定年物語第十二章......あれ? 何で私は立てないんだろう......

 陽子さんが、最初にこの現象に気がついたのは、ある日、本屋さんに行っていた時だった。

          ☆

 大抵の本屋さんでは、新刊の書籍は、目立つ処に置いてある。
 また、それとは別に、文庫の新刊も、その月毎に新刊のコーナーに置いてある。
 そして、ほぼすべての文庫の発売日をあらかじめチェックしている陽子さんは、「今日はあの作者の○○シリーズの続きとか、シリーズじゃないけどこの作者の新刊が出る日だよね」って思いながら、新刊が出るとそれをチェック。
 けど、時々は。
 陽子さん、過去の文庫をチェックしたくなることもある。
(時々、何とかシリーズ第二巻とか、第三巻、なんて文庫をチェックした時――陽子さんは、自分が買いたいと思っている文庫でなくても、文庫の新刊は、全部チェックする――、その粗筋(あらすじ)を読んで、「あ、これ、読んでみたいかも」って思うものが、ある時がある。そんな時は、解説を読んで、あとがきを読んで、それがなかったら帯を熟読して、そしてそれから。まず、その文庫のシリーズ第一巻を探す。あるいは、別にシリーズでなくても、「このひとの本を読んでみたい」って思った作者の本は、過去作も陽子さんは読みたいと思っている。そして、著者の略歴を読めば、そのひとが今までどこの出版社で本を出しているのか、大体判る。)
 で。
 普通の本屋さんでは、文庫は、例えば、新潮文庫とか、文春文庫とか、中公文庫なんて、出版社毎に並んでいて、しかも、大体が著者名五十音順になっているのだ。
「この作者は......××文庫で、よりにもよって、名字が〝は行〟のひとかあ......」
 いや、別に。××文庫が悪い訳ではないし、作者の名前が〝は行〟で悪いことは何ひとつないんだが......この本屋さんの場合、××文庫の位置が悪い。この文庫で、名字が〝は行〟だとすると......うーむ、この作者の本は、あるとしたらこの文庫の棚の最下段にあるわな。ということは、しゃがみこまないと、この作者の文庫、手にとることができないではないか。(いや、これ、ほんとに、本屋さんによるんだし、文庫のせいでも著者の名前のせいでもないからね。本屋さんによっては、文庫によっては、〝あ行〟の作者の本が、最下段にあるケースもある。ただ、この本屋さんでは、××文庫で〝は行〟のひとは、最下段にあったっていうだけの話だからね。それに、別に最下段にあって悪いことはなにひとつない......この時の陽子さんの状態を除けば。)
 で。 
 しゃがんで。
 この作者の本を二、三冊、手にとる。
 ぱらぱらって内容を確認してみる。
 この本を購入する気持ちになる。
 で。


 で!


 ここで、凄(すご)いことが、起ったのだ。

       ☆

 ......え?
 え、あの......?

〝立てない〟。
 陽子さんが思ったことを端的に言うならば......これに尽きる。
〝立てない〟。
 いや、これ、何で?
 何で私は今、〝立てない〟の?

 いや。
 落ち着け。
 陽子さん、自分で自分にこう言い聞かせる。
 落ち着け、私。
 大丈夫だ。
 体重を自分の爪先にかけるようにして、そして立とうと思ったら......ああ、ほら、立てた。
 そうだ。
 実際に落ち着いてやってみたら判(わか)った。私は、しゃがみこんでも、ちゃんと立てる。落ち着けば立てる。
 ただ、これって......逆に言うと、〝落ち着かないと立てない〟って話に、なるんじゃない?
 そうだ。
 この瞬間、陽子さん、判った。
 私は......なんということなんだろう、私は......一回しゃがんでしまったら、もの凄く、立ちにくくなってしまっているのだ、今。
 いや、膝をかがめたくらいではこんなことにはならないよ。でも、お尻まで床に落とすような......重心を完全に後ろにしてしまう、そんな、〝本当にしゃがみこんでしまった姿勢〟を一回とると、その後は、とても、立ちにくくなっているのだ。
 え、何で?
 何で?
 しゃがんで立つだなんて、これ、ごく普通の動作でしょ?
 いや、待て、私。
 落ち着けば立てるんだからね、ちゃんと力をいれれば立てるんだからね、だから、私は立てるんだけれど......。
 けれど。

