2021 09/22
私の好きな中公新書3冊

「教養」を積む/岩内章太郎

岡田温司『マグダラのマリア エロスとアガペーの聖女』
本川達雄『ゾウの時間 ネズミの時間 サイズの生物学』
岡本裕一朗『フランス現代思想史 構造主義からデリダ以後へ』

なるべく効率的に、楽に知識を得たい。「教養」を積みたいなら、こんなふうに考えていてはだめだ。そう言うと、毎日忙しくしている人に嫌われそうだ。でも、忙しいのはみんな同じ。効率よく知識を吸収することは大切だが、その、いかにも多忙なビジネスパーソンらしい、意識高い系のスタンスが、物事を根本から考えようとする態度の妨げになっている気がする。

私は哲学を仕事にしているので、本を読むことは生活の中心にある。読書は大きく二つに分類される。専門とそれ以外。とくに気を配るのは後者の読書である。専門以外の本を読んでいては、学術論文を書くことはできない。したがって、「業績」は積めない。

しかし、専門分野の知識だけでは、思考を支える「教養」にはならない。教養は自分が慣れ親しんだ態度や思考を相対化するようなものであってほしい。だから私は、定期的に、新書を手当たり次第に読みまくる。中公新書から三冊、紹介してみよう。

『マグダラのマリア』は、福音書に登場する一人の女性、マグダラのマリアをめぐる歴史を描いている。福音書において、彼女はキリストの磔刑、埋葬、復活にかかわる場面に登場するが、そこから現代にいたるまでの、そのときどきの時代が、彼女の人物像に異なる意味を重ねていく。そうして彼女は、矛盾しているともいえる性質を抱え込む。美と罪、官能と悔悛、異教とキリスト教......。この史実を通して見えてくるのは、社会、文化、宗教、芸術の背景、しかし一貫して持続するマグダラの魅力である。いや、むしろ歴史の方が彼女の魅力に翻弄されてきたのではないか――。こんなことを考えさせてくれる良書だ。

人間の枠組みそのものを相対化する、びっくりするような成果もある。『ゾウの時間 ネズミの時間』では、ふつう客観的だと思われている時間が、生物種によって相対化される。ゾウにはゾウの時間意識が、ネズミにはネズミの時間意識がある、というのだ。このことには体のサイズが関係するが、哺乳類の心拍数は二〇億回で決まっているらしい。だとすれば、「一生を生き切った感覚」は変わらないのかもしれない。車輪動物が存在しない理由など、ユニークな視点での考察を含みながら展開する本書は、時間の本質を再考する動物学の知見を教えてくれる。

最後の本は、『フランス現代思想史』。これは哲学の本なので、専門領域に関係している。しかし、学問の専門性というものは狭いものなので、フランス現代思想史ですら、私は専門外だと言いたくなってくる。こうしたタコツボ化は、やっぱりよくないことなのだろう。哲学の教科書に載っている理論は、現代の問題にどうつながっているのか。こういったことは、当たり前だが、昔の文献には書いていない。フーコー、デリダ、ドゥルーズといったよく聞く哲学者たちの「その後」のお話し。自分の問題として哲学することを誘う一冊だ。

岩内章太郎(いわうち・しょうたろう)

豊橋技術科学大学准教授。1987年札幌生まれ。早稲田大学国際教養学部卒業、同大大学院国際コミュニケーション研究科博士後期課程修了。博士(国際コミュニケーション学)。同大国際教養学部助手を経て現職。専門は現象学を中心とした哲学。
著書に『新しい哲学の教科書――現代実在論入門』(講談社選書メチエ)、『<普遍性>をつくる哲学――「幸福」と「自由」をいかに守るか』(NHKブックス)、『現象学とは何か――哲学と学問を刷新する』(共著・河出書房新社)、『交域する哲学』(共著・月曜社)など。