定年物語第十章 「二番目に好き」校庭の暮早し

「ねえ、これ、どんなゴミになるの? 燃えるゴミかなって思うんだけれど、なんか雑誌みたいな気もするし、雑誌なら雑誌や新聞や段ボールを纏(まと)めて回収する日に出さないといけないような気がするし......どんなゴミ?」
 ある日。
 正彦さんから、こんな台詞(せりふ)と共に小冊子みたいなものを渡された陽子さん、受け取ってすぐ、これは燃えるゴミじゃなくて雑誌のくくりで、資源ゴミの日に他の雑誌や何かと纏めて捨てるものだよねって思い......同時に、何だって雑誌みたいなものを、正彦さんが自分に渡したのかなって、ちょっと疑問に思う。普通にこのサイズの小冊子なら、〝雑誌〟のくくりだって、正彦さんだって判(わか)るだろうに。
 で、渡された小冊子をじっくり見てみる。
 見てみて......そして、驚いた。
 こ......これは......雑誌というよりは、練習帳だ。A4の雑誌サイズの、ペン習字の練習帳。普通に五十音を書く欄もあれば、住所なんかを書く欄もあり、東京都とか神奈川県とかお手本が書いてあり、手紙の時候の挨拶なんかの常套(じょうとう)句もあり、それを丁寧になぞってボールペンで書いてあるこれは......。これは、旦那の、字?
「......これ......何?」
 いや、ペン習字の練習帳だ。それは判っている。けれど......陽子さんとしては、こう聞いてみるしかない。そんな気分になる。
「いや、ペン習字の練習帳」
 だからそれは判っているんだが。
「何でこんなもん......それも、全部ボールペンで字が書いてある、なんでこんなもん捨てるの......」
「全部書いちゃったから。終わったから。だから、これ捨てようと思ったんだけれど、字を書いたから、これ、雑誌の扱いで捨てていいのかどうか判らなくて......んで、捨て方を聞いてみたんだけれど」
「い、いや。いやいやいや。書いたって、何?」
「だってこれ、ペン習字の練習帳だろ? で、課題を全部、書いちゃった。終わった。だから、これ捨てて、次にまた新しい奴を......」
「って、書いたって、誰が」
「......俺が」
「何で」
「字の練習をする為」
「何で」
「......字の練習をするって、綺麗(きれい)な字が書けるようになりたいから、それ以外の理由があるのか?」
 いやいやいや。それは判っている。うん、それは、判っているんだよ。だから、陽子さん、自分が聞いていることが何か変だっていうのも、よく判っている。けれど......正彦さんと、字の練習、この二つの単語が、どうしても自分の心の中でくっついてくれなくて。従って、何か、呆然(ぼうぜん)として。
「これ......あなたが、書いた、の?」
「って、先刻っから俺はそう言っていると思うんだが」
「何で」
「あのさ、陽子、おまえは何を聞きたい訳? おまえの台詞、なんか循環しているよ? 俺は字の練習をしたかった。故に、これを買って、練習してきた。一冊分の練習が終わった。故に、これを捨てて、次にまた別の練習帳を買って練習をしようと」
 うわあああっ!
 俳句を始めた時から。
 正彦さんが、自分で勝手にお習字を始めた、それは陽子さん、知っていた。けど、まったくの我流でお習字を始めても、おそらくは何の実も結ばないであろう、陽子さんはそう思って、正彦さんのお習字をちょっと莫迦(ばか)にしていた。(というよりは、洗面所が墨で汚れるから、できればやめて欲しいと思っていた。)そして実際、句会がズームになってからは、正彦さん、お習字を止めていたのだ。(ズーム句会は、パソコンで投句する為、字が綺麗である必要がなくなったから。)
 けれど。実は正彦さん......我流お習字を止めた後も、こつこつと努力を続けていたのか?今度はペン習字の練習帳を買って、それをひたすらなぞってお稽古をするっていう形で。
 ここで陽子さん。受け取った正彦さんのペン習字練習帳をそのまま正彦さんに突き返し、リビングの食器棚に張ってある正彦さんの予定表の処(ところ)へと走る。ここには、正彦さんの一週間の予定を書いてある紙が貼ってある筈(はず)なのだ。
 この予定表は、正彦さんがサラリーマンの時代には、陽子さん毎日確認し、絶対に書いて欲しいって要求していたものだ。(つまり、日・月・火・水......って文字の下に、〝接待〟だの〝残業〟だのって文字が書いてある奴で、その週のうち、いつといつ、正彦さんが家で御飯を食べるのか、それが判るようになっている奴だから。これがないと陽子さん、この週のうち、いつ夕飯を作ればいいのか判らなかったので、サラリーマン時代の正彦さんには、絶対にこれを書いてもらっていたのだ。だって、御飯を食べる日の前日に、それが判っていないと、そもそも買い物をする時にとても困る。)
 そして。定年になってからも、正彦さんは律儀にこれを作り続けていて......いや、むしろ、サラリーマン時代より細かく時間で区切られた予定表を作り続けていて......実は陽子さん、それ、あんまりちゃんと見ていなかった。(現役のサラリーマンの頃は、そもそも週のうち家で御飯を食べることができるのが二回かそこらだったんだけれど、定年になってからは、家で御飯を食べないのが週に二回以下になっている。その前に、原則的に帰宅予定時間というのがない。だから、今週のうち、いつ、正彦さんがうちで御飯を食べないのか、それだけチェックすれば、陽子さんにしてみればOKだったのだ。故に、正彦さんの予定表、ほぼ、陽子さんは見ていなかった。)
 その、正彦さんが作った予定表を見てみたら。
 陽子さん、驚いた。
「な......何、これ、あなた、何だって、こんなに細かくて丁寧な予定表、作っている訳?」 いきなり陽子さんにペン習字の練習帳を突き返されて、最初のうちは目を白黒させていた正彦さん、陽子さんが予定表の処へ走ってゆくのを見て、自分も予定表の前まで来て、そして。
「......いや......ほぼ......趣味?」
 あ、あああ、そうだった。
 正彦さんというのは、話で聞く限り、昔から予定表を作るのが好きなひとだったらしい、のだ。

