マンダラチャート@11 内定がもらえない / @12 どこまで妥協すればいいのか

@11 内定がもらえない

 就職が決まらなかった。
 クラスの男子は何社も内定をもらっているのに、私とアケタは面接を受けることすらできなかった。
 それというのも、就職課に張り出された求人票のすべてに、「女子は自宅通勤に限る」と朱書きがあったからだ。
 信じられない思いで、その数百枚もの求人票を隅から隅まで何度も見返してみたが、本当に一枚残らず、その旨(むね)の朱書きがあった。
 これは、いったい、どういうこと?
 田舎者の女は採用しないと言ってるの?
 どうして? 
 気になって男子学生用の掲示板も見に行ってみたが、そんな但し書きはどこにも見当たらなかった。
 どうやら男子学生は、どこの県の出身だろうが、どんな山奥の田舎者だろうが不問らしい。
 そういえば以前の人生でも、こういった噂を聞いたことがあった。だが自分は短大の英文科を出て社員十数人の小さな貿易会社に勤めたから、四大卒女子や大手企業の就職事情についてはほとんど知らなかった。それどころか、就職する前から、自分はきっと数年だけ勤めて、そのあと結婚退職するのだろうと、ぼんやり考えていた。まるで他人事のような人生だった。だが言い訳させてもらえるならば、そんなのは自分だけではなかった。短大の同級生のほとんどがそうだったと思う。
 それにしても、建築関係の仕事なら女も男も関係ないではないか。現場で力仕事をするわけではない。地盤を調査し、構造計算をし、家の設計をし、内装を工夫するといった仕事なのだ。
 だが、どうやら世間の見方は違うらしい。仕事の内容や能力がどうのこうのといった問題ではなく、女で、しかも地方出身者で、しかも四大卒となれば、就職においては最悪のハンデを負っているようだ。自分の考えや能力をアピールしたくても、土俵(どひょう)にさえ上がらせてもらえない。
 アケタもまた、この理不尽な扱いにショックを受けていた。
「私は田舎から出てきて、親の仕送りなしで頑張ってきたんだよ。それなのに私が蛙子より劣るなんておかしいよ」
「そうだよ。アケタは蛙子よりずっと偉いもん」
 蛙子というのは、アケタがこっそりつけた綽名(あだな)だ。本名は薫子というらしい。アケタの幼馴染みでもあり宿敵でもある彼女は、一見大人しそうだが子供の頃からアケタに対してだけ意地悪だったという。教師や地域での蛙子の評判は良かった。なんせ目鼻立ちが整っていて、大きな目が聡明そうに見えた。アケタの母親も、何かというと「薫子ちゃんを見習いなさい」と言ったそうだ。蛙子は、地元の短大を出てから地元にある都銀の支店に就職した。そして二年後には東京本店から転勤で来ていた銀行員と結婚し、寿退社したのだった。
 会ったことはなくても、アケタの思い出話に頻繁(ひんぱん)に登場する人物だから、私まで知り合いのような気がしていた。
「私は蛙子の十倍、いや百倍は努力してきたはずだよ」 
 アケタは右も左もわからない大都会に単身で出てきた。それまで喫茶店にさえ入ったことがなかった田舎の女の子が、場末のバーでホステスとして働くのに、どれほどの勇気が要ったかと、アケタは切々と訴えるのだった。
「私の今までの頑張りは無駄だったんだろうか」
 いつもは明るくさばさばしているアケタが、弱音を吐くのは珍しかった。
「ねえ雅美、この国はどこまで女を馬鹿にしたら気が済むんだろう」
「本当に虚しいね。人生に絶望しちゃう」
 そう応えたとき、ふっとアイデアを思いついた。
 自宅通勤を装えばいいのではないか。両親の住民票を東京に移そう。転入届を出して住民票の写しを取ったあと、すぐに田舎に戻せば問題ない。
「アケタ、私、いいこと考えた」
 このアイデアを話すと、アケタも賛成してくれた。
