マンダラチャート@20 二人で帰省/@21 大洋リビング/@22 対立/@23 令和時代

  @20 二人で帰省

天ヶ瀬と一緒に山田町に帰った。
駅の改札を出ると、父が迎えに来てくれていた。
私が男連れであることに気づくと、父はまるで見てはいけないものを見てしまったかのように、目を逸(そ)らして宙に泳がせた。だから私はすぐに父に駆け寄り、天ヶ瀬が中学と高校時代の同級生だと説明しなければならなかった。
「初めまして、天ヶ瀬良一と申します」
「天ヶ瀬さんって、もしかして、あの司法書士のお宅の?」
「そうです。そこの息子です」
「お宅のお父さんに何度かお世話になったことがありますよ」
「そうでしたか。今後ともご贔屓(ひいき)にお願いいたします」と、天ヶ瀬はソツがない。
「ねえ、お父さん、天ヶ瀬くんも家まで送ってってあげてよ」
「ああ、もちろんだ」
「すみません。助かります」
 私は助手席に乗り、天ヶ瀬は後部座席に乗り込んだ。
 川沿いを走っているとき、父は後部座席に聞こえないよう小声で私に尋(たず)ねた。
「改札口で偶然出会ったんか? それとも東京から一緒に帰ってきたんか?」
「東京から一緒だよ」
「東京駅で偶然、出会ったってことか?」と、父はしつこい。
「違うよ。東京駅で待ち合わせて帰ってきたの」
「ほお、そうなんか。ほんで、天ヶ瀬くんは何をしとる人だ? 学生か?」
「医学部の学生よ」
「医学部? ってことは将来、医者になるんか?」
「そりゃ医学部なんだから、そうなるでしょうね」
 そう答えた途端、父の表情が一変した。それまでの心配顔から安心顔になった。何か勘違いしたらしい。
 だがこれで、天ヶ瀬から実家の家電(いえでん)にかかってきたとしても、父は快く取り次いでくれるだろう。高校時代は交換日記で連絡を取り合ったものだが、今もまだ携帯電話がないから不便で仕方がなかった。家電には子機がないから電話機のある茶の間で話すしかなく、受け答えからだいたいの会話の内容が家族に知られてしまう時代でもあった。
このあと平成になり、老若男女に携帯電話が普及すると、人間関係も心の持ちようも劇的に変わっていくのを私は知っている。同じ家に暮らす家族でも、自分だけの電話を持つことで、互いのプライバシーが見えにくくなり、配偶者に隠れて浮気するのも容易になった。
メールを使うことで、遠く離れた人とも気軽に連絡が取れるようになったのに、人々の心の距離が縮まったりはしなかった。それどころか声も聞かず、会うこともせず、メールだけで用事を済ませることが多くなり、その文章のせいで誤解が生まれ人間関係をこじらせることも増えた。
「雅美、これから買い物に行くけど、一緒に来て荷物持ちして」
母はせかせかとコートを着て出かける用意をしている。昨日やっと大掃除が終わったので、今日は母とお節料理を作る予定だ。父はと見ると、半紙で紙垂(しで)を作って神棚に供えたり、玄関に注連縄(しめなわ)を飾ったりと忙しそうだ。兄は調理師専門学校を出てから料亭に就職したので、年末年始は書き入れどきで帰省の予定はないらしい。
大晦日(おおみそか)になった。
紅白歌合戦が終わった頃、天ヶ瀬が車で迎えにきた。二人で初詣に行く約束をしていたのだった。
外に出ると、除夜の鐘が聞こえてきた。
天ヶ瀬の顔を見るとほっとした。この世でわかり合えるのは彼だけなのだ。彼の、安心したような微笑みからも同じ気持ちを感じ取った。 
天ヶ瀬はわざわざ車から降りてきて、玄関先まで出てきた母に挨拶(あいさつ)した。
「こんばんは。夜分遅くすみません。お嬢さんと初詣に行かせていただいてよろしいでしょうか。なるべく早くちゃんと送り届けますので」
 親が心配せずに済むよう気遣っている。さすが年の功だ。親の気持ちを知っている。 
「いっつも娘がお世話になっとるようで、ありがとうございます」と、母は満面の笑みで言いながらも、抜かりなく天ヶ瀬を上から下までじろじろ観察した。
「ほんなら、行ってらっしゃい。気をつけて」
「行ってきます」
 天ヶ瀬が車に乗り込もうとすると、母は私の袖を引っ張り、「やったね」と耳元で囁(ささや)いた。「あんたの人生、大成功やわ。逃さんようにしなさいよ」
そう言って、母は私の背中を叩いて送り出した。
こんな夜中に男の車で出かけるのだ。高校生のときだったら大反対だっただろう。いや、大学四年生になった今だって、誘いに来たのが医学生でなければ、母はこれほど気持ちよく送り出したかどうかわからない。
 上田工務店の先輩社員たちも、私が上田昌喜(まさき)と結婚すると勘違いしたとき、母と同じような態度を見せた。うろ覚えだが、先輩たちはこう言った。
――やっぱ女は得だわ。
――見かけによらないね。北園さんて策士だったんだ。
世間とはこういうものだ。
自分の娘が、立派な経歴の経済力がある男の付属物になって初めて親は安心する。他人にしても、女の背後にいる男の素性を知って初めて女を信用するのだ。
田舎の夜道は暗かった。
雲に隠れているのか月明りもなかったが、ぼんやりと白い雪明りはあった。
この時代の山田町では、元日の朝に初詣をするのが一般的で、夜中に初詣に行く人はほとんどいなかったから、自分たち以外に車は一台も走っていなかった。外灯もなく、雪明りが途絶えるとすっぽりと闇に包まれ、まるで宇宙の暗闇に浮いているような気持ちになった。すると、いきなり不安感が押し寄せてきて、シフトレバーを握る天ヶ瀬の手に触れたくなって困った。
クリスマスに天ヶ瀬と昭和時代の街を歩いたのを思い出した。ジングルベルの鳴る街は、きっと華やかだろうと思っていたが、令和時代の青一色の何万個ものLED電球が光り輝くのと比べたら、昭和時代は色とりどりではあっても豆電球の光は地味で、侘(わび)しさを覚えたのだった。それでも真っ暗闇の田舎道に比べたら、東京の夜は比べようもなく煌(きら)びやかだった。
神社に近づいてくると、参道の道なりに置かれた灯篭(とうろう)に蝋燭(ろうそく)が灯されているのが見えてきた。それを見てほっと息がつけた。
「あとちょっとで新年だ」
ハンドルを握った天ヶ瀬が、前を向いたまま独り言のように言った。
「年が明けたと同時に令和時代に戻った、なんてことになったりしてね」
「北園さんは戻りたいと思ってるの?」
 そう問われて、以前の生活をぼんやりと思い浮かべた。
色々なことがあった。ワンオペ育児家事、住宅ローンに苦しみ、節約を重ねて子供たちの学費を貯めた。六十歳を過ぎてもなおパートに出なければならない家計、いつかそのうちと思い続けてきた「暮らすように旅するイタリア二週間」も死ぬまで叶わない。そして、私を見下し、私を軽んじる夫。
だけど、そんな生活は、どこにでもある平均的な女の人生だった。母の時代に比べたら、女は自由を手に入れたと言えるだろう。祖母の時代とは比べようもないほどだ。
セクハラやパワハラという言葉もない時代は、「教育」やら「指導」やらの言葉のもと暴言や暴行が横行していて、男女ともに耐え忍んで生きる人々が多かった。
だがスマートフォンの普及で録音や録画が手軽になり、悪行が明るみに出ていく。昭和時代にスマートフォンがあったならば、令和時代の何十倍、何百倍もの被害が露(あら)わになったに違いない。しかし昭和時代のセクハラ事件ならば、マスコミは女の被害者を下世話な興味で取り上げるだけで、社会問題にまで発展しなかった可能性は高い。
そういうことを考えると、弱者にとって令和は昭和よりずっとマシな時代になったと言える。戻れるものならば令和時代に戻りたい。とはいえ、あの夫と再び一緒に暮らすのかと思うと、暗い気持ちになるのだった。
神社の駐車場に着き、天ヶ瀬がバックで車を入れようとしたときだった。
ラジオから聞いたことのある曲が流れてきた。
――これが僕の家内です
――四角い部屋を丸く掃く
――これが僕の家内です
――得意な料理は目玉焼き
――それでもこいつに惚(ほ)れたのは、シャンプー上手と聞いたから
――初めて惚気(のろけ)るこの気分 牛乳シャンプースペーシャルー
「この曲、憶えてる。懐かしいなあ」
嬉しそうに言った天ヶ瀬の横顔を、白けた思いで見つめた。
「私、今すぐにでも令和時代に戻りたいよ。こんな曲を平気で流していた時代にはもう住みたくない。令和の方がずっとマシだよ」
――どうして? どういう意味? 
などと問うだろうと思ったが、天ヶ瀬は「確かに」と低い声で言ってから続けた。「男は本当に女をバカにしてる。DNAに沁み込んでいるとしか思えない。でも俺も昭和時代には、そのことに気づけなかった。うちの親父も親戚や同級生の男どもも、一人残らず女を下に見ていて、それを当たり前だと思ってた。でも女の人はとうの昔からフェアじゃないことに気づいていて毎日傷つきまくってたんだよな」
私はせかせかと財布から賽銭(さいせん)を出すふりをして涙をこらえた。

