【試し読み】ゼッタイ! 芥川賞受賞宣言8

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 就活イベントにやってきた君だったが、現地で待ち合わせしていた大塚がいない。連絡もつかない。鬼電するがダメである。仕方がないので、君は一人で企業のブースを回って説明を聞く。どこも面白くなさそうだ。そもそも、部活も何もしてこなかった君は、年齢やキャリアで上下関係の決まる世界をウンコだと思っている。しかし、実力主義とかなんとか謳っている外資系企業なども資本主義に毒されたクソだと思っており、つまり、すべて労働はクソウンコたらざるをえないのだと思っている。悪臭を放つクソウンコの欠片どもが、一生懸命汗を流しながら会社の魅力を語ったり、「ああ、こいつもう広報に慣れ切ってプレゼンがルーティン化してるな」というプレゼンを聞かせたりしてくる。なんちゅうところや、と君は思う。どちらもクソウンコだ、と君は思う。こんなやつらのいる建物の中で、こんなやつらの吐く息がこもったなまぬるい職場で、先輩やら上司ガチャに怯えながら、生涯を過ごすなんて! ありえない。君はやはり小説を書いて暮らしていくしかないと考える。自分のステータスからして大企業に入るなんてことはそもそも難しいが、大企業に入れたとして、こんな、大企業に入ったことばかりを誇りとしているのが滲み出ている、本当に重要なものを失った社畜になることは、人間の在り方として非本来的である。現在、人間の本来的な在り方は、芸術活動の中にしかない。芸術以外のすべては非本来的であり、すべて人間は芸術の力を鍛えぬき、どれだけ不遇な生涯を送るはめになったとしても、それで生きていくことをあきらめてはならないのだ......
 そんなことを考えながらぐるぐる会場内を回っていると、いくつかの企業の担当者から名刺を渡された。誰もが熱量を込めて話す演技をしているようにしか見えない中、一人の男が近づいてきて、君に自然に話しかける。その中で、男は最後に一つ質問をする。
「君は目隠しをされ、軍手をはめられて椅子に座っている。君の目の前に十円玉が十枚ある。そのうち三枚が表向き、七枚が裏向きであると教えられるが、十円玉の向きは触ってもわからない。この十円玉を二つのグループに分け、それぞれのグループに同じ数の表向きの十円玉が含まれるようにするにはどうしたらいい?」
「はい、まずランダムに七枚と三枚のグループに分けます。七枚のグループに表の十円玉がX枚あるとすると、裏の十円玉は七マイナスX枚となります。すると、三枚のグループに含まれる表の十円玉は三マイナスX枚、裏の十円玉はX枚となるので、そこで三枚のグループの十円玉をすべて裏返せば、両グループの表の十円玉の数が同じになります」
 君が前日にたまたまツイッターで見た答えをそのまま言うと、男は指をパチンと鳴らして「正解」と言った。君は、この男も昨日たまたまツイッターでこの問題を見かけたのではないかと思ったが黙っていた。男は右手で君の左肩を掴んで、顔を近づけて言う。
「僕の直感なんだけど、君はうちでスターになれる。スター社員だ。もちろんそのまますぐ通用するということじゃないが、うちで鍛えられれば君は間違いなくスターとして開花する。僕は営業成績ナンバーワンを何度も記録して、社長賞も何度ももらっているんだ。その僕が言うんだから信じてほしい。さて、これは決して口外しないでほしいんだが、僕にはかなりの裁量が与えられていてね、この場で君に内々定を出すこともできる。急な話で驚くかもしれないが、僕は人を見る目に自信があるし、過去に僕が目をかけた子たちはみんな活躍している。ただし、今日を逃すともう通常ルートでエントリーシートから出してもらうしかなくなる。どうする?」
 君はその男をじっと見る。曇りのない目をしている。君は右手を差し出し男と固く握手する。そうして君は大学卒業後、実家を出て一人暮らしを始め、A社に入社する。
 そこは英語教材を売っている会社だった。基本給は低かったが見なし残業代が多めにあり、さらにはインセンティブ次第でいくらでも稼げる仕組みである。入社式にやってきた同期たちは二十人ほどで、君が見る限りそれほど冴えた感じのする人間はいなかった。君は採用担当者の言葉を思い出す。
「僕の直感なんだけど、君はうちでスターになれる」......
 君は確かに、ここでならスターになれるかもしれない、と思う。君はK支社に配属され、まず「みなさんよろしくお願いします」と挨拶をしたが、支社長以外誰も聞いていない。みんな電話している。電話をかけ続けている。「ええと、私は、大学時代は」と家で考えてきた自己紹介をしようとすると、支社長は「いらんいらん、もうええ!」と怒鳴った。
「そんなもんはおいおいわかってくるやろうが。てか見てみ? みんな電話してるの、わからん? みんな必死で電話してるの見えへんかな? ん?」
 君はあまり納得いかないが、「え、はい、すみません」と謝る。支社長は投げつけるようにしてマニュアルを君に渡す。
「うちは研修とかあらへんし、そのマニュアル通り電話かけて。とりあえずノルマは今日で八十件や。八十件電話せえ。ええか、かけただけじゃあかんで。繋がったのが八十件や。繋がってないもんはカウントされへんからな。八十件繋がるまでは絶対帰んなよ。あ、嘘ついてもあかんぞ。繋がったかどうかちゃんとこっちでわかるようにしとるさかい。他の支社は知らんけどなあ、ここでナメたことしたらケチャケチャにしたんぞ?」
 君は失敗したと感じる。電話をかけている先輩たちを見ると、みんなヤバイ顔をしている。朝の八時半である。朝の八時半といえば、君はコーヒーでも飲んで、一日の仕事スケジュールをチェックし、少しずつ仕事を始めていく感じかなとイメージしていた。しかし、周りの人たちはみな、始業と同時にまるで人生のかかった国家試験でも始まったかのように一斉に電話をかけている。
「英語が話せると世界が広がります」「八歳までが勝負と言われます」「これからは語学力は当然という時代です」「私もこの教材で......」
 みんな口々にセールストークを繰り広げている。君はまず与えられたマニュアルを読む。すべてのページに松岡修造の粗い画像が印刷され、「言い訳するな!」という吹き出しがついている。こんなところに勝手に松岡修造を使っていいのだろうか? 確実に肖像権の侵害だと思うが、構ってはいられない。マニュアルを急いで読み、電話をかけることにする。誰も君に何かを教えようとはしない。みんな電話をかけるか、システムに一心不乱に交渉記録を打ち込んでいる。君は自己流でいくしかないと覚悟を決め、電話をかける。出てくれない人も多いし、出てもすぐ切られることも多いし、罵倒されることも多い。契約にいたる人など本当に存在するのだろうか?
 君は毎日深夜まで電話をかけ続ける。周りの人もバタバタ倒れていくが、そのたびに君のような新人がやってくる。誰も新人の相手はしない。君もしていられない。君は電話をかけ続ける。ノルマが達成できない日は椅子ごと蹴り倒されるが、支社長は支社長で、よくエリア長に椅子ごと蹴り倒されている。そういう社風なのだ。君は電話をかける。かけ続ける。土日は休みということになっているが、家からかける。君は電話をかけまくる。それしかしていない。ある日、君は電話をかけている最中、耳が爆発する。耳が爆発したような気がする。そしてめまいがして椅子から崩れ落ちる。すると支社長が寄ってきて、「ンジャコラオオォーッ⁉」と叫びながら君を踏みつける。しかし君は立ち上がることができない。救急車が呼ばれ、君は病院にかつぎこまれる。めまいが治らず、君はゲェゲェと吐き続ける。そのまま君はしばらく休職することになった。
 会社に行かなくていいとなるとめまいはまったく起こらず、気分爽快である。カーテンを開けると気持ちのいい陽射しが差し込む。それまでは出社が迫っていることを示す恐怖の光だったものが、君をあたたかく照らし、元気づけてくれる。
 休職している間、君は小説を書こうかとも思ったが、その前に何か別の収入源を確保しようと考えた。君は一通り動画編集の勉強をし、競馬予想チャンネルを立ち上げる。君は昔、父親がやっていた「ダービースタリオン」というゲームにハマって以来、競馬が唯一の趣味である。麻雀もやろうと思ったことがあるがめちゃめちゃ弱く、友達にカモにされたのでやめた。今では「ウマ娘」をやっているが、君はダビスタのほうが好きである。
 君は競馬チャンネルで毎週の予想をフリップに書いて放送していく。テレビでやっている競馬予想番組のショボい版みたいな感じである。自分で見てもあまりにもショボいので、「ON AIR」と書かれた千五百円ぐらいのランプを買って横に置いてみると、少しだけ番組感が出た。一生懸命予想してその根拠を語っていると、君は幸福を感じる。「好きなことで、生きていく」という言葉の意味がわかるような気がしてくる。しかし、チャンネル登録者数や再生数は伸びず、本業なしではとても生活していけないレベルである。ここでテコ入れしなければ、またあの会社に戻って出口のない地獄の日々を送るだけになるだろう。さて、チャンネルの方針をどうしようか?