〝立ちにくくなっている〟っていうのが......そもそも......変、だ。

〝老化〟。

 瞬時、この言葉が、陽子さんの脳裏に浮かんだのは......これはもう、当然のことだと思って欲しい。
〝老化〟。

 そうだ、今の私は......思いっきりしゃがみこんでしまったら......もの凄く、立ちにくい。普通に立つことはなかなかできなくて、落ち着いて「よっこらしょ」って思わないと、なかなか、立てない。
 いや、立てるんだけれど。勿論(もちろん)立てるんだけれど、これがやりにくくなっているのが、とても〝変〟だということは、陽子さんにも判る。(だって昔はこんなこと絶対になかった。)
 これが、〝老化〟か。

 この時、陽子さん、六十二歳。
 老化していて何の不思議もない年だ。

 この時。
 陽子さんの脳裏に浮かんだのは、「ああ......ほんとの〝老化〟ってこういうことなのか......」っていう言葉だった。
 陽子さんの職業は小説家であり、それまで、陽子さん、色々な小説を書いていた。 そして、そんな中でも、陽子さん、お年を召した方をキャラクターにするのが結構好きで。それまでの陽子さんの小説で、評価を得たもののひとつに、ヒロインが七十超しているっていうお話があったのだ。
 このお話を書いている間中、陽子さんはこのヒロインに感情移入していて(このヒロインは、七十をとっくに超しているにもかかわらず、その惑星では〝子供〟だということになっており、まだ十代の気持ちで動いていたのだ)、このヒロインの行動を書いている間中、陽子さんは、原稿の中に向かって心の中で叫んでいた。
「あ、あんた! あんた、実質年齢七十超してるんだからね! 走るな! 頼むから走るな! あんたの年で下手に走ると、なんか酷(ひど)いことになる可能性がある!」
「やめてー。階段を二つ飛びなんかで下りるなー。あんた、七十超してるんだからね、もし足がすべったら最後、あんた、こけて死んじゃう可能性があるってば。少しは考えろよっ!」
 このお話を書いた時には、陽子さんはまだ三十代終りだったから。だから、判らなかった。
 今の処、まだ、七十にはなっていないのだが......三十代の終りより、自分が七十に近くなってみれば判る。そのキャラクターは......自分が若いって思っていれば、というか、自分の〝老化〟を理解していなければ、確かにこんなことをしてしまう可能性がある。だから、このキャラクターは、走ったり階段を二段飛びで下りたりしている。ただ、それを書いている陽子さんは、その行動をとても〝危険〟だと思っていて、だから、自分のお話の中で、陽子さんが規定している範疇(はんちゅう)を超えて、勝手に動き続けるキャラクターに、ひたすら叫び続けていたのだ。(完全にキャラクターに感情移入をしてお話を書いている時、陽子さんは、そのキャラクターの行動をまったく掣肘(せいちゅう)できなくなる。――感情移入をして書くって、陽子さんにしてみれば、〝こういうこと〟だ。お話の進行よりも、キャラクターの感情の方が、絶対優先になってしまうのね――。これがまあ、キャラクターが勝手に動いてしまうっていう状態であって、大体、こういう状態になった方が、お話はうまく進むんだけれど......それと、陽子さんが、自分のキャラクターに、原稿用紙の外から叫び続けるのは、また、話が違うからね。)
 だから、陽子さんはひたすら原稿書きながら心の中で叫び続ける。
「危ないから、お願いだから、あなたの年では絶対にそんなことしない方がいいから、だから、そんなこと、やらないで」
 って。
 けれど。
 実際に自分が六十を超してしまえば、判ることがある。また、三十代では判らなかったこともある。

 陽子さんが、心の中で思っていた、『走るな!』は、今になってみれば、とても正しい。 あの時は、心の表面で思っただけだったんだけれど......今となってみれば、全面的に、正しい。
 六十代の陽子さんは、今になって、ほんとに心から、あの時書いた自分のお話の主人公に対して言える。
「走るな! んなことやった瞬間、あんたは危険に陥(おちい)る!」
 けれど、同時に。......今なら、多分、まったく違うことを思う。
 ......多分......この時、自分の心の叫びに則して、このキャラクターの行動を制限してしまったら......それは、きっと、間違いになっちゃったんだな。
 うん。
 変な言い方なんだけれど......この年になったら、やっと判った。
 あの原稿は、あれで正しかったのだ。
 ほんとに危険なんだけれど。できれば絶対にやって欲しくはないんだけれど。それでも、あの原稿の中で、あのキャラクターが、走っちゃったり階段を二段飛ばしで下りたりするのは、〝あり〟なのだ。というか、正しかったのだ。
 そんなことが、今になって――自分が六十を超してみたら――やっと、判った。

