2019 05/29
著者に聞く

『日本鉄道史 昭和戦後・平成篇』/老川慶喜インタビュー

「鉄道の父」井上勝旧宅で(山口県萩市)

『日本鉄道史 昭和戦後・平成篇』をこのたび刊行し、『日本鉄道史 幕末・明治篇』『日本鉄道史 大正・昭和戦前篇』とあわせ、日本の鉄道の通史を完成させた老川慶喜さんにお話を伺いました。

――そもそも、なぜ鉄道史を志そうと思われたのでしょうか。

老川:最初から「鉄道史」に興味や関心があったというわけではありません。学生時代に、国鉄の急行列車に乗って日本のあちこちをめぐっていましたが、とくに鉄道に詳しいわけではありませんでした。学生時代に「学園闘争」に直面したためか、就職がうまくいかなかったためか(両方だと思いますが)、4年生の夏休み頃からもう少し勉強してみようかと考えるようになりました。

学部の頃には西洋経済史のゼミに所属し、いわゆる大塚史学を勉強していました。その関係かどうか、発展途上国の問題に関心をもち、途上国への援助を行っているある政府機関に就職しようと思いました。書類選考、学科試験ともにパスしましたが、最終面接で落とされてしまいました。高等学校の教員採用試験も受けましたが、とても歯が立ちませんでした。そこで、大学院の秋入試を受け、こちらは何とか合格することができました。

大学院では、日本経済史を専攻することにしました。後進資本主義の問題をテーマに選びたいと思っていたのですが、当時の私をとりまく状況からはとても外国のことはできないと思い、日本経済史を専攻することにしました。学部のゼミで、西欧諸国の産業革命と鉄道との関連については多少勉強をしておりました。しかし、日本経済史の分野では産業革命と鉄道というテーマを正面から取り上げている研究はあまりなかったように思い、鉄道史の分野に入っていきました。

もう少し具体的にいうと、指導教授から紹介された内田義彦先生の「明治経済思想史におけるブルジョア合理主義」(有沢広巳・東畑精一・中山伊知郎編『経済主体性講座』第7巻、中央公論社、1960年)という田口鼎軒(卯吉)の鉄道論を扱った論文がとてもおもしろく、田口の鉄道論を導きの糸として産業革命期における日本の鉄道の実態を研究してみようと思いました。

そのため、修士論文で取り上げた鉄道は、田口卯吉が社長に就任したことのある両毛鉄道という明治期の私設鉄道会社で、「両毛地方における鉄道建設――「北関東市場圏」形成の問題として」(『立教経済学論叢』第8号、1974年4月)という修士論文を執筆しました。

――大学院時代にとくに思い出に残ることはありますか。

老川:今回、中公新書で『日本鉄道史』の三部作を出版しましたが、中公新書には特別な思い入れがあります。大学院生の頃、フランス革命の研究で知られていた井上幸治先生と「埼玉県産業金融史研究会」という小さな研究会でご一緒していたことがありました。井上先生は埼玉県の秩父のご出身で、フランス革命を研究する一方、1884年に郷里で起こった秩父事件を詳しく調べており、埼玉県の歴史にも興味をもっておりました。『新編 埼玉県史』の編纂を、当時の畑和埼玉県知事に進言したのも井上先生でした。

井上先生は、お酒を一滴も飲みませんでしたが、話をするのは大変好きで、いつも研究会が終わると、浦和駅前の「麦」という喫茶店に行き、夜の11時過ぎまでカレーライスとコーヒーでいろいろな話をしていました。私は、どちらかというとお酒を飲みながら話をするのが好きなのですが、井上先生とお会いするときはまったくお酒を飲みませんでした。何を話したかはよく覚えていませんが、実証研究の大切さを教えていただいたように思っています。

その井上先生が、『秩父事件』という名著を中公新書で出版していましたので、私もそれを読み、自分もいつかはこんな本を出版してみたいなと漠然と考えていました。そんなわけで、今回中公新書で日本鉄道史の通史を出版できたことで、井上先生のご恩にも、いくらかは報いることができたかなと思っています。

