2021 03/25
私の好きな中公新書3冊

染みと紙魚/小林洋美

川喜田二郎『野外科学の方法 思考と探検』
本川達雄『ゾウの時間 ネズミの時間 サイズの生物学』
西村義樹・野矢茂樹『言語学の教室 哲学者と学ぶ認知言語学』

「思い込み」の恐ろしさを考える時、いつも絨毯のことを思い出す。

以前住んでいた家で、居間に敷いていた絨毯をクリーニングに出した。しばらくして戻ってきたので早速敷き直したが、数日して夫が「…あれ? こんなところに染みがついてた?」と不審そうに絨毯を眺めている。「去年、年賀状を書いたとき筆を落としたじゃない」と笑っていたら、そのまた1週間ほど後にクリーニング店の方がやってきて、お届けする絨毯を間違えていたようなのですが、と言われた。

持参された絨毯を見てみるとそれは確かにうちの絨毯で、敷いていたほうの絨毯を見直すと、雰囲気は似ているが見たことのない動物模様はちりばめてあるわ、まったく別物だった。

気づかずに敷いていたことを話すと、「えっ! 広げて使ってたんですか!?」と軽く怒ったような呆れたような口調で言われたが、それはそうだろう。私だって驚いたのだ。「筆を落とした染み」なんて、うちの絨毯にはなかったのだから。

川喜田二郎さんは『野外科学の方法』で、自分の記憶(思い込み)よりもノートを信じろと書いている。ノートに書かれていることが記憶と違っていると、記憶が正しいと思ってノートを書き換えようとする。しかし実際には記憶の方が間違っているのだから、決してノートを訂正してはいけない。絨毯の一件がある私に反論の余地はない。

カードを使う方法もこの本から学んだ。学生の頃、B6サイズのカードと色鉛筆を持って国立国会図書館に通い、図鑑や写真集から霊長類の顔をカード1枚に1個体書き写した。写真ではなく描くことが詳細な形態を目と手で確かめる作業となり、眺めているだけでは気づかない発見ができたように思う。積みあがったカードの厚みからくる達成感も身体的なものだ。

同じ頃、東工大で隣の研究室の先生だった本川達雄さんの大ベストセラー『ゾウの時間 ネズミの時間』を読んだ。生物の形や大きさには意味があること、形から動きを考えること、サイズから時間や空間を捉えることを、歌いながら教わった。

研究を言語化・文章化して多くの人と共有することが大切だということも川喜田さんは書いている。とはいえ言語化・文章化は、私にとってハードルが高い作業なのだ。そもそも言語って何なんだろう。

ある時薦められたのが、西村義樹さんと野矢茂樹さんの対話形式による『言語学の教室』だった。認知言語学者の西村さんに哲学者の野矢さんが質問する。お二人の会話が目の前で繰り広げられているかのようだ。ツールであり探求の対象である言語という海原は、ヒトも含めたコミュニケーションの進化的成り立ちを考える上では避けて通れない。

紙の本に支えられてきた。頁を一枚ずつめくって読み進み、残りが少なくなっていくのが寂しくなることもある。頁の端を折り、書き込み、読み終えた本を再び手に取り、あれはこの辺だったかなと当たりをつけて読み返す。当てが外れて他のところを読み返したりもする。長年一緒にいる本が黄ばんでくるのも、紙魚を見つけて慌てるのも愛しいものだ。

小林洋美(こばやし・ひろみ)

1963年、千住生まれ。1997年、東京工業大学大学院生命理工学研究科博士後期課程修了。博士(理学)。現在、九州大学大学院人間環境学研究院学術協力研究員。著書『読む目・読まれる目』(分担執筆、東京大学出版会、2005年)、『モアイの白目――目と心の気になる関係』(東京大学出版会、2019年)など。『UP』にて、「論文の森の「イグ!」」を連載中。