定年物語第八章 ............え、これ、普通においしい
さて。ところで。
正彦さんが定年になった時、陽子さんはいろんな夢をみたものだった。
一番〝だいそれた〟奴は、「調理以外の家事、全部旦那に押しつけちゃって、私は仕事と御飯作りだけをやる」っていう奴ね。(実は今でも陽子さんは、これを夢みているのだが、どう考えても無理なので、できるだけ考えないようにしている。)
ああ、そんなことがもしできたのなら、もし、もし、もし、そんなことができたのなら、それはどんなに陽子さんの人生、楽になることだろう。だって、その場合、陽子さん、御飯を作って、あとは仕事するだけでいいんだよ? そんな楽な人生、今まで想定したこともなかった。
......この意思表明のちょっと変な処は。どうも、陽子さん、家事の中で、御飯作りだけは、自分でやりたい......らしい、のだ。
と、いうのは。
陽子さん、自分が作る御飯に妙な自信があって......。
私が作る御飯は、おいしい。
客観的に言って、これが正しいのかどうかは判らない。
ただ、陽子さんは間違いなくこう思っていた。(また、この陽子さんの思いを助長するかのように、正彦さんも、陽子さんの作る御飯を、ひたすら、おいしい、おいしいって言い続けてくれていたのだ。......うん。いい旦那である。)
そして、陽子さんは、おいしい御飯を食べるのが好きだ。
故に、下手に御飯作りを正彦さんに任せて、結果として、おいしくない御飯を食べるのだけは、嫌だったんだよね。
特に、陽子さんが嫌っていたのは、コンビニ弁当と冷凍食品。
その理由は、まったく、ない。(いや。はるか昔。三、四十年も前。何かの都合で食べたコンビニ弁当と冷凍食品がほんとにおいしくなかった......ん......だろう、なあ。そんな経験が、多分、一回はあったんだろうなあ。)
ただ、何となく。
コンビニ弁当と冷凍食品はまずいって、陽子さんは、思っていたんだよね。
けれど、それを覆(くつがえ)すことが......あったのだ。
☆
すっごい、勢いで、話は変わる。
正彦さんが定年になったちょっと後。言い替えれば、コロナが問題になった、その、少し後。
当時、大阪在住だった正彦さんのお母さんは、認知症になってしまって久しく、お父さんひとりではどうにも対処ができなくて、結果として大阪の認知症のグループホームに入居していた。これはもう、随分前からそこに入居していたので、施設のひとと正彦さん達も結構交流があり......コロナが発生した時、みんなして困ってしまったのだ。
何たって、それまでは、正彦さんと陽子さん、かなりしばしばその施設に行っていた。(この施設には、のち、お母さんとは型が違う認知症になってしまったお父さんも、入居することになったのだ。だから......親、二人が、幸いなことに同じ施設に入居してくれたので、正彦さんと陽子さん、ちょっと違うんだけれど、里帰りのつもりで、この施設に行っていたのね。ただ、お父さんの方は、コロナ直前に、いきなり亡くなってしまったので......。闘病も何もない、その日の夕方まで普通に元気だったお父さん、眠っていてぽっくりと。お医者さまによる死因は、〝老衰〟になっていて、これは、ある意味、幸せな亡くなり方だったんじゃないかと、正彦さんと陽子さんは思っている。)
そして。
コロナが流行しだした瞬間から......一般的に言って、この類の施設って......普通のひとが訪ねること、それ自体が〝不可〟になってしまったのだ。
いや。
訪ねたって、いい。
ただ、施設の中にはいることは、不可。
これは、全国的な、そして、全施設的な問題だったのだろうと思う。
陽子さんの友達で、似たような状況になったひとは、一杯、いた。
いや、これが正しいのかも知れないと、陽子さんも思うのよ。
老人施設とか、あるいは、障害者施設とか。
あきらかに、状況的に〝弱者〟であるひとがはいっている施設。こういう施設に、普通のひとが、普通に訪ねてゆくのは......コロナが蔓延(まんえん)している当時の状況では、確かに、まずい、の、かも。うん、この場合の〝状況的に弱者〟っていうのは、大体の場合、〝感染症的な意味での弱者〟でもある訳で、普通のひとが、普通にお見舞いに行ってしまい、結果として、免疫的に弱い御老人や障害者の方がコロナに感染してしまったら、そこでクラスターが発生してしまったら、それは、絶対に、まずい。
それは、判る。
だから、こういう施設が、面会不可になってしまったのも、しょうがないと思う。