 嘘をつくことに罪悪感はあったが、「女子は自宅通勤に限る」などと、わけのわからないことを言う方がよっぽど罪深い。そんな差別的な企業に対抗するためなら、住民票を移すくらいの工作をしたって罰は当たらないはずだ。
 既に大学四年の秋だった。
 絶望感に浸っている場合ではない。もっと図々しく戦略的にならねば、自分の人生を思う存分生きることなんてできない。せっかく二度目の人生を与えられたというのに。
 この時代の就職協定では、大学四年の十月から一斉に会社訪問が解禁となり、数ケ月で就職が決まるのが普通だった。そもそも卒業まで時間がなかったのだ。 
 私とアケタは焦(あせ)りまくっていたが、クラスの男子たちはとっくに就職が決まり、誰もかれも晴れ晴れとした表情をしていた。
 秋と言えば大学祭だ。キャンパス内の浮足立った空気が、私とアケタの気持ちを更に暗くしていた。男子たちは、残り少ない学生生活を目いっぱい謳歌(おうか)しているように見えた。近所の女子大の学祭を次々に見に行く計画を立てる弾んだ声が、教室内のあちこちから聞こえてくる。
「就職、まだ決まらないんだって?」
 そう話しかけてきたのは、クラスの上田だった。
声が小さいのは、気を遣ってくれたのだろう。上田の実家は北千住の工務店で、あれからずっと事務兼雑用のアルバイトとして私を雇ってくれている。
 先月あたりから、私とアケタに話しかけてくる男子は上田だけになっていた。他の男子は、遠目にちらちらと見ているだけだった。内定が出ていないのが、クラスで私たち二人だけだったからだろう。
「うちの父ちゃんが言ってたけど、もしもこのまま就職がアレだったらさ」
 アレとは何なのか。絶望を意味するのか。
「アレだったら、このままうちの工務店に勤めてもらってもいいって」
「上田工務店に? アルバイトじゃなくて正社員として雇ってくれるってこと?」
「うん、そう言ってた。北園さんは仕事が早いから助かるって、お袋も褒(ほ)めてたよ」
 上田工務店は、上田の両親と社員が二人だけの小さな工務店だ。大手の三次下請けの仕事か、近隣の戸建ての修繕などの仕事が多かった。どこからも内定がもらえない自分にとってはありがたい話には違いない。だが、上田工務店で受注するのは、小さくて遣(や)り甲斐のない仕事ばかりで、咄嗟(とっさ)にいい返事ができなかった。
「上田君は、ゆくゆくは実家を継ぐの?」と、アケタが尋ねた。
「たぶん親父はそう願ってるんじゃないかな。でも僕は世界を駆け巡るような仕事がしたいんだ」
 上田は、テレビCMで頻繁に見かける大手ゼネコンから内定をもらっていた。
「世界を駆け巡る仕事って、例えば?」とアケタが尋ねた。
「例えば発展途上国の貧しい村に公共住宅を作るとか」
「つまり、ODA関連の仕事ってこと?」と、私は尋ねてみた。
「まあ、そんなとこ」
「いいねえ。夢が広がって」と、アケタは溜め息交じりに言った。
 そのとき、「女子は仕方がないよね」と、背後から声が聞こえてきた。
 振り返ると、岩手訛(なま)りがなかなか抜けないソッタラが立っていた。普段はシティボーイを気取っているが、ある日つい慌てて「そったらごど言っだって」と口走ってしまった。そのときクラス中が大爆笑したのがきっかけで、ソッタラと呼ばれるようになったのだった。
「ちょっと待ってよ。女子は仕方がないって、それ、どういう意味よ」
 そう尋ねたアケタは、ムッとした表情を隠さなかった。
 というのも、ソッタラはクラスで最も成績が悪いからだ。そもそもどうやってこの大学の入試を突破できたのかと思うほど読解力も計算力もないし、英語も中学二年生レベルだった。本当かどうか、父親が有名な評論家だから、その口利(き)きで裏口入学したのではないかという噂もあった。
