2017 05/29
著者に聞く

『通勤電車のはなし』/佐藤信之インタビュー

毎朝毎晩、通勤・通学のためにラッシュにもまれる人も多いでしょう。小池都知事が「満員電車ゼロ」を訴えたり、西武鉄道や京阪電鉄が通勤時の着席サービスを導入したりするなど、「痛勤」緩和策に注目が集まっています。『通勤電車のはなし』を刊行した佐藤信之さんに、お話を伺いました。

――まず、通勤輸送の現状をどう考えていらっしゃるか、お教えください。

佐藤:都市の住民にとって通勤にかかる時間はコストでしかないので、なるべく削減したいと思うでしょう。しかし、職場に近い都心部に移り住むにも住宅価格が高く、湾岸部に開発された高層マンションには販売価格が億単位になるものもあります。

そこで、都心部への交通に便利な住宅地を探すことになりますが、たいていそのような住宅地は人気が高く、都心へ向かう鉄道は混雑して、会社までたどりつくのにへとへとになってしまう。仕事をはじめるまでに疲れてしまうのですから、仕事の効率も落ちて大きな社会経済的な損失となってしまいます。

だから、通勤混雑を緩和するための取り組みが続けられているのです。鉄道会社による輸送増強に加えて、企業の側もラッシュ時を外した就業形態をとることで、通勤ラッシュの緩和に貢献しています。

国は、長期的には混雑率150%を目標にしていますが、東京の場合、一部の路線では混雑率が190%に達しており、一気に目標を達成することは難しいのが現実です。いわんや、混雑率100%の定員輸送などは望むべくもありません。巨額な費用がかかりますが、必要な場所には新線の建設も進めるべきでしょうし、線路の増設も進めるべきでしょう。しかし、鉄道会社は電車が混雑することで高い利益率を得ていて、旅客も比較的安く利用できているので、ある程度の混雑は必要な社会的コストとして許容するとしても、いま一度、政策の目標としてどの程度の混雑ならば適切なのかを検討することが必要でしょう。

大阪の場合は、一部の路線を除いて混雑緩和の効果は出ており、数字の上ではかなり混雑率は低下して、着席輸送を前提とした転換式クロスシート車を通勤時に運行するところも増えてきています。これからは混雑緩和よりも利便性の改善の方向にむけた努力が進められるのでしょう。むしろ、快適な通勤を提供することで、沿線の人口を増やして。鉄道会社が収益率を向上させるという戦略が進むことになるのかもしれません。

一方、東京では、まだ混雑は熾烈な水準にあり、快適通勤には程遠い。その中で、特急用の特別車両を使って特別料金を徴収する定員乗車の列車や、JR東日本のグリーン車のようなサービスが増えてきています。

――混雑緩和のための方策としては何が必要でしょうか。

佐藤:東京や大阪は、世界的に見てもまれな高効率の都市が形成されています。これは、高水準の鉄道サービスがあって初めてなりたっているのですが、そのサービス水準を維持することに対する公共側の関与が不十分だと考えています。

採算ベースに乗らない大規模プロジェクト(新線建設)に対する国・地方の助成制度はすでにあります。しかし、通勤旅客の快適性に直接かかわるような施策(複々線化等を含めて)には、公共の費用負担などの取り組みがまだ十分ではなく、これらを充実させることが必要だと思います。

――具体的な混雑改善策としては、どんなものがあるでしょうか。

佐藤:たとえば首都圏の最混雑路線である田園都市線は、現在2分強に1本の割合で列車を設定しています。これを現状の列車のコントロール技術の下で、安全に、どこまで運転間隔を短縮できるのかを、詳細で客観的なデータに基づいて検討することが必要です。

経験的には、2分30秒より運転間隔を短縮すると運行の遅延が不可避ですが、しかし、これは混雑による停車時分(乗客の乗り降り)の増加で発生する遅延であって、視点を変えて、運転間隔を短縮することにより混雑が緩和する場合に停車時分を削減できるかどうかをシミュレーションする必要があるでしょう。これによって大規模な投資をしなくても混雑緩和が図れる可能性があります。

また、中長期的な課題として、2020年の東京オリンピック時には東京の湾岸地域に新たなスポーツ施設や高層建築の選手村が建設されます。オリンピック後は、これらは巨大な集客施設と高層マンションに使われる予定です。これらの施設へのアクセスをどうするかが課題となっています。

湾岸地域には銀座からの地下鉄の建設が想定されています。また現在は秋葉原止まりの「つくばエクスプレス」を東京駅に延伸する構想がありますが、これをさらに湾岸地域に直通する案もあります。ただ、そうすると、郊外路線と直通するために大断面のトンネルを建設することになり、建設費は膨大になることが予想されます。

それよりも、小断面トンネルで建設された都営地下鉄大江戸線を勝どき駅ないし月島駅で分岐し、豊洲市場や湾岸地域を抜けて延伸する路線を建設するのが望ましいでしょう。これにより、大江戸線の旅客が増加するのに加えて、直通先が増えることで利便性も改善します。延伸線は、さらに越中島から既存の貨物線を使って亀戸、新小岩まで結ぶと、総武線などの千葉県方面からの通勤混雑の緩和にも資することになります。

ただし、これは、まだ建設が決まっていない大断面の地下鉄を建設するよりは……ということで考えたアイデアで、大江戸線の延伸のための建設費用とそれによる効果を大雑把なりとも検討した結果ではないことを申し添えておきます。

――ところで、先生は交通経済学から鉄道の問題にアプローチしている点で異色だと思うのですが、この道を志そうと思われた理由をお教えください。

佐藤:法学部の学部生のときには経営法学を専攻しましたが、法制度は所与のものであり議論の前提条件とする立法論・解釈論が中心となります。しかし、経済活動に関する法制度は、条文そのものやその解釈が重要なのではなく、むしろ法律・制度が設けられた時代や社会的な環境、政策的な重要性など、その背景にあるものが重要な意味を持つのです。そこで、法律解釈よりその立法根拠となる政策論が重要であるという認識にいたり、大学院は経済学研究科に進みました。

――今後の研究課題はなんですか。

佐藤:大学院の時から、公共交通の「公共性」が研究テーマの中心でした。しかし、最近は、公共部門が財政難から、本来政策的に重要な位置づけとなるべき公共事業などの経済活動を縮小してしまっています。公共交通が民間企業の採算ベースを基本に提供されている現実に対して、その社会的な重要性を認識してもらって、国や公共団体が、もっと公共交通に関わりやすい(市民意識などの)社会的な環境を整備する取り組みをしていきたいと考えています。

佐藤信之(さとう・のぶゆき)

1956年、東京生まれ。亜細亜大学大学院経済学研究科博士後期課程単位取得。亜細亜大学講師、一般社団法人交通環境整備ネットワーク代表理事・会長、NPO法人全国鉄道利用者会議(鉄道サポーターズネットワーク)顧問、公益事業学会、日本交通学会会員。専攻・交通政策論、日本産業論。著書『新幹線の歴史』『鉄道会社の経営』(いずれも中公新書)、『図解入門業界研究 最新鉄道業界の動向とカラクリがよ~くわかる本』、『最新鉄道業界の動向とカラクリがよ~くわかる本』(いずれも秀和システム)、『コミュニティ鉄道論』(交通新聞社)ほか多数。