故郷で数日間を過ごしたあと、東京に戻った。
 天ヶ瀬も、飛行機で那覇へ帰っていった。
七草粥を食べる頃、大洋リビングから面接する旨の連絡があり、スーツを着て新宿の本社に出向いた。
糠(ぬか)喜びしないようにと朝から自分を戒めていたのだが、採用担当の中年男性の表情を見た途端、これはイケるかもしれないと思った。歓迎されているとまでは思わなかったが、今までのように、女を見下している雰囲気はなかったし、かといって採用する気もないのに形だけ面接するといった慇懃(いんぎん)無礼な態度でもなかった。それ以前に、仕事の途中でなんとか抜け出してきたといった様子で、かなり忙しそうだった。
私は「東京のお嬢さん」のように品よく微笑むことだけに全神経を集中させた。仕事内容がお茶汲みだろうがコピー取りだろうが頭の悪い男のアシスタントだろうが何でもいいから、とにもかくにも正社員として採用されることだけを願っていた。
簡単な質疑応答のあと、採用担当者は言った。
「だいたいわかりました。では、採用させていただきたいと思います」
「えっ?」
 その場で言われるなんて思ってもいなかった。
「どうでしょうか。入社していただけますか?」
 次の瞬間、私はバネ仕掛けの人形のように立ち上がり、深々とお辞儀をしていた。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
 帰り道、ひとりで祝杯を挙げようと、タカノフルーツパーラーに入る贅沢(ぜいたく)を自分に許した。清水の舞台から飛び降りる気持ちで一杯二千円のメロンジュースを注文した。美味しかった。
帰りにレジで二千二百円を出そうとして、今は消費税のない時代だと思い出し、二百円を引っ込めた。

卒業式の日が来た。
卒業証書の他に様々な書類を渡され、その中に交友会の申込書が入っていた。入会するのに一万円も取るらしい。
「どうする? アケタ、入会する?」
「するわけないじゃん。こんな大学、私、大っ嫌いだもん」と、アケタは吐き捨てた。
 充実した四年間ではあった。
入学式の日からアケタとともに生きてきた。女子トイレの防犯ベルに驚いた日が懐かしい。
私は六十代のおばさんだがアケタは若いから、たくさん恋をして、振ったり振られたりの騒ぎもあり、青春そのものの日々だった。私はあちこちの建築物を見学に行き、本を読みまくり、アルバイトに明け暮れ、課題やゼミに真剣に取り組んだ四年間だった。
 だから充実していたし、いい思い出もたくさんある。だが肝心の就職活動は苦労続きだった。行く先々で歯噛(が)みしたくなるほど悔しい思いをし、最後の頼みの綱である就職課も親身になってくれなかった。
 就職課で知り合った文学部の女子学生が語ったことにも引っかかっていた。
 ――文学部といえば、ほとんどの大学の八割方が女子だけど、うちはなぜか女子が二割に満たないのよ。クラスの女子は優秀な人が多いけど、男子はなんで入学できたのか不思議に思えるような人が多くてね。
 そのとき私はピンときたのだった。令和時代に医学部入試で女子差別があったことを思い出したからだ。だが言わなかった。言ったところで誰が信じてくれるだろう。様々なことが秘密裏に行われ、隠蔽(いんぺい)された時代だった。
就職活動は、大学生活四年間の集大成だった。それなのに性別や外見で判断された嫌な事柄が積み重なってしまい、それまでの楽しい数々の思い出が、社会や大学への恨みで塗り替えられてしまった。
「よう、北園、お前、就職やっと決まったんだって?」
そう言いながら、ソッタラが近づいてきた。
「大洋リビング? 聞いたことねえなあ。いったい何の会社?」
 ソッタラが思いきりバカにしたように言うので、腹の底からどす黒い憎しみが込み上げてきた。
「おお怖っ、その目つき。そう睨(にら)むなよ。せっかく心配して聞いてやってんのにさ」
そのとき、アケタが「行こう」と言って私の袖を引っ張った。
「ソッタラみたいなバカを相手にすんのも今日限りだね。せいせいするよ」
アケタは周り中に聞こえる大声で言った。
 強い視線を感じて振り返ると、上田昌喜が私を見ていた。
最後に挨拶くらいはしておいた方がいいかと考えた。上田工務店でアルバイトをさせてもらったことで、ケーキ屋のセクハラや立ち仕事から解放された。天ヶ瀬にはお人好しだと言われそうだが、専務にも親切にしてもらった。
そう思って上田の方へ一歩踏み出したとき、上田はわざとらしく目を逸らし、くるりと背中を向けた。そしてすぐに振り返り、ちらりと私を睨んだ。
「何なのよ、あの上田の態度。勝手に雅美をヨメ候補に仕立て上げたくせに」とアケタは怒っている。
 だが私はほっとしていた。私との結婚を家族ぐるみで企てていたことに対して頭にきていたものの、私にも非があったのではないかと考えることもあったからだ。自分では気づかなくても、もしかして思わせぶりな態度があり、結果的に上田昌喜の純真な心を傷つけたのではないかと思うこともあった。
 しかし、彼は最後の最後に私を睨んだ。まるで汚いものを見るような、それまで見たことない嫌な目つきだった。
去り際に人間の真価が問われるのは昭和も令和も変わりない。
 ――北園さん、ごめんね。僕の勝手な思い込みで不快な思いをさせちゃって。
 それくらいのことを言ってくれたなら、私も謝ろうと思っていたのだ。そして気持ち良く笑顔で別れる......そんなことを想像していた私は、天ヶ瀬が言う通り、相当なお人好しらしい。
三月になると、卒業旅行に行く学生が多かった。天ヶ瀬からも沖縄に遊びに来いと何度も誘われていたが、就職が決まってから始めたスーパーでのフルタイムのアルバイトを休むわけにはいかなかった。
母から電話があり、「卒業したんだから、もう仕送りはせん」と冷たく申し渡されていたからだ。 

@21 大洋リビング

 入社式の日が来た。
広い会議室に通されると、新入社員と思われる女性たちが部屋の隅に集まっていたので、私もその輪に入れてもらった。
みんな晴れやかな笑顔だった。明るくて優しそうな女性ばかりだったからか、初対面なのに和気藹々(わきあいあい)とした雰囲気になり、同期として長くつきあっていけそうな気がした。なんとも幸先がいい。
「みなさん、ご着席ください。ただいまから入社式を行います」
新入社員は全部で二十人で、そのうち女性は私を含め五人だった。
社長はまだ四十二歳で、溌溂(はつらつ)とした笑顔からヤル気が漲(みなぎ)っていた。その外見からして、たぶん女にモテるタイプだろう。だからこそ女という生き物のことをよくわかっているのではないか。女で四大卒で地方出身者という最悪条件である私を雇ってくれるくらいだから、女も男も本質的には何ら変わらないことがわかっている少数派の男の一人であるような気がした。
式が終わると、配属先が発表された。
女性五人のうち、受付が二人、庶務が二人で、私は設計部に配属された。
設計部と聞いた途端、嬉しくて、思わず声が出そうになったので両手で口を押さえた。そのとき、視界の隅から鋭い視線を感じて周りを窺うと、人事部の若い女性が私をじっと見ていた。その表情から推察するに、私のしぐさが彼女の神経を逆撫(さかな)でしたようだった。
彼女は田丸路子と言い、二十代後半くらいだろうか、入社手続きをするときに世話になった。
その路子に連れられて、女子五人はロッカールームに集められた。
「制服を試着してサイズを決めてください。今日中に注文しますから」と、路子は言った。
長机の上に、Sから3Lのサイズの紺色のベストスーツが置かれていた。
制服があるのは女性だけだったが、それを男尊女卑だと言って目くじらを立てる気はなかった。そんなことは些末(さまつ)なことだと思うことにした。
考えてみれば、通勤用にお洒落な洋服を買わなくても済む。自宅通勤ではないのだから、アパート代や光熱費などの出費も嵩(かさ)む。だったら制服があるのはラッキーじゃないかと前向きに捉えることにした。この時代、いちいち男尊女卑だと心に引っかかりを持ってしまうと、その場面があまりに多くて疲れ果ててしまうのを私は知っている。
「私はMサイズでいいみたいです」と、一人が言った。
「はい、あなたはMね」と、路子はてきぱきとメモを取る。
「私はSでもぶかぶかですけど......」
「仕方がないわ。それ以上小さいのはないから、あなたはSサイズにしてね」
 全員がサイズを決め終えたとき、ふっと緩(ゆる)んだ空気が流れた。
「それにしても北園さんてすごいわね。設計部に配属されるなんて」と、新入社員の一人が言った。
「え、私? いや、別に......すごいってこともないんじゃないかな。設計部でお茶汲みをするのかもしれないし」
「それはないわ」と、路子はきっぱり言ってから、怒ったような顔のまま続けた。「去年の暮れに給茶機が備え付けられたのよ。部長だろうが課長だろうが、飲みたい人が自分でお茶を淹(い)れることになってるの。最近はどこの会社でも、それが当たり前になりつつあるのよ」
 だったら、私も男性と同じように設計をさせてもらえるのだろうか。知りたかったが、聞ける雰囲気ではなかった。
「もしかして、北園さんて四大卒とか?」と、Sサイズの彼女が尋ねた。
「そうよ。北園さんは四大卒よ」と、私より先に路子が答えた。
「あーそういうことだったんですね」
「なるほど。女で四大卒の人がいるとは思わなかった」
「私が受付嬢だなんて......ブスのくせに自惚(うぬぼ)れてるって言われそうで怖いわ」
「私も絶対言われる。普通なら美人がやる仕事なのに、なんでお前がって」
「顔は関係ないの。あなたたち二人は高卒だから受付嬢なのよ。庶務の二人は短大卒よ」
路子は個人情報を次々に暴露していく。
「北園さん一人だけが設計部なんて、なんか嫌な感じ」と、Sサイズの彼女が言った。
入社早々なのに、既に仲間外れになる予感がした。その一方で、それがどうしたという強い気持ちもあった。
「だよね。同じ女なのに差別だよ」
 驚いたのは、誰も反論しなかったことだ。それどころか......。
「女を学歴で差別するなんておかしいよね」と、路子までが言った。
女の社会性のなさが露呈(ろてい)した瞬間だった。
男性なら学歴別に職種が分かれるのを常識として知っている。官公庁だけでなく民間企業でもキャリアとノンキャリアでコースが分かれている。
だが女は、あくまでも女、女ならみんな同じ。そんな「女枠」とでも言うものがあると思っている。学生時代の仲良しのノリだ。
年齢の割に幼すぎやしないか。
世間知らずにもほどがありはしないか。
長年に亘って様々な機会を奪われてきた女たちは、社会人として大きく出遅れている。
「北園さんて、もしかして、もう二十二歳?」と、一人が遠慮がちに尋ねた。
「うん、そう。私、いま二十二歳」と、私は答えた。今回は、路子が先に答えることはなかった。
「あ、四大卒の人って、もう二十二なんだ。ってことは、今年二十三になっちゃうんだね。私は早生まれだから年内はずっと十八だけどね。未成年だから新人歓迎会でもお酒は飲めないのよ」と、受付の彼女が誇らしげに言う。
「いいなあ。十代ってフレッシュな感じがするよね。まだ十代だって言うと、男性社員が喜ぶって聞いたことある」と、短大卒の女性が言う。
 新入社員の女性たちは、私が二十二歳の「年増」だとわかった途端に、勝者の顔つきに変わっていた。数分前までは、一人だけ設計部に配属されてズルいと思っていたはずなのに。
 会話が途絶えて静かになった一瞬、路子の持っていたメモ用紙が、かさりと音を立てたので、みんな一斉に路子を見た。
路子は、微動だにせず不機嫌そうな顔で突っ立っていた。
 この人、何歳なんだろうと、路子を見る全員の目が語っている。
そのとき路子は、「はい、はい」と威勢よく手を叩きながら言った。「みんなの制服サイズはわかったわ。じゃあそれぞれ配属先に向かってください、場所がわからない人は私が案内するから」
 路子はそう言って、さっさとロッカールームを出た。