 これは三十年を超す、正彦さんと陽子さんの結婚生活で、なんとなくいつの間にか、陽子さんが正彦さんから聞いた話なんだけれど。
 中学生くらいから、正彦さんは、テスト前とか、やたら〝予定表〟を作るのが好きな子供だったらしい。
 ああ、それ、判る。
 確かに、昔、いたよねー。テスト前になると、日付を区切って、月曜日、何時から何時まで英語、その後十分休憩して、一時間数学、また十分の休憩を挟んで、一時間古文、なんて、予定表を作るひと。
「俺はさあ、予定表作るの好きで、大体テスト前はそういうの作っていて......」
 でも。こういうことをするひとの末路、なんとなく、陽子さんには判る。
「......で、結局......予定表作ると、満足しちゃって、結果として、予定表はまったく守れず、ということは予定していた勉強もできず......とどのつまりは、全然思うような成績がとれなかった」
「......何で判るの陽子」
「判らいでかっ。大体、そういうのがよくあるパターンだよ」
「あ! そうか、実はおまえもこれやっていた?」
「......私は、そこまで真面目じゃなかった。予定表なんかまったく作らずに、とにかく、今日は英語やろー、明日は数学ーなんて思っていて......でも、その時読んでいた本が面白かったら、それ、読みやめることができなくて、結局それ読み続けてしまって、そんで、その日は、おしまい」
 これを聞いた正彦さん、ちょっと「えええ」って顔になり。
「いや、だって、そんなこと許しちゃったら......おまえ、テスト前に勉強なんてまったくできなかったんじゃ......」
 今の陽子さんの読書状況を見ている限り、そうとしか思えない。一回本を読み出したら、そして、その本が面白かったら、多分陽子さん、この時、テスト前勉強なんてしている筈がない。
「ううん、中学や高校の頃は、まだ、子供だったから。今だったら、本を手にとった瞬間、〝これが私にとって面白い本であるのかどうか〟、かなりの確率で判断ができるんだけれど、しかもそれが大体あたっているんだけどさ、昔は、その判断がまだ甘かったから。たまには、全然面白くない本にあたっちゃったことも、あったんだよ。あとさあ、昔は、本を買えるお金がまったくなかったから。お小遣いだけじゃ、月に文庫本数冊しか買えないんだよ? あの頃だって、三日で一冊くらいは、本を読んでいた筈なのに。なのに、自分で選んで買える本が、月に数冊。するっていうと、あとは図書館で借りるとか、そういう方法しかなくて、私にとってあんまり面白くない本にあたる確率もそれなりにあって......そういう時は......しょうがない、真面目に勉強をしました」
 ......この状況。正彦さん、考えてみて、しみじみと。
「......よかったな......」
「......って?」
「本を読まずに、真面目に勉強をする時間がなかったら、おまえ、ほんとにテストなんてぐだぐだになったんじゃないの? したら、大学で、俺に会えなかったかも知れない」
 ここで、陽子さん、ちょっと上を向く。そして、上唇を舌でなぞって、笑いながら。
「でも、大学であなたに会えたのがよかったことかどうかは謎だよね」
「!」
 と、今度は。
 これを聞いた正彦さんの方がむうっとした顔になり。
「陽子、あのな」
「あ、嘘、嘘」
 で、二人でちょっとこづきあったりして(基本的に仲のよい夫婦なんである)......って......なんか、話が、ずれたな。