ゆるゆると楽しく続けるなら→ 5へ
予想を本格化して大穴の三連単しか買わない修羅の道を進むなら→ 27へ

【試し読み】ゼッタイ! 芥川賞受賞宣言

Synopsisあらすじ

君は「ゲームブック」を知っているか――

ある世代以上の諸姉諸兄には懐かしく、ナウなヤングの目には新鮮に映るであろう一冊の本が誕生する。



2023年9月21日発売、鬼才・佐川恭一が贈る「ゼッタイ! 芥川賞受賞宣言~新感覚文豪ゲームブック~」。



ゲームブックは1980年代に一世を風靡し、ファミコンの隆盛とともに衰退した。

いまさらゲームブックなんて時代錯誤だ……さて、果たしてそうであろうか?

ならば、お試しいただきたい。諸姉諸兄にも、ナウなヤングにも、ソシャゲ重課金勢にも。



――そう、主人公は、君だ!



(毎週木曜日更新)

Profile著者紹介

佐川恭一(さがわ・きょういち)

1985年、滋賀県生まれ。京都大学文学部卒業。2011年「終わりなき不在」で第3回日本文学館出版大賞ノベル部門を受賞。19年「踊る阿呆」で第2回阿波しらさぎ文学賞を受賞。著書に『シン・サークルクラッシャー麻紀』『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』などがある。

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