2017 12/11
著者に聞く

『蒙古襲来と神風』/服部英雄インタビュー

鎌倉時代後期、外国からの攻撃を受けた蒙古襲来(元寇)。2度とも神風(台風)が吹き、日本は奇跡的に勝利を収めたとされる。教科書にも載っているそうした通説は本当に正しいのだろうか? 『蒙古襲来と神風 中世の対外戦争の真実』を著した服部英雄さんに話を聞いた。

――そもそも蒙古襲来に関心を持ったきっかけは何ですか?

服部:福岡で20年以上、大学教員を務めました。福岡周辺には蒙古襲来の遺跡がたくさんあります。あるとき大学図書館で古い本を手にしてみたら、それまでの知識・常識とは全く別のことが書いてあった。文永の役では蒙古軍は1日で帰ったことになっている。しかし日清戦争に従軍した陸軍少佐が、昼に戦争した万を超す軍隊が、その日のうちに船に戻ることなど不可能、数日はかかると断言していた。そうなのか、どこかがおかしくて、間違っているんだ、そう思い始めたのがきっかけです。

――前著『蒙古襲来』(山川出版社)と比較して、今回の著作はどういった点が違っていますか?

服部:前著は500ページを超す研究書で、内容も盛りだくさんでした。今回はあらすじを追い、わかりやすくし、『蒙古襲来絵詞』(九州の御家人の竹崎季長が描かせた絵巻)の分析も2度の戦いに即して、流れを追って説明しています。前作では気づいていなかった論点をいくつも盛り込みました。両方を読んでくださった方は、読んだ印象が全然違ったと言っています。具体的な違いはあとがきの末尾に書きました。それぞれの本の役割が違っています。

――執筆にあたって苦労した点は?

服部:蒙古襲来研究は戦前から90年近くも冷凍保存されたかのようになっていました。新しい史料解釈は全部、自分でやり直しです。日本史専攻の自分には、中国や高麗の史料分析は不慣れな作業でした。辞書を引いてもわからないところは、古典に詳しい中国人留学生に教えてもらったこともあります。分析対象の史料が大量で、消化するのに時間がかかりました。

――日本史学の通説に対する先生の懐疑や批判はどのようにして生まれたのでしょうか?

服部:不自然だな、変だな、と思うことが案外に通説になっています。そういう場合は史料に当たり直し、解釈し直してみると、ここが間違っているんだ、とわかることがしばしばあります。なんでも信じ込まずに、まず疑ってみることです。戦国武将の佐々成政が敢行したという厳寒の北アルプスの「ざら峠越え」とか、豊臣秀頼は本当に秀吉の実子なのかとか、疑ってみると、案外簡単に正しい答えが見つかったと思います。

――日本中世史研究の現状をどう見ていますか?

服部:『応仁の乱』『観応の擾乱』(いずれも中公新書)など話題作が多くの読者に受け入れられて活気づいています。個々の研究の蓄積の上に新事実・新視点が提示されています。しかしながら個人の狭い関心に没頭している研究者も多いようで、網野善彦さんや石井進さんら、すぐれた中世史家が活躍し、魅力ある著作で読者を力強くひっぱっていった時代には、まだ及ばないと思います。

――現在はどのような活動をされていますか?

服部:熊本市にある「くまもと文学・歴史館」の館長です。2年前(2015年)に熊本近代文学館がリニューアルされて誕生した館で、新しい役割を期待されています。赴任直後に熊本地震で被災して大変でしたが、文学・歴史館として『熊本地震・震災万葉集』に収録する作品を公募し、予算はゼロでしたが刊行に向けてただいま作業中です(花書院刊)。いつの日にか、蒙古襲来展のような熊本に密接に関わる企画展示を考えてみたいものです。

――最後に読者へのメッセージをお願いします。

服部:教科書に書いてあっても、史実とは異なることがたくさんあります。最初から信じ込まないで、不自然・不合理と感じたならば疑いたい。これは歴史学や研究の世界だけではないはずです。未来に向かって若い人たちがよりよい社会を作ってくれると信じていますが、そのためには虚偽を見抜く視点と、科学的に判断する姿勢、理想実現への努力が必要だと思います。この本に込めた思いが伝われば幸いです。

服部英雄(はっとり・ひでお)

九州大学名誉教授。1949年、名古屋市生まれ。東京大学文学部国史学科卒業。同大学大学院修士課程修了。博士(文学)。『景観にさぐる中世』(新人物往来社)で角川源義賞、『河原ノ者・非人・秀吉』(山川出版社)で毎日出版文化賞を受賞。2016年からくまもと文学・歴史館館長を務め、2021年退任。