@22 対立

直属の先輩社員は二十七歳の独身の男性で、宮武(みやたけ)学といった。
この会社ではOJTという言葉はまだなかったが、先輩社員がマンツーマンで新人を育成する指導体制ができていた。
最初の一週間で、私は宮武を大嫌いになった。
――ウザいっ。
その一言に尽きる。
プライベートなことを遠慮なく根掘り葉掘り聞き出そうとするし、社員食堂では当然のように隣に座ってくる。
暑気払いの飲み会のときでも、同期の男性の隣の席が空いていたから座ろうとすると、「だめだよ。君はこっちだろ」と、宮武は私の腕を強引に引っ張って、自分の隣に座らせた。何を勘違いしているのか、私が他の男性社員と話しただけで、途端に機嫌が悪くなるのだった。
まるで恋人気取りだった。
私は同期の男たちに好感を持っていた。入社したばかりだということもあるが、みんな希望に燃えていて、家造りに情熱を燃やす仲間だった。
だが、宮武はことあるごとに私に言った。
――あいつには気をつけた方がいいよ。女たらしだと評判だよ。
私が親し気に会話を交わしただけで、誰でも宮武の言う「女たらし」と認定された。
宮武は、私の身体を触るといったような直接的なセクハラはしなかった。だから誰にも訴えようがなく、ストレスの溜まる日々を送っていた。
退職理由で最も多いのは、男女ともに「直属の上司に耐えられないから」だというアンケート結果を見たことがある。仕事そのものが嫌になるのならまだしも、人間関係に我慢ならなくなって辞めるのだ。いったい会社とは何なのだろう。
仕事をする集団ではなく、屈辱を売ってナンボの集団なのか。
そういう私も、会社を辞めたいと思うほど宮武が嫌いだった。
そのときふと、天ヶ瀬が言ったことを思い出した。
――北園さんはパート先を変えたこと、ある?
そのとき私は、当然のように「ある」と答えた。すると天ヶ瀬は言った。
――パートは気楽でいいよ。
あのとき私は猛烈に反発したのだった。それでも天ヶ瀬は尚も言った。
――さっさと見切りをつけられるのが気楽なもんだって言ってるんだよ。男は一家を養ってるから、そうそう転職できないんだよ。
天ヶ瀬の言ったことは正しかったと、今ならわかる。
自分は大洋リビングを辞めるわけにはいかない。ここを辞めたら二度と就職できない可能性が高い。この時代は新卒だけが重宝され、そのうえ終身雇用だったから、誰しも定年退職まで身動きができなかった。そんな中でサラリーマンたちは耐え続けたのだ。なんと厳しい時代だったかと思う。
「北園さん、どう? 頑張ってる?」
 そう声をかけてくれたのは、設計部第一課の課長の星川アヤメだ。
アヤメは三十半ばの既婚者で子供が二人いると聞いていた。彼女は希望の星だった。ほとんどの女性が寿退社する昭和時代に、アヤメは結婚後も出産後も正社員として働き続けていた。そして、社内で唯一の女性課長なのだ。
彼女の頑張りを思うと、宮武がウザいという理由で会社を辞めるわけにはいかなかった。そんな些末なことで弱音を吐いている場合じゃない。
「はい、なんとか頑張っています」と、私は答えた。
アヤメは「その調子よ」と言って、にっこり笑ってから去っていった。
次の瞬間、隣席の宮武が椅子に座ったまま、キャスターを滑らせてこちらに突進してきた。私は素早く自分の座る椅子ごと反対方向へ滑らせた。
それまでに何度も、宮武は勢い余ったふりをして身体をぶつけてくることがあった。「やめてください」と言っても、宮武は偶然だと言い張る。それどころか、こんなことくらいで目くじらを立ててどうかしていると、私を非難することもあった。
こういった当事者にしかわからないセクハラは、令和になってからも見過ごされ続け、女たちは我慢を重ねている。
だが今日は咄嗟(とっさ)の判断で私が動いたので、宮武はあらぬ方向へ滑って行き、私の椅子の背をがしっとつかんで止まった。
「いったい何なんです?」
 私は思いきり顔を顰(しか)めてみせた。最初の頃のように愛想笑いはできなくなっていた。
「アヤメさんはね、パーフェクトウーマンと言われてるんだよ。美人だしファッションセンスも抜群だろ? そのうえ仕事もできるんだ」
 そのことなら何度も聞いた。宮武は自分のことのように自慢するのだ。
 そのあと宮武は建築物の写真集を私の机の上に置き、高価な本だったが自腹で買ったのだと自慢げに言う。そしてページをめくって指を差し、「ほら、この建物、すごいだろ。一度でいいから住んでみたいよ」と言った。
箱を積み重ねた形のキュービック状の有名なマンションだった。
「ああ、これなら知ってます」
「やっぱり? かっこいいよね。老朽化したら箱ごと取り換えるっていう発想がプロだよね」
「取り換えられるわけないじゃないですか」
「は? 何言ってんの? 君はまだ新入社員だからわからないんだよ」
「配管はどうするんです?」
「そんなことはちゃんと建築家が考えて設計してるに決まってるだろ」
 私が黙ったのを言い負かしたと思ったのか、宮武は笑顔になった。それも、馬鹿な女を慈(いつく)しむような類いの笑顔だったので、思わずぞっとして目を逸らした。
その建物が、どうやっても補修のしようがなくて、結局は令和の時代に取り壊されることを私は知っている。
建築家は、自分の造る建築物を芸術作品だと思いたがる。職業に「家」がつく芸術家や小説家や音楽家は、自分のことを偉いと勘違いしている。世間知らずが多すぎるのだ。
その証拠に、設計事務所に勤めている人や、建設会社の設計部に勤めている人は、自分のことを「建築家」なんて呼んだりしない。
家は人が暮らす場所だ。寛(くつろ)げる空間であってほしいと思うのが、一般的な感覚だ。芸術的でエキセントリックな住宅で、しかも住むには不便で修繕もできないような家なら私は要らない。
芸術家気どりの建築家は、「究極の美」やら「聖なる空間」とやらを追い求める。自腹を切って趣味でやるのならいいが、一般の住宅やマンションにも余計な意匠を凝らすから、訴えられることが多いのだ。
家とは誰のためのものなのか。
住む人のためのものだ。女なら誰でも知っている。
住む人が満足する家を造らなければならないのに、建築家の自己陶酔や自慢のために造っているのではないか。
そんなことを思いながら、平成、令和と時代が進むにつれて、東京が庶民にとってどんどん住みにくい街になっていく。その悔しさを、あらためて噛み締めていた。
午後からはシステムキッチンの新シリーズの設計会議があり、新入社員も傍聴させてもらえることになっていた。
十人ほどの先輩社員たちがコの字型に配された机を囲んで座り、新入社員は壁際に並べられたパイプ椅子に座った。
設計図のコピーが全員に配られた。
「ほう、これは立派な流し台だ。さぞや世の奥様方も喜ぶだろうね」
 白髪交じりの部長が言うと、設計者は「そうなんですよ」と、嬉しそうに笑った。
 主婦経験の長い自分からすると、大きすぎる流し台と立派なガスレンジのせいで、調理台のスペースがほとんどないのが不便極まりなかった。
「女性も嬉しいだろうね。北園さんの感想は?」と部長がこちらに振る。
 壁際にずらりと座っている新入社員は、全員が設計部の仲間だ。その十一人のうち女は自分一人だけだった。
「えっ、私、ですか?」
 突然名指しされて戸惑った。本音を言ってもいいのだろうか。苦労の末にやっと就職できた会社なのだ。波風を立てたくなかった。
こういう場面では忖度(そんたく)が必要だ。先輩社員が喜ぶような感想を言うべきなのだ。
 だが......。
「遠慮しないで、北園さん、女性代表として忌憚(きたん)のない意見を聞かせてくれよ」
 尚も部長は、鷹揚(おうよう)な態度で笑みを浮かべて私を見た。
「大変申し上げにくいのですが......」
 そう言った途端、正面のホワイトボードの前に立っている設計者が不機嫌になったのが遠目にもわかった。真顔で私をじっと見つめてくる。
「思ったことを言ってくれて構わないよ。今はあくまで設計段階なんだから、いくらでも直しがきくんだ」と、物わかりが良さそうなことを言う部長からも笑みが消えていた。
 言うべきでない。ここは掛け値なしに褒め讃えるべき場面なのだ。
 だって私は新入社員であるだけでなく、「女」なのだ。
生意気な女だと噂が立つのが手に取るようにわかる。
だから、空気を読むべきなのだ。
だけど......。
「この設計では食材を切ったり混ぜたりするスペースもないですし、料理はしづらいと思います」
 全員の視線が突き刺さる中、語尾が消え入りそうになった。
「それは、北園さんが田舎育ちだからだよ」
 設計者がそう言って馬鹿にしたように笑った。喋ったこともないのに、私が地方出身であることをなぜか知っているらしい。
 そのとき会議室の後ろのドアから、社長がふらりと入ってきた。そして、新入社員と同じように、壁際に置かれたパイプ椅子に静かに腰を下ろした。
 全員が気づいて、社長の方を見た。
「あ、俺のことは気にしないで。邪魔してごめんね。さあ、続けて」と、社長は穏やかな笑みを浮かべて言った。
「新入社員の北園さんから、調理スペースがないから困るという意見が出ました。で、設計者の河野くんの意見はどうかな?」と、部長が訊ねた。
「ですから、田舎は土間なんかがあったりして、だだっ広いんです」と、河野は話を始めた。「僕も見学したことがあるけど、ああいうところは確かに料理がしやすいとは思う。でも都会は地価が高いから台所が狭いのは仕方がないことです。だからこういう設計になるわけよ。北園さん、理解できた?」
「でも、こんなに大きな流し台やガスレンジがあるのなら、その分を削(けず)ればいいのではないかと思いますが」
 私の質問には何も答えず、「他には意見、ありますか?」と、河野は会議室を見回した。
 誰からも意見は出なかった。
 よせばいいのに私は黙っていられずに再び手を挙げてしまった。
「はい、どうぞ」と、設計者の河野はうんざりした顔で私を指した。
「システムキッチン自体が低すぎると思うんです。これは女性の平均身長を参考に作られていると聞きましたが、男性が使うと腰が痛くなる人もいるんじゃないかと思います」
「男は料理なんかしないから関係ないだろ」と、どこからか声が飛ぶ。
「たまの休みに料理する男もいるかもしれないけど、そのときのためだけに高くしたら、奥さんが普段使いにくいだろ」
「そうだよ。気が向いたときに料理する男のためだけに高くできないよ」
「でも今後、共働きも増えると思いますし」と、私は抵抗を試みた。
「うん、わかるよ、北園さんの言いたいこと」と言ったのは司会役の部長だった。「君の気持ちはわかるけどね、でもさ、時期尚早じゃないかな」
 ――時期尚早って、いったいいつまで言ってんの? 
 そう言いたいのを呑み込んだ。それを言ったら、決定的に会社に居づらくなると思ったからだ。
そのとき、アヤメが「はい」とよく通る声とともに手を挙げた。
ああ、やっと味方が現れた。自分以外に女性がいてよかった。
「どうぞ、アヤメ課長」
「高さの話が出たついでに言うとね、私はもっと低くしてほしいのよね」
「アヤメ課長、それはどうしてですか? 腰が痛くなりませんか?」
 アヤメは女性の中では背が高い方だ。一六五センチ以上はあると思う。
「うちの母は一四三センチなのよ。だから踏み台を使って料理してるんだけど、なんだか危なっかしいの。料理を作るときって台所の中を動き回るでしょう? 冷蔵庫や食器棚の間を行ったり来たりするし、そのたびに踏み台から降りたり昇ったりして」
「なるほど。戦前生まれの女性には高いかもしれませんね」
設計者が打って変わって同情的な目になってアヤメを見た。
「アヤメさんのお母さんの作った弁当、すごく豪華ですよね」と一人が言った。
「毎日作ってくれるなんて羨(うらや)ましいです」
「僕の分もお願いしまあす」と、おどけた声が飛んだとき、新入社員以外の全員が一斉に笑った。温かな雰囲気だった。
「アヤメさんの子供さんたちの分もお母さんが毎日作ってくれてるんだろ? 立派なお母さんだよなあ。アヤメさん、感謝しなよ」と、部長がからかうように言う。
「もちろん母には感謝してますってば」
「それに、実家の広い敷地に家を建ててもらって住んでいるって聞いたぞ。保育園の送り迎えもご両親が引き受けてるんだろ?」
「そりゃそうですよ。そうじゃなければ残業できないですもん」
 アヤメの明るさと反比例して、私はどんどん気分が沈んでいった。
 実家の母親に家事育児を手伝ってもらうのが悪いとは思わない。男性社員にしても、家のことはすべて妻がやってくれているのだから同じことだ。
だが、一瞬にして希望が萎(しぼ)んでしまった。やはり、女は実家の母親の手助けがなければ働き続けられないのだろうか。
「でしたら選べるようにしたらどうでしょうか、シングルファーザーの家庭もあるでしょうし」
 こういう提案の方法なら、きっと反対意見は出ないはずだ。車椅子の人のためには更に低いものを作るべきだろう。
そのときだった。
「お前、ちょっと黙ってろよ」と、怒鳴り声が飛んできた。
 びっくりして声の方を見ると、声の主は宮武だった。私を睨むように見ている。
「よっ、出た出た、もう亭主関白かよ、気が早いなあ」
囃(はや)し立てるような声が聞こえてきた。まるで私と宮武が恋人同士であるかのような言い方ではないか。
 全員が興味津々と言った目で私を見つめている。
「大丈夫?」と、つぶやくような小さな声がすぐ隣から聞こえてきた。
隣に座っているのは同期の中森だった。中森の指導担当は、五期先輩の風太郎と呼ばれている男だった。中森と風太郎は馬が合うらしく、いつも楽しそうに仕事をしていた。休日には二人で住宅展示場巡りをしたり、都内にある古民家や重要文化財に指定された洋館などを見て回ったりしていると聞いたことがある。中森も風太郎も見るからに聡明そうで、仕事に対する意気込みが感じられた。自分の指導者も、風太郎のような先輩だったらどんなによかっただろうと思うと、運のなさに溜め息が漏(も)れた。
「もしかして、もうヤッちゃったとか?」
「やだなあ、先輩、そんなの秘密に決まってるじゃないですか」
宮武の上機嫌の声が聞こえたあと、ヒューヒューと口笛が鳴った。
「それにしても手が早いなあ」
ああ、もうこんな会社辞めたい。
この場にいる全員がセクハラに加担しているなどという認識は一ミリもないのだろう。この時代の日本は、こういった雰囲気がここかしこにあった。
「おい、宮武、いい加減にしろっ」
 大声でそう言ったのは社長だった。
「北園さんにはレッキとした彼氏がいるんだよ」
私を救うためにハッタリを言ってくれたらしい。助かることは助かるが、その方法はズレている。
「えっ、お前、彼氏いたのか?」と、宮武が素っ頓狂(すっとんきょう)な声を出した。
 宮武は私を見つめ、私が答えるのを待っている。
そんなプライベートなことを会議の場で答える必要があるだろうか。
だがこれはチャンスかもしれない。二度と変な虫が寄ってこないようにするために。
「はい、いますけど?」と、私は平然と答えた。
「二股かけてたの?」と、別の先輩社員が尋ねた。
「は? 何をおっしゃってるんですか? 私は宮武さんとは全く関係ありません」
「そうなの? 何だよ、宮武、思わせぶりな言い方しやがって」
「だいたいお前が女にモテるわけないんだよ」
 宮武が私を恨めしげにじっと見ているのが気になった。きっと逆恨みされる。
だったら私はどう答えればよかったのか。
 どうやったら女はセクハラされずに安心して生きていけるのか。

