2023 08/23
私の好きな中公新書3冊

中公新書と約50年/斎藤真理子

平野敬一『マザー・グースの唄 イギリスの伝承童謡』
姜徳相『関東大震災』
山本浩貴『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』

初めて自分で新書を買ったのは中学3年生のときで、それが『マザー・グースの唄』だった。当時、谷川俊太郎訳・堀内誠一画の『マザー・グース』(草思社)が売れに売れており、おこづかいでそれを買って好きになり、その流れでこの本に手を出したのだと思う。「六ペンスの唄」には英国王ヘンリー8世とアン・ブリンの歴史的スキャンダルがひそかに織り込まれている、という説がさらっと紹介されていて、何だかわからないがわくわくした。物語に隠された背景とか、シークレット・メッセージといったことに興味が湧いた。

中公新書には韓国・朝鮮関係の名著が多いが、大学生のときに読んだ『関東大震災』が特別に印象深い。もう1980年代になっていたが、当時は、関東大震災当時の朝鮮人大虐殺を「忌まわしいアンダーグラウンドな噂」程度にとらえている人が多かったと思う。私自身、大学で先輩たちにこの本を教えてもらうまで、学校でも家庭でも大虐殺について聞いたことはなかった。

だから、この本が新書というスタイルで広く行き渡った意義は非常に大きかった。
「未曽有の天災に生き残った人をよってたかってなぶり殺しにした異民族迫害の悲劇をぬいて、関東震災の真実は語れないのである」(「まえがき」より)。
「しかし、それにしても、なんのために武装兵士が町角を固めていたのか、警察がおっとり刀でとび回っていたのか、最大の権力を集中して虐殺事件の防止も鎮圧もできないのはどういうわけか、なんのための戒厳令であったのか疑問を禁じえない」(「はじめに」より)。
こうしたくだりを読むだけでも、本書の存在感のほどが想像できるだろう。

1975年の刊行から50年近い時間が経ち、今年(2023年)は関東大震災100周年である。その後研究は進み、現在進行形で新たな論点も提出されているが、この問題の本質は本書でほとんど言い尽くされている。なお、本書は品切れになったのち、新幹社から『〈新装版〉関東大震災』として再刊されている。

『現代美術史』はとても勉強になった。「アートと社会」をテーマに、膨大な情報、複雑なテーマを思い切りのよい鮮やかな視点で構成していく。東アジアの現代アーティストたちの仕事を紹介しつつ、「決して簡単ではない『脱帝国』という仕事に、芸術は多様な仕方で貢献することができるのではないでしょうか」と結んでいてとても頼もしい。縦横無尽かつ芯のある通史で、読んでいるとなぜか元気が湧いてくる。この内容を「です・ます」調で、冗長になることなく書き切っている点にも感服した。

斎藤真理子(さいとう・まりこ)

翻訳者、ライター。1960年、新潟市生まれ。チョ・セヒ著『こびとが打ち上げた小さなボール』、チョン・セラン著『フィフティ・ピープル』、チョ・ナムジュ著『82年生まれ、キム・ジヨン』、パク・ソルメ著『もう死んでいる十二人の女たちと』ほか訳書多数。『カステラ』(パク・ミンギュ著、共訳)で第1回日本翻訳大賞(2015年)、『ヒョンナムオッパへ』(チョ・ナムジュほか著)で第18回韓国文学翻訳大賞(2020年)を受賞。著書に『韓国文学の中心にあるもの』などがある。


撮影:増永彩子