 正彦さんが作った予定表には、〝ペン習字〟なんてものが、確かにはいっていた。一日、十分くらい。
 一日十分、正彦さんは、ペン習字の練習をする。
 少なくとも予定表によれば、そんなことになっていて......実際に、正彦さんは、〝そうした〟のだろう。一日十分、毎日、ペン習字の練習を。だから、正彦さんがそれまで使っていたペン習字の練習帳は一杯になり、正彦さんは新たなペン習字の練習帳を用意し、今まで使っていたものを捨てることになった。
 それに。
 正彦さんがペン習字をやっている、それについては、納得がゆくことがある。
 ちょっと前から。
 正彦さんが書く字は、歴然と読みやすくなっていたのだ。
 正彦さんは、時々、自分の好きな句を原稿用紙に書いては陽子さんに見せることがあった。それまでは陽子さん、「なんだろう、自分が好きな句を私に見せたいのかな?」って思っていただけだったんだけれど......今になってみれば、思い至る。これ、正彦さん、句を清書する自分の字が、どの程度読めるようになっているのか、陽子さんをマーカーにして、測っていたんじゃないのかなあ。
 そして、そう思ってみれば。これまた、思い至ることもある。
 ちょっと前から、正彦さんが属している句会は、ズームだけではなくなったのである。実際に、面と向かってやる句会、そういうものも、ぽつぽつと発生しだしていて、そんな中には、参加者が、ランダムに混ぜた他の参加者の句を清書しなければいけない句会もあったのだ。(本人が自分の句を、自筆で書いてしまうと、筆跡を見ただけで、つきあいがあるひとには、その句が誰のものだか判ってしまう可能性が高い。だから、短冊に書かれた句を適当に混ぜて、他人がそれを清書するっていう方式をとっている句会が多いらしい。)
 正彦さんが、ペン習字をやっていたのは......ほぼ、この形式の、句会の為、なんじゃ......ない、のか?
 だって。
 正彦さんの字が汚くて、それで、正彦さんの句が、不当な評価をされてしまうのは......まあ......これは、〝字が汚い〟段階で、正彦さんの自業自得と言える。それこそ、自己責任である。
 けれど、他人の句を清書することになった場合......自分の字が汚いが故に、ひとさまの句が、不当な評価をされてしまったら。
 そりゃ、誰がどう考えても、悪いのは正彦さんだ。
 いや、その前に。自分の字が汚くて、それで、ひとさまの句が、〝読めなく〟なったらどうしよう。最初に句会に参加した当時、ほんとに正彦さんの字は酷(ひど)かったので......これは、可能性として、〝ある〟ことだったのだ。そして......そして、それは、あまりにも、あまりにも、句会の他の出席者に対して、失礼である。
 それで。
「綺麗な字は書かなくてもいい。というか、書けない。けど、最低でも、読める字を書かなくては。自分が書いた字が読めなかったせいで、自分が清書をした句の作者の作品が、まっとうな評価をされないこと、これだけはあってはいけない」
 おそらくは。正彦さんは、こう思ったのだ。それで......始めたのが、ペン習字のお稽古......?
 ここまで推察した処で。
 陽子さんは、感動した。
 感動しまくってしまったのだ。
 うちの旦那だけどさあ、このひとって、結構いいひと?

 それにまた。
 毎日、十分、ひたすらペン習字のお稽古をしていた旦那は......他のことも、毎日、十分、お稽古していた可能性がある。予定表にはそんなことも書いてある。
 だって、この間、陽子さんは正彦さんと一緒に、近所では一番大きな書店の大学受験の為の参考書がある処へ行った。それは何故かって言うと......。
 この瞬間、陽子さんは、そんな過去を思い出していた。