       ☆

 人間というのは、とても〝個人差〟がある生き物である。
 運動能力で言うなら、一番判りやすいのが、アスリートって呼ばれるひと達かな。
 運動神経というものが殆(ほとん)どなく、運動能力もまた底辺にいた陽子さんは、自分がほんとに若くって、体力的にも最高であった十代くらいの時に全力疾走をしたとしても、それでも、百メートルを走るのに何秒かかるか判らない。(というか、百メートルも全力疾走をすること、それ自体が、不可能だったと思う。絶対に途中で辛(つら)くなって、気がつくと後半は〝流している〟感じになるに決まっている。)
 けれど。
 世の中には、百メートルを普通に全力疾走しちゃうひとが、いるんだよね。(これは、別に、アスリートでなくても、普通にいるような気がする。)
 しかも。十秒とか、とんでもないタイムで、百メートル走っちゃうひとだって、いるんだよね。
 陽子さんは......多分、運動能力的に自己最高であった十代だって、五十メートル走、十秒よりずっとかかっていた筈(はず)なのに。(運動会では、下手すると後続の組に追いつかれるくらいの、凄(すさ)まじいビリだった。)
 陽子さんとアスリートのみなさまが、同じ〝人間〟というくくりにはいっていることを思えば、これはかなり〝変〟な話だ。同じ種類の動物なのに、ここまで〝運動能力〟に差があってもいいんだろうか。(いや、あったんだから、〝あるとしか言えない〟んだけれどね。)
 だから、この時陽子さんが書いていたお話の登場人物は、七十代にしてみれば運動能力があるキャラクターだと思えば、七十代なのに走ろうとしたり、階段を二段飛ばしで駆け下りたりする、こんな描写は、別に、間違ってはいない。(それに実際、TV番組で、農家の方々が出ているものを見ていると、陽子さん、思う。農家の七十代、八十代の方は、農作業がとても運動能力を使うものであるせいか、只今六十代の陽子さんから見ても、異様な程に体力と運動能力がある。なら、まあ、このお話において、このキャラクターが走ったり階段を二段飛ばしで駆け下りたりしても......間違っては、いない、よね?)
 でも。
 同時に。
 六十を超えた陽子さんには、判ることがある。
「私......このお話の主人公を、原稿の外から、パソコンに向かって、必死になって窘(たしな)める必要なんて......なかった?」
 この理由は、とても簡単。
 だって。
 そもそも、もし、年をとって運動能力が低かったら......そんなこと、無理、なんだもん!窘めるも何もない、そもそも、根底から、無理なんだもん! だから、この行動が本当に〝無理〟なら、このキャラクター、そういうことを、していない筈なんだもん!

       ☆

 そうなんである。
 無理なんである。
 六十を超したら判った。
 頭で、〝この年になったらこういう動きをするのが辛い〟とか、〝危ないからこういうことはしない方がいい〟、そんなこと......六十を超した人間は、考えなくてもいいのだ。 何故か。
 本当に年をとってしまったら......そもそも、〝無理な動き〟をすることができなくなるからだ。

 だって、陽子さんは今、しゃがみこんでしまうことができない。
 いや、できるんだけれど、〝しゃがみこむ〟ところまでは楽勝でできるんだけれど、でも、これをやってしまうと、次に、〝立つ〟ことが、とてもやりにくくなる。
 それが判っている以上、日常生活において、陽子さんは絶対に〝しゃがみこみ〟たくはない。できる限り、そういう動作を避けるようにして、日常生活を営んでいる。そうだ、この本屋さんで〝は行〟の作者の本を取ろうとした時、「よりにもよって〝は行〟かよ」って思ってしまったことが、それを裏付けている。無意識のうちに陽子さん、〝しゃがむ〟という動作を避けていたのだ。(それが、「よりにもよって〝は行〟かよ」って思いに表れている。)

