2022 02/22
特別企画

日本も中国も古代が熱い!(前編)/【鼎談】会田大輔・柿沼陽平・河上麻由子

古代中国を扱った中公新書が好評を博しています。それぞれ2021年10月、11月に刊行された会田大輔『南北朝時代―五胡十六国から隋の統一まで』、柿沼陽平『古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで』は発売前から話題になり、刊行後すぐに増刷がかかりました。また、2019年3月に刊行した河上麻由子『古代日中関係史 倭の五王から遣唐使以降まで』は複数の賞を受賞し版を重ねています。今回、同世代で普段から仲がよい三人による鼎談が実現しました。

――みなさん、お付き合いは長いのですか?

鼎談が行われたのは、コロナ第六波到来前の某日某所(都内)。写真左から柿沼さん、会田さん、河上さん。関西からzoomで参加した河上さん「私もそこに行きたかった!」

会田:出身大学は違いますが、2人とは同世代の友達で、ジャンルを超えて普段からやりとりをしています。

柿沼くんとは大学院生の頃からの付き合いです。研究分野を越えて同世代の若手研究者で手を結ぼうという企画を立てたりしてね(主に80年代生まれが集まった若手アジア史論壇:2012年~2016年)。

柿沼:そのあと、その主要メンバーとは毎年合宿をするようにもなったんだよね。

河上:私は日本史出身ですが、柿沼くんとは2010年9月に襄樊市(現、襄陽市。中国湖北省)で開かれた中国三国歴史文化国際学術検討会で知り合ったんだよね。渡辺信一郎先生(元京都府立大学学長)が繋いでくださったんだっけ。

柿沼:渡邉先生、白いスーツでかっこよかったなあ。それからしばらくして、また河上さんに声をかけて、若手アジア史論壇で報告してもらいました。

――ご自身が書いた新書について一言ずつ紹介していただけますか? まずは河上さんから

河上:自分の本の紹介をするのは恥ずかしいなあ、それぞれ他の2人が紹介する形にしません?

――では、そうしましょう。おふたりは河上さんの『古代日中関係史』をどう読みましたか?

【内容紹介】607年、日本は隋の煬帝に「日出ずる処の天子」で名高い書状を送る。以後、対等の関係を築き、中国を大国とみなすことはなかった――。こうした通説は事実なのか。日本はアジア情勢を横目に、いかなる手段・方針・目的をもって中国と交渉したのか。本書は、倭の五王の時代から、5回の遣隋使、15回の遣唐使、さらには派遣後まで、500年間に及ぶ日中間の交渉の軌跡を実証的に、「常識」に疑問を呈しながら描く。

柿沼:この本の一番面白いところは、「日本が中国に使者を送って、対等な関係を築いた」という通説を軸にせず、「双方の相互利益の中で国際関係が決まっていた」という論を堂々と展開しているところです。

最新の学説も取り上げて、それらに対する是非もクリアに述べている。

それに、日本史と東洋史の両方についてプロフェッショナルな分析と配慮がなされていて、それが記述の豊かさをもたらしています。

新書なのに、巻末には、本文の論拠となった漢文が載っているんですよね。これを入れて編集者に怒られなかった?(笑) でもこうして論拠を挙げたほうが、叙述の確からしさが向上し、教科書になるんですよ。

それから、当時においては「外交」という用語が適切でないではないことも、本の中でしっかり言及されていました。タイトルに「外交」が使われていないのも、それを踏まえてのことですね。

会田:本書の柱は、仏教と対外交渉史。新たな分野を開拓して、かつわかりやすくまとめられた新書でした。面白い。

私が『南北朝時代』の、特に五章の梁の武帝について書くときはこの本をすごく参考にしました。

『古代日中関係史』の特徴の一つは、中国史の研究を深めることで日本史の研究を覆したこと。日本史の人は日本史中心になる。これは当たり前なのですが、対外交渉史ではそれではちょっとマズい。その点で大きな意味があったし、本書の優れた点だと思います。

また、天皇の代替わりと外交が結びつけて論じられています。対外交渉史なので、当然、政治史や天皇史と関わってくる。なのに、これまであまり言われてこなかったのではないでしょうか。

あ、そうそう、柿沼くんがこの本では「外交」という用語を使っていないことを指摘したけど、『南北朝時代』では使ってしまったんですよね。今回、『古代日中関係史』を読み返して、しまったな、と思いました。反省です。

柿沼:河上さん、1冊目を山川出版社から出したよね(『古代アジア世界の対外交渉と仏教』2010年)。今回の新書は、あれを引き延ばして書いたというより、別のものとして書いたの?

河上:『古代アジア世界の~』では、日中関係に関して遣隋使を取り上げました。仏教の対外関係を史料から洗い出して、日本古代の対外交渉を位置づけるものです。

でも、「倭の五王の時代から、当時の日本は中国に対して対等外交をめざした」と百年くらい言われ続けてきたので、遣隋使だけを否定しても駄目で、その一点突破では覆せなかった。