「そんな怖い顔するなよ。女は結局は嫁に行くんだから就職したところで、どうせ二年くらいの腰掛けだろ。新入社員なんて、すぐに役立つわけじゃなし、少なくとも最初の一、二年は、業務を教えてもらいながら給料もらってるような立場なんだぜ。やっと少し役立つようになったと思ったら寿退社するなんて、企業側もやってらんないよ。はっきり言って女は迷惑なんだよ」
 上田以外の男子たちが、私やアケタに話しかけてこなくなったのは、私たち二人よりずっと成績が悪いのに、内定をいくつももらっていることを申し訳なく思ってくれているのだ、などと考えていた私はオメデタイ人間だったらしい。
 私はすぐに立ち上がり、教室のドアに向かって突進した。ソッタラの言葉を、これ以上聞きたくなかったからだ。頭の悪い男から屈辱的な言葉を浴びせかけられると、何日もの間、嫌な気持ちから抜け出せないことを経験から知っていた。それどころか、痴漢に遭(あ)ったときと同じで、一生涯ことあるごとに思い出してどうしようもないほど気持ちが沈むのだ。そういった類いの悔しさは、決して明日への原動力になったりはしない。なけなしの自己肯定感を更に下げるだけだ。
 廊下に出たとき、背後でアケタの叫び声が聞こえてきた。
「ソッタラみたいなポンコツに言われたくないよっ」
 男子にソッタラと呼ばれるのはまだ我慢できても、私やアケタに呼ばれるのは許せないのだった。そんな彼の気持ちにはとっくに気づいていたので、私はソッタラに話しかけるときは(話しかけることなど滅多になかったが)、本名の「佐々木くん」と呼ぶように気をつけていた。それはアケタだって同じだったはずだ。
「私がソッタラに構造計算を教えてやったこと、もう忘れたの? 繰り返し説明しても理解できなくて、結局は私の課題を丸写ししたくせに」
「なんだよ、女のくせに」
 ソッタラの言葉が聞こえた途端、私は廊下の途中で凍り付いたように立ち止まってしまった。
 そうだ、こういう時代だったのだ。
 頭の悪い男が優秀な女子に向かって、「女のくせに」などと平気で言ってしまえる時代だった。
「お前、女のくせに偉そうなんだよ」
「偉そう? 私が? 全くどの口が言ってんだか」
「お前、やんのか? あん? やってやろうじゃねえか」
 びっくりして身体が硬直した。
「ソッタラ、やめろってば。女の子に向かって拳を振り上げたりすんなよ」
 上田の大声が廊下まで響いてきた。
 女に言い負かされたら暴力を振るう。そんな男がいた昭和時代の風潮を、長い間忘れていた。

 その日、アパートに帰ってからも、ソッタラの言葉が繰り返し脳裏に蘇ってきた。
 壁にもたれて脚を投げ出して座り、正面の本棚をぼうっと見つめていた。
 悔しくてたまらないのは、ソッタラの言った「就職したところで、どうせ二年くらいの腰掛け」という見方が、この時代の風潮を考えると正しいからだった。
 ――女はクリスマスケーキ。
 そう言われた時代は長く続いた。
 四年制大学に進学すれば、卒業時には二十二歳になる。クリスマスケーキ論に従うならば、二年後の二十四歳で寿退社するのが女の王道だった。
 アケタなどは学費を貯めるために入学前に二年間働いているから、既にクリスマスケーキは腐りかけている。
 だが、六十三歳まで経験した私にはわかる。二十代というのは、仕事に真摯(しんし)に向き合う大切な季節だったのだと。決してその時期を逃してはならなかったのだと。
 大学に入ったらゴール、結婚したらゴール、などと思っていた自分は大バカ者だった。
人生にゴールなんかないのだ。
 そのとき、本棚に並んだエッセイ集の背表紙が目に飛び込んできた。憧れの建築家が書いたものだ。
 彼は大学卒業後、工務店でしばらく働いてお金を貯め、世界中の建築物を見て回った。二十代の感性と体力があるからこそ様々なものが吸収できたのだろう。
 こんな感性豊かな時期に、女は寿退社して家事育児に専念しろって? 