 その夜、社長に誘われて居酒屋へ行った。
社長が指名したメンバーは、私とアヤメ課長と風太郎だった。
乾杯が終わるとすぐに、「北園さんは、どういう家造りを目指しているの?」と社長が尋ねた。
正面切って聞かれたからには正直に答えようと思った。
「私は女性が一人でも安心して住める家を設計してみたいんです。家自体もそうですが、台所も浴室も、家事をしない男の人が考えたものは使いにくいし、掃除もしにくいんです」
「実は俺もね、流し台も調理台も低すぎて腰を痛めたことがあるんだよ」と、社長が語り出した。
それによると、社長は母親と二人暮らしで、妻が娘を連れて家を出ていって一年になるという。当初は母親が張りきって家事をやっていたが、転んで大腿骨(だいたいこつ)を骨折してから介護が必要になり、今は家政婦さんに来てもらっている。だが土日は来てくれない日が多いらしく、社長自ら台所に立つという。
「お袋が絶対に施設にだけは入りたくないって涙ながらに訴えるんだよ」
「へえ、そうだったんですか」と、風太郎も知らなかったらしい。
「アヤメさんのお母上とうちのお袋とは大違いだよ。羨ましいよ。アヤメさん、お母上に感謝しろよ」
「はいはい、だから感謝してますってば。今日みたいに会社帰りに自由に居酒屋に寄れるのも、母が家で子供たちの面倒を見てくれているからですもん」
「すみません、ちょっと仕事の話していいですか?」と風太郎が遠慮がちに言った。「昨日の書斎の内装のことなんですけど、本棚は作り付けにした方がウケがいいように思うんです」
「賛成。俺もあれから同じこと考えてた」
 社長がそう言うと、風太郎は嬉(うれ)しそうに笑い、ウーロンハイをひと口飲んだ。
「北園さんは、書斎についてはどんなイメージ? 男の城って感じかな?」
「こんなこと言っていいかどうか......」
「言って言って。遠慮なく言ってよ」と社長が言う。
「......はい、私は書斎という言葉が嫌です」
「え、なんで?」
風太郎が不思議そうに私を見た。
「自分一人になれる空間が欲しいと心底願っているのは妻の方だと思うんです」
 しんとなった。
 平成になると、「男の隠れ家」なる言葉が流行(はや)るのを私は知っている。それを知ったとき、隠れて一人になりたいのは妻の方だよと大声で叫びたかった。子供を育てている女は一人になれる時間が皆無なのだ。会社が終わると急いで保育園に迎えに行かなければならないからだ。だが夫は、会社帰りに自由にあちこち行くことができる。
「なるほど。書斎とは夫のものではない。妻こそ一人になりたいと切望しているってことだね」
 社長は気を遣ってくれたのか、取ってつけたようにそう言った。
 アヤメは何も言わず、枝豆を食べている。同じ女性であっても、境遇が違い過ぎて共感できないのだろう。
それどころか、厄介な新入社員が入ってきたと思っているような気がした。
 
