【試し読み】ゼッタイ! 芥川賞受賞宣言31

13

 君はエクセルでこれから出す予定の文学賞とその締め切りを十五個ほど書いて父に渡す。父は「こんだけか?」と睨みつける。
「これまで全然予選にも通ってへんのやろ? 百でも二百でも出さなあかんのちゃうんかい!」
「ま、待ってくれやオトン、それはほんまに無理や。そんなに書いても絶対一個一個の質が落ちる、さすがにキツすぎるわ。ちょっと今年はこの十五でいかせてえや。これはホンマに頼むわ」
「フン......」
 父はそれで一応引き下がった。君はもう大変なことになったと思う。今年で成果が出せなければ、恐らく本当にエンコを詰めるか、家を追い出されることになるだろう。君は必死になって小説を書く。目標にしている文学賞に向けて書きまくり、出しまくる。だが手を動かせば動かすほど、君の心に巣食う不安は大きくなる。落ちる。君はそう思う。ネットで応募する瞬間、郵便局から原稿を送る瞬間、あ、落ちる、と君は思う。君はいつの間にか、文学賞を受賞する自分をまったく想像できなくなっていることに気づく。ヤバイ、と君は思う。ヤバイ、と君は思っている。夜も眠れなくなり、どうせ眠れないならと小説を書いてみるが、そういうときに書いてみてもうまく考えがまとまらない。君は何をしていても、巨大な「ヤバイ」に頭を支配され、焦りだけが募っていく。君が夜な夜なインターネットの海をさまよっていると、とある匿名掲示板で「文芸同人募集!」という書き込みを見つける。どうやら今の文芸界の潮流に不満を持つ人間が、異色の雑誌を作って権威の壁をぶち壊そうと企んでいるようである。君は文芸界の潮流に特に不満はなかったが、そこに居場所を作ろうと掲載されていた連絡先にコンタクトを取る。そうして七人のメンバーが集まり、文芸同人「鋭角」が結成された。
 そして君は同人たちと決起集会を行う。最初は誰の性別もわからなかったが、会ってみると女性が二人、男性が五人だった。女性のうち一人は派手な金髪ショートでバチバチに可愛く、もう一人は黒髪ロングで清楚な文学レディという感じでバチバチに可愛かった。男は主宰者を含めて全員ダサく、しかしみんな頭は良さそうだった。君たちは月に一度インターネット上に短編をアップし、主宰者がそれぞれの作品を評価して勝者を決めるという活動を始める。それは誰でも閲覧可能な形で行われ、通りすがりの匿名の文学ファンに心ない感想が付けられることも多かった。血の気の多い同人はそこで徹底的にケンカすることもあり、それが盛り上がりとなったりもして「鋭角」の名は少しずつ広まっていく。
 君はといえば、あまり主宰者の評価は得られず、通りすがりの人間にもほとんどスルーされる存在にとどまっていた。しかし、君は主宰者や通りすがりの評価などどうでもいいと思っていた。君は金髪ショートが君の作品についてどう言うかだけを気にしていた。金髪ショートは君の作品に対しておおむね良い評価を下してくれていたので、君はそれだけで満足していた。オトンとの約束はすっかり頭から消えていた。君は、金髪ショートに恋していた。君の作品は金髪ショートのために書かれ、たまに行われる会合でも金髪ショートの小説をいかに褒めるかだけを考えるようになっていた。
 だが、金髪ショート狙いの男は君だけではない。三人が金髪ショートを狙い、二人が黒髪ロングを狙っていた。みんな、芸術のための集団だから、恋愛みたいなつまらないことはしないでおこう、と言っていたが、完全に口だけだった。やがて、金髪ショートは主宰者の男と付き合い始め、その事実を知った君たちは「それは目的から外れてるよ!」「純粋に芸術を究めるために集まったんだろ?」「世界に風穴を開けるんじゃなかったのか!」と口々に主宰者を非難した。しかしそれも「金髪ショートをとられて悔しい」という思いを言い換えたものにすぎなかった。主宰者は「僕は彼女を愛している。その気持ちに嘘はつけない。鋭角は今日で解散だ!」と言う。頭に血が上った君は「マジでふざけんなよ! お前、俺とやろうや。そこの誰もおらん公園で俺とやろう。リアルブレイキングダウンや。俺が勝ったらお前ら別れて、鋭角をちゃんとやろうや」と言う。主宰者は「......わかった。僕が言い出して、みんなを付き合わせたわけだしな」と言って立ち上がる。金髪ショートが心配そうに主宰者の男の袖を引っ張るが、主宰者は「大丈夫」みたいな顔で微笑む。君にはそのすべてが腹立たしい。マジでどうしてやろうか? 君たちは公園に移動し、と主宰者が向き合う。主宰者は首を回したり、ぴょんぴょん飛び跳ねたりしながら言う。
「さて、ルールはどうする? 僕はボクシングでもキックでも、MMAでもいいけど」
 君はその余裕にまたイライラしてくる。なんだか、どう見ても格闘技をやっていた感のある動きである。君も負けずに手をぶらぶらさせたり肩を回したりしてみながら言う。
「ハァ? ケンカやったらなんでもありや。MMAに決まっとるやろ!」
 君は格闘技経験者でもなんでもない。子供時代からずっとケンカすらしたことがない。ただ、昔父が観ていたPRIDEの大会をよく観ていたというだけである。君はPRIDEのミドル級で長く王者として活躍した、ヴァンダレイ・シウバという選手が好きだった。君はシウバの、負けを恐れずつねに前に出続けるアグレッシブなファイトスタイルに憧れていたのである。君は今こそあのアグレッシブスタイルを実践する時だと思う。君は目をギラつかせ、シウバが選手コール時によくしていた、両手を組んで手首をクルクルと回す威嚇の動作を始める。すると鋭角のメンバーの一人が「ヴァンダレイ・シウバだ!」と興奮して叫んだ。金髪ショートが君のただならぬ気迫にヤバさを感じて焦り、「やっぱりこんなことやめようよ! 決闘は犯罪だよ!」と叫んだ。頭に血が上りっぱなしの君は「うるせえ‼」と言う。
「犯罪がなんじゃ! あのなあ、こんだけ何もかもが腐り果てた、権力者が豚みたいに私腹を肥やすだけのクソ国家で革命が起きひんのは、誰も犯罪を犯す覚悟がなくなったからじゃ。昔は逮捕上等でみんな本気でやっとった、そやから説得力と迫力があったし、もしかしたらって期待もみんなに感じさせたし、権力者もちょっとヤバいかもって思っとったんや、でも今はどうや? みんな『犯罪はよくない』『暴力反対』とか言うて、SNSやなんやの安全圏から犯罪にならん程度のヌルい言葉のジャブ打つだけ! そんなへっぴり腰で権威が揺らぐわけないやろ! ここで決闘一つできひん腰抜けが、日本の文学界変えられるんかい!」