 階段、二段飛ばしで駆け下りる。
 これまた、今の陽子さんが、絶対にやる訳がない。
 ま、ちょっと話が違うのだが、今の陽子さんには、右足の裏に疣(いぼ)があって、その治療の為、ほぼ、週一で病院に通い、足の裏を液体窒素で焼かれている。これはほんとに痛いので、この治療を受けたあと二日くらいは、陽子さんは絶対に右足の裏に負担をかけたくはない。こんな陽子さんが、階段を二段飛ばしだなんて、できる訳がない。(今の陽子さんは、特に、疣の治療を受けた後は、階段を上り下りする時、手すりに掴(つか)まって、ほんとに一歩一歩歩いている、そんな感じになっているのだ。それ以外の動きは、痛いからできないのだ。この状況で、階段を、二段飛ばし? できる訳がないだろう、やりたい訳がないだろう、これはもう、絶対に〝できない〟ことなのだ。――能力的に〝できない〟訳ではなくて、状況として、絶対にやりたくないから、だから、〝できない〟、そんなことなのだ。いや、そもそも、〝やろう〟という気に絶対ならない、そんなことなのだ――。)

 そうなんだ。
 実際に、自分が六十を超してみたら判った。
 六十を超えているキャラクターが、無理な行動をとること、それを、四十前の作者が、掣肘する必要は、実はまったくなかったんだよ。
 だって、六十を超してしまったら......本当の意味で〝老化〟が始まってしまったら......作者に掣肘される、とか、そういうこと一切なしで......ただ、単純に、その年の人間は、〝そういう行為が〟〝できなく〟なるんだ。いや、〝できなくなる〟んならまだいいよな、〝そういう行為をしようだなんて思いもしなくなる〟んだ。
 だから、昔の私。
 原稿を書きながら、その原稿の中の登場人物に対して、怒鳴る必要なんて、まったくなかったんだよ。実際に、その年になってしまったら、〝できないひと〟は、〝そんなことはできない〟んだから。そして、〝できない〟ということは、〝絶対にそういう行為をしようとは思わない〟ってことに通じて......つまりは、〝やる訳がない〟。
 そして、その登場人物が、それをできてしまったのなら、それは、「その登場人物にはそういう能力があった」っていうだけの話であって......つまりは、アスリートの話なんかと同じで、これは〝個人の能力の範疇〟っていう話になってしまうのだ。

 ......こんなこと。
 こんな了解。

 間違いなく三十代の頃に言われたって、判らなかった。理解できなかっただろうと思う。納得しかねなかったに違いない。
 だが。
 六十代になった今なら......判るのだ。
 肌感覚で、判ってしまう、のだ。
 全然、判りたくはないのに。
 なのに、判ってしまう。
 ある意味、判ってしまうことがとても哀しいのだが......それでも、判ってしまう。

       ☆
 


 また、同時に。
 全然違うことを、陽子さんは、考えてもいた。
「ああ......足が攣(つ)るのも......そういうこと......かな?」

 これはまた、話がちょっと違ってきてしまうのだが。

 この間から、陽子さん、結構足が攣ることがあった。
 一番驚いたのは、パソコンの前に陽子さんが座った時。
 この時、何故かいきなり、足が攣ってしまったのだ。これは、ほんとにいきなり。しかも、結構凄く。この状態があんまり酷くて、この状態になったら陽子さん、もうパソコンを前に仕事なんてしていられる状況じゃなくなってしまい......「えっと、足が攣った時って、攣っている足の親指とかを手で反り返すといいんだったっけか、そうやれば治るんだったっけか」とかっていう知識を基にして、とにかくそれをやってみて......でも、それが、まったく、役に立たない。
 と言うか......端的に言って、攣っている足、治らない。
「じゃあ、攣ってしまった足の、ふくらはぎとか、そういうの、マッサージしてみる? 撫(な)ぜてみる?」
 やってみたけれど、治らない。
 と、こうなると。
「ああ、もう、どうしたらいいのかまったく判らない! んでもって、まったく判らないと、きっと、この足の攣りは治らない。で、これが治らないと、私は仕事がまったくできない!」 
 いや、その前に。足が攣っていて痛いんだから、そもそも、日常生活が、送れない。そもそも、机の前に座っていられない。
 どうしよう。
 どうしよう、どうしよう。
 ............。

 幸いなことに。
 この陽子さんの状況は、その後、四、五十分くらいで、自然に解消した。

 ただ。これはあまりにもショックだったので。

 だって。
 この時の陽子さん、〝仕事ができない〟だけじゃなくて......そもそも、足が攣ってしまったせいで、日常生活がほぼ送れない、そんな状況になってしまったんだよ。
 この後も。
 もし、時々、こんな事態が発生してしまう可能性があるのなら。
 これは、〝根源〟を何とかしなければいけない、将来的にとても困ってしまう事態になる、そんな可能性があるのでは......?