けれど......。
人間って。
何を楽しみにして、生きているんだろうか。
いや、いきなり、すっごい大上段に構えたことを言ってしまっているけれど。
だから、正しいことなんて絶対に言えない、それだけは判っているんだけれど。
陽子さんは、思う。
今の処、私は、認知症になるつもりはない。(いや、これは、すべてのひとが〝ない〟だろうとは思う。けど、どんなに本人がなるつもりがなくても、それでも〝なって〟しまうのが認知症。)
だから、認知症になってしまったお母さんが何を考えているのか、これはまったく判らない。
けれど、私が。
何かの病気で、入院を余儀なくされてしまったとして......その〝入院〟が、数日ではなく、数週間でもなく......〝数年〟になってしまったとしたら......。
これはもう、想像をするしかないのだが。
何が楽しみって、家族や友達の面会くらい楽しみなことって......きっと、ないような気が、する。
入院して。本も読める、TVも見ることができる、ネットに接続することだってできる、でも、そんなことよりもずっと......〝生きて〟〝動いている〟家族や友達が、〝実際に〟来てくれること、それが嬉しいんじゃないのかなって、陽子さんは、想像する。想像するだに、絶対に嬉しいのが、これ、だ。
けれど。
コロナは、これを、できなくしてしまった。
いや、医療側が言っていることは、判る。
下手に一般のひとのお見舞いをOKにして、下手に一般のひとが普通に病棟にはいって、それで、そこで、コロナが蔓延してしまったらどうするんだっていう、その恐れは、判る。だから、一般のひとのお見舞い、それを全部駄目だっていう、それは全部遠慮して欲しいっていう、病院側の意見も判る。
というか、その意見は、正しいと思う。反対するつもりは、ない。
けれど。
これは、なんか、とてつもなく寂しいような気が......どうしても、してしまうのだ、陽子さん。
また。
この頃、正彦さんは、半日ドックでひっかかった病気で、一週間程入院することになったのだ。
この間、原則的に、面会不可。(正彦さんの着替えだの何だのは、ナースセンターにことづけることになっていた。)
これ。
お見舞いに行く側の陽子さんが、とても寂しくて辛かったのだ、入院している患者である正彦さんは、もっと寂しくて辛かっただろうと思う。
ただ。
お母さんと違い、正彦さんは、スマホを使うことができる。だから、毎日陽子さんは、入院している正彦さんと、スマホでしゃべることができた。(そういう能力がない陽子さんと正彦さんはできなかったけれど、スカイプとかそういうもので、相手の顔を見ながらしゃべることだって、ひとによってはできたのではないかと思われる。――いや、陽子さんはほんとにスマホを使うスキルがないし、陽子さんよりはスマホを使える正彦さんだって、「じゃあ、この何とかかんとかはどうやってやるの?」って陽子さんの質問に対しては口ごもるしかない。その程度のユーザーなのだ、この二人。)
それにまた。これは、あるいは公に言ってはいけないことなのかも知れないけれど......この時期の病院側は、かなりのお目こぼしをしてくれてもいた。お見舞いのひとが病室へ行くのは不可、でも、みんなが利用するラウンジみたいな処へ行くのは可ってことに。そんでもって、今はみんながスマホを持っているのだ、陽子さんがラウンジに行った時、偶然そこに入院している正彦さんがいる、そういうのは〝可〟。病院へ行った陽子さんが、「今からラウンジに行くから」って言って、そしたら偶然(の訳はないんだが)、入院患者の正彦さんがラウンジにいる、これは、可。
このお目こぼしがあったので、陽子さん、それでも何とか、時々正彦さんに会うことはできた。
でも。
それでも、この時、陽子さんはとても寂しかったし......正彦さんだって、寂しかったんだろう......と......思う。
また。
もっと酷(ひど)い話もあった。(いや、酷い訳じゃないんだけれど、これを聞いた陽子さん、気持ちとして、〝酷い〟って思ってしまった。)
子供ができたひと。
奥さんが臨月になって、産科の病院にはいった。そうしたら、その瞬間から、旦那さん、面会不可。(いや、そりゃ......妊婦さんと新生児っていうのは、確かに感染症から守らなければいけないひとの最右翼になるだろうとは思うよ。けれど......。)
そして、実際に、奥さんが産気づいた時も......旦那さん、面会、不可。
......これは。これは、あり、なんだろうか?