「ねえ、陽子、うちに、万葉集とか古今和歌集とか新古今和歌集とかって......ある?」
 大島家の蔵書。これは、三万冊もあるので、陽子さんが勝手に分類している。(いや、ほんとは、普通の図書館がやっているように、日本十進分類表にのっとって分類をしたいって陽子さんは思っていたのだが......蔵書の数に、あまりにも特異な傾向があるので、これは無理だったのだ。蔵書の殆(ほとん)どが小説であるのは当然として――そんな図書館は普通ない――、それ以外のものも、例えば、生物学に分類されるものがあまりにも突出して多い、とか、物理学に分類されるものがほぼない、とか。また、棚の高さも決まっている処が多いので、陽子さんが勝手に作った、それこそ、「ここは骨董(こっとう)」「ここは囲碁」みたいな基準を作らないと、効率的に蔵書を収納できなかったのだ。だから、大島家の蔵書をちゃんと活用したい場合は、今、正彦さんがやったように、「この○○って本はあるの?」って陽子さんに聞くのが、一番早くて正しい。(何たって、陽子さんは、すべての蔵書をエクセルにいれている。その前に、このひとは、大体の蔵書のことを覚えている。こと、本に関する限り、何か特異な能力があるんじゃないかと思われるようなひとなのである、陽子さん。)
「ん、勿論(もちろん)あるよ。んーと、確か岩波の日本古典文学大系が全部ある筈だから、常識的にいって、万葉も古今も新古今もあるに決まってる。あ、万葉はね、文庫版もあったと思う。(ここで陽子さん、エクセルをチェック。)うん、文庫では、角川と講談社と旺文社があるね。......それに、岩波の日本古典文学大系は、箱にはいってるし重いし、ただ、万葉を読みたいだけなら、文庫の方、出そうか? あ、訳注しているひとの情報は、エクセルじゃ判らないんだけど、実際書庫に行ってみればすぐ判るから」
 この辺、陽子さん、ほぼ司書さんのノリである。(陽子さんは、司書さんに憧れてもいたので、「特定のとある図書を出して欲しい」って依頼には、もっの凄(すご)くのってしまうのである。まして、大島家の書庫は、陽子さんが勝手に分類して司書やっている、陽子さんの為の本棚だからね。けれど、こんな陽子さんに対して、本についての情報を求めてくるひとはまったくいないので、こんなこと、言われてしまうと、陽子さん、も、嬉(うれ)しくなってしまうのだ。)
「あ......いや......文庫は......この間、ちょっと本屋さんでぱらぱらしてみたんだけれど......もの凄く......判りにくい」
「......って?」
「いや、本文があって、脚注がある、だろ? でも、そもそもの本文が......和歌、それ自体がね、何書いてあるんだかよく判らないし、脚注読んでもこれまたあんまりよく判らないんだ」
「......そういう感じは、確かにあるよね。......あ、ちょっと待って。少なくとも新古今なら、新潮の日本古典集成もうちにはあったかも。岩波の方はね、私が生まれた頃の奴なのに対して、新潮の方のは、私達が結婚した頃だから。随分新しいよ。その分、読みやすいかも知れない」
 ......って......随分新しいよっていっても......そりゃ、どっちも、昭和だろ! これを、〝新しい〟って言ってしまう陽子さんの感覚も......いかがなものなのか。
 そう思った正彦さんが、うーんって顔になると、今度は陽子さんが。
「で、何だって旦那は、今更、万葉集や古今や新古今和歌集を読みたくなったの? 俳句の為?」
「......他に理由があると思うのか?」
「ない......よね。じゃ、万葉集とか出す前に、うちには芭蕉の本があるよ」
「......って? え?」
「いやあ、岩波の日本古典文学古典大系。芭蕉句集と芭蕉文集があるみたいなんだけれど、俳句の為に万葉集読むくらいなら、その前にこっちを読んでみる?」
「あ。もしそんなものがあるのなら、それは、是非」
 で、そんな本を手にした挙げ句、どっちも正彦さんにはまともに読めないっていう事実が判って。
 と、そんな話を陽子さんにしてみた処、陽子さんから、まったく違う提案をされてしまったのだ、正彦さん。

