- 2024 11/05
- 著者に聞く

NHK大河ドラマ「光る君へ」もいよいよ大詰め。しかし、平安時代はその後も200年近く続きます。この平安後期について「女性」を主軸に迫る『女たちの平安後期―紫式部から源平までの200年』を執筆した榎村寛之さんにお話を伺いました。
――前著『謎の平安前期―桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年』は大変話題になりました。「言われてみれば平安前期って分からないことだらけだな」という読者の意識下の疑問に共鳴したのだと思います。
その続編である本書は、一転して「女たちの」という明確なタイトルです。まず、なぜ「女性たち」というテーマで平安後期を描こうと思われたのか、お教えください。
榎村:まず前期に比べて後期の方が有名な人物やできごとが多いなと思ったんです。白河院とか八幡太郎義家とか奥州藤原氏三代とか、後の方になれば平清盛や源義朝など大河ドラマでもおなじみの人や、藤原頼長みたいな超個性的な人がいろいろな階層に出てきます。なので前期と同じように書いたら話が拡散してしまうだろうなって。
そこで『謎の平安前期』では「10世紀には社会的な力が衰退している」と書いた女性たちに絞ると面白いんじゃないかと思ったわけです。
――女院の権力に注目して古代から中世への移り変わり、武家への移り変わりを説明するのは本書がはじめてではないでしょうか。
榎村:「あとがき」にも書いたのですが、歴史の分野ではプロアマ問わず、「貴族を打倒した武士は社会を革新した存在だ」という考え方は一貫してあったわけで、それが源平合戦や戦国時代が大河ドラマで受ける背景「武士はカッコいい、平安後期以降こそ男の社会」のイメージにもつながっていると思います。
しかし、私が研究生活に入った頃から中世の女性史は著しく発展しました。そして現代の「家」制度の名残にも通じる、「三従の徳(女性は結婚前は父に、結婚したら夫に、死に別れたら息子に従うのが正しい)」みたいな考え方の成立が中世武士社会の確立とともに強くなってきたという事実が明らかになってきたのです。
その一方で具体的に歴史を見ていくと、武士社会でも女性の権利はいろいろな形で残っています。貴族や町人の社会ではもっと強いです。いわば女性は男性優位の社会でもたくましく生きていたんです。そこに注目してみたかった、というところですね。
――その女性たちを描くにあたって、斎宮の研究が専門であるという榎村さんの立ち位置は、どうプラスに働きましたか。
榎村:私は定年後、「みんなのゆめかなRadio」というインターネット放送局で「あそぼう!伊勢斎宮☆歴史の泉」という30分番組を持っているのですが、もうすぐ5年になるのに、斎宮や斎王の話題がつきないんです。
何しろ斎王だけで60人余り、その一人一人の人生、性格、人間性、社会背景などに個性があるんですよ。もちろん事績がほとんどない人もいますが、平安前期、中期、後期では斎王が社会的に期待されたことがずいぶん違うし、斎王(斎宮や賀茂斎院、春日斎女)を取り巻く女性たちの意識、たとえば紫式部はどう思ってたか、清少納言はどう見ていたか、みたいなことにも注意を払っていくと、いろいろなことが見えてきます。
なんと言っても斎王がいてはじめて、伊勢神宮は国家的な神社になれたのですから、斎宮を知ることは王権とは何かを知ることにもつながり、その王権を支えた女院たちにもつながるのです。
――斎宮もそうですが、本書を読んで、女院がこんなにもたくさんいるとは知りませんでした。そして、極端に寿命が長かったり短かったり、それぞれの生涯はまったく別々のものであると感じました。榎村さんのお好きな女院、あるいは気になる女院はだれですか。
榎村:会ってみたいのはやっばり郁芳門院媞子内親王ですね。元斎王だし、美人だったそうだし(笑)、あの専制君主白河院が掌中の珠のように慈しんだ最愛の娘ですからね。
美福門院藤原得子には、「あなた後世に九尾の狐と言われてましたよ」とチクりたい気もあります。彼女はしっかりした人だったので笑い飛ばされそうですけどね。
娘の「究極のお嬢様」八条院暲子内親王にももちろん興味ありありですが、その妹の高松院姝子内親王も地味ながら捨てがたいです。二条天皇の中宮ながら幸せ薄く、天皇が亡くなった後には密通して出産したという噂もあった人で、私が好きな、源頼朝の薄幸の兄、朝長が仕えた人でもあります。
