2023 02/21
私の好きな中公新書3冊

同時代を生きた政治家の対比/安達貴教

早野透『田中角栄 戦後日本の悲しき自画像』
福永文夫『大平正芳 「戦後保守」とは何か』
服部龍二『中曽根康弘 「大統領的首相」の軌跡』

評者は、経済学を生業とする者であるが、現代経済学は融通無碍。「大まかに言って、組織や個人は何らかの目的に沿うような行動をとっている」という(広義の意味での)「合理性仮説」に基づく演繹的展開、と同時に、近年、長足の進展を遂げた「データ分析」による帰納的議論を武器に、人間社会の様々な事象を分析対象とする。

政治現象あるいは政治家もその例外ではない。昨年(2022年)6月に上梓した拙著『データとモデルの実践ミクロ経済学』では、組閣時の大臣ポストを巡る派閥間の駆け引きにゲーム理論を当てはめた分析例を紹介した。以下では、拙著では引用しなかったものの、執筆に際して大いなるインスピレーションを与えられた中公新書の三冊を紹介したい。

往年の自民党の派閥と言えば、まず田中角栄(1918-1993)が想起されよう。早野透『田中角栄』(2012年)は、田中の個人的なエピソードが満載、「角さん語録」も随所に散りばめられている。

田中は、後年、「えらくなるには大将のふところに入ることだ」(p.83)と述懐したように、吉田茂に見込まれた。その後、ポスト吉田の1956年・自民党総裁選、石橋湛山と岸信介が争った際、岸を推すか推さないかで、吉田派の池田勇人と佐藤栄作が対立した際には、佐藤に付く。しかし、佐藤派に属しながらも、領袖の佐藤とは適度な距離を保ち続けた。

それに対して、福永文夫『大平正芳』(2008年)が描くように、対立する池田派で8歳年長であった大平正芳(1910-1980)とは、相思相愛の関係であった。1964(昭和39)年、26歳の長男を喪った大平と一緒に涙を流したのは、「長男を幼くして亡くした経験を持つ田中角栄」(p.117)だったし、後年、日中国交回復(1972年)を達成した田中政権時には、大平は懐刀役の外務大臣を務めていた。

しかし、両者の政策的志向には厳然たる違いがあった。「列島改造論」の田中に対し、大平の「田園都市国家構想」。そこには、田園都市と充実した家庭基盤の上に立った「日本型福祉社会を展望」(p.239)していたという大平の理想主義者的側面が滲み出ている。

と同時に、彼は、派閥の持つ効用として、①政治的な活力源を生み出す機能、②独裁的な権力をチェック・抑制する機能、③サロンや勉強会といった形式を通じて議員同士が心を通わせることのできる親睦的機能の三つの理由を挙げる(p.147)というリアリストでもあった。日本政府の立場から、アメリカを初めて「同盟国」と表現した(1979年)のも大平である。

そのような大平の側面は、中曽根康弘(1918-2019)によって引き継がれたところが少なくないであろう。服部龍二『中曽根康弘』(2015年)は、総じて、中曽根を「アメリカだけでなく、中国や韓国の指導者とも良好な関係を築いた稀有な政治家」(p.277)と評価する。しかし、中曽根は、後年、非核三原則は「「建前」であり、「政治的ジェスチャー」にすぎなかった」(p.111)と語っていた。それに対し、大平は、佐藤・ニクソン間の「核「密約」の公表を視野」(p.112)に入れていたといい、そのコントラストは興味深い。

安達貴教(あだち・たかのり)

京都大学経営管理大学院准教授。米ペンシルベニア大学博士(経済学)。 専攻は、産業組織論、競争政策論、応用ミクロ経済学、実証ミクロ経済学。著書:『データとモデルの実践ミクロ経済学 ジェンダー・プラットフォーム・自民党』(慶應義塾大学出版会、2022年)。