「うん、旦那が、本文がよく判らなくて、脚注もよく判らなかったってことは、よく、判った」
「......それ......何か皮肉なこと、言ってる?」
「いや、言ってない、言ってない。ただ、私は、こんな時に、ほんとにかい摘(つま)んで、しかも判りやすく書いてある本のことを知っているっていうだけで」
 こんなことを言われてしまうと。正彦さん的には、もう、もの凄く盛り上がる。
「そ、それは、何だ!」
 で、もの凄く盛り上がって、凄い勢いで陽子さんに迫っている正彦さんに対して、陽子さんの方は、あっさりと。
「学習参考書」
 答を言ってしまうのである。
 ただ、言われた正彦さんは、まさかこれが〝答〟だってまったく思わずに。だから、言葉を続ける。
「参考書がどうしたっていうんだ!」
 それに対して、陽子さんは、ゆるやかに。
「大学受験の参考書にはね、いろんな奴があると思うんだ。特に古事記や日本書紀なんかは、勿論本文も書いてあるんだけれど、本文を基にして、丁寧に解説書いてあるものがある筈。文法なんか書いてある奴だって勿論あるんだろうけれど、というか、そういう奴の方が主流かも知れないんだけれど、もっと違う奴だって、ある筈じゃない? ......これは感覚なんだけど、『源氏物語』とか、すっごく判りやすく書いてある奴、ある可能性、なくない? 今ではよく判らない言葉や習慣をひたすら解説してくれている奴。んでもって、あなたが読みたいのは、そういう本、なんじゃないの?」
「か......かも、知れない......」
「勿論、全部を書いてはいないかも知れない。けれど、一部でも、判りやすい奴が書いてあるのなら。それ、参照するのが、一番判りやすくない?」
「......た......確か、に」
「んで、万葉集とかね、古今和歌集とか、新古今あたりくらいまでなら、これ、絶対、それに特化した参考書がある筈だと思うんだよね。現物の、万葉集とか古今和歌集とか新古今とか読んで、判りにくかったのなら、受験用の参考書を読むのが、一番楽じゃない?」「うわああああっ! 確かに」
 で。ついこの間。陽子さんは、正彦さんを近所の本屋さんに案内して、一緒に、受験生用の万葉集や古今和歌集を買った覚えがあったのだ。
(何故、陽子さんが〝案内した〟のかと言えば、正彦さんは、単独ではこの参考書を発見できなかったからだ。これまた何故かと言えば、この書店さんでは、『万葉集』や『古今和歌集』が、何故か、「物理」に分類されているコーナーの最初においてあって......まあ、「物理」コーナーに万葉集があるって思うひとはほぼいないだろうから、正彦さんが発見できなかったのはしょうがないと思う。)
 んで、『万葉集』が物理にあったのを見た時、当然、正彦さんは文句を言った。
「何故! 何だって『万葉集』が物理のコーナーにあるんだ! あれが物理だって言われたら、俺は絶対に文句を言うぞ! いや、今だって、文句言う気満々だ!」
「ん......それは判るんだけれどね......普通の町の本屋さんって、棚の容積にもの凄い制限がある訳よ。だから、結構、訳判らない感じで、本の並びを詰めてしまっている。この本屋さんの場合、この辺では最も参考書に棚面積を割いてはいるんだけれど、それでも面積自体がそんなに大きくない」
「だからって、何で物理」
「んー、この本屋さん、〝物理〟の前にあるのが、〝国語〟の参考書でしょ?」
「万葉集は国語ではないと思う。あれは、古典に分類されるべきだ」
「うん。けど、この面積の本屋さんだと、国語と古典を分けるの面積的に無理だと思うし。ということは、国語が終わった後に、古典が並んでいるんじゃないかなーって推測できる訳だし。んで、国語の参考書のあとに物理が並んでいるのなら、古典は物理の最初にはみだしている可能性結構あるかなって思って」
 ......正彦さん。
 ちょっと驚いたような表情になり、陽子さんのことを見つめる。すると、陽子さん、えへへんって胸をそらして。
「私はねー、本屋さんに通う、プロのお客さん、なんだよ」
「プ......プロのお客って......それは何だ」
「自分のお小遣いで本が買えるようになってから五十年。毎日毎日、いろんな本屋さんに通っているプロなの。雨じゃない限り、別に欲しい本がなくっても、お小遣いがなくて本買えなくても、私はいろんな本屋さんに通っている。だから、大体の本屋さんは、はいった瞬間にどんな傾向の本屋さんだかが判る。棚を見れば品揃えの傾向も判る。平台を見れば何を売りたいと思っているどんな本屋さんかも判る」
「......おまえ......書く方の......プロなんじゃ......?」
「いや、勿論、お話を書く方でも、もう四十年もやっているんだ、自分で自分のこと、ちゃんとプロだと思っている。けど、本屋さんに通う方はね、もうちょっと凄いプロなの、私。だって、書店さんや出版社の営業以外で私程本屋さんに通っているひとなんて、他に知らないし」
 ......確かに。本屋さんのはしごを毎日のようにやっている人間なんて......正彦さんは、陽子さん以外知らなかった。しかも、それは、何か欲しい本があり、それを最初の本屋さんでは入手できなかったからはしごしているっていうものではなく......はしごしたいからしているだけなんだよね。また、陽子さんは、何故かすべての文庫の発売日や新刊の発売日を把握しており(新刊案内や宣伝のちらしを全力で熟読しているのだ)、発売日にその本屋さんにその本があるかどうかを確認している......みたいなのだ。何故、そんなことをやっているのか、それは、考えるだに、謎なんだが。
「だから、まあ、当該本屋さんの売り場面積を考えるだに、あなたの欲しかった本が〝物理〟コーナーにあるなって推測ができた訳なんだけれど」
 ......まあ、確かに。
 陽子さんのおかげで、正彦さんは、この本を買えた訳なんだけれど。
 正彦さん、思った。
 何か、ちょっと。
 自分の妻であるんだけれど......陽子って、こいつ、何か変! って。
 