奥さんが必死になって子供を生む。この時、旦那さんが脇にいて、奥さんの手を握ってくれたりして、「がんばれ、俺がついてるぞ、がんばれ、ほら、ひっひっふー」とか言ってくれたら、どんなに奥さん、心強いだろうか。
でも、コロナの状況下では、これ、駄目。
いや、確かにそれはそうなんだろう。
旦那が検査を受けて、コロナにかかっていないって判ったとしても、それは、ちょっと前の話なんだよね。検査受けた時から出産する奥さんに付き添うまで、そのちょっとの間に、旦那がコロナに感染しないって断言することはできない。また、検査だって、感染したその瞬間から陽性になる訳じゃないだろうし......。
子供と妊婦の安全を本気で考えるのなら、これはもう、旦那さんの付き添い、なし、だ。それが正しい。
でも、これは。
どういう意味で、正しいんだろうか。
コロナ予防的な意味で、正しい。
でも、他の意味では......?
長いこと入院しているひとにしてみれば、多分、家族の面会は、ほんとに命の糧なんだろうなって、陽子さんは勝手に思っている。(陽子さん自身は、長期間の入院をしたことがないので、これはもう、勝手に思っているだけのことである。)
老人施設に入居しているひとにしてみれば、家族が来てくれること、これが何よりの薬だって、陽子さんは勝手に思っている。
コロナなんていう災害がなかったら......。
間違いなく、お見舞いは、家族が施設や病院にいる家族に接触するのは、推奨されることに決まっている、そんな確信が、陽子さんには、ある。
ひとが生きてゆく為には。
絶対に、〝楽しみ〟が必要。
そして、家族の面会は......ま、ひとによるんだろうけれど、多くのひとにとって、きっと〝楽しみ〟であった筈(はず)。
それから。
免疫っていう問題もある。
ひとの免疫力は、いろんな状況で上下するのだが、〝楽しいことがあったら上向く〟のは、確かだと思う。
そして。
全員が、とは言わないけれど、多くのひとは、家族と会うと、楽しい。だから、免疫力があがる。
故に、陽子さん、ずっと訝(いぶか)しんでいた。
コロナのせいで。
老人施設や障害者施設や入院患者への面会が禁止になった。
これ、本当に正しいことなんだろうか?
いや、クラスターの発生だの、そんなことを考えるのなら。これは、正しいに決まっているんだけれど。
けど、一律、患者への面会を阻止してしまったら......患者さんの、入居者の方の、〝生きる意欲〟を、ある意味で削(そ)いでしまう可能性があるのでは?
と、いうようなことを、思った職員の方がいたのかどうか。
コロナが世界を席巻(せっけん)した後、その二年目のある日。
正彦さんと陽子さんは、お母さんが入居している施設の方に、呼ばれた。
お母さんの心臓の状況が悪くなったので、この後のお母さんのケアについて相談したい、と。(実は、正彦さんと陽子さん、この提案に驚いてもいた。......まあ......端的に言えば、「今更?」。というのは......この施設にはいる前、正彦さんのお母さんは、病院で、「余命三年」って言われていたのである。しかも、その時の病名が、心不全。......そして、正彦さんと陽子さんが施設のひとに「お母さんの心臓が悪くなった」って言われて呼ばれた、この段階で、すでに余命宣告から五年以上たっていたのだ。)
んで、施設の方から言われた台詞が、これ。
「大島さんのお母さんなんですが......結構辛い感じになってます。......すでに、心臓が、三分の一しか、機能してません」
で、しょう、ねえ。
......いや、五年前から、すでにお母さんの心臓は三分の一しか機能していなかったんだよね。だから、その頃から心不全で......。今更、「お母さんの心臓は、三分の一しか機能していません」って言われても、それは、この施設に入居した時から、そうだったんだよね。
......まあ......でも。
こう言われるっていうことは。お母さんの心臓......それより更に、酷い状況になってしまったのか。あるいは、よく判らないんだけれど、心不全という状況を改善する為の薬や何やが、もうあんまり効かなくなってしまったのか。
「近い将来、最終ステージになることが予想されます。そして、その時、どのような医療を施すのがいいのか、主治医の先生が、御家族と相談したいと仰っています」
あ、はい、それは。
行くしか、ない、よね。
だから、正彦さんと陽子さん、この頃には、県を跨(また)ぐ移動はやめてくれっていう、政府からの布告があったにもかかわらず、大阪まで行って。
