2019 12/05
私の好きな中公新書3冊

変わらない硬さが、確からしさの証に/安岡健一

加藤聖文『「大日本帝国」崩壊 東アジアの1945年』
増田寛也編『東京消滅―介護破綻と地方移住』
金達寿『わがアリランの歌』

まだ十代のころ、勉強しようと勢い込んで中公新書を手にとってはみるものの、その硬質な文体にはじき返されることが多かったことを思い出す。今回、依頼を受けて手元の本をかき集めてみると、自分で思っていた以上に中公新書がたくさんあった。専門外のことにも幅広く目配りをしていかねばならない今となっては、変わらない硬さも、確からしさの証としてこの「ブランド」を手に取らせる力になっているようだ。そのなかから三冊を紹介したい。

はじめにとりあげたいのは、『「大日本帝国」崩壊』だ。1945年8月15日――この日の持つ特別な意味を、著者は現在の「日本」の範囲に留まらない朝鮮・台湾・樺太・南洋群島など各地域の歴史を総合的に検証することから見事に描き出した。帝国が崩壊するとはどのような事態であり、その後に何をもたらしたのか。戦前回帰の声も聞かれる現在であるが、そこで想定される「戦前」なるものが、今の日本の地理的範囲だけに留まっているとすると大きな見落としにつながる可能性がある。戦前と戦後という時代のつながりと断絶、そして何よりもアジア社会の一部としての日本の来歴とこれからを考えるうえでもぜひ共有したい一冊である。

次に、『東京消滅』。現代社会が直面する課題を鋭く指摘するのも、新書の持つ大きな役割の一つだろう。同じ編者による『地方消滅』は幅広く議論を呼び起こしてきたが、その対となる本書の提起に対しては、来年に迫るオリンピックをめぐって東京に注目が集まっているほどには関心が高まっているとは言えないようだ。歴史的に過疎と過密はセットで問われてきたが、もはや過密という段階を超えて、そもそも持続可能性が問われている状況について目を背けてはならないだろう。祭典の華やかさを前にしてなお、足元を見つめ直す冷静さを持ちたい。

中公新書イコール学術的という印象は強いし実際そうだと思う。しかし、最後にとりあげる『わがアリランの歌』をはじめ庶民の優れた記録が、中公新書の目録に含まれている。植民地支配を背景に蔑視を受け続けてもなお保たれた、著者の実直なまなざしは戦前日本社会の諸相を鮮やかに切り取っており、いま読み返しても胸に迫る自分史だ。この他に西条正『中国人として育った私』なども好きだ。壮大な歴史の見取り図や鮮やかな論点提起と並んで、社会のなかで生きる一人ひとりの生活の重みが伝えてくれる知がある。

時代に応じて、新書という器におさめられる内容も刻々と変わっていくのだろう。これからの新書は、同時代の何を切り取ってゆくのか。学び続けてゆきたい。

安岡健一(やすおか・けんいち)

1979年神戸市生まれ。京都大学大学院農学研究科博士課程修了。飯田市歴史研究所を経て、大阪大学大学院文学研究科日本学研究室に所属。専門は日本近現代史。著書に『「他者」たちの農業史』(京都大学学術出版会、2014年。同書の英訳として“Others in Japanese Agriculture”Trans Pacific Press, 2018. Teresa Castelvetere 訳)。最近の論文・論考に、「「老い」に集団でむきあうということ」(『日本史研究』667号、2018年)、「オーラルヒストリーを受け継ぐために」(『日本オーラルヒストリー研究』15号、2019年)。