家に帰ってテレビを点けると、向井千秋氏がアップで映っていた。
日本人女性初の宇宙飛行士になったというニュースだった。
誇らしげで、目がキラキラと輝いている。
なんて美しい表情なのだろう。
そう思った次の瞬間、ハッと思い出した。以前の人生では、彼女を美しいなどとは、これっぽっちも思わなかったことを。
田舎の中学生みたいな髪型で、そのうえスッピンで日に焼けていたから、バランスの取れていない女性だと即断したのを憶えている。その当時、私が考えていたバランスの取れた女性とは、仕事も一生懸命やるが、お洒落も目いっぱい頑張る人のことだった。化粧も髪型も服装もお洒落に保ち続けるのは「女の常識」であり、「女のたしなみ」であると固く信じていたのだ。
――最低でも眉毛くらい描いたらいいのに。
――いくらなんでも口紅は塗らなきゃ。テレビに映ってるんだよ?
そう思った当時の私は、骨の髄までルッキズムに毒されていた。向井氏のそれまでの凄(すさ)まじい努力や成果よりも、外見に注目したことが今では恥ずかしい。
眉毛を描く暇もなければ興味もない。そんなつまらないことより夢中になれるものが私にはある、なりふり構っていられないほど自分に賭けている......そんな人生を、私は送りたかった。
振り返ってみれば、外見を飾るために、どれほどの時間とお金を無駄にしてきただろう。歳を取って時間の大切さがしみじみと身に染みるようになり、それと同時にルッキズムの風潮の罪深さを思った。長い人生を振り返ってみると、自分が思っていた以上に、それらは時間泥棒だった。人生を邪魔されていた。だが、それに気づいたときは六十歳を過ぎていた。
夫は朝起きたら顔を洗って着替え、朝ごはんを食べ、昨日と同じか、似たようなスーツを着てさっと家を出る。
だが私は化粧をして髪型を整え、昨日と違う洋服を見繕(みつくろ)ったりするから、家を出るまでに時間がかかるだけでなく、貴重な資源である脳ミソを朝から浪費してしまう。そして休日になるとファッション雑誌のページをめくり、洋服を買いに出かけ、通販で飽きることなく洋服を何時間も眺めたのだ。
人生の時間が有限だってことは子供の頃から知っていたはずなのに。

 翌朝、目を覚ました途端に、今日も会社かと思うと気分が暗くなった。
 目覚まし時計が恨めしい。
のろのろと蒲団から出た。
 会社でコピー機の前に立ち、会議用の資料を十二部コピーしていると、宮武が音もなく近づいてきた。
「北園さん、次の日曜日、何か用事ある?」
こういうときは正直に答えてはいけない。尋ね返すのが王道だ。
「えっ、日曜日? どうしてですか?」
「映画でもどうかなと思って」
 呆気(あっけ)に取られていた。
昨日の会議でのことを、なかったことにしようとしているのか。みんなの前で私を怒鳴(どな)ったことを、私が気にも留めていないとでも思っているのか。それに私には彼氏がいると言ったはずだ。それとも私の嘘を見抜いているのか。
「その日は用事があるので、すみませんが」
 後輩の立場にいる女は、先輩男性に誘われたら断りづらい。断った途端に手のひらを返したように仕事を教えなくなる男をパート先で何度も見てきた。それは社員の男女のこともあったし、若妻パートに対する既婚男性社員の誘いのこともあった。パート先を転々とする働き方をしていたから、いろいろなパターンを見てきた。プライドを傷つけられたときの男の復讐は恐ろしい。

「どんな用事があるの?」と、宮武はじっと私の目を見つめてくる。嘘をついたら許さないぞという気迫があった。
「彼とデートなんです」
 コピーを取り終わったので、自分の席へ戻った。宮武もぴったり後ろからついてくる。
「デート? 本当に彼氏いるの?」
「本当ですよ。写真、見ますか?」
「おお、見せてもらおうじゃん」
 私は手帳に挟んでおいた天ヶ瀬の写真を見せて言った。「医学生です」
「北園さん、冗談はやめましょう」
「どういう意味ですか?」
「こんなハンサムな医学生が北園さんに惚れるわけないじゃん。北園さんが一方的に憧れてただけなんでしょう?」
「もう一枚あるんですけど、見ます?」
 去年のクリスマスのときに、東京タワーの前で撮った写真だった。天ヶ瀬が私の肩に手を回し、ぴったりと寄り添っている。
 この写真を撮ろうと言い出したのは天ヶ瀬だった。これほど写真が役立つ日が来るとは、天ヶ瀬も考えていなかっただろうが、とにもかくにも助かった。
「こんな男、ダメだよ。女にモテすぎて浮気し放題だ。北園さんは、僕みたいなのがちょうど似合ってるんだよ」
 ここまでしつこいとは想定外だった。
「北園さんて高円寺に住んでるんだよね? 西友の近くでしょ」
 個人情報保護法のない時代で、社員名簿は全員に配られていた。上司に年賀状を出すためにも必要だった。
「この前の日曜日、暇だったからアパートの前まで行ってみたんだよ。ピンクのカーテンはやめた方がいいよ。女の子が住んでいることが道路からもバレバレだから危ないよ」
絶句した。 
 そこにふらりと風太郎がやって来た。
「おい、宮武、油売ってんじゃねえよ」
「そんなあ、風太郎さん、誤解ですよ。僕は北園さんの指導係なんですから、打ち合わせに決まってるでしょ」
「へえ、そうは見えなかったけどな」
 遠くからずっと見ていたのだろうか。
「宮武、お前は単なる指導係にすぎないんだぞ」と、風太郎は言った。
「え? それって、どういう意味で?」と宮武が不思議そうな顔で風太郎を見る。
「どういう意味かわかんないの? どうしようもねえ男だな。指導係は仕事を教える係なんだよ。北園さんの彼氏じゃないんだよ」
 そう言って、風太郎は去っていった。
「ここだけの話、風太郎さんって変わってるって評判なんだよ。あの人の言うことなんか気にしなくていいからね。北園さんは僕の言うことだけ信じていればいいから」
 この男から逃れられる方法はないものか。
 こういう場合は、社長に直訴してもいいのだろうか。

 会社から真っ直ぐ家に帰るのが嫌で、途中で喫茶店に寄った。
 次の日曜日はデートだと言ってしまったが、天ヶ瀬は沖縄にいる。
宮武はデートするのが本当かどうかを確かめるために、早朝から私のアパートを見張りに来るような気がした。
 ああ、嫌になる。
 私の人生、うまくいかない。
もがいてばかりの人生だ。
これから私はどうすればいい?
どこに向かっていけばいいの?
以前の人生でのあの日、私は自宅近くのカフェで、マンダラチャートに何を書き入れたのだったか。
確か真ん中に書いたのは......。
――女性が胸を張って生きられる世の中にする。
そして、その周りには......。
――家庭内の設備は、家事に熟練した人間が設計すること。
マスを一つ埋めたことで勢いがつき、次から次へと乱暴な字で書き入れていった。
――偏見に満ちたコマーシャルを全部排除すること。
――偏見に満ちた発言をするアナウンサーを馘(くび)にすること。
あのとき書いたことは、何一つとして達成できそうにない。
偏見に満ちた作詞家や、女子中高生に悪い影響を与える有名人などに、是正してくれるよう手紙を送ってきた。だが返事をくれた人は一人もいなかった。
ああ、空しい。
土台無理な話だったのだ。
私一人の力で世間の風潮が変わるわけないじゃないの。
だけど......世間は変わらずとも自分一人の人生くらいは変えられると思っていた。
喫茶店を出て、アパートに帰る途中もずっと考え続けた。その結果わかったことは、私という人間は、人生を何度やり直したところで大差ないという厳しい現実だった。そもそも優秀な人間ならば、一回目の人生で成功を収めているはずだ。私のような平凡な人間は、いまだにどんな生き方が正解なのかさえわからないのだ。
その日は深夜になってもなかなか寝つけなかった。
ベッドから壁の時計を見上げた。
早く寝なくちゃ。行きたくないけど、明日も会社に行かなきゃならない。早く寝ようと思えば思うほど、宮武の顔がぽっと思い浮かんで苛々(いらいら)が募った。
水でも飲もう。
起き上がってキッチンに行き、立ったまま水を飲んだ。
テーブルの上に、弁当屋の広告チラシがあった。郵便受けに投げ込まれていたものだ。それを裏返してみると、光沢のある真っ白な面が現れた。電灯が反射して眩(まぶ)しい。じっと見つめていると、遠近感がおかしくなってくる。
椅子に座り、チラシの裏にボールペンで碁盤目の線を引いてみた。
あのとき、本当は真ん中に何を書くべきだったのだろう。
どんな目標なら達成できたのだろう。
碁盤目の真ん中にペン先を置き、穴のあくほど見つめてみたが、何の答えも思い浮かばなかった。
そのときだ。マンダラチャートの中心が台風の目のようになり、周りのマス目がぐるぐると回り始めた。
既視感があった。
 令和時代から昭和時代にタイムスリップしたときに経験したのと同じだ。
マンダラチャートがぐるぐる回っているのに、眩暈(めまい)はないし、気分も悪くならないし、意識もはっきりしている。何もかもあのときと同じだった。
まさか、またタイムスリップするとか?
どの時代に? 
まさか、江戸時代? 
縄文時代だったら、どうしよう。
顔に風を感じた。玩具の風車か、それとも小型の扇風機を間近で見つめているような感覚だった。
 ああ、気持ちがいい。
目を閉じてみた。
会社でのストレスを忘れられそうなほど爽快な気分だ。
次の瞬間だった。
マンダラチャートの中心のマス目に全身が吸い込まれていった。
声を上げる間もなかった。