この時。
『でも、大阪まで行っても、俺、おふくろには会えないんですよね?』
多分、正彦さんは、こう思った筈。
でも。
この台詞。正彦さんは、言わなかった。
正彦さんは、黙って大阪へ行き、その施設へ行き、勿論、お母さんと会うこともできず、施設の入り口から事務所へと通されて。
その、事務所で。普段は常駐していない筈の、施設まで出張してきてくれたお医者さま相手に。
「......もし、この先。おふくろの心臓が止まったとしても。電気ショックなんかで、おふくろの心臓をもう一回働かせるのは......その......痛いのはやらないで欲しいって言うか......あれ、痛い、ですか? すっごい痛そうですよね。もし、痛いのなら、それはなんかあんまり......」
苦しませたくないんです。痛いことはあんまりしたくないんです。それで元気になるならともかく......。
正彦さんが言いたかったのは、多分、こういうこと。
だって。お母さんの心臓は、一回電気ショックで何とか持ち直したとしても、長持ちするものではないって......これはもう、ずっと前から判っている。一回、電気ショックで持ち直しても、それはすぐに駄目になるだろうことが予想されていて......。
だって、五年前から心不全。
それから。他のことについても。
「今、刻み食であっても、おふくろ、口から御飯を食べているんですよね? それができなくなったのなら......」
御飯をぱくぱく食べているお母さんが好きだ。それが生きているっていうことだと思う。だから、お母さんが御飯を食べられなくなったのなら、それでも、無理矢理、いろんな管みたいなものをつけて、お母さんを生かし続けるのは、気持ちとして、どうなんだろう。
この辺は、正彦さんももの凄(すご)く悩んでいて、お母さんがいろんなチューブとかに繋(つな)がれる状態になるのは想像するのも嫌で、かといって......。
って、いろいろ、事務的なことを話していたら。(いや、事務的というよりは〝感情的〟なことなんだが。)
いきなり、事務所のドアが、開いたのだ。
そこにいたのは、車椅子に乗った、お母さん。
正彦さんが......施設の中にはいってお母さんの部屋まで行って、そこでお母さんに会うことはまずい。これは事実だったので、お母さんの方が......何だか判らないけれど偶然、事務所に来てくれたのだ。偶然にも、お母さんは、何故か、施設の中にある事務所に、いきなり来た、そしたらそこに正彦さんがいた。(というか、そういう形に、施設の方が調整してくれていたのだ。)
お母さんは、正彦さんが誰だか、おそらくはまったく判らなかった。
でも、正彦さんは。ちょっと、震えていた。
「......あの......コロナあるし......俺、おふくろに手を触れていいんでしょうか......?」
誰も何も言わなかった。
でも、みんなが、判っていた。
正彦さんは、ゆっくり、お母さんに両手を伸ばし、ゆっくり、ゆっくり、髪の毛を撫(な)ぜた。
何も言わなかった。
ただ、ゆっくり、髪の毛を撫ぜた。
いや。
ただ、これだけの話なんだけれどね。
これが、正彦さんと、お母さんの、最後の触れ合いになったのだ......。
そして。
それから、ほんのちょっとたった処で。
陽子さん達は、また、大阪へと呼ばれたのだ。
お母さまが、お亡くなりになりました。
慌てて、正彦さんと陽子さんは、大阪へ行った。
正彦さんのお母さんがはいっていた介護施設へ行ってみる。
今回の場合、入居者である正彦さんのお母さんがすでに亡くなっていたので、この施設にはいることは無理。
で、二人は、正彦さんのお母さんの御遺体が安置されている施設へ行くことになる。
〝お母さんの御遺体が安置されている施設〟。
あ、これ、凄い。
この時、陽子さんは、ほんとに心からそう思った。
最初。正彦さん達は、介護施設に行けば、お母さんの御遺体に会えると思っていた。(あるいは、ひょっとしたら、死亡の確認は、提携している病院でやったかも知れないので、病院へ行けば会えると思っていた。)
ところが。介護施設も病院も、当たり前だけれど、〝生きているひとがいる処〟なのであって......御遺体を、あまり長いこと、安置してくれないのである。
では、その場合、どうなるのか。
御遺体を引き取って、安置してくれる施設が......世の中にはあるんだなあ。
しかも。
