2019 11/25
著者に聞く

『持統天皇』/瀧浪貞子インタビュー

持統天皇がたびたび訪れた吉野の宮滝

百人一首の2首目「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天香具山」の作者として、また『天の川の太陽』(黒岩重吾)や『天上の虹』(里中満智子)など、さまざまな小説やコミックにも描かれて、みんなが知っている持統天皇。しかし、その生涯とはどのようなものだったのでしょうか。このたび『持統天皇―壬申の乱の「真の勝者」』を刊行した瀧浪貞子さんにお話を伺いました。

――前著『光明皇后――平城京にかけた夢と祈り』から、今度は時代を少しさかのぼって『持統天皇』をお書きになりました。なぜ、いま、持統天皇についてお書きになろうと思ったのでしょうか。

瀧浪:肉親の死という点で、光明皇后や持統天皇ほど悲しみのどん底に、繰り返し突き落とされた女性も数少ないのではないでしょうか。光明皇后はその都度信仰心を深め、悲しみを乗り越えました。それに対して持統女帝は、自らの立場や役割を自覚し、それを行動に移すことで解消していった、端的にいえば、持統は悲しみをエネルギーとして、精神的に成長していったのです。

その意味では対照的な2人ですが、何があっても、自分が信じることを貫き通すという持統の執念と強靱な精神力は、世のなかが混沌としているこんにちこそ必要とされるものであり、いま、その生き方を考えてみるのも無意味ではないと思ったからです。 

――飛鳥時代の女帝というと、推古天皇や皇極天皇も思いうかびますが、持統天皇は他の女帝とどうちがいますか。

瀧浪:推古天皇も皇極天皇も、その時々の政治的危機を乗り切るために、豪族の要請に応じて即位した女帝です。何よりも政治を安定させる目的で即位を要請されたということが、第1の特徴です。第2は、推古天皇と皇極天皇の2人の女帝は、男帝と同様、死ぬまで天皇の地位に有り続けたということです。

しかし持統女帝は違います。自らの意思で即位をしました。それも最初から即位したのではなく、当初は称制といって即位をせずに、天皇の代行者として政治に当たったのです。条件が整った段階で息子(草壁皇子)を即位させるためでした。持統が正式に即位したのは、その息子が急逝したからです。息子の死は想定外のことだったのでしょう。

その反省から、今度は孫(文武天皇)が成人するとただちに譲位しました。つまり自らの意思で即位したこと、推古や皇極といったそれまでの女帝時代の原則を破って、これまた自らの意思で譲位したこと、この2点が持統以前の女帝との大きな違いです。

――持統天皇に惹かれる面、あるいは「この点はちょっと……」と思われる点はどこですか。

瀧浪:惹かれる点は、こうと思えば最後まで貫き通すという信念ですね。在位中の31回にも及ぶ吉野行幸は、普通の人ではとても真似ができるものではありません。ひたすら自身を奮い立たせるためであり、ひとえに孫の即位を実現させるためでした。反対を押し切って出かけた伊勢行幸などもそうです。何と言われようとも、夫天武天皇の遺言を実現するために強行したものでした。大事な人、愛しいと思う人のためであれば、人間(女性)は強くなれるんですね。

私自身は、どちらかといえば淡白で優柔不断な性格(自分ではそう思ってます)ですので、良し悪しは別として、自分にはない持統の執着心と行動力には憧れます。時には勇気づけられることもありました。

抵抗を感じる点は、凄まじいまでの血脈に対する執念ですね。しかし、それも持統が置かれた立場、環境、その生い立ちを考えれば理解できなくもありません。しかも、すべては自分のためではなく、可愛い子や孫のためとなれば、こんにちでも十分にあり得る話ではないでしょうか。

その意味では、1300年たっても夫や子を思う女性の心は変わらないということでしょうね。もちろん、男性についても同じことがいえるでしょう。血脈に対する凄まじさ、妄執といえば、それが『万葉集』を生み出す要因となったことは、あまり知られていません。持統天皇に多少の抵抗を感じつつも、そうした文化面からもアプローチをしてみました。

――御執筆に当たっての御苦労、あるいは楽しかったところがありましたらお教えください。

瀧浪:苦労といえば、古代史の常として資料が少ないなかで執筆をしなければいけないことです。とくに持統については、夫の大海人皇子と行動をともにする吉野隠棲ぐらいから『日本書紀』に記述が見えますが、それ以前はほとんどわからないんですよね。その間の動静は推測するしか仕方がありません。

ただし推測ではあっても、それなりの論拠や整合性がいります。説得力のある推測でないといけないわけです。したがってあらゆる資料や考古学的知見を上から、下から、斜めから、なめるようにして分析するのですが、苦労といえば苦労ですが、それがまた楽しいということでもあります。

もう一つ心がけたのは、小説ではありませんから、常にその時代を照射し、時代背景のなかで持統を理解する必要があります。この本を読んでいただければ飛鳥時代が理解できるように、執筆ではとくに配慮をしたつもりです。

ちなみに資料の上で、持統が悲しみにうち拉がれて政治を放り出したというような記述はほとんどありません。常に悲しみから逃げずにそれを受け止め、前向きにとらえて進むのが持統です。執筆に行き詰まったとき、そんな持統の生き方に後押しされ、あまり中断することもなく執筆が続けられたように思います。

――今を生きる私たち(とくに若い女性)に持統天皇からメッセージを言付かったとすると、どんなメッセージでしょうか。

瀧浪:人生において、(男女に限らず)自分の生涯を何に懸けるのかということを見定めなさい、ということだと思います。自分の役割を見出すこと、と言い換えてもいいでしょう。

それは、自分のためでもいい、誰かのためでもいい、社会のためでもいい、それを自覚できさえすれば、どんな困難や苦労も乗り越えられるということを示してくれた生き方だと思います。強い信念や目標があれば、私たちは思いもよらない力を発揮できますし、キラキラとした輝く人生を送ることができるのではないでしょうか。執筆を終えて、そのことを痛感しました。

瀧浪貞子(たきなみ・さだこ)

1947年,大阪府生まれ.1973年,京都女子大学大学院文学研究科修士課程修了.京都女子大学文学部講師等を経て,1994年,同大学文学部教授.現在,京都女子大学名誉教授.文学博士(筑波大学).専攻・日本古代史(飛鳥・奈良・平安時代).