――ところで今年は平安時代を舞台にした稀有の大河ドラマ『光る君へ』や話題の映画『陰陽師0』が放映された年でした。今年は榎村さんにとってどんな年でしたか。また、『女たちの平安前期』の初版印税すべてを能登半島の被災地である能登町・輪島市・珠洲市に寄付したと10月23日の中日新聞webで記事になりましたが、これについてもお聞かせください。
榎村:「今年は平安時代ブームが来るといいね」と話していた元日に、能登の地震と津波が起こりました。そのとき自然災害とともにこれは人災になるかもしれないなと思ったのです。
人口が減少し、高齢化が進んでいる地域で道路が寸断されるとどういうことが起こるか。そこに残された皆さんや地域の文化に、社会はどのように手をさしのべられるのか、これは今後どこにでも起こりうる問題です。
そして現実に対応が後手後手になっているところに豪雨被害が追い打ちをかけました。私の本では、平氏ではなく「平家」を構成した一人と考えている平時忠(平清盛の正妻、時子の弟の文官平氏の貴族)が平家滅亡の後に流されたのが能登国で、輪島市にはその子の時国の子孫と言われる時国家という名家がありまして、時国家とそこから分かれた上時国家という家の邸宅や庭園が江戸時代の豪農屋敷として重要文化財指定を受けています。
それが地震や、豪雨による土砂の流入でひどいことになっています。
そんな文化財の周りには、知られていない文化財、たとえば江戸時代の文書とか祭礼・生活の記録とかはまだたくさん眠っているはずなんです。でも、その地域の暮らしが落ち着かないと、なかなかそこまで気がまわらず、かけがえのない文化財が処分されてしまうこともあります。地域の教育委員会や専門的なボランティアさんがそうした保護活動を行っているのですが、消えた文化財や文化は二度と戻ってこないのです。
そのバックアップとして、生活基盤の復旧に少しでも役に立てていただきたいと寄付を考えました。「あとがき」にも書きましたが、この本の出版は皆様が『謎の平安前期』を買っていただいたおかげです。そんな皆様に能登へ思いを馳せていただくきっかけにもなればと思いました。今後もずっと能登の人々と文化を応援していければと思っています。
そして『光る君へ』『陰陽師0』の効果はもの凄いものがありましたね。紫式部、藤原道長をはじめ、清少納言、藤原伊周、一条天皇、定子皇后、彰子中宮……これまで名前だけは知られていたマニア内の有名人だったのが、みんな顔を持ち出したんです。
典型的なのが藤原実資です。「研究者なら知らないとモグリ」というレベルの有名人で、一般にはほとんど知られていなかった「落差の人」だったのが、「秋山さんの人」で分かるようになりましたからね。『陰陽師0』については「婦人公論.jp」でも書かせていただきましたが、ヒロイン徽子女王(斎宮女御)は源博雅の従妹で奈緒さんの人、という小ネタは『陰陽師』ファンの方々の心にずっと残ると思います。
なじみの薄い平安時代の連載が「婦人公論.jp」でご好評をいただいたのも、大河ドラマや『陰陽師0』のおかげです。
――最後に読者、特に若い人に「これだけは伝えたい」ということがありましたら、お教えください。
榎村:歴史は現代から見ると一本の線のように見えます。だから年号と事件を覚えて時代順に暗記していく科目になるのですが、実際にその時代を見ていくと、いくつもの可能性があり、もしかしたら全然違う日本になっていた可能性っていつでもあると思うのです。
なかでも平安時代は、一人の英雄(たとえば織田信長や坂本龍馬みたいな)がすべてやったという物語が作られることがなく、いろいろな男女がいろいろな可能性を求めて社会と切り結んでいたことがよく分かる時代だと思うんです。
『謎の平安前期』で取り上げたのは桓武天皇、学者の春澄季縄、歌人の紀貫之、貴族政治家藤原基経、文人政治家菅原道真、斎王徽子女王、大作家紫式部、皇后藤原定子etc、男女ともにたくさんの人々が時代を転換させました。
そして『女たちの平安後期』では、女院の上東門院藤原彰子をはじめ、陽明門院禎子内親王や美福門院藤原得子のような、まさに権力をめぐる渦中を生き抜いた人たち、郁芳門院媞子内親王や八条院暲子内親王のように、そういうつもりはなかったのに社会を動かしてしまった人たち、そして彼女らをめぐる都の内外のバラエティーに富んだ女性たち(それに関わる男性たちもふくめて)を、多様な形で時代と関わった人と捉えました。
これは私たちの日常の選択の一つ一つが、気がつかないうちに歴史を動かす一歩につながっているのではないかな、という私なりのメッセージだと思っていただければ嬉しいです。
(NHK大河ドラマ「光る君へ」は放送終了となりました)