 頭がどうかしている。
 この昭和時代は、結婚、出産こそが女の幸せという考えが根強くあった。男はといえば、ヨメをもらって一家を養って一人前とされていた。そんな世間に縛られ、窮屈な思いで生きる男女がたくさんいたのだ。
 平成、令和と時代を経るにしたがって、多様性の時代と言われるようになるのを私は知っている。
 あの当時、結婚しない人生など考えられなかった。
 遣り甲斐のある仕事に就いていれば違ったかもしれないが、安月給の事務職だった私は、将来が心細くてたまらなかった。
 独身のまま二十代後半になってしまったら?
 三十代に突入してしまったら?
 その先に何が待っているのか具体的な想像ができず、不安に襲われた。
 周りの友人たちは、結婚、出産、子供の入学や卒業、自宅の購入......などと数年ごとにイベントが目白押しなのに、自分には何もないとしたら?
 だが、今ならそれらが錯覚に過ぎなかったとわかる。人生はいつだって先が見えたりはしないのだ。
 もしもあの当時、独身で生き生きと働く女性が身近にいたらどうだったか。例えば、何人もの叔母や従姉たちが、結婚には見向きもせず着々とキャリアを積んでいたらどうだったろう。彼女らが、いつ会っても明るく華やかな笑顔を向け、私に仕事の面白さを語ってくれたとしたら?
 きっと私は彼女らに影響され、今後の長い人生をどう生きようかと、真剣に考えたに違いないのだ。
 それとも、彼女らがいくら自由で楽しそうであっても、結婚していないから女としてはダメだ、などと思ったのだろうか。
 思ったかも......しれない。
 いや、きっと思った。
 当時の風潮からくる偏見に、骨の髄(ずい)まで侵食されていたからだ。
 いつの時代も少数派は肩身の狭い思いをする。未婚の人間は、結婚「しない」のではなくて、結婚「できない」と思われていた。だが、この時代にも先を見越して結婚しないリッチで聡明な女もいたはずだ。結婚後の生活を想像すると、自分らしく生きられないことが容易に想像でき、世間の執拗(しつよう)な「結婚はまだか」の質問も軽やかにかわし、独り身の幸せな生活を味わい尽くしたのではないか。
 結婚すれば老後も安心と言われていた。だが令和時代には独居老人が六百七十万人に増え、子供が親の面倒を見るどころか、八十代の親の年金で暮らす五十代の子供が少なくない時代に突入する。
 そして、令和時代の離婚率は、なんと三十五パーセントにもなった。合計特殊出生率は、1.26まで下がるのだ。そんなことは、昭和時代には、想像すらできなかった。
 既に私の結論は出た。
 ――自分の好きなように生きていこう。
 人間には誰しも自由に生きていく権利がある。
 政府は、女が自由を求めて生きるようになるとは考えもしなかったのだろう。国会議員は二世、三世ばかりになり、その妻たちはみんな働いていない。リッチな専業主婦家庭となれば、庶民の考え方や暮らしの変化など想像できないに違いない。彼らの親戚や友人知人の中にも、貧乏人など一人もいないのだろうから。
 庶民の生活は大きく変わった。あろうことか、令和時代には専業主婦が社会保険のお荷物扱いされる風潮が出現するのだ。ついこの前まで良妻賢母が重宝されていたのに、令和になると稼げる女の方がヨメとして好まれるようになる。
 そして、自分の人生を全うするのに必要な武器――自分の気持ちに正直に生きる強さと経済力と知性――を身につけた女が日々増えていく。
 しかし、国会議員の多くは、古い考えの老齢男性で、昭和から令和になっても何の変化もないままだ。

 その夜、母から電話がかかってきた。
 ――雅美、就職の方、どうなっとるの?