 君は威勢よく叫ぶ。別にそんなことを考えていたわけでもないが、とりあえずそう言ってみる。主宰者の男はオーソドックスに構える。君は開始の合図もなく大振りの左フックを放つが空を切る。主宰者の男がそれに合わせて右ストレートを打ってきたので、君はそれをうまく取ってグラウンドの攻防に持ち込もうと思ったが、目測を誤って思い切り顔面に食らってしまう。「いたあーっ!」と君は言う。これまでの人生で、君は殴られたことがなかった。マジで痛かった。涙が出た。そういえば、あの怖いオトンにも殴られたことはなかった。というか、グラウンドに持ち込もうと思ったものの、君は寝技もよくわかっていなかった。だがまだまだ引き下がるわけにはいかない。君は主宰者の男がカウンターを得意としていると見て、先に打たせて隙を作ろうと試みる。しかし相手の攻撃が君の想定よりもよく伸び、君は顔に腹に強いパンチを食らいまくる。「イタタタタ‼」と君は言う。鋭角のメンバーの一人が、「ヴァンダレイ・シウバならもっと自分から突っ込んでいくのになあ! 打撃が粗いとかディフェンスが疎かだとかよく言われてたけど、そうじゃなきゃ出せない迫力と突破力がシウバにはあった、だからアメリカではジ・アックス・マーダラー、斧を手にした殺人鬼なんて言われて、負けても魅せる闘いができたんだ。それがどうだ、あいつの手に斧が見えるかい?」などと得意げにうんちくを披露している。黒髪ロングはそれを聞
いてフムフムと興味深げに頷いている。君は態勢を立て直すこともできないままパンチを猛烈にもらいまくり、もう何が何だかわからない状態で右のハイキックを食らいダウンする。
「......もういいかな?」
 主宰者の男が言う。君は「ハァ、ハァ......参った参った、堪忍や、俺の負けや」と言う。そして主宰者の男が後ろを向いた瞬間、「なんてなァー!」と襲いかかる。だが、君の動きを読んでいた主宰者の男に、君は強烈な後ろ回し蹴りを頭に入れられ、その場で気絶してしまう。
 目が覚めたとき、君の周りにはもう誰もいなかった。スマホを確認してみると、すでに「鋭角」のサイトは見当たらない。君は手で鼻血を拭き取りながら、公園の中ですすり泣く。君が小さな頃「ビヨビヨ」と呼んでいた、きりんさんのスプリング遊具が君をじっと見ている。「なあ、きりんさんよ」と君は言う。「えらい無様なとこ見せてもうたなあ。俺はさ、何やってもあかん、何一つモノにならん人間や、きりんさんはようけ子供を笑顔にしてきたんやろ? 俺なんかな、誰のことも笑顔にしてへん。馬鹿にして笑っとるやつはおったかもしれんけどな。俺みたいなもんは、きりんさんに一個も勝ってるとこあらへんのや」
「そんなことないですよ」
「えっ」
 君はきりんさんが喋ったのだと思ってビビる。
「きりんさん......?」
「いやいや、何言ってるんですか。私ですよ」
 君が後ろを振り返ると、そこには黒髪ロングの姿が。
「あ、ちさとちゃん......」
「ほんと、なんでこんなことになっちゃうんですかね。殴り合いなんてアホのすることでしょ」
「まあ、そうやな。ごめんな、こんなおっさんの汚いしばき合い見せてしもて。ちさとちゃんまだ大学生やろ? やっぱ大学の文芸サークルとかのほうがええんちゃう?」
「ダメです、大学のサークルなんて。なんでもかんでも恋愛恋愛、セックスセックス。みんなセックス&セックスの日々なんです。セックスの合間にレポート書いたり試験勉強したり小説書いたりしてるんです。頭おかしいですよ。結局この『鋭角』も一緒でしたけど。私、文学やる人ってもっとまともだと思ってました。まともな人って一体どこにいるんですかね?」
「うーん、まず文学やる人にまともな人がいると思ってるなら、文学やめたほうがええやろな」
 君がそういうと、ちさとちゃんは笑った。
「私、おっさんのこと結構好きですよ。面白いですよね」
「えっ、ほんま?」
 君は思わず喜びの声をもらす。なお、君は「鋭角」の中で最年長だったため、みんなから「おっさん」と呼ばれていた。
「はい。あ、面白いっていうのは小説がですよ。人としてはしょうもないんで」
「あ、そう......」
 君はシュンとなる。小説の修羅を目指すなら小説が褒められるほうを喜ぶべきなのだが、君はまだ自分を優先させている。
「はい。だから、私はおっさんに小説やめてもらいたくないって思ってます。『鋭角』はなくなっちゃいましたけど、おっさんには小説続けてほしいなって思ってます。それを言いにきただけです」
「はは、そっか。ありがとう......はは......」
「泣くなよ、おっさん」
 ちさとちゃんはそう言って微笑んでいる。綺麗な夕陽が二人を照らしている。なんだかとても良い雰囲気だ。君はおっさんといっても二十代。ちさとちゃんも二十代である。四捨五入すれば二人ともゼロ歳だ。無邪気を装って抱きしめてしまいたい気もするし、飲みに誘ってあわよくば......という気もする。だが、ちさとちゃんは自分のことを異性として見ているわけでは明らかにない。ただ物を書く人間として、その作品のことを評価しているだけなのだ。その純粋な気持ちを裏切るわけにはいかない。君はゆっくりと立ち上がる。
「悪いなあ、気ぃつかわせて。ほな、お互いがんばろな」
 君はそう言って控えめに右手を差し出す。ちさとちゃんは「そうですね。いつか文芸誌で対談しましょう」と言いながら輝く笑顔で君の手を握り返す。君は帰りの電車の中で、ちさとちゃんの最後の笑顔と手の温かさを反芻する。反芻しまくる。君は右手に、ちさとちゃんによって執筆の炎が与えられたような気がする。いや、ちさとの炎と言うべきだろう。この炎が燃えている限り俺は小説を書き続けることができる、と君は思う。君は書く。書きまくる。そして行き詰まる。君はいつもそうだった。君は勢いである程度まで書きまくり、そこで「書き疲れ」を起こす。そうしてクライマックスに向けて物語が尻すぼみになってしまう。しかし、君の手には今、ちさとの炎が宿っている。君はこれまでの君とは違うのだ。この難所を乗り越えることができると君は感じている。だが、一体どのようにして乗り越えればいいのだろうか?