お母さんの御遺体を安置してくれたこの施設は、遠方から来た家族の為の宿泊施設まで併設していて、しかも、葬儀の手配までしてくれるのだ。(有体(ありてい)に言って、葬儀社の業務の一環なんだろうと思う。)
うん。今の正彦さんの場合のように。
ひとがお亡くなりになった時。
普通だったら、家族がその御遺体を引き受ける。お亡くなりになった方は、自分の家に帰る。
でも、場合によっては、地理的に、物理的に、それが無理って場合も、ある。
うん、今の正彦さん達が直面している状況が、そうだ。
正彦さんが住んでいるのは東京で、そして、お母さんが亡くなったのは、大阪で、だ。お母さんの帰るべき家は、東京の大島家ではない、大阪の、大島家だ。(ただ。お母さんが介護施設に入居してすでにそれなりに年がたっている、のち、お父さんも同じ介護施設に入居、やがてお父さんが亡くなってしまったので、大阪の、お母さんが住んでいた大島家は、正彦さんと陽子さんが整理して、引き払ってしまっていた。故に、お母さんが帰るべき〝大阪の大島家〟は、すでに、ない。)
それにまた。
お母さんのお葬式は、大阪でやりたいって正彦さんは思っていた。何故かって......東京でお葬式をやった場合、多分、参列してくれるのは、正彦さんの関係者だけ。けれど、もう何十年も、お母さんは大阪で生活していたのであって、お葬式をした場合、お母さんが本当に参列して欲しかったのは、きっと、大阪のひと、だよね。(まあ、現実問題として、コロナのせいで、普通のお葬式はできないだろうとは思っていたのだが......それでも、お母さんの遺体を東京まで運んで、そこでお葬式をするのは、何か変だって正彦さんは思っていた。)
そして。
こういう問題を、一挙に解決してくれたのが、今、正彦さんと陽子さんがお母さんの御遺体に会う為に向かっている、この施設。
いや、実は、この施設のお世話になるの、この二人は二回目。
お父さんが亡くなった時。
この場合は、ほんとに〝いきなり〟であり、〝あっという間〟でもあったので......お父さんが亡くなった病院から、あっという間に、お父さんの御遺体、この施設へと搬入されていた。
これはもう、なあ。なんか、なあ。
病院と、介護施設と、そして、この施設を併設している葬祭会社、どっかで結託しているんじゃないのか? そんなことを、正彦さんと陽子さんは思わないでもなかった。
......けど......。
どう考えても、それが〝悪いこと〟だとは、この二人には、思えなかった。
と......言うか。
むしろ、有り難い。
だって。
もし、この〝結託〟がなかったら。(いや、〝結託〟って言葉は、なんか、ちょっとイメージが悪いか。〝連携〟にしようか。)
多分、お父さんが亡くなった時、呆然と大阪へ行った正彦さん達、病院にも介護施設にもいられなくなったお父さんの御遺体を前にして、何をどうしたらいいのか、そもそも、御遺体をどこへ安置したらいいのか、まったく判らなくて呆然としただろうし、その前に、お葬式なんてそれまで主宰したことがないのだ(いや、お葬式を〝主宰〟するっていう日本語自体がとても変なんだが)、もうどうしていいのかほんとに判らなくなった可能性が高い。
けれど。この葬儀施設があったおかげで。
現実の話として、お父さんのお葬式は、無事、大阪でできた。
そのお葬式には、お父さんが入居していた介護施設の方は勿論、お父さんが住んでいた町の町内会のひと、町内会長なんかが参列してくれて、よく行っていたお店のひとなんかも来てくれて、これはほんとに正彦さん、お父さんの為にも、嬉しかったのだ。そして、こういうことができたのは、この葬儀施設のおかげだって思っていた。
「......お葬式のプランとか、全部、提案されてしまった......」
病院から、お母さんの遺体を引きとってくれた、今日、正彦さんと陽子さんが泊まることになった施設にて。(この施設は、何と、遺体を引き受けてくれるだけではなくて、この地に在住ではない遺族が、お葬式の間、滞在できるホテルの役割もやってくれていたのだ。しかも、同じ施設内にお母さんの遺体があるのだ、正彦さんと陽子さんは、好きな時にお母さんの遺体の前へゆき、お線香あげたり、しゃべりかけたりすることもできた。)「これ、なんか、すっげえいいようにされている感があるんだけれど......」
「でも、これやって貰えなかったら、私達は本当に困っていた」
うん。それは、確かなんだよ。ああ、もう、考えれば考える程、訳が判らなくなる!