――鉄道史は他の産業の歴史とどのような違いがありますか。

老川:鉄道は、それ自体が鉄道業という産業でありますが、さまざまな産業の発展の基盤となるインフラストラクチャー(産業基盤)です。さらに、鉄道が機能するためには、機関車、客貨車、レール、枕木、信号、ブレーキ、駅舎などが整備されなければなりません。鉄道の関連産業は実に幅が広く、その意味で鉄道は総合産業であるということができます。

また、土木や機械、電気など鉄道の技術にある程度精通しないとなかなか理解できないという難しさがあります。私などは典型的な文化系人間ですからその点で苦労しましたが、長年やっていると何となくわかってくるところもあります。もちろん、私の鉄道技術に関する理解は、今でも未熟なものですが。

鉄道は、貨物や旅客を輸送するわけですから、鉄道史研究は経済史の問題として扱われます。また、鉄道経営者や鉄道会社の経営に焦点をあてた経営史的な研究も重要です。しかし、それだけではなく、鉄道史は政治史、文化史、生活史、技術史などとして展開することができます。1983年に鉄道史学会という学会ができるのですが、その学会は「学際的」であることを特徴としています。

そんなわけで、鉄道史の研究も一段落したら別のテーマに移るつもりでいましたが、鉄道史研究から抜け出せなくなってしまいました。

――幕末以降、現代に至るまでの日本の鉄道の通史を、本書で完成されたことになりますが、全3巻が完結しての先生のお気持ちをお聞かせください。

老川:何とか、通史の執筆を完了して、ホッとしているというのが正直なところです。私が鉄道史の研究に着手したころ、鉄道史の分野でもっとも活躍されていたのは原田勝正先生でした。原田先生が執筆された『明治鉄道物語』(筑摩書房)という本を書評させていただいたことがあるのですが、いわゆる通史とは少し違うのですが、それでもこのような本は私には書けないだろうと思っていました。

原田先生がお元気だったころは、通史は原田先生のような方が執筆されるもので、私のような者がしゃしゃり出る分野ではないというふうに考えていました。ところが、原田先生が亡くなられてから、どういうわけか日本鉄道史の通史を書いてみたいという気持ちが強くなりました。私も年を取り、鉄道史の分野でも優秀な若い研究者が育ってきましたので、今のうちに書いておかないと本当に書けなくなるという気持ちになったのかもしれません。

もとより、完璧な通史を描けたなどとは考えてはいません。書き残したこともたくさんありますし、もう少し時間があればという思いもあります。しかし、私なりの通史はそれなりに書けたと思っています。

さらに通史を書くというのは難しいかもしれませんが、この通史を執筆する中で気づいたことも多々ありますので、今後の研究に生かしていきたいと思います。何か、一仕事を終えたというよりは、新たな研究の出発点に立つことができたというのが正直な気持ちです。

――本書中に登場する鉄道について、先生の個人的な思い出がありましたらお聞かせください。

老川:私は、いわゆる鉄道マニアの方のような鉄道に対する興味はないのですが、鉄道旅行は好きなほうだと思います。学生の頃には、それこそ本書でも紹介した国鉄の「ディスカバージャパン」のキャンペーンに踊らされて、周遊券を買ってはあちこちを歩き回りました。夜行列車で一晩をすごし、早朝に駅について顔を洗い、近くの喫茶店でトーストを頬張りながらコーヒーを飲むと、なんともいえない豊かな気持ちになったものです。その意味では、下関駅、高山駅、富山駅など、鉄道よりも駅の風景のほうが心に残っているように思います。

また、若い頃、学会などで大阪に行くと、そのまま新幹線で東京に帰るのがとてももったいなく思い、よく北陸本線や中央本線経由で回り道をして帰ってきました。朝方に北陸本線の車窓からみる日本海や、中央西線の車窓からみる木曽の山や川が懐かしく思い出されます。新幹線で帰るにしても、熱海で途中下車をして温泉に入り、そこからは普通列車で帰るなどということをしていました。いつの間にか、そういう余裕がなくなり、今はもっぱら新幹線で移動していますが、何か残念な気がします。