だから、今度は通史的にやってみようと。

柿沼:河上さんの本を読まなかったら、興味を持たなかったことが2つあります。

一つは、東アジアにおける仏舎利(ブッダの骨)の伝播と分布のありよう。仏教の伝播をあとづけるうえで、ひとつの指標になるなぁと思いました。

もう一つは、菩薩戒のこと。皇帝が自ら菩薩戒を受け、それが対外交渉の中で、これほどしっかり活かされていたとは知らなかった。

また当時の国家間の交渉文書中に、仏教用語がちりばめられているという指摘も面白いと思いました。

――では次に会田大輔さんの『南北朝時代』について

【内容紹介】中国の南北朝時代とは、五胡十六国後の北魏による華北統一(439年)から隋の中華再統一(589年)までの150年を指す。北方遊牧民による北朝(北魏・東魏・西魏・北斉・北周)と漢人の貴族社会による南朝(宋・斉・梁・陳)の諸王朝が興っては滅んだ。南北間の戦争に加え、六鎮の乱や侯景の乱など反乱が続いた一方、漢人と遊牧民の交流から、後世につながる制度・文化が花開いた。激動の時代を生きた人々を活写する。

河上:魏晋南北朝時代といえば川本芳昭先生の研究がすでにあるので、会田くんはどう書くのだろうと思っていました。

川本先生の中国史が扱っていたのは、中華の部分。でも今のトレンドは、華北にいたさまざまな背景を持つ集団のエネルギーを、国家がどう取り込んでいったのか、その個々の様相を明らかにするところにある。

そして会田くんは、ずっと最前線でその課題に真摯に取り組んできた。そういったこれまでの研究の全てを注ぎ込んだのが今回の本だと思う。

とくにこれまでは北魏―北周―隋―唐という直系王朝にならなかったが故に、あまり正面から取り上げられることがなかった北斉に、かなり突っ込んだのが新味ですよね。

もちろん北周についても言及はある。しかも、先行研究ではやっぱりどうしても、華北を統一した北周武帝に筆が偏りがちなのを、ある意味では時代の子といえる宣帝に着目して、その重要性を余すところなく説いた。

南北朝時代っていうからには、南朝にも立ち向かわなきゃいけない。その際、研究史では伝統的に劉宋が重視されてきたように思う。

最近は、仏教の重要性が学界でも認められて、梁の研究も盛ん。だけど、最後の王朝である陳は本当に等閑視されがちだった。

そこにもちゃんと向き合ったのがすごい。本当に尊敬する。

……p.12のビールの写真はどうしても入れたかったの?(笑)

『南北朝時代』冒頭p.12に掲載された、内モンゴル自治区で発見した地ビールの画像。歴代の拓跋部の首長がラベルに描かれている

会田:序章だし、手に取ってもらいやすくしたかったからね。

本当は嘎仙洞(内モンゴル自治区ホロンバイル市。北魏の拓跋氏の原住地とされている場所)の写真とかの方が学術的には良かったとは思うんだけど。

柿沼:現代中国のナショナリズムを暗に批判したかったとか?

会田:ちがうよ(一同笑)

柿沼:タイトルのことを言うと、「魏晋南北朝」の「魏晋」がないよね。大体この時代は『三国志』の魏にフォーカスされるから、あえてそれを外したのかと。

会田:そもそも企画立案の時点で、南北朝でお願いしますって言われたしね。こっちの願いが叶った形です。

柿沼:五胡十六国もサブに移したの?

会田:結果的にそうなった感じ。

――刊行前の「タイトル会議」では『中国の南北朝時代』で提案したのですが、編集部内から「南北朝の本家は中国なのだし、ストレートにいこう」という意見が出て、会田さんとも相談のうえ、こうなりました。
とはいえ日本の南北朝時代と混同されないよう、タイトルの後半に五胡十六国や隋を入れています。

柿沼:『南北朝時代』については3点の特徴があると思いました。

1つ目はさっき言った、タイトルの意味。「魏晋」を外して「南北朝時代」としたことが大きい。結果的に、これによって『三国志』にひきずられず、南北朝そのものの魅力を説くことができる。

2つ目は、華北と北アジアとの関係性、さらには北アジアの独自性がクリアになったこと。北朝は北アジアとの接点の中で存在したことがよくわかります。

このことに関連して、会田くんには第35回東方学会賞を受賞した「北周天元皇帝考」という有名な論文があります。天元皇帝は――さっき河上さんが名前を出した宣帝のことです――名称からしてインパクトがあるけど、北朝と漢人の関係を語る上で重要な存在です。最新の説を学閥にとらわれず引っ張っているところに、会田くんの人間性が表れているよね。

3つ目。これまでの南北朝時代研究は、谷川道雄先生の隋唐帝国形成史のように、隋唐をゴールとして描くものが少なくなかった。その場合、北朝も南朝も「中国の王朝」としてみなされやすくなる。でも会田くんは、隋唐をゴールにせず、南北朝時代そのものを書いた。

北朝に対する北族の影響を重視する近年の学説に対して、会田君自身は一部批判的ではあるけれど、かといって「中国史」の枠に囚われることのない叙述になっていると思います。

後編はこちら

会田大輔/柿沼陽平/河上麻由子(五十音順)

会田:1981年生まれ。明治大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(史学)。現在、明治大学・東洋大学・山梨大学等非常勤講師。著書に『南北朝時代―五胡十六国から隋の統一まで』(中公新書)がある
柿沼:1980年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。2021年より早稲田大学文学学術院教授。著書に『古代中国の24時間』があるほか、『中国古代貨幣経済史研究』『中国古代貨幣経済の持続と転換』(いずれも汲古書院)『中国古代の貨幣』(吉川弘文館)『劉備と諸葛亮』(文春新書)などがある
河上:1980年生まれ。九州大学大学院人文科学府博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。2021年より大阪大学大学院文学研究科准教授。著書に『古代日中関係史』(中公新書)があるほか、『古代アジア世界の対外交渉と仏教』(山川出版社)などがある