      @23  令和時代

気がつくと、見憶えのあるカフェにいた。
目の前のコーヒーカップを覗いてみると、三センチほどコーヒーが残っている。その隣には食べかけのトーストサンドがあった。
息を詰めて、そっと周りを見渡してみた。
どこからか甲高い声が聞こえてきた。声の方を見ると、自分と同世代と思われる女性の二人連れだった。
「私ね、最近また太っちゃったのよ。ほら、ここ。肉がついちゃって。だから私ね、先週からダイエットに励んでるのよ」
太ったと嘆く女性は、高そうなツイードのジャケットを羽織っている。
「いやだ、あなた十分スマートじゃないの。痩せる必要なんてないわよ」
「だって私、いつまでもきれいでいたいんだもの」 
 ああ、やっぱりあのときのままだ。ここから彼女らのご近所さんの噂話が始まるのだ。他人の不幸は蜜の味そのままの話が続くはずだ。
「北村さんが訪問ヘルパーのお仕事をお始めになったんですってよ」
「あら、あの噂、やっぱり本当だったのね。ご主人が株で大損なさったって」
 ああ、何も変わらない。
 作詞家に手紙を書いたくらいでは、日本社会はびくともしない。
目の前にあるカップを持ちあげて、残っているコーヒーを飲み干した。
冷めていて苦かった。
「山崎さんちの息子さんが会社を辞めて家に引きこもっているの、あなた、ご存じ?」
「本当? 知らなかった。山崎さんもたいへんね。息子さんが麻布から東大に合格したときは、あんなに自慢なさってたのに」
「あの人、自慢しすぎなのよ。罰が当たったのかも」
 あのとき書いたマンダラチャートはどこにあるのだろう。
 肩から斜め掛けにしたポシェットに手を突っ込んでみると、紙片が出てきた。
――鶏ささみ、胡瓜(きゅうり)、練り胡麻、ラップ小、果物。
紙を裏返してみると真っ白だった。書いたはずのマンダラチャートは跡形もなく消えていた。
入口の方から声がして、学生らしき男性三人が店に入ってきた。
 彼らは次々にカウンターで飲み物を注文すると、私のすぐ隣の丸テーブルに陣取った。
 この後の展開は、はっきり覚えている。ショックを受けたからだ。
 聞きたくなくて、目の前の冷めきったトーストサンドにかぶりつきながら、心の中で歌を歌った。
「うそっ、信じらんねえ。お前、あんなブスにおごってやったの?」
「わかってるよ。俺だって後悔してんだよ。ブスと結婚するくらいなら一生独身の方がましだよ」
声が大きすぎるのよ。
聞こえてしまったじゃないの。
この気分の悪さ、どうしてくれるのよ。
世の中は、こういった低レベルの連中で溢れている。
人は見かけじゃわからない。中年女性二人にしたって、普段は上品で教養のある奥様然としているのだろうし、男子学生三人も就職活動となればスーツを着て礼儀正しく聡明そうな瞳の青年に変身するに決まっている。
あ、天ヶ瀬は?
天ヶ瀬は、今どうしてる? 
彼もこの時代に戻ってきたのだろうか。
そうだ。高校生のとき、天ヶ瀬の提案で携帯電話の番号を交換したのだった。
手許(てもと)にあったスマートフォンを開き、「連絡先」を見てみた。
......ない。
何度見てもなかった。
そういえば、天ヶ瀬は互いに暗記しようと言ったのではなかったか。
思い出せるだろうか。
記憶を呼び起こそうと、目を閉じて集中した。
あ、たぶん......わかる。
忘れないうちにスマートフォンに番号を打ち込んだ。
これで合っている、と思う。
 一刻も早く静かな場所で天ヶ瀬に電話をかけたい衝動にかられ、次の瞬間、椅子をガタンと言わせて立ち上がっていた。
あまりに急激な動作だったのか、中年女性二人と男子学生三人が、驚いたように顔を上げて私を見た。
 かまわずトレーを返却口に戻してから、小走りで家に帰った。
 玄関ドアを開けるとき、夫が家にいたら嫌だなと思った。
だが家の中は静かだった。どの部屋も覗いてみたが、夫はいなかった。リビングにあるカレンダーを見ると、今日のところに「ゴルフ」と書かれていた。
 家の中には自分しかいないのに、部屋のドアをきっちり閉めた。
 天ヶ瀬に電話をかけたが、何度呼び出しても出なかった。
 もしかして、まだタイムスリップせずに沖縄の大学生のままなのだろうか。那覇のアパートの家電の番号はすらすら出てきた。携帯電話のない時代は、いちいち番号を押さねばならなかったから、いつの間にか覚えてしまっていた。
 ――おかけになった電話番号は現在使われておりません。
 沖縄の電話も通じなかった。
 二度と会えない予感がした。
 試しにもう一回だけ携帯電話にかけてみよう。ダメなら天ヶ瀬の実家にかけてみるしかない。
 呼び出し音が聞こえた。呼び出し音が鳴るということは、この番号は存在するということだ。だけど、やっぱり出ない。
 もうあきらめて切ろうとしたとき、相手が出た。
 ――もしもし?
 天ヶ瀬の声だった。
「あーよかった。やっと出てくれた。今どこにいるの?」
 ――もしもし? おかけ間違いだと思いますが。
「えっ、でも......」
 向こうがいきなり電話を切ってしまった。
番号を間違えたのだろうか。知らない人にかけてしまったのか。天ヶ瀬の声に似ていると思ったが、確信はなかった。
登録した番号を、一桁目から声に出して読んでみた。合っているのか間違っているのか、わからなくなってきた。
でも、やっぱり天ヶ瀬の声だったように思う。  
もう一度だけ、あと一回だけかけてみよう。
 ――もしもし、だから違います。かけ間違いですよ。
「本当にすみません。何度もすみません。でも......」
 ――何度もかけてますよね。着信記録、ものすごい回数ですよ。
「申し訳ありません。だけど、でも、あのう、しつこくてすみません。だって声がよく似てるし......でも、違うんですよね。あなたは天ヶ瀬良一さんではないんですよね?」
 一瞬、間が空いた。相手は黙ったままだ。
「もしもし? 聞こえてます?」
――聞こえてますよ。僕は天ヶ瀬ですが、あなたはどちら様ですか?
 電話を通して、「誰からの電話なの?」と女性の声が聞こえてきた。
「やっぱ天ヶ瀬だよね? 私だよ、私。北園雅美だよ」
――北園さん、ですか? えっと、どちらの?
「どちらのって、何言ってんの。同級生の北園だよ。山田町の、公民館の隣の家の北園だよ」
 ――はあ。山田町の北園さん、ですか?
「そうだよ。その北園雅美だよ。いったいどうしちゃったのよ」 
――どうしたって言われても。えっと、中学が同じだった北園さん、ですか? 確かバスケット部だった北園さん?
 そのとき、鳥肌が立った。
 自分だけだったのだ。自分だけが令和の時代に戻ってきたのだ。
いま電話に出ている天ヶ瀬は、以前の人生を生きている。
天ヶ瀬から見た私は、話したことなどほとんどない単なるクラスメイトで、しかも印象に残らない類いの人物なのだ。
「天ヶ瀬くん、会えない?」
 ――え?
「ごめん。びっくりするよね。でも一回、会って話がしたいんだけど」
 ――話って何の? 
「何って、いろいろ」
――悪く思わないでほしいんだけど、僕は生命保険ならもう十分入ってるし、乗り換えるつもりもないんだよ。
「生命保険? 何の話? ええっ、まさか私が生命保険の勧誘をするとでも思ったの?」
 ――違ったんならごめん。失礼なこと言ったかな。でもさ、北園さんが俺に何の用があるのか見当もつかなかったから。
「警戒心でいっぱいってことだね。わかった。この電話のこと、忘れてちょうだい」
 そう言って、すぐに電話を切った。
 涙が滲(にじ)んだ。
 孤独だった。
「寂しいよう」と、誰もいない部屋で壁に向かって呟(つぶや)いた。