「うん......えっとね、まだ決まってないんだよね」
 ――えらくのんびりしとるね。テレビでは内定が出てヒャッホーって飛び上がっとる学生さんが映っとったけどね。
「それは男子でしょう?」
 ――ん? ああ、男の子だったかもね。ほんでも雅美の大学は、就職に有利だって近所の人が言うとったけど?
「だから、それは男子のことだってば。女はそうもいかないのよ。特に私みたいな地方出身者で四年制大学ともなるとね」
 つい正直に現実を話してしまった。
「それってどういう意味やの? 地方出身者で四年制大学の女がなんで就職できんの?」 
「えっとね、東京の会社っていうのはね」と、状況を説明してみた。
 きっと母は言うだろう。そら見たことかと。だから言うたやろ、親の言うこと素直に聞いて、短大の幼児教育に行っときゃよかったんに、と。
 母に叱られるのを覚悟していたときだった。
 ――東京生まれがなんぼのもんじゃい。
 受話器からいきなり父の大声が響いてきた。
 ――都会のもんは狭っ苦しい家に住んどる癖に、ええかっこしいばっかりで、威張れたもんやないわ。それに比べて田舎は家も広いし畑もあるし、採れたての野菜はごっつい旨いのに、バカにしやがって、アホらしてかなわん。
 父の意見はかなりズレていたが、私のために憤(いきどお)ってくれたことで、それまでの絶望感が少し和らいだ。
「ところで、お願いがあるんだけどね」
 ここぞとばかり、両親に住民票を東京に移すことを頼んでみた。私の住民票も田舎に置いたままだった。当時の地方から出てきていた学生のほとんどがそうだった。
 すると、怒りが収まらぬままの父は、「お安い御用だ。田舎もんだとバカにされたままでたまるかっ」と、すぐに了承してくれた。これで、親子三人の住所が東京になる。
 ああ、やっと内定がもらえる。
 住民票の写しという紙切れ一枚のことで、建設会社だろうが、設計事務所だろうが、有名なアトリエ事務所だろうが、少なくとも門前払いされることはなくなった。
 何日も続いていた沈んだ気持ちは雲散霧消し、久しぶりに食欲が出てきた。
 
 面接の朝は早起きした。
 この時代の就職活動は、みんな紺かグレーのスーツと決まっていて、髪をショートにするのが暗黙の了解だった。
 男子学生も同様だった。それまでは長髪でパーマをかけている子が多かったが、ほとんどの男子が短くして七三分けにした。
 考えてみると、これは怪奇現象かと思う。誰に強制されたわけでもないのに、みんな同じ格好をしているのだ。ほんの少しでも目立つことや個性的であることが減点対象でしかない時代だった。
 大手町にある巨大な本社ビルを見上げた。私もこういった立派な会社の一員になれると思うと、腹の底から歓びと緊張感が込み上げてきた。
 大理石造りの吹き抜けのロビーに一歩入ると、にこやかな受付嬢が出迎えてくれた。三人とも美人で、椅子に座っているのにスタイルがいいのがわかる。
 案内されて会議室に入ると、四十代と見える男性の面接官が長机を前にぽつんと一人座っていた。
「失礼いたします」
 お辞儀をしてから大学名と氏名を言った。
「どうぞ、お掛けください」
 さすがに大企業だけのことはある。見るからに育ちのいい紳士といった感じで、上質なスーツを身に着け、話し方も落ち着いている。
「我が社に入社を希望された理由を教えてください」
 私は、あらかじめ調べておいた会社の業績や、新たに開発された建材について褒め讃え、是非とも御社に入社したいと答えた。
「それは嬉しいですね。あの建材は画期的だと私も誇りに思っています」
面接官はそう言って笑顔を見せた。
いい感じではないか。この調子なら内定がもらえるかも。