これはもう、本当に。
正彦さんも陽子さんも、大阪に住んだことがまったくないんだから、手続きなんかはもうどうしていいのか判らないし、御遺体をどうしたらいいのかなんて、まったく判らない。なのに、お父さんの、そしてお母さんの遺体を引き取ってくれた、この会社は......正彦さんと陽子さんの困り事、そのすべてを何とかしてくれていたのだ。
だから。
「これはもう......法外って金額じゃまったくない......っていうか、普通の金額だと思うから、これはもう、この会社に、すべてをお任せしてしまう?」
「......しか......ない......よ......なあ......」
「むしろ、この会社があってくれて有り難い、そうとしか思えないんじゃ......」
「そうなんだよ。それは判っているんだよ。でも、それが判っているから、むしろ、なんかこう......」
「隔靴掻痒(かっかそうよう)? いや、言葉はまったく違うよね。痒(かゆ)い処があるけど掻(か)けないんじゃなくて......痒い訳じゃまったくないんだけれど、なんか気になる処があって、それが何だか自分でも表現できなくて、でも、その感じが、なんか、ちょっと......〝隔靴掻痒〟? うん、その気持ちは、私も、判る」
「いや、それともちょっと違うんだが......なんか、そういう気持ちがちょっとあって......」
「でも、その〝気持ち〟を追求したってしょうがないっていうか......」
「......だ......な......」
で。
正彦さんと陽子さんが、この会社にすべてを委ねることに決めたあと。
いきなりだが、正彦さんのお腹が鳴った。
「あ......御飯、食べなきゃ」
「あ、私も結構お腹空いてる」
時に、夜、八時すぎ。
昨日の深夜に、お母さんが亡くなったっていう連絡を受けて。
翌朝、新幹線に飛び乗った正彦さんと陽子さん、朝御飯だけは新幹線の中で食べたんだけど、考えてみたら、お昼も夕飯も、食べていなかった。そんなことをしている時間がなかった。
だから。気がついたら、もう、午後八時を超していたっていうのに......まだ、お昼も夕飯も、食べていなかったのである。
「とにかく、御飯、食べよっか」
で。
コロナがある、この時の、午後八時すぎっていう時間が、何を意味していたのか。
これは、このあと、判るのである......。
「開いているお店が、ほぼ、ない!」
これに、尽きる。
「何で? 何で?」
午後八時。東京なら、普通のお店は、まだ、大体開いている。そんな時間帯だ。
でも、この時、正彦さん達が慌てて繁華街へ行ってみたものの......大抵のお店は、閉まっているか、すでに夜の営業を終えていた。
「え、夜の営業おしまいって......だって、まだ、八時やそこらだよ? 何で? 大阪って、もの凄い早仕舞いの街、なの?」
正彦さんも陽子さんも、コロナになってからは、ほぼ毎日、自宅で夕飯を食べていた。だから、陽子さんは判らなかったんだけれど......少なくとも、陽子さんよりは社会性がある正彦さん、ため息つきながら、こんなことを言う。
「いや、これはもう、しょうがないか。今、コロナだから、別に大阪に限らず、大抵のお店は七時くらいで店じまいしている」
「え......」
「コロナだから。そもそも飲食店ってそんなに営業していないし、夜間営業は......ましてや、お酒を出すような営業は、多分、全部、できない」
あ。
成程。あ。そうか。でも。
でも、じゃあ、私達の御飯は、どうすればいいのか。
「コンビニで、御飯を買ってくるしかないよなあ」
「え。だって。気持ちとして、今日は、お通夜だよ? まあ、お葬式のスケジュールとして、ほんとのお通夜は明日なんだけれど、私の気持ちは、今日がお通夜。御伽(おとぎ)、なんだよ。御伽の御飯が......コンビニ......? それ......なんか、亡くなった方に失礼な気持ちが......。だって、御伽がコンビニの御飯って......」
「いや、まあ、待て。陽子、落ち着け。おまえは知らないだろうけれど、昨今のコンビニの御飯は、結構おいしい。仕出し弁当で御伽をやっていいのなら、少なくとも、その程度には、今のコンビニの御飯はおいしい」
「......って?」
そこで、正彦さんは、陽子さんを伴ってコンビニへ行き、パスタを二種類、買ったりしてみる。そして、それを温めてもらって......。