 あ。
 また、話がちょっとずれたな。

 とにかく、陽子さんのナビゲートにより、正彦さんは、万葉集を買った。そして、和歌の勉強をしているらしい。
 ......これは......凄い。

 正彦さん。
 本当に努力をしているらしいのだ。

 あと。
 この間、陽子さんは、正彦さんが読んでいる文庫を見て、驚いたことがあった。そんななことも陽子さんは思い出していた。
 その本って、かなり古いミステリの復刻版で、陽子さんならともかく(このひとはミステリ好きだ)、正彦さんが読むような本だとは思えなかったので、陽子さん、聞いてみた。
「旦那、こんな傾向のミステリも好きなの?」
「......あ......いや......粗筋(あらすじ)見て、面白そうかなって思って買ったんだけれど......あんまり好みじゃなかった、かな」
 でも、読み続けているんだよね。だから、陽子さん。
「?」
 好みじゃない本を、何故、読むのだ。いや、最初に手を出した理由は判る。けれど、好みじゃないと思ったら、すぐさま読むのを止めるのが正彦さんなのだ。(陽子さんは、買った以上、意地でも半分くらいまでは読むけれど。そんな余計なことをしないのが、正彦さんのいい処。)と、まあ、まず、ここが陽子さんにはよく判らず......そして、その本をちらっと見て、陽子さん、もっと驚く。だって、これ、旧かなで書かれていない?
「いや、実はね、この作者がね、俳人なの」
 あ......ああ、俳句をやっている作者が書いた本なら、何でも読むのか。そう思いかけた陽子さんなのだが、正彦さんの返事は、陽子さんの思いの斜め上をいっていた。
「俺さあ、俳句詠む時、文語っていまひとつよく判らなくってさあ」
「......まあ......そりゃ、私やあなたの世代ならそうだよね。私だって文語の文法なんてまったく判らないもん」
「だから、この本、俺には向いていないなーって思ったんだけれど、文語で書かれた、それも俳人が書いた本を読んだら、少しは文語って判るかなーって思って。だから、ちょっと頑張って読んでみようかなって」

 この瞬間の、陽子さんの思いを、何て言ったらいいんだろうか。
 感動した。
 そう、としか、言えない。

 そもそもが、陽子さんの世代は、文語には弱い。何たって、日常で文語に接することが殆どない。(って、陽子さんが若者だった時代には、この言い方は〝あり〟だったんだけれど、今はなー。陽子さんが若者だった時代には、上に、〝日常で文語に接していた〟〝教養としてそういうことをよく知っていた〟世代が、それなりにいたんだけれど、只今現在では、陽子さん自身が、すでに還暦超えている。ということは、日常で文語に接していた世代って、今、どのくらいいるんだって話になってしまう。......と、いうか。あんまりいないかも......なんである。)
 で。
 文語に弱い、陽子さんが、昔、先輩からいただいたアドバイス。
「江戸の読本、楽しみたいと思ったのなら、まず、とにかく読んでみれば? いや、勿論、当時の読本なんて手にはいらないだろうけれど、例えば滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』なんか、岩波かどっかの文庫で揃ってる筈だから。あれならちゃんと活字になってるし。最初のうちは、訳判らなくても、最初の一冊さえ無理して読み通せば、大体意味が判るようになるから。一冊目、読み通せば、ほぼ自在に読めるようになるし、意味も判る筈。その前に、一冊目さえクリアすれば、あれはほんとに面白いんだから、続けて読まない訳がない」
 とても魅力的な提案だと思った。けれど、この提案をいただいた時、陽子さんは結婚したばかりで仕事も無茶苦茶忙しく、その提案を実行できる状態ではなかった。だから、この提案、のびのびになっていたんだけれど......。
 今。正彦さんがやっていることは、まさに、〝これ〟だ。