――今後の研究・執筆についてお教えください。

老川:私は、来年の3月で古希になります。おかげさまで今のところ特に身体の調子も悪くないので、何とか執筆活動を続けていますが、残された時間はそう多くはありません。しかし、やってみたいことはたくさんあって、何を優先しようかと考えているところです。

40歳代のころに、中国の瀋陽にある遼寧省档案館にほぼ毎年のように通っていました。遼寧省档案館には南満州鉄道の経営資料が所蔵されており、それを収集するためでした。満鉄が、日々の経営活動の中で作成してきた膨大な一次資料が所蔵されているのです。

これまでの日本の満鉄史研究は、主として満鉄調査会などが作成した調査資料によってなされてきましたから、この経営資料はとても魅力的でした。遼寧省社会科学院の王桂良先生らが、大連、長春など全国各地に散らばっていた満鉄の経営資料を瀋陽の遼寧省档案館に集めたと聞いています。

残念ながら満鉄の経営資料を十分に閲覧することはできませんでしたが、満鉄の関係会社である同和自動車株式会社の経営資料だけは集めることができ、何本かの論文にまとめました。これを、1冊の単行本にしたいと思っています。

つぎに、堤康次郎という鉄道経営者がおりますが、堤の伝記的な研究をまとめてみたいと思っています。

また、まもなく日本の鉄道は開業150年を迎えます。鉄道150年史の企画も進んでおりますので、今回の通史を執筆した経験を生かして150年史を執筆したいと思っています(もちろん1人で執筆するわけではありません)。

大体、このぐらいの仕事で私の研究者としての人生は終わるのではないかと思っていますが、現在やりかけている研究も多々あるので、少しでも仕上げておきたいと思っています。

――最後に若い読者に特に伝えたいことがありましたら。

老川:私たちの世代もそうでしたが、大学院に進んで研究者になるのはそう簡単ではありませんでした。本人の努力はもちろんですが、多分に運・不運に左右されることがあります。私自身も、決して順調な研究者生活を送ってきたわけではありません。

しかし、それでも研究というのは楽しいものです。本書を読んで、多少なりとも鉄道史に興味を持っていただけたなら、本格的に研究してみてはどうでしょうか。新しい資料を発掘し、それをこれまでの研究史の中に位置づけ、新たな課題を探していくというのは、辛い作業でもありますが、楽しい作業でもあります。

満鉄総裁、鉄道院総裁、東京市長などを歴任した後藤新平という官僚・政治家が「学俗接近」を唱えて軽井沢に夏期大学を開設し、大学のアカデミズムを一般社会に開放することを提案しましたが、研究というのは決して大学の先生だけの特権ではありません。サラリーマンをしながら、日曜日などを利用して歴史研究をしてみる。こんな生活があってよいのではないかと思います。人生が、より一層充実したものになるはずです。

老川慶喜(おいかわ・よしのぶ)

1950年埼玉県生まれ.立教大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学.経済学博士.関東学園大学助教授,帝京大学助教授,立教大学経済学部助教授・教授などを経て,2015年より跡見学園女子大学観光コミュニティ学部教授,立教大学名誉教授.1983年,鉄道史学会設立に参加.
著書『日本の鉄道―成立と展開』(共著,1986,日本経済評論社,第13回交通図書賞受賞),『近代日本の鉄道構想』(日本経済評論社,2008,第34回交通図書賞),『井上勝―職掌は唯クロカネの道作に候』(ミネルヴァ書房,2013,第8回企業家研究フォーラム賞),『日本鉄道史 幕末・明治篇』(中公新書,2014),『日本鉄道史 大正・昭和戦前篇』(中公新書,2016),『堤康次郎』(共著,エスピーエイチ,1996),『もういちど読む山川日本戦後史』(山川出版社,2016),『小林一三―都市型第三次産業の先駆的創造者』(PHP研究所,2017),『鉄道と観光の近現代史』(河出書房新社,2017)ほか