 いつの間にか眠ってしまったらしい。
 目が覚めてからも頭がぼうっとしていた。ぐっすり寝た後のすっきり感がまるでない。タイムスリップすると、どうやら体力を使い果たしてしまうらしく、身体が鉛のように重かった。
ベッドから身体を起こして窓の外を見ると、もう暗くなっていた。
近所のカフェでモーニングを食べてから家に帰ってきたのだから、午前中からずっと眠りこけていたことになる。
そのとき、ガチャリと玄関ドアが開く音がした。夫が帰ってきたのだろう。
足音がこちらに近づいてくる。
ここは私の部屋だ。二人の息子が独立して部屋が空いたとき、夫婦の部屋を分けた。息子が使っていたベッドと学習机をそのまま使っている。四畳半しかないが大きな窓があるから快適で、私だけの城だった。
誰にも侵食されたくない空間だった。
それなのに、勝手にドアが開けられた。
「何だよ。寝てたのか? まさか、まだメシ作ってないのかよ」
 腹の底から嫌悪感が噴き出し、今にも叫び出しそうになっていた。
 いや、叫ぶべきなんだ。
 ほら、自分、叫べよ。
「あなた、今日はゴルフに行ってたんだよね?」
 自分でも意外だったが、落ち着いた声が出た。
「そうだけど?」
「つまり遊んできたんだよね」
「遊びっていうか、ゴルフだけど?」
夫は訝(いぶか)しげな目で私を見ている。
「接待ゴルフでも何でもない、好きで行ったんだよね」
「だったら何だよ。鬱陶(うっとう)しい女だなあ」
「なんで私があんたの夕飯を作らなきゃならないの?」
「は? 今日はえらく機嫌が悪いんだな。更年期ってやつか?」
 そう言って、夫は馬鹿にしたような顔を向けた。更年期の体調不良に同情するならわかるが、馬鹿にするとはどういうことか。
 こんな男に対して愛情を持ち続けろと言う方が無理ではないか。
「もういいよ。ラーメンでも食ってくるから」
「ちょっと待ってよ。その前に、この時間までベッドで横になっていた私に言うことはないの?」
「言うことって?」と、夫はぽかんとした顔で私を見た。
「どこか具合が悪いんじゃないかとか、大丈夫か、とか」
「何言ってんだよ。怠けてるだけだろ」
夫はそう吐き捨てて、ドアをばたんと閉めた。
 建築学科の四年生のとき、ふと思い立って夫の実家の近くまで行ってみたことがあった。それというのも、天ヶ瀬が若き日の里奈を見て結婚は間違いだったと冷静に分析したからだ。自分は夫を見てどう感じるのかを知りたかった。
 夫の実家は、下町の商店街の近くにある小さな一戸建てだった。最寄りの駅で待ち伏せしたが、そう都合よく夫が改札口を出てくることはなかった。それでも朝に夕にと時間帯を変えて行ってみた。自分のアパートから大学までの途中駅だったこともあり、通学定期を使えたことも大きかった。
 何回目かのある日、夫が駅から出てきた。
若かった。スリムで髪も多く、精悍な顔つきをしていた。
知り合いを通じて夫と初めて会ったのは、短大を出て社会人になり三年目の頃だった。だから私は大学時代の夫を知らなかった。思わずじろじろ見てしまいそうになり、慌てて目を逸らして手元の文庫本に目を落とし、いかにも誰かと待ち合わせしている風を装った。
そのとき、腰をかがめたお婆さんが夫に話しかけるのが視界の隅に入った。
 顔を上げると、夫はお婆さんに何やら熱心に説明している。たぶん道を聞かれたのだろう。「途中まで一緒に行きましょう」と言う夫の声が聞こえてきた。「大丈夫ですか? 荷物、持ちましょうか?」と尋ねている。
 私は呆然と突っ立っていた。こんなに親切な男が、どうしてあんな冷たい男に変身してしまったのか。
 私は夫を尾行した。夫は交差点でお婆さんと別れ、自宅に向かって歩き出した。夕焼けが消えて辺りは暗くなり、帰路を急ぐサラリーマンや学生、夕飯の買い物帰りの主婦などで通りは混雑していた。見失いそうになったが、実家の場所は知っているから慌てる必要もなかった。
 夫は途中で左に折れ、細い通りを入っていった。私は何食わぬ顔ですぐ後ろを歩き、夫の実家の向かいにある古めかしい純喫茶に入った。
窓際の席に着き、コーヒーを飲みながら夫の実家を眺めた。一階からも二階からも灯りが漏れている。姑は台所仕事に勤(いそ)しんでいる頃だろうか。
大学生の夫は、お婆さんに道案内をし、荷物を持ってあげるとまで申し出た。私が好きになって結婚したくらいだから、その程度のことは何ら不思議ではない。見知らぬお婆さんに道を聞かれたときに、無視をしたり、地元なのに知らないと断ったりする人間ならば、男女問わず好きになれない。
そんなことを考えながら、壁に飾られたジャズのLPレコードのジャケットをぼんやり見ていたからか、向かいの家から夫と姑が出てくるのを見逃したらしい。というのも、純喫茶のドアのカウベルが鳴って入口に目を向けると、二人が入ってきたのでびっくりしたのだった。
家の向かいだから顔なじみなのだろう。「今日はどうしたの?」とマスターが親しげに話しかけている。
――聞いてよマスター、学校から帰ってきたらまだ夕飯もできてないんだもん。主婦のくせに何やってんだか。
――ごめんね。頭が痛かったもんだから横になったらいつの間にか眠っちゃって。
――今日は、親父さんは?
――親父は九州に出張中。親父がいないと、この人すぐ怠けるんだよ。まったく呆れちゃうだろ? 俺は生姜(しょうが)焼きとココア。
――奥さんは何にします?
――私は紅茶だけでいいわ。食欲ないから。
 店内を見渡すと、常連客らしき老人数人と、中年の男性二人、そして学生カップルがいた。
 狭い店内での会話は筒抜けだった。夫と義母を見て微笑んでいる客が多い中、女子学生だけは怒ったような顔で夫の横顔を凝視していた。将来こんな男とは決して結婚しないとでも決意しているのだろうか。もしそうならば、若き日の自分の男を見る目のなさに絶望するしかない。
人を見る目を養うのは難しい。六十代になって、やっと人を見る目ができてきたと思っていたが、ほんの少しに過ぎないのだった。
そのとき玄関で物音がして、ハッと現実に引き戻された。
私は部屋を出て玄関まで走っていき、夫に向かって言った。
「私はこき使っても壊れない家政婦ロボットじゃないのよ。私が料理をしたところで、どうせ文句つけるくせに」
 夫はちらりとこちらを見てから、「うるさい。ヒステリーばばあ!」と言い捨てて、玄関を出ていった。
 ばたんとドアの閉まる音が耳の中で何度もこだました。
 これから自分はどう生きるのだろう。
 夫とこれからも暮らしていくのだろうか。
 お金が......欲しい。
 お金がなかったら身動きできない。父が亡くなったとき、まとまったお金を相続したが、そのことは夫には言っていない。だが今後の長い老後を考えると、それだけでは全然足りない。
 人生はお金がすべてじゃないという人がいるが、今の私には必要だ。お金さえあれば自由を手に入れられる。
 あの日、私はマンダラチャートを書いた。
 そもそもなぜ自分はマンダラチャートを書いてみたことを夫に言えなかったのか。言えば思いきり馬鹿にされることがわかっていたからだ。だけど、天ヶ瀬には言えた。
 あの日......。
――本気で言ってんのか? 自分と大谷選手を比べるなんて、お前のその自惚れって、いったいどこから来てんの? 信じられない。
――そんなこと絶対に他人には言うなよ。頭がおかしいと思われるぞ。大谷選手と自分を比べて落ち込む主婦なんて滑稽だよ。こっちまで恥かくよ。
――もしかして、またフェミニストかぶれみたいなことを言い出すつもりか? 女は家庭の犠牲になって自分の夢を実現できなかったとかなんとか。
 そこまで馬鹿にされているのに、ここに留まるのか、自分。 
 夫婦だとか家族だとかいう以前に、夫とは友人にすらなれないではないか。
私を軽んじ舐(な)めきっているような人間なんかと金輪際一緒にいたくない。
 でも......お金がないから家を出ていけない。  
 そのうえ天ヶ瀬はこの世にいない。いや、いることはいる。だけど、私と交換日記をした天ヶ瀬ではない。
 