そうしたら。
「あ......」
この瞬間、陽子さんは、本当に驚いたのだ。
「これ......おい、しい......?」
普通においしい。
いや、勿論、特別においしい訳ではない。でも、普通においしい。
「温めてもらったから、あったかいからかも知れないけれど......下手すりゃ、これ、その辺のコーヒーショップで出している、普通のパスタ程度には、おいしいんじゃない?」
「そうなんだよ」
ここで、正彦さん、陽子さんにちょっと視線を寄越して。
「陽子、おまえが、前に、コンビニ弁当を食べた時って、いつだ?」
「......え......覚えていないけど......大学生の時、かな、なんか、すっごく忙しい時があって、外に御飯食べに行く時間がなくて、しょうがない、コンビニでお弁当を買って食べてしのいだような記憶が......」
「あんまり言いたくはないんだが、それって、もう四十年も前、だよ、な?」
え。四十年前。自分が大学生だった頃って、陽子さんの記憶の中では、ほんのちょっと前の筈で......いや、でも、ちゃんと考えれば、それはもう、四十年も前か。
「四十年もたっていれば、〝進化〟っていうものを、コンビニ弁当はしている」
「......成程」
ふええ。
☆
ふええ。
なんか、この時、陽子さんは判ったような気がした。
勿論、陽子さんは、自分の年を誤解している訳ではない。理解していない訳でもない。 自分が年をとった......初老の人間であることは、判っている。
けれど、それは、理屈として判っているだけ、だったのだ。
一旦、記憶の海に沈んでしまえば。
この瞬間、陽子さんは......自分のことを、六十を過ぎた人間だとは、なかなか思えなくなる。
とは言うものの、勿論、二十代の人間だと思っている訳でもない。
ただ、何となく、年齢把握が漠然としてしまい......気がつくと、二十代の時の気持ちで、ものごとを判断してしまっている自分がいる。
コンビニ弁当はまずい。
こう思っているのは、二十代の陽子さん。
でも、そこから今までには、四十年っていう凄い時間がたっている訳で、その間にコンビニ弁当は進化した訳で......そして、今の陽子さんは、そんな進化のことを知らない。(実際、六十を過ぎるまで、〝コンビニ弁当〟がおいしくなったことなんか知らなかった。......というか、大学生の時を最後にして、陽子さん、六十を超す今になるまで、コンビニ弁当って食べたことがなかった。)
時間って。
なんか、凄いよね。
また、同時に。
正彦さん、言ったのだ。
「あと、冷凍食品も、今では結構おいしいよ」
これは。
正彦さんが言っているのだ。
多分、正しいことなんだろう。
「陽子はさあ、ほんとに自分で御飯を作っているから。......そもそも、スマホまったく使っていないって処からして、現代人とは思えないんだが、コンビニ弁当も、冷凍食品も、もう何十年も使ってないだろ?」
「え......いや......だって、自分で作る方がおいしいから......」
「そうなんだよな」
いや、正彦さん。あなたがそんなことを言って、陽子さんのことを甘やかすから、陽子さん、どんどん自分の御飯について、不必要な程の自信を抱いちゃうんだよ。
「実際、おまえ、小腹が空いたら、コンビニに行って何か買おうとか、冷凍食品使おうとか、まったく思わないだろ?」
「......だって......自分で作る方が、楽だし安いしおいしいし......」
「それは本当にそうなんで。だから、文句なんてまったく言えないし、言うつもりもないんだが......。〝コンビニ弁当〟使ったことのない奴の感覚って、おそらくは、何か、変、だよ。ちょっと、現代人とは思えない」
......なん......だ......ろう、か。
実際。
この後、陽子さんは、正彦さんが食べていた冷凍食品のチャーハンなんかを、ちょっと味見させて貰った。(正彦さんは、時々冷凍食品やカップ麺を食べている。陽子さんは、「あれ、絶対おいしくないでしょ」って思っていて、だから食べないんだけれど、正彦さんが好きで食べているのに反対はしない。趣味嗜好(しこう)の問題だと思っているから。)
そうしたら。
驚くべきことに。
普通に、おいしかったのだ。
