2017 08/03
著者に聞く

『観応の擾乱』/亀田俊和インタビュー

草創期の室町幕府を揺るがした内乱を丁寧に描いた『観応の擾乱 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い』。複雑な背景を持つ内乱を読み解いた、著者の亀田俊和さんに、執筆の理由やこの時代の面白さなどについてうかがった。

――執筆の理由を教えていただけますか。

亀田:「あとがき」にも書きましたが、高校生の頃から観応の擾乱に強い関心を持っていました。大学の卒業論文も、観応の擾乱が起こったメカニズムを解明したいという問題意識を持って書いています。今回、この企画をいただいて、改めて自分が研究を志した原点に回帰したいと考えた次第です。

――南北朝時代の魅力はどのあたりにあるとお感じになりますか?

亀田:果てしなく続く南朝と北朝の対立、そして室町幕府の内部分裂による戦乱は、戦国時代にも勝るとも劣らないほど魅力的だと思っております。ですが、それ以上に、たとえば擾乱勃発に至る足利直義と高師直の対立は、意外に頭脳戦で知力と知力の戦いなんですよね。そのような武力だけではない、政策をめぐる対立などもこの時代のまたとない魅力だと考えております。拙著では、訴訟制度の変化など、そうした政策面にも可能な限り言及しました。そういったポイントにも注目していただけたらと思いますね。

――刊行されてからの反響はいかがでしょう。

亀田:まだ刊行して2週間ほどなのではっきりとはわかりませんが、私が見聞した限りでは、幸いにして好意的な評価をいただいているようです。しばらく音信のなかった友人が言及してくれていたり、また買ってくれたという連絡をもらったりもして、驚きました。

――本書では、しばしば『南北朝の動乱』(中公文庫)を中心に、佐藤進一氏への言及が多くなされています。佐藤氏の研究をどのようにご覧になっていますか。

亀田:本書の9ページで「日本中世史研究の枠組みを作った巨人」、217ページでは「戦後の南北朝史研究の金字塔」と述べましたが、まさにこのとおりに考えております。私はこれまでの著作でもいくつか佐藤説の批判を行ってますし、私以外の研究者も佐藤説を乗り越えることを目標にしている人は多いです。これも、佐藤氏が当該分野の研究にいかに絶大な貢献を果たしたのかを逆説的に示していると言えるでしょう。

――足利尊氏・直義兄弟を中心に多様な人物が登場する本書ですが、書いていて気になった人物はいますか?

亀田:高師直および高一族については、すでに歴史書を2冊刊行しています。彼らに対しては強い思い入れがありますね。ただ、ここではそれは措いておきます。

高一族以外で気になっているのは、まず細川顕氏ですね。変節を繰り返したことから評価が高くない武将ですが、擾乱以前には執事=師直、侍所頭人=顕氏と、幕府のツートップでした。文和元年(一三五二)、死の直前に後村上天皇が籠城する石清水八幡宮を攻撃し、子息政氏を失う犠牲を払いながらも猛攻撃を加えて陥落させ、足利義詮に最後の御奉公をする姿には、戦慄さえ覚えます。きちんと再評価すべき武将だと考えます。

次いで仁木頼章・義長兄弟ですね。執事としての権限が弱く、戦場でも将軍足利尊氏の後方支援にとどまったこともあって、いまいち目立たないですが、高師直後任の執事として立派に任務を果たし、幕府再建に大いに貢献した武将だと考えております。

佐々木導誉もおもしろいですね。足利一門ではない、外様の大名であるにもかかわらず、これだけユニークな役割を果たした武将はめずらしいのではないでしょうか。ですが今回執筆して印象に残ったのは、佐々木氏嫡流の佐々木六角氏頼ですね。佐藤進一氏には気が弱いと評価していますが、擾乱第一幕では本拠地の近江国で直義派の石塔頼房軍と激しく交戦しております。また文和四年(一三五五)の足利直冬との京都市街戦においても、後光厳天皇の警備を担当していたのですが、興奮して自ら旗差となって直冬の陣に突撃しています。氏頼の武断的な性格を指摘したのも、本書の隠れた成果なのかもしれません。

直義派の武将では、桃井直常の忠誠心に言及されることが多いですが、個人的には石塔頼房の役割も看過できないと考えております。常に最前線で尊氏軍と戦い続け、直義死後もずっと反尊氏の活動を続けています。直常以上の直義派だったのかもしれません。

忘れてはならないのは、三宝院賢俊です。煩雑になると判断して書かなかったのですが、尊氏―師直軍の敗色が濃厚となる状況で、賢俊は自身の財産を弟子に譲与しています。まさに尊氏とともに討ち死にする覚悟を示したわけですね。また、彼のライバルであった実相院静深も、上杉朝定・斯波高経・山名時氏など直義派の中核とされる武将たちよりも早い段階で直義派の立場を明確にしております。並みの武将よりもよほど武士らしい僧侶が存在したことも興味深いです。

――呉座勇一さんの『応仁の乱』がヒットしており、関心を集めています。観応の擾乱と応仁の乱の違いについては、どのようにお考えでしょうか?

亀田:応仁の乱は英雄がいない戦乱として話題になっていますが、観応の擾乱では、先ほどお話ししたように、英雄的な武将がたくさんいる印象を受けますね。応仁の乱と比較して観応の擾乱の期間は短いです。他方、内乱の範囲としては応仁の乱が基本的に京都近辺で戦われたのに対し、観応の擾乱は全国規模で戦いが展開されているという違いがあります。

そして、応仁の乱は優劣不明の戦いがだらだら続き、最終的な勝者もあいまいなまま終結するところに特徴があります。対して観応の擾乱はかなりスピーディに事態が動き、決着もはっきりしています。そうした対比をしながら読んでいただいても面白いかもしれませんね。

――2017年8月から台湾大学に着任ですね。台湾の印象はいかがですか。

亀田:実は数回しか行っていないので、まだまだ知らないことのほうが多いです。そのささやかな経験の範囲でしか言えませんが、まず暑くて食べ物がおいしいというのは事前に聞いていて、確かにそのとおりでした。街にゴミがほとんど落ちていなくて、清潔な印象を受けました。人なつっこくて親切な方が多い気がします。また、スポーツやトレーニングで体を動かすのが好きな人が多いなとも感じました。あと、地下鉄が便利で安いですね。

――最後に読者へのメッセージをお願いします。

亀田:『観応の擾乱』は、それほどメジャーとは言えない分野で、しかも複雑な戦乱を扱った本です。組織や制度にもかなりの分量を割いて言及していますから、読みやすくする努力はしたつもりですが、難しい部分も多いと思います。そういう部分はまずは読み飛ばし、とっつきやすい部分から気楽に取り組んで、この時代を知ることを楽しんでいただければと思います。よろしくお願いいたします。

亀田俊和(かめだ・としたか)

1973年、秋田県生まれ。97年、京都大学文学史学科国史学専攻卒業。2003年、京都大学大学院文学研究科博士後期課程歴史文化学専攻(日本史学)研究指導認定退学。2006年、京都大学博士(文学)。京都大学文学部非常勤講師を経て、国立台湾大学日本語文学系助理教授。著書に『室町幕府管領施行システムの研究』(思文閣出版)、『南朝の真実』『高 師直』(ともに吉川弘文館)、『高一族と南北朝内乱』(戎光祥出版)、『足利直義』(ミネルヴァ書房,2016年)など。