2022 05/20
著者に聞く

『戦国日本の軍事革命』/藤田達生インタビュー

安土のセミナリオ跡から安土城跡を臨む。信長は兵站をイエズス会関係者に頼っていた。

中公新書から『秀吉と海賊大名』『天下統一』『藩とは何か』の三部作を刊行してきた藤田達生・三重大学教授が新たにテーマに選んだのは、戦国時代に「鉄炮」がもたらしたインパクトでした。『戦国日本の軍事革命』の裏側に迫ります。

――歴史的な経緯もあり、日本では軍事に関する研究が避けられがちと聞きます。先生が取り組まれているきっかけや理由を教えてください。

藤田:戦国大名の争覇戦の末、天下統一が実現したというのはまちがいです。

戦国大名は、本格的に分権化を推し進めていました。なぜその壁を破って、正反対の集権化すなわち統一が実現したのか。これについては、政治史研究からでは十分な回答が得られなかったのです。

これを解く鍵は、世界規模の軍事技術の革新、すなわち軍事革命とみました。

鍛え上げた鉄炮隊を大規模に投入すれば、天下統一は可能です。それに必要な莫大な戦費と統一的な軍役(ぐんやく)を調達するために、信長が石高制にもとづく税制と軍事動員に関わる改革を断行した結果が、統一国家の誕生だったのです。

――これまでのご著書同様、本書でも織田信長の革命性に注目されています。鉄炮との関係で、信長のどういったところが斬新だったのでしょうか。

藤田:一昔前までは「革命児」信長という、学問的裏づけのないイメージがまかり通っていました。

それに対して、近年の戦国大名研究においては、むしろ信長の遅れた側面を強調する傾向すらあります。このような議論をふまえつつも、それではなぜ信長が他の戦国大名を差し置いて天下統一を実現しえたのか、あらためて考えてみようと思ったのです。

その結果、大規模な鉄炮や大砲の活用と火薬や玉の確保という点で、信長の卓越性が明らかになりました。

――本書は、戦国時代の戦場の様子が伝わってきて興味深いです。小説やドラマだけでは分からない「史実」があれば教えてください。

藤田:戦国時代の後半以降、戦場がうるさくなったことが特徴です。様々な鉄炮や大砲が間断なく発射されるようになりますから。

また、拙著でも指摘したように、軍隊の内部に自立した軍団「備(そなえ)」が成立し、法螺貝や太鼓などで出撃や退却など様々な指令が伝えられましたから、戦場がより騒々しくなったと思います。

それ以前ですと、戦場とは鍛え抜いた武士が主体的に職人技を披露する場でもありました。人馬一体となった騎馬技術を駆使して、馬上槍を使いこなし、高度な騎射技術を発揮し、それが軍記物に書き記されたのでした。

天下統一戦以降は、火器が大量に使用されたため、竹束や鉄楯を先頭に、塹壕すなわち仕寄道を掘りながら進軍しました。鉱夫である「金掘(かねほり)」によって地下道を掘らせて、火薬を使って櫓を倒壊させるなど、なかなか文学にはなりにくいシーンが増えました。

――鉄炮だけでなく、大砲もとりあげられています。当時の戦争において大砲はどのくらい有効だったのでしょうか。

藤田:当時の大砲は口径が小さく、小型の玉ばかりか火矢も使用されていました。天守・櫓や門・塀などの構造物を破壊する、あるいは焼き払う、また多くの軍勢を殺傷するなど、さまざまな役割に応じた玉や火矢が存在して威力を発揮していたのです。

たとえば棒火矢と言って、三枚羽根をつけたロケット状の飛翔体に、焼夷弾である焙烙(ほうろく)玉(外部は焙烙で内部に黒色火薬を入れる)をセットしたものがありました。棒火矢は、大筒や大砲にセットし、着弾のタイミングを考慮した長さに導線を切って着火し、計算にもとづき火薬の量を調整し、標的に向けて発射しました。

大砲を使用するときには、標的までの距離を割り出し、仰角を計算する必要がありました。戦場に算盤が持ち込まれ、和算能力が必要とされるようになったのです。

それまでのような精神論ではなく、戦場に科学が本格的に持ち込まれました。

――ロシアによるウクライナ侵攻下での刊行となりました。歴史家のお立場から、現代の戦争をどうご覧になっていますか。

藤田:なにをおいても、一日も早い停戦の実現をお祈りします。

あえて申し上げますと、天正3年(1575)5月の長篠の戦いが参考になると思います。

現時点で、ロシアは費用がかかる戦闘機やドローンの部隊を、十分には展開できていません。戦車部隊に頼っていますが、給油体制が十分ではなく、途中で立ち往生したりしています。これらからは、十分な兵站を確保しないまま戦争に突入したことは明らかです。

武田勝頼は、信長の台頭に対して室町時代秩序を守るために、最終的に騎馬隊に頼ります。それなりに鉄炮を装備しながら、越前国の諸湊などから補給していたとみられる火薬や玉も、信長の津留(つどめ・港湾封鎖)によって十分な確保が困難な状況に陥り、不本意ながら最終手段に訴えざるをえなかった。この大敗が、天正10年3月の天目山における滅亡につながってゆきます。

ウクライナの人々が直面する苦境はまことに痛ましく、言語に絶しています。しかし、ロシアもこのまま戦争を続けると、経済封鎖が効いてきて国家体制そのものが危機に陥る可能性があります。

拙著冒頭で指摘しましたように、人類史は新段階を迎えつつあり、今は新たな世界秩序構築のための、激しい陣痛の時期を迎えているのだと感じます。

藤田達生(ふじた・たつお)

1958年(昭和33年),愛媛県に生まれる.1987年,神戸大学大学院博士課程修了,学術博士.同年,神戸大学大学院助手.1993年,三重大学教育学部助教授.2003年,同教授.2015年.三重大学大学院地域イノベーション学研究科教授兼任.専攻は日本近世国家成立史の研究.著書に『日本近世国家成立史の研究』(校倉書房),『天下統一論』(塙書房),『本能寺の変』(講談社学術文庫),『秀吉神話をくつがえす』(講談社現代新書),『秀吉と海賊大名』(中公新書),『天下統一』(中公新書),『藩とは何か』(中公新書)など多数.