 また。
 陽子さん、ちょっと違うんだけれど、これと似たようなことをやった覚えがある。
 自分が小学生の頃。
 祖父と父の蔵書を食い荒らして読んでいた陽子さん、昔の岩波文庫なんかを結構読んでいたのだ。(その頃、陽子さんは、父に買って貰(もら)った子供用の北杜夫の著作が好きで、大好きで、北杜夫がトーマス・マンが好きだって話をどこかで読んで、トーマス・マンという作家の著作を読んでみたかったのだ。けれど、当時の陽子さんのお小遣いではどんな本も買うことができず、トーマス・マンの著作なんか小学校の図書室にある訳がなく......でも、自分の家の、祖父の書斎には、あったのだ。で、祖父の書斎に忍び込んで――そこにはいっていたことがばれたら怒られる――トーマス・マンを読もうとしたのだが......当たり前だけれど、これは、旧漢字、旧仮名遣い。そのお話が面白いか面白くないかの前に......そもそも、読めない! ほぼ、暗号解読の世界である。でも、頑張って、ずっと、読んでいたら......いつの間にか、陽子さん、これが読めるようになっていたのである。一回、こうなったら。あとは、祖父の蔵書、結構陽子さんは読めるようになったのだった。旧漢字も旧かなも、本一冊分、頑張って読んだら、あとは、何とか、読めるようになるんだ。これは本当にそうなるのだ。)
 そして。
 まったく文法なんかは判らないんだけれど、陽子さんには、〝感覚〟ができた。
「これは、多分こういう意味」
「こっちのこれは、きっと過去形」
 まあ、この時の陽子さんは、現代日本語の文法だって判っていない。(というか、この時代はまだ、『国語』っていうものだってちゃんと習ってはいなかったのだから、〝文法〟ってものをまだ知らなかったんだけれどね。)だから、当然、文語の文法なんて、判っている訳がない。でも、本一冊分くらい読んでしまえば、そして、それを楽しんでしまえれば、〝感覚〟として、判ることがある。そして、この時陽子さんが思った〝感覚〟は、きっと、正しいのだ。その上、この時の陽子さんは、旧漢字も、旧かなも、不思議な程、読めてしまえたのだ。読めるようになっていたのだ。(こののち。中学の国語の授業で、漢字の成り立ちってものを教わった陽子さん、ほんとに驚いた。自分が、感覚でなんとなく理解していた〝漢字〟。これにはほんとに意味があって、ヘンが主にその属性をあらわし、ツクリが音を担う。これを知った瞬間、今まで何となく判っていたことが、ぱきっとジグソーパズルのようにはまってしまい、泣きそうなくらい、嬉しくなったのだ、陽子さん。)
 そして。
 そして、だ。
 今までずっと、本を読んでいて思っていたこと。
 文法なんてまったく知らないけれど、それでも、多分、自分は、正しくこの本を読めているような気がする。
 本さえちゃんと読んでいれば、本がちゃんと読めるのならば、文法なんてまったく判らなくても、漢字を書けなくても、それでもその本の意味は判るのだ。(だから。とにかく、江戸の読本を読みたければ、『南総里見八犬伝』の一巻をまず読んでしまえって言葉は、すんごく正しいんだろうなあって、陽子さんは思っていた。)

 正彦さんは、多分、この時の陽子さんが〝正しい〟と思ったことを、無意識のうちにやっている。
 とにかく。
 沢山のお話を読めば、ちゃんと読めば、いずれそのうち、その〝読んだ〟という経験は、飽和する。これが〝飽和〟してしまえば、今度は次のフェーズに至ることになる。
 飽和してしまえば、正彦さんは、きっと、旧漢字旧かなであっても、文法なんかまったく知らなくても、旧かな、旧漢字、文語の文章を読めるようになる筈。そして、そういう文章を、いつの間にか自在に書けるようになる、そんな境地に至る筈。

 一日十分でも二十分でも。
 正彦さんが、毎日、これをやっているのなら。

 絶対、こいつ......いつの日か、そういう境地に達するよね。
 自分が過去、似たような経験をしていたから。
 だから、陽子さんは、自信をもって、断言できる。
 いや、正彦さんの方が、もっとずっと凄いかも知れない。
 だって、これをやった時の陽子さんは、小学生。もう、何が何だか判らないまま、無理矢理そんなことをしていたんだけれど......子供だから、何が何だか判らずに、とにかくひたすら突き進むことができたんだけれど......旦那は、今、還暦超えてる。この年の人間が、何が何だか判らないまま、とにかくひたすら突き進むことって、なかなかやりにくいような気がするんだが......でも、旦那は、これを、やっているのだ。