「......旦那......。この冷凍食品って、普通においしい、よ、ね?」
「な? だろ? 今の冷凍食品は、普通においしいんだよ」
「じゃあ、ひょっとしたら、カップ麺なんかも、普通においしい......の?」
「少なくとも、俺はそう思う」
そ、そ、そっかあ。
おいしいのか、今では、あれ。
陽子さんが知っているカップ麺は、それこそ、発売された直後の奴。それを何回か陽子さんは食べたことがあったんだけれど......それは、腹塞ぎにはなったけれど、お世辞にも、積極的においしいって言えるものではなかった。そして、それ以降、もう何十年も、陽子さんはカップ麺を食べたことがなくて、だから、ドラマや小説で、おいしそうにカップ麺を食べているひとのシーンを見る度、「何でこのひとはこんなもんをおいしそうに食べているんだろうか......」って思っていたんだけれど......そうか、今では、おいしくなっているのか、カップ麺。
......そりゃ、そう、だろうな。
時間がたてば、すべてのものは進化するのが当たり前。それ考えれば......数十年前の記憶のみで、コンビニ弁当や冷凍食品やカップ麺を忌避している、自分の方が、絶対におかしいのだ。
とは言うものの。
この先、自分が、コンビニ弁当や冷凍食品を好んで食べるかって聞かれれば......多分、〝否〟だよね。
けれど。この先。
いつか。自分が、自分で御飯を作れなくなる日が来たら。
その時には、私には、コンビニ弁当や冷凍食品を食べるっていう選択肢がある。
おいしいのなら、カップ麺を食べるっていう可能性だって、ある。
たった今、その可能性が発生した。
この選択肢を示して貰えたこと、それを陽子さんは、とっても嬉しく思っている。
そっかー。体がうまく動かなくなって、自分で御飯を作れなくなったら、そういう手もあるんだね。
還暦を超えた陽子さんの、これは大いなる発見であった......。
(つづく)
Synopsisあらすじ
陽子さんは、夫・正彦さんの定年を心待ちにしていた。正彦さんが定年になって、家にいるようになったら……家事を手伝ってもらおう! 共働きにもかかわらず、激務で疲労困憊の夫には頼みづらかった家事。でも、これからは。トイレ掃除、お風呂掃除に、ご飯の後の洗い物、それから……。陽子さんの野望が膨らむ一方で、正彦さんもひそかに野望を抱いていた……。『銀婚式物語』に続く、陽子さんと正彦さんカップルの定年後の物語。
Profile著者紹介
新井素子
1960年東京生まれ。立教大学独文科卒業。高校時代に書いた『あたしの中の……』が第一回奇想天外SF新人賞佳作を受賞し、デビュー。81年『グリーン・レクイエム』、82年『ネプチューン』で連続して星雲賞を受賞、99年『チグリスとユーフラテス』で日本SF大賞を受賞した。他の作品に、『星へ行く船』『……絶句』『もいちどあなたにあいたいな』『イン・ザ・ヘブン』『銀婚式物語』『未来へ……』など多数。
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- 第十五章 落ち武者狩りのごと蝦蛄(しゃこ)の殻を剥ぐ2023.09.28
- 第十四章 あの謎の四角には出現時期を選んで欲しいって心から思う2023.08.28
- 第十三章 激動......の定年後2023.07.27
- 第十二章......あれ? 何で私は立てないんだろう......2023.07.05
- 第十一章 ......俺は猫の玩具(おもちゃ)か2023.05.23
- 第十章 「二番目に好き」校庭の暮早し2023.04.28
- 第九章 れんげ畑に落っこちて2023.03.28
- 第八章 ............え、これ、普通においしい2023.02.24
- 第七章 そうか。家にいるひとは御飯を食べるのだった......2023.02.01
- 第六章 夏帽を 脱ぎて鮨(すし)屋の 客となる2022.12.27
- 第五章 あの謎の四角いものって、何?2022.11.25
- 第四章 男には、多分、プライドというものがあって......2022.10.30
- 第三章 くらげ出て 海水浴は お盆まで2022.09.29
- 第一章 いきなり死ぬのはあんまりだ2022.07.29
- OPENING2022.07.29