小説の書き方について書かれた本を片っ端から読みまくるなら→ 11へ
新たな文学的戦いの場を探すなら→ 20へ

【試し読み】ゼッタイ! 芥川賞受賞宣言

Synopsisあらすじ

君は「ゲームブック」を知っているか――

ある世代以上の諸姉諸兄には懐かしく、ナウなヤングの目には新鮮に映るであろう一冊の本が誕生する。



2023年9月21日発売、鬼才・佐川恭一が贈る「ゼッタイ! 芥川賞受賞宣言~新感覚文豪ゲームブック~」。



ゲームブックは1980年代に一世を風靡し、ファミコンの隆盛とともに衰退した。

いまさらゲームブックなんて時代錯誤だ……さて、果たしてそうであろうか?

ならば、お試しいただきたい。諸姉諸兄にも、ナウなヤングにも、ソシャゲ重課金勢にも。



――そう、主人公は、君だ!



(毎週木曜日更新)

Profile著者紹介

佐川恭一(さがわ・きょういち)

1985年、滋賀県生まれ。京都大学文学部卒業。2011年「終わりなき不在」で第3回日本文学館出版大賞ノベル部門を受賞。19年「踊る阿呆」で第2回阿波しらさぎ文学賞を受賞。著書に『シン・サークルクラッシャー麻紀』『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』などがある。

Newest issue最新話

Backnumberバックナンバー