 うん。
 こいつ。
 ......自分の旦那だけれど。
 でも......それなりに、凄いの、かも。

 それにまた。
 もうひとつ、陽子さんが驚いたのは、TV番組についてなのだ。
 ちょっと前から、正彦さんは、いろんなTV番組を予約録画していた。
そして、時間があれば、順次それを見てゆく。
 陽子さんは、勿論、そのTV番組を一緒に見ている訳ではないのだが、なんか、その番組には、傾向があるような気がしていた。

 俳句の番組。NHK俳句みたいに、判りやすい俳句の番組は勿論、俳句をとりあげている番組なんかも、かなりこまめに正彦さんはチェックしている。これは、時間的な問題で、毎回放映時間に見ることはなかなかしにくいので、定年になってしばらくした後から、正彦さん、凄い勢いでいろんな番組を予約録画している。
 また。
 まったく違う番組も、結構正彦さん、予約録画をしているのだ。
 
 何なんだろう、これ。
 陽子さんがそう思ってしまった番組も、結構、あった。
 美術館を特集したものとか、その他にも色々。

「ねえ」
 で、陽子さんは、聞いてみる。
「あなた......いろんな番組を予約録画してるけど......その、基準は、何で?」
「あ、いや、勿論、主に自分が好きな番組を予約しているよ」
 だよね。骨董の番組とか、俳句やってる『プレバト!』とか、囲碁で興味がある対戦とか。でも、その他の番組も、かなり沢山、予約録画をしていると思うんだけれど。
「んー......それはね、今、句友のひとのツイッターとか、結構見てるから」
 おおお、ツイッター。これは陽子さんにはまったく判らない世界だ。(陽子さんは、ツイッターはおろか、そもそも、スマホにはできるだけ触らないようにして人生を送っている。)
「句友のひとが言っている、お薦めの番組とか、これは見た方がいいよって奴は、できるだけ見るようにしている」
「ほおお」
「実際、美術館関係の番組なんか、見たら感動するよ。ああいうのって、もし、句友のひとに教えて貰えなかったなら、自分では絶対に見ないと思うから。ああいうのを教えて貰えるだけでも、句友って素晴らしいと思う」
 ......成程。
「それに実際にね、美術館特集なんかで見た作品を、本当に美術館に足を運んで見に行くと、これがまた凄いんだよねー」
 ああ。陽子さんも正彦さんと一緒に、何回かそれまで正彦さんが興味を持っていなかったであろう作者の美術展なんかに行ったよなあ。あれは、俳句関係のひとに教えて貰ったから、か。

 陽子さんは、思った。
 正彦さん。
 信じられない程の努力をしている。
 まあ、努力は別にどうでもいいんだけれど。(〝努力〟をすれば報われるっていうのは、〝夢〟だからね。)けれど。
 けど、これだけのことをやっているのなら。
 いつか。
 時間がたったら。
 それなりに俳句がうまくなるかも知れない。
 ......と、言うか......ほんとにこいつ、それなりに、〝俳句〟のひとになれるのかも知れない。
 だってまあ、入れ込み方が、普通ではない。
 というか、自分が、〝お話〟に入れ込んだ時のような〝入れ込み方〟をしているよね、正彦さん。

 自分が〝お話〟に入れ込んでしまった(そして結果的に小説家になってしまった)時のことを考えると、この年で、正彦さんが俳句に入れ込んでしまうのは、どうなんだろうって思わない訳でもなかったのだが......まあ......六十超した後で、ほんとに入れ込める世界があるのなら......それは、きっと、幸せだよね。

 とりあえず、陽子さんは、そう思うことにした。
                (つづく)

定年物語

Synopsisあらすじ

陽子さんは、夫・正彦さんの定年を心待ちにしていた。正彦さんが定年になって、家にいるようになったら……家事を手伝ってもらおう! 共働きにもかかわらず、激務で疲労困憊の夫には頼みづらかった家事。でも、これからは。トイレ掃除、お風呂掃除に、ご飯の後の洗い物、それから……。陽子さんの野望が膨らむ一方で、正彦さんもひそかに野望を抱いていた……。『銀婚式物語』に続く、陽子さんと正彦さんカップルの定年後の物語。

Profile著者紹介

新井素子

1960年東京生まれ。立教大学独文科卒業。高校時代に書いた『あたしの中の……』が第一回奇想天外SF新人賞佳作を受賞し、デビュー。81年『グリーン・レクイエム』、82年『ネプチューン』で連続して星雲賞を受賞、99年『チグリスとユーフラテス』で日本SF大賞を受賞した。他の作品に、『星へ行く船』『……絶句』『もいちどあなたにあいたいな』『イン・ザ・ヘブン』『銀婚式物語』『未来へ……』など多数。



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