一部上場のこんな有名な会社に就職できたらどんなにいいだろう。給料もいいし、ボーナスも六ケ月分出るという。アパート暮らしの身には、親元から通勤する人と違って生活費が嵩(かさ)むから、給料の多寡(たか)は死活問題だった。麗山大学のレベルでは、この会社の研究室に配属されるのは無理だろうが、設計チームに入れれば遣り甲斐があるだろう。そうなったら一生懸命頑張るつもりだ。同じクラスの柳瀬と高木は、この会社から既に内定をもらったと聞いた。気心の知れた彼らと一緒のチームになれたら更に嬉しい。
 そんな妄想に浸っているときだった。
「あれ? この住民票って......」 
 面接官は、履歴書に添付した住民票の写しを穴が開くほど見つめていた。
「ご両親は、つい先週、地方から上京されたってことですか?」
 住民票には前住所が記載されている。だが、そんな細かいところに目が行くとは思っていなかった。
「......はい、そうです」
「お父様はどこにお勤めですか?」
 咄嗟に嘘が思い浮かばなかった。そこまで聞かれるとは考えていなかったからだ。だが、面接で親族のことを根掘り葉掘り聞くのは令和時代になってからも続いているのを知っている。カフェでモーニングを食べていたとき、隣の席で若い女の子のアルバイト採用の面接をしているのを何度か見聞きしたことがあるからだ。
 それにしても、あまりに迂闊(うかつ)だった。両親が上京した理由について、嘘で固めたストーリーを頭の中で組み立てておくべきだった。
「えっと......父は商事会社に勤めておりまして」
「何て言う名前の会社ですか?」
「長谷川商事です」
「どこにあるのですか?」
 私が答えに詰まっていると、「ここに記載されている前住所の近くですか?」
「......はい」
「ああ、なるほど。そういうことね」
 面接官はそう言うと、天井を見上げて、ふうっと息を吐いた。
「そういう女子学生さん、たまにいるんですよ。うちは自宅通勤のお嬢さんしか採らないんです。ですので、これでお引き取り願えませんか」
 面接官の目には、はっきりと憐れみが表れていた。
「見なかったことにしておきますから」と言い、彼は静かに続けた。「もうこういう虚偽はやめた方がいいですよ。簡単にバレますから」
 最大限の優しさなのだろう。「お前はズルい、詐欺だ」などと詰問する面接官もいるだろうから。
 ひどく萎縮してしまった。身体が小さく萎んだような気がした。
 見るからに都会的でサラブレッドといった感じの面接官の前にいると、自分が田舎者で、ダサくて、親からロクな躾(しつけ)も受けていない女だと突きつけられているようだった。さっき受付で見たばかりの、いかにもお嬢様然とした三人の女たちを思い出し、穴があったらすぐにでも飛び込んで身を隠したくなった。
 いや......違う。
 違うんだよ。
 そうじゃないんだってば。
 ここで負けてどうするんだよ、自分。
 項垂(うなだ)れた体勢から私はキッと頭を上げ、真正面から面接官を見つめた。
「私の成績表を見てください。オールAを取ったのはクラスで二人だけです」
「成績、ですか。確かにオールAですね。ですが、女性は自宅通勤に限るというのは我が社の決まりですし、そもそも女性の場合、ほとんど短大卒なんですよ。四年制大学の女性は、毎年ほんの数人採用するかどうかという程度なんです」
 この時代は、女性の総合職がまだなかった。
「四大卒の場合は得意先のお嬢さんか、自民党の国会議員のコネがないとダメだってことですか?」
 素朴な疑問だった。そういう噂を聞いたことがあったので、本当かどうか確かめてみたかっただけで、面接官を攻撃する意図などなかった。
 だが面接官の顔つきがさっと変わった。そして、鋭い目つきで私を一瞥(いちべつ)してから言った。
「次の面接がありますので、お帰りくださいますか?」
 本来の私ならば、「すみません」を連発して小走りでドアに向かうところだ。そしてそのあと何日もの間、惨めな気持ちで日々を送るのだ。壁に向かって「もう死んでしまいたい」と呟(つぶや)きながら。
 しかしそのときは、いつもとは違って捨て鉢な気持ちになