターテインメント小説じゃないんだもん。
 詩、なんだもん。(基本的に韻文(いんぶん)ですよね。)
 けれど。陽子さんが自分の作品に対して思っている認識と、俳句の間には、深くて、そして、絶対に越えられない川があった。これは、事実。
 だから、陽子さんは、「自分は絶対に俳句を詠めない」って思っていた。
 うん、これは、技術云々の話ではない。
 どっちがいいのか悪いのかって話でもない。(実際、エンターテインメントを書くひとで詩を書くひともいるし、句を詠むひとだっているのだ。)
 ただ、陽子さんは、俳句を詠むことができない、自分がお話を書く、その根本理念からいって、〝俳句〟というものは、自分の理念に反している、それだけの話なのだ。
 だから、句会を見学しますかって聞かれた時、陽子さんは素直に答えた。
「あ、私は絶対に俳句を詠めないので、それは無理」
 そうしたら、そのひと。
「あ、大島さんは、うちの結社に参加希望なんで、お試し参加ですよね。だから、句を詠んで貰わなきゃいけないし、選句もしなきゃなんですけれど、見学ならね。これは、ただ、見ていればいいだけです」
 あ。そう言えば。このひと、(さすがに編集だ)、正彦さんに対しては〝お試し参加〟って言っていたけれど、陽子さんに対しては〝見学〟って言っていたな。日本語の遣い方が正しい。
 で、それならば、ということで。
 正彦さんは、生まれて初めての〝句会〟に臨むことになったのである......。(そして、陽子さんは、生まれて初めて〝句会〟っていうものを見学することになった。)

       ☆

 正彦さんにとって、生まれて初めての句会。
 まず、参加に際して、三句、句を詠むことが、たとえ〝お試し〟であっても、参加者である正彦さんには義務づけられていた。正彦さんは、ひーひー言いながらも、三つ俳句を作り、句会に臨んで。
 ここで、会場に行った正彦さんには、紙が渡される。ここに、自分が作った句を、書くようにって。
 正彦さんが書いたあと、それは回収され(いついつまでに提出するようにって時間が決まっていたのだ)、ここで、しばらく、時間が空く。
 空いた時間で、正彦さんは、会場を見回してみる。
 ここは、大学の教室で......こんな会場が使えるんだ、今回参加した句会を主宰している俳人の方は、それなりに評価されている方なんだろうな。それに、参加者が、六十人くらいはいる。〝句会〟って、何人くらい参加者がいるのが普通なのか、それは正彦さんには判らないことなんだけど、なんか、この参加者の数は、結構多いような気がした。
 と、正彦さんがそんなことを思っているうちに。
 今度は、前の方から、何か紙が配られてきた。(学校の授業なんかと同じで、前の方からコピーが回ってきたのだ。)そして、そこにあったのは......。
 さっき、正彦さんが、自分の句を書いた紙、そして、他の参加者の方が詠んだ句を並べてコピーしたもの。ただ、さっきは正彦さん、自分の名前を書いた筈なんだが、名前の部分ははさみで切りとられ、コピーされている。つまりこれは、参加者の句が、作者の名前を判らないようにして、順不同で、ずーっと、ずらっと、並んでいるっていう、そういう紙、なのか?
「では、選句をお願いします」
 って? 正彦さん、言われた言葉が判らない。と、正彦さんの隣に座ってくれていた、正彦さんにこの句会を紹介してくれた、陽子さんの担当編集の方が。
「これ、全部読んで、三つ、句を、選んでください」
「......って?」
「一番いいと思う句に、特選をつけて、あと、二つ、並選ってものを選んでください。そして、それを、係のひとに渡します。あ、自分の句は、選んじゃ駄目ですよ」
「......あ......はい」
 正彦さんは、慌ててそんな作業にかかる。そして、それを横で見ている陽子さんに、編集の方。
「原さんは、投句の権利も選句の権利も、見学ですからないです。ですので、何もやらなくていいんですけれど、ここで好きな句を選んだ方が、あとの句会が楽しめますよ。ですので、好きな句を選んでくださいね。でも、それ、係のひとに渡さないようにお願いします」
 ここで言われている〝投句〟の権利っていうのは、句会に、自分の句を出す権利だってことが、陽子さんには判った。そして、〝選句〟の権利っていうのが、句会で、好きな句を選ぶ権利だってことも、判った。句会に参加するひとは、投句の権利と選句の権利を持ち、自分の句を投稿し、また、自分が好きな句を選ぶことができる。そして、選ばれた句が、句会では検討されることになる、それが、何となく、見ているだけの陽子さんにも判ってきた。

 そして、時間がたつと......。

       ☆

 句会が、始まった。

 まず。スタッフのひとが、参加者が選んだ句を、順番に発表する。(披講(ひこう)、と、言います)
 そして、選ばれた句の作者が、名乗りをあげる。
 これが全員分終わった処で、主宰である俳人の方の選が発表される。
 その後、回ってきたコピーに書いてある句、その最初の方から、順番に、特選に選ばれた句が検討される。
 検討......〝鑑賞〟って言うらしいんだけれど。
 まず、「この句を選んだのはAさんですね」って台詞に対して、選んだAさんがその理由を述べる、こんなことが繰り返されるのだ。
 これを。見ていて......そして、聞いていて。
 陽子さんは、愕然(がくぜん)とした。
 だって、えっと、句会って......参加者が、自分の句を投稿して、それを名前が判らないようにして......そして、参加者みんなで、そのうち、自分の好きな句を選ぶ会、なの? んでもって、選んだひとは、「何で自分がその句を選んだのか」を説明しなきゃいけない訳? つまり、「先生だから選んだ」とか、「友達だから選んだ」とか一切なしで、きっちり、自分が何故その句を選んだのかを他人に判るように話さなきゃいけないのか。(俳句は、〝作る〟だけじゃなく、〝鑑賞〟っていうものも必要であって、ここでやっているのは〝鑑賞〟である。)
 こ......こ......これは。
 とても怖いことが予想できる。
 その〝怖いこと〟って......〝主宰〟の句が、誰にも選ばれない可能性がある、そんな、こと。

       ☆

 俳人って、凄い。

 この瞬間、陽子さんは、俳句をやっているひと、そのすべてを、尊敬した。

 陽子さんは、小説家になってからもう四十年くらいが経過している。だから、小説家養成講座の講師役をやったことだってある。そこで、偉そうなことを言ってしまったことだってある。

 いや。陽子さんは別に〝偉そうなこと〟を言っているつもりはないのだが。でも、仮にも講師である以上、五、六十枚くらいの原稿を読んで、「この辺の展開はもうちょっと考えた方がいいんじゃないかと」とか、「これ〝伏線〟が変だよ? 普通に考えるとこうこうこうなる訳で、こっちにいっちゃうと、これは読者がついてこれなくなるんじゃないかと」とか、言ってしまうことはある。(いや。これ言うから講師なんだけれど。これ、言わなかったら、講師の意味がないよね。)
 ただ、これは、生徒があくまで〝生徒〟だってことが、担保されているからこそ、言える台詞でもある。生徒が自分とまったく対等である場合――同業作家が相手なら、どんなに展開が〝変〟であっても、おかしな伏線があったとしても、それは、そのひとが〝それを判っていてわざとやっている〟可能性があるから――こんなことは言えない。そして、プロの作品の場合(特に連作短編なんかは)、最初は変であっても、最後までいけば、あきらかにおかしな展開、あきらかにあり得ない伏線が、全部計算された、読み終えてみると、「ああ、そうくるか」って場合も、ない訳じゃない。これがあると、陽子さんはすっごい感動する。だから、五、六十枚くらいの原稿では、普通、陽子さん、こんなことを言えないんだが......小説家養成講座の場合は。こんなこと、言ってしまうのである。(とはいうものの、大体の場合、こんな〝変なこと〟をわざわざやってくる新人さんはほぼいないに決まっているので、講師として、〝おかしい〟と思うことを指摘して問題はないんだが。)

