2020 12/04
私の好きな中公新書3冊

戦後生まれ世代にとっての中公新書/島薗進

上山春平編『照葉樹林文化 日本文化の深層』
梅原猛『地獄の思想 日本精神の一系譜』
小此木啓吾『対象喪失 悲しむということ』

1960年代から70年代にかけての『照葉樹林文化』(1969年)をはじめとする上山春平のいくつかの諸作や、梅原猛の『地獄の思想』(1967年)など、哲学を基盤にもった学者の日本文化史を展望する中公新書の諸著作は、社会的にも大きなインパクトをもったものだった。『地獄の思想』は梅原猛の著作群のなかでも独自の位置をもったものだが、晩年の法然論と照応する著作としても重要だ。上山や梅原はこの時期、並行して仏教思想の探求にも乗り出していた。

同時期に、梅棹忠夫『文明の生態史観』、土居健郎『甘えの構造』、中根千枝『タテ社会の人間関係』、イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本教について』などの古典的な日本文化論の著作があいついで刊行されたのだが、それらに伍して中公新書の諸著作の質は高かった。今も読み継がれている所以である。

今西錦司や桑原武夫らが築いてきた京都大学の人文科学研究所などでの多分野交流の成果が、中公新書の第1冊(桑原武夫編『日本の名著』)以来、多彩に花開いていった経緯を初期のラインナップによってたどることもできる。戦後、なお人々の教養文化への敬意が高かった時代、その期待に応えるような、視野が広く、深い奥行きをもった著作が人文学者によって生み出されていったことを示している。この「新京都学派」の切り開いた文化研究の地平の意義は、近代日本学芸史という視点から十分に解明されてしかるべきものだろう。

少し後の時代に目を移す。長く読み継がれてきた中公新書のうちで特異な位置をもつのは、小此木啓吾の『対象喪失』(1979年)だろう。フロイトの個人史を踏まえ、精神分析というものを掘り下げて理解するとき、格好の視点を提示したものと言える。喪失による悲嘆が多くの人々の関心をよび、グリーフケアが広く知られるようになるのは2000年代に入ってからだ。そこで、この著作はあらためて見出され、多くの人々の自己探求の導きの糸を提供している。世界的に見ても先駆的な著作といってよいと思う。

1960年代、70年代の中公新書は読みやすいが、実は重厚な内容をもっていて、私など戦後生まれの世代の学問に対する敬意と情熱を引き出す上で、大きな働きをしていたと思う。

島薗進(しまぞの・すすむ)

1948年生まれ。宗教学者。東京大学名誉教授、上智大学大学院実践宗教学研究科委員長、同グリーフケア研究所所長。専門は日本宗教史。日本宗教学会元会長。著書に『国家神道と日本人』(岩波新書)、『ともに悲嘆を生きる』(朝日選書)、『明治大帝の誕生』(春秋社)、『新宗教を問う』(ちくま新書)などがある。