 そして。
 その〝根源〟が、何か変な姿勢をとっていた、とか、ある種の運動不足とか、そういうものではなくて、〝老化〟であったのなら......あったのなら......。

 陽子さんは、この事態を何とかする為に、自分でできる努力を、ひたすらやってみた。
 陽子さんにしてみたら、〝やってみた〟つもりだった。
 けれど。
 この時、陽子さんの心の中に忍び込んでいたのは、こんな〝疑惑〟。
 もし。
 もしこれが、〝老化〟で発生してしまった事態ならば......これ、治しようがないのでは?

       ☆

 陽子さんが一番最初にやったのは、通っているスポーツクラブに付随している整体の先生にかかること。
 で、予約を取って、そこへ行き、状態を診て貰(もら)った処で、陽子さんは聞いてみる。
「あの、ほんとにね、いきなり足が攣っちゃって......何でああなったのか、私にはほんとに判らなくて......」
 これに対する、整体の先生の言葉は、ひとつ。
「ストレッチ......するしかない、かな」
「......って?」
「あのね、大島さん、あなたの筋肉って、今、がちがちなんですよ。今からマッサージしますんで、これで少しはよくなってくれると思うんですが、そもそも、あなたの体、がちがちです。どうしてここまで酷いことになったのか、よく判らないんですが......」
「......え......あ......あの、私、最近は仕事が忙しくって、ほぼスポーツクラブに通っている暇なんてなくて、だから、もう、何週間ここに来ていないのか......」
「あ、もうずっと運動をしていないってことですね? 判りました。そういう話か。......なら、定期的に運動をして、そして、ストレッチをする。足が攣ることに対する、根本的な対策は、これだと思います」
「......って?」
「今、ほんとにあなたの筋肉はがちがちになってますから。今から、できるだけほぐすつもりなんですが、こちらでやれることには限度がある。その後は、あなたが自分で、ストレッチをやってください。できるだけ筋肉を伸ばす。......あ、NHKで、なんか体操みたいなこと、やっている番組があるでしょう?」
 この時。陽子さんは、ほぼ週に一回大学病院の皮膚科に通っていて、ここはもう、会計にとても時間がかかるので、先生に言われたこの番組、会計を待っている間に、見るともなく見ていたのだ。だから、うんって、頷くと。
「あの番組でやっている体操を、やってみてください」
「......へ?」
「あれは結構いいです。まったく何もやらないのに比べれば、あれやるだけで随分効果的だと思います」
「あの......NHKの体操が......? 強度的にも、ほぼないような気が、見ているだけの私はしているんですが......」
「それでも、あれをやっているだけで、本当にいろんな処で差異が出てきちゃうんですよ。あれ、やってください」
「......あ......はい......」
「あと、絶対にやって欲しいのが、ストレッチ。これは、これだけは、本当に絶対にやって欲しいです。毎日これをやるだけで、あなたの筋肉は、きっと、少しはほぐれる。今よりはましになる筈です。そうなると、足が攣る可能性は低くなると思います」

 成程。

 と、思っていた筈なのに。
 なのに、どうしても、「これだけはやって欲しい」って言われていたことがひとつもできずに。NHK体操は録画したのにそれを見ることもなく。とにかく仕事が忙しく、毎日、やらなければいけないことを消化するだけでその日が終り、そんな日々を過ごしていたら。