 けれど。
 この、〝句会〟というシステムを見る限りでは......俳人の場合、主宰が〝先生〟であり、門人はみんなその生徒っていうシステムが......崩壊しているような気がする。というか、そもそも、そのシステムが、成立していないような気がする。
 うん、〝句会〟って、参加しているひとは、みんな〝平等〟なんだよね。
 この、システムで。
 主宰は、門人の作品を添削する。
 自分も、無名のひとりとして、句会に参加しているのに。
 だから、自分の作品が、参加者のひとりとして、すべての門人に同等の作品の一つとして公開され、そして、評価をされているというのに。

 句会というのは、凄いシステムだ。
 勿論。
 主宰である先生は、門人に比べ、経験もあれば能力もある、うまいに決まっている。とは言うものの、陽子さんにしてみれば、これは、怖い。なんて怖いシステムなんだ。
 これだけで......このシステムをやっているだけで、陽子さんは、もう、〝俳人〟という人種を、尊敬しない訳にはいかなかった......。

       ☆

 そして。
 句会が終わった処で、二次会になり、希望者は近所の居酒屋へゆく(この頃はまだコロナが発生していなかった)。
 この時。主宰である先生は、先生だっていうのに、すべてのテーブルをまわり、「先生、私のあの句、誰も選んでくれなかったんですけど、どこがいけなかったんでしょうか」「自分の句なんですけど、〝つきすぎ〟って言われて......。どう直せばいいでしょうか」みたいな質問に、全部、丁寧に答えてくれていたのだ。
 うわあ。
 二次会だっていうのに。
 陽子さん、思った。
 私が先生の立場なら、二次会だもん、まず御飯を食べたい処なのに。
 なのに、主宰は、先生は、まずみんなの話を丁寧に聞いてくれているんだよね。
 凄い。
 これは、凄い。
 そして。
 陽子さんがこんなことに感動していると、それとはまったく別に。
 ここで。
 正彦さん、宣言。
「あの......できればこの結社に参加させていただきたいと......」
 ......ああ、いつものことなんだけれどね。
 いや、こんな流れになれば、こうなるって陽子さんだって判っていたようなものなんだけれどね。
 かくして、正彦さんは、俳句の結社に、所属することになった。

       ☆

 これは、正彦さんがこの結社にはいってだいぶたってから判ったことだったんだけれど。 句会って、どうやら、結社毎(ごと)に、やり方が随分違うらしい。
 こんなに平等なのは、この会の特徴らしかったのだ。(正彦さんは他の結社のことをよく知らないので、断言はできないんだけれど。)

 それにまた......正彦さんの、俳句。
 これ、かなり長大なエピソードになりそうな気がするので......その上、まだ、正彦さんが俳句を始めてから、三年たっていないのに(二○二○年八月では、まだ一年ちょっとだ)、なのに間違いなく数年ごしのエピソードになりそうな予感が、あまりにもあまりにもひしひしするので......分割させていただきたい。

       ☆

 では、ここで。
 そんな正彦さんの、〝家事〟の話に、話題を転ずることにする。

 俳句の話の続きは、また、後程。
                                   (つづく)

定年物語

Synopsisあらすじ

陽子さんは、夫・正彦さんの定年を心待ちにしていた。正彦さんが定年になって、家にいるようになったら……家事を手伝ってもらおう! 共働きにもかかわらず、激務で疲労困憊の夫には頼みづらかった家事。でも、これからは。トイレ掃除、お風呂掃除に、ご飯の後の洗い物、それから……。陽子さんの野望が膨らむ一方で、正彦さんもひそかに野望を抱いていた……。『銀婚式物語』に続く、陽子さんと正彦さんカップルの定年後の物語。

Profile著者紹介

新井素子

1960年東京生まれ。立教大学独文科卒業。高校時代に書いた『あたしの中の……』が第一回奇想天外SF新人賞佳作を受賞し、デビュー。81年『グリーン・レクイエム』、82年『ネプチューン』で連続して星雲賞を受賞、99年『チグリスとユーフラテス』で日本SF大賞を受賞した。他の作品に、『星へ行く船』『……絶句』『もいちどあなたにあいたいな』『イン・ザ・ヘブン』『銀婚式物語』『未来へ……』など多数。



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