 @24  再会

私が令和時代に戻ってきてから、今日で三ヶ月が経った。
 朝九時に家を出て大手通販会社の電話受付のパートに行った。テレビで商品が紹介されると一斉に電話がかかってくるから気が抜けない。
やっと昼休憩の順番が回ってきて、家から持参したおにぎりと茹(ゆ)で卵を食べているときだった。スマホを見ると、ショートメールが届いていた。
天ヶ瀬からで、「電話してください」とある。
 今さら何の用だろう。あの日の彼は、私の電話を保険の勧誘と決めつけ、警戒心丸出しだった。それを思い出すたび、うまく息が吸えなくなる。
 それとも、もしかして......。
 いや、まさか......。
それでも一縷(いちる)の望みにかけて電話してみると、相手はすぐに出た。
――もしもし? 北園さん? 今、どこにいる?
ああ、天ヶ瀬だ。
私が知っている天ヶ瀬だ。
挨拶もなく、いきなり私の居場所を尋ねるほど親しい間柄の天ヶ瀬だ。
嬉しさが込み上げてきた。
「天ヶ瀬くん、令和時代に戻ってきたんだね?」
 ――そうだよ。よかった。連絡がついて。
「今、パート先の休憩時間。天ヶ瀬くんは?」
 ――家の近くの遊歩道。里奈にはジョギングしてくるって言って出てきたところ。北園さん、会える?
「うん、会いたい。すぐにでも」
 ――俺も今すぐ会いたいけど、なんだか疲労感がすごくて。
「私もそうだったよ。タイムスリップしたばかりのときは無理しない方がいいよ」
――来週あたりどうかな。あとで場所と時間をメールする。
 休憩室から職場に戻る廊下で、向こうから同年輩のパート仲間が歩いてきた。
「何かいいことあった?」と尋ねながら、からかうように顔を覗き込んでくる。どうやら満面の笑みを浮かべて歩いていたらしい。
途中で化粧室に寄って、大きな鏡に映った自分を見た途端、奈落の底に突き落とされた。天ヶ瀬は二十代前半までの私の姿しか知らないのだった。六十三歳の私を見て、どう思うだろう。待ち合わせをしても、誰だかわからなくて通り過ぎてしまうのではないか。
六十三歳の天ヶ瀬がどんな風貌になっているのか想像がつかなかった。中年太りで頭が薄くなっているかもしれない。どんなにショックを受けても、決して顔には出さないようにしなければならない。そんなことで彼を傷つけたくない。
待ち合わせ場所は、麗山大学近くにある老舗のカフェだった。 
 約束の時間の十分前に着き、重厚なドアを押し開けて入ると、奥の方で手を振っている男性が見えた。恐る恐る近づいていく。
「良かった、会えて。北園さん、だよね?」
 天ヶ瀬は髪が白くなって皺(しわ)が増えていたが、それ以外は、びっくりするほど若いときと変わりがなかった。
 向かい側に腰を下ろして言った。「天ヶ瀬くんってすごいね。こんなにダンディになっていたとはね」
「そうだよ。つまりイケオジってやつだね」
「天ヶ瀬くんて、そういうこと、自分で言っちゃうんだね」
「事実だから仕方ないだろ。それより、この時代に戻ってきて、北園さんはどう思ってる? 嬉しい?」
「希望が見えなくてつらい。昭和時代よりはマシだけど」
「つらいって、どういうところが?」
「あの夫と添い遂げるのかと思うと、お先真っ暗って感じ」
「......そうか」
「天ヶ瀬くんは令和時代に戻ってきてがっかりしたでしょ。医師の高額バイトで稼いで世界中を旅する計画だったもんね。その夢に向かって順調に歩んでたのに残念だったね」
「それが、そうでもない。大学を卒業して研修医になった先輩たちを見ていたら想像以上に過酷で、そのうえ安月給だし、まるで奴隷状態。パワハラもすごいし、かといって開業医になるには金が要るから身動きできない。鬱(うつ)病になって自殺する先輩もいて、あのままだったら俺も同じ目に遭ってたと思う」
 どこもかしこも長時間労働から逃れられないらしい。昭和時代から「時短」が叫ばれていたのに、ますますひどくなっている。いったい人は何のために生きているのかと思う。
 コーヒーが運ばれてきた。
伊万里焼のコーヒーカップがアンティークな内装にマッチしていて、琥珀(こはく)色の液体が特別に美味しそうに見えた。
「だったら天ヶ瀬くんは、令和時代に戻れてよかったと思ってる?」
「この時代もつらい。この先も軽薄な人間の贅沢のために働くのかと思うと馬鹿馬鹿しくてやってられない。だから先週、家計の管理は俺がやると宣言した」
「そうなの? それで、里奈さんは何て?」
「ものすごく怒ってた。でも、俺は絶対に譲らない」
 余所(よそ)の夫婦のことに口出しするのはよくないと思い、私は黙ってコーヒーカップに口をつけた。火傷(やけど)するかと思うほど熱かったので、もう少し経ってから飲もうと思い、そのままテーブルに戻した。
顔を上げると、天ヶ瀬の視線が私の全身をくまなく観察していることに気がついた。見られたくなかった。私は老けたし太ったし、全く恥ずかしい。そのとき、宇宙飛行士のニュース映像を思い出した。彼女から生き様を学んだはずなのに、いまだに私はルッキズムに囚われている。私は今まで一生懸命生きてきた。いつだって全力投球だった。何を恥じることがあるだろう。そう思い、私は背筋を伸ばして天ヶ瀬を見た。
天ヶ瀬は、視線の動きを私に気づかれたとわかっても、慌てて目を逸らすこともなく、視線をゆっくりと私の身体から、横に置いた斜め掛けのショルダーバッグに移し、そのあと私が縫ったトートバッグをじっと見つめた。
あ、そういえば......忘れないうちに渡さなきゃ。
私はトートバッグの中から紙包みを取り出し、テーブルの上に置いた。
「これ、うちの近所の和菓子屋のどら焼きなの。すごく美味しいから食べてみて」
 そう言って差し出すと、天ヶ瀬は、もうこれ以上耐えきれないといったように噴き出した。
「失礼じゃない? どうせ私はオバサン臭いですよ。要らないならあげない」
 そう言うと、天ヶ瀬は素早く手を出して紙包みを自分の方に引き寄せ、「ありがとう。もらっとく」と言った。
「いいね、北園さんて」
「いいって、何が?」
「好きだよ」
「......ありがとう」
 天ヶ瀬の言った「好き」というのは、たぶんこういうことだ。
 高級ブランド好きの里奈と違って、布の袋を手作りする節約家の田舎出身のオバサンは好ましい、という意味だ。
「どの時代でも苦労はあるけど、でも仕方ないよね」
私は知らない間に結論めいたことを口にしていた。
何の結論なのか、人生の結論なのか。自分でもよくわからなかったが、生きるというのは、あきらめの積み重ねだとしか思えなくなっていた。
「仕方ないって、なんでそう思うの?」と、天ヶ瀬が尋ねた。
「だって私たちもう六十三歳だし、この先どうなるってもんでもないし」
「二人で逃げようか」
「逃げる? なに言ってんの。今の、冗談だよね?」
「本気だよ。北園さんは、どんな人生が勝ち組だと思う?」
「そんなこといきなり聞かれてもね」
「俺はね、毎日わくわくする人生を送ってるヤツが勝ち組だと思う」
「毎日なんて、そんなの無理でしょ」
「じゃあ言い直す。一生のうちでわくわくした回数が多い人間が勝ち組」
「そうかな。それは人それぞれじゃない? 穏やかで落ち着いた暮らしが好きな人も多いじゃん」
「そういう人もいるだろうけど、でも俺は違う。死ぬまでわくわくし続けたい」
「まあそりゃ私だって天ヶ瀬くんと同じタイプだけどさ」
「北園さんは、離婚できそう?」
「えっ?」
 驚いて天ヶ瀬を見た。「天ヶ瀬くんの方が無理じゃない? 里奈さんが納得しないでしょ」
「そうでもない。全財産を渡すって言ったら、ちょっと考えてみるって」
「まさか、もう言っちゃったの? 離婚したいって」
「うん、言った。家計をどちらが管理するかでもめたときに言った」
「意味わかんないよ。全財産を里奈さんに渡して、一文無しになってどうやって食べてくの?」
「なんとかなると思う」
「ならない。絶対にならない。なんとかなるっていうお気楽な言葉はね、人間関係を修復するときなんかには使ってもいいけど、お金は違う。お金はなかったらどうにもならないよ。それにさ、これから私たちどんどん老化していくんだよ?」
「だったら目先の五年だけを考える。先のことはわからない時代になったから」
「具体的にはどうするつもり?」
「まず、それぞれが今の配偶者と離婚する。相手が渋ったら財産は全部相手にくれてやるから離婚してくれと頼む。それでもだめなら黙って家を出る。そのあとは二人で生きていこう」
「二人で生きていくって、どうやって?」
「里奈に内緒で株で儲けたカネがあるから、それでひとまず外国を旅したいんだ。北園さんが一緒なら心強いよ」
私と同じように天ヶ瀬も、配偶者に隠しごとがあるらしい。それも、夫婦という共同体において最も大切な金銭に関してだ。なぜ秘密にするのか。相手を信頼していないから、いざというときに自分の身を守るためなのではないか。つまり、結婚して数十年経っても、いまだ「家族」になれず、心は他人同士のままだったのだ。
「旅かあ、いいね」
大聖堂や立派な博物館なんかじゃなくて、世界中の庶民の台所を見て回りたかった。台所には女たちの創意工夫と苦難の歴史が詰まっている。それをブログやYouTubeで発信したら、いつか出版社の目に留まり、「写真集を出しませんか」などと声がかかるかもしれない。
 いやいやいや、そんなにうまくいくわけないでしょ。
 でも......あきらめたら終わりだ。
 あれ? 人生とはあきらめの積み重ねだと悟ったのではなかったか。
 いや、そうじゃない。他人の評価なんか関係ない。ただ単に、純粋に、いろいろな台所を見て回りたいのだ。だけど......。
「やっぱり私、目先の五年だけというのは不安だよ」
「先の見えない人生は不安でもあるけど、楽しみでもあると思う」
「天ヶ瀬くん、いつから楽天主義者になったの?」
「いざとなったら、うちに来ればいいさ」
「うちって、どこの?」
「山田町の俺の実家。両親ともに死んで空き家になってる」
「うちの実家も同じだよ」
「うちは北園の実家と違って町から外れているから家の裏には畑もある。いざとなったら、じゃがいもを植えて生きていこう。ときどき海までドライブしたりして」
 目の前にいるのは夢見る少年ではない。
人生経験の浅い青年でもない。
 思慮深く聡明で努力家で......そして愚かで大胆な大人だ。
「北園、なんで黙ってんだよ。嫌なのか?」
「違うよ。いま私、ものすごくわくわくしてる」

(了)
 〈参考文献〉隈研吾『建築家になりたい君へ』(2021年2月、河出書房新社刊)

マンダラチャート

Synopsisあらすじ

「私」は、現在63歳。子どもは巣立ち、夫と二人で暮らす平凡な主婦だ。夫は私に関心がなく、家政婦程度にしか思っていない。

ある日、私はふと、気がつく。WBCで活躍した、大谷選手やダルビッシュ、ヌートバー……。彼らは子どもの頃からの夢を一途に追いかけて、あの場所に立っている。なぜ自分はここで、こんなふうに不満ややるせなさを抱えて生きているのだろう。「私は、成績も良かった、努力すればもっと自分の能力を生かせる生き方が出来たはず。けれども、美しくあろうと外見にばかり注力してきたために、今はただのオバサンになってしまった、もし、あのとき、外見をつくろったり、男性の目を気にすることなく、自分のやりたいことを一途に貫いていたら」

もう一度、人生をやり直したい……激しい後悔とともに、そう強く願った私は、気がつくと、中学生に戻っていた……。

Profile著者紹介

2005年『竜巻ガール』で小説推理新人賞を受賞し、デビュー。テレビドラマ化された『リセット』『夫のカノジョ』『結婚相手は抽選で』『定年オヤジ改造計画』や、映画化された『老後の資金がありません』のほか、『四十歳、未婚出産』『夫の墓には入りません』『姑の遺品整理は、迷惑です』『うちの子が結婚しないので』『もう別れてもいいですか』『あきらめません!』『懲役病棟』など著書多数。

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