 ある日。
 いきなり、それは、やってきた。

       ☆

 足が、攣った。
 この時陽子さん、心の中で、「ぴきっ」なんて言ってしまった。そのくらい、まるでそんな音がしたかのように、唐突に凄いいきおいで......足が、攣った。
 それも、パソコンの前に座ろうとして足が攣った時なんかとは全然違う、足の一部でも部分でもなく、足全体が、も、攣ってしまって、痛い!
 しかも。この時は陽子さん、何もしていなかったのだ。座ったら足が攣ったとか、そういう話ではまったくなく......。
 この時、陽子さんは、もう眠るつもりでベッドにはいっていた。ただ、まだ眠気がまったくきていなかったので、徒然なるままに手近な本をとりあげて、ベッドの中で本を読んでいただけだったのだ。
 なのに、攣った。足が。それも、〝ぴきっ〟なんて擬音を心の中で唱えたくなるくらい、瞬間的に、衝撃的に。
 足、動かしてもいないのに。
 横になって本を読んでいただけなのに。
 なのに、何故、足が攣る?
 起き上がって、足の指を反らしてみようかな......って、無理だ。
 足が完全に攣ってしまっているので......そもそも起きようがない。というか、動ける自信がまったくない。
 隣のベッドでは正彦さんが眠っている。
 正彦さんに助けを求めてみようかな......って......て......それは、意味がないような気がする。
 これが、もし、横になっている時に脳梗塞の発作や心筋梗塞の発作を起こしたのなら、正彦さんに声かけて、救急車を呼んで貰うって選択肢もあるのだが(いや、その前に、そういう発作を起こしたのなら、隣で寝ている正彦さんに声をかけること、それ自体が不可能なような気もするのだが)、足が攣ってるっていうだけじゃ、ねえ。逆の立場なら、声かけられてもどうしようもない気持ちがする。うん、いきなり起こされて、正彦さんに、「陽子、俺、足が攣った」って言われても......言われた陽子さん、どうしようもないもんねえ。まさか、「夫の足が攣りました」って、救急車呼ぶ訳にもいかないし、救急車呼んで、だからどうなるって話でもないような気もするし。
 で、陽子さん、ベッドの中で、少しでも楽になるよう、体を色々動かしてみて、やがて、まだ足は攣っているものの、何とか立てるような気になって、そうなった瞬間、いきなりトイレに行きたくなって、ベッドに縋(すが)りながら何とか立ち上がり、トイレへと行き、まだ足は攣っている感はあるものの、何とか動けたのでちょっとはほっとし、そのままリビングのソファにへたりこみ、足をさすって。
 そうこうするうちに、何とか少しは楽になったので、ふうって思いながら、陽子さん、べッドに戻る。
 ただ......この時......。
 横になって本を読んでいただけなのに。それでも、いきなり、ぴきって感じで足が攣ってしまったことを考えると......ベッドにはいるのが、なんか、怖い。
 自分の人生において、ベッドにはいるのが怖いだなんて経験......これ、たったの二回目だ。一回目は、ベッドの中で『シャイニング』っていう小説を読んでいて(とっても良質なホラー。読んでいて陽子さんが心から怖くなった、素晴らしいお話だ)、一回トイレに立ったあと......スタンドの照明しかないベッドに戻って、あの本の続きを読むのは、ほんとに怖かった。けれど、このまま、あの続きを読まずに眠ってしまうのはもっと怖くて......あの時は、ベッドにはいるのがとても怖かった。そして、二回目が、只今。
 まさか。まさか、ベッドにはいるのが怖いだなんて訳判らないことになるだなんて......それも、お話を読んでいてそうなるんじゃなくて、物理的な事情として、こんなことになるだなんて......こんなのほんとに想定外。
 と、そんなことを思いながらベッドにはいった陽子さんなのだが......この時、もっととんでもないことに気がついた。
 横になっていたらいきなり足が攣った。だから、ベッドにはいるのが怖い。
 これは、名作だって聞いていたホラー小説を読んでいて、ベッドにはいるのが怖いっていうのとは、事情が違わない? だって、小説を読んだせいでベッドにはいるのが怖くなってしまうのは、陽子さんさえ意識すれば、避けられる。けれど......足が攣ってしまうかも知れないからベッドにはいるのが怖いっていうのは......陽子さんの努力では、避けようがない。そもそも、足が攣るのは、陽子さんの努力では、回避のしようがない。

 こ......こ......これが、〝老化〟か。

 まあ、この時陽子さんの足が攣った原因が何なのかは、実の処よく判らないのだが......もし、これが〝老化〟の一端だとすると。
 どうしたって、これ、陽子さんには避けようがないじゃないのお。
 ただ。
 この時、冷静な陽子さんの心の声はこう言った。
「避けようがないのが、〝老化〟」
 あ、その通り。
 自分の心の声に、陽子さん、頷く。うん、避けようがないのが、老化だよね。老化って、そもそも、そういうものだよね。
(あと。この時は陽子さん、こんなこと色々悩んでいた筈なのに、ベッドに横になったら、結構すぐ、くうくう寝てしまったのだ。で、翌日、正彦さんに、「昨日は何があったんだ」って聞かれて驚く。陽子さんが声をかけなかったのに、ぐうぐう眠っていた筈の正彦さんは、陽子さんのこの状態に、実は気がついていて、ずっと気にしてくれていたらしいのだ。これを聞いた瞬間、陽子さん、ありがたいやら正彦さんに申し訳ないやら、結構いろんな気分になったのだが......ありがとう、愛夫。――愛妻っていう言葉に対して、〝あいおっと〟って冗談で書いてみたら、ほんとにこんな言葉が変換されてしまった。ほんとにあるのかこんな言葉。少なくとも陽子さんは聞いたことがなかった。ま、それはともあれ、とにかく、ありがとう、愛夫――。)

 ところで。
 このエピソードには、問題点がひとつある。
 足が攣ってしまった後、色々やっていた陽子さんが......トイレに行きたくなったこと、だ。
 そうだ。
 ここの処陽子さんは、夜、ベッドにはいった後、トイレに行く回数が増えている。それも、圧倒的に増えている。別に、とっている水分量が増えている訳でもないのに。
 この日だって、ベッドにはいる前に、トイレには行った筈だった。なのに、足が攣って、色々やっていたら、トイレに行きたくなってしまった。ベッドにはいる前、トイレに行った時の時間を考えると、そもそも、こんな時間にトイレに行きたくなる方が変なんだけれど、それでも、トイレに行きたくなってしまった。
 また。
 昔に比べると、熟睡をしているっていう感覚が......あんまり、ない。眠っていると、なんか、よく、トイレに起きる。
 うん。昼間、起きている時はそうでもないのだが、夜、寝る時間になると。そして寝ていると。やたらとトイレの回数が増えているような気がするのだ。

 これもまた、老化か。

 うわ、こう並べてみると、なんか、凄いよね、〝老化〟。
 しかも、これが不可逆だと思うと、ほんとに凄いよね、〝老化〟。

 ただ。
 陽子さんというひとは、ある意味、無茶苦茶前向きなひとである。ほんと、ポジティヴ思考しかしないひと。
 だから、色々考えているうちに。
 なんか、陽子さん、わくわくしてきた。
 以前、三十代や四十代で七十代の登場人物を書いていた時とは、まったく違うお話が、今の私には書けるかも。
 うん、六十代になったんだもん、六十や七十のひとのお話が、きっと、前よりうまく書ける。
 不可逆で能力が下がって、能力によって行動が制限される――いや、制限されるって思ってもいない、そもそも、そういう行動を取ろうとはまったく思わない登場人物達のお話を。
 これ、考えてみたら、四十代、五十代の私には絶対に書けないお話で......うわあ。
 それ考えたら、これから私が書けるお話の世界って、今まで想定もしたことがないような方向に広がる可能性、あるのかな?

 おっもしろい。
 面白いじゃん。
 うん。
 年をとるのには、それなりの価値が、きっとある。
 うん、年とってよかったって、思える自分になりたい......っていうか、きっと、なってみせる。
 だって、今までとはまったく違うお話が書けるかも知れないんだもん!

                                    (つづく)

定年物語

Synopsisあらすじ

陽子さんは、夫・正彦さんの定年を心待ちにしていた。正彦さんが定年になって、家にいるようになったら……家事を手伝ってもらおう! 共働きにもかかわらず、激務で疲労困憊の夫には頼みづらかった家事。でも、これからは。トイレ掃除、お風呂掃除に、ご飯の後の洗い物、それから……。陽子さんの野望が膨らむ一方で、正彦さんもひそかに野望を抱いていた……。『銀婚式物語』に続く、陽子さんと正彦さんカップルの定年後の物語。

Profile著者紹介

新井素子

1960年東京生まれ。立教大学独文科卒業。高校時代に書いた『あたしの中の……』が第一回奇想天外SF新人賞佳作を受賞し、デビュー。81年『グリーン・レクイエム』、82年『ネプチューン』で連続して星雲賞を受賞、99年『チグリスとユーフラテス』で日本SF大賞を受賞した。他の作品に、『星へ行く船』『……絶句』『もいちどあなたにあいたいな』『イン・ザ・ヘブン』『銀婚式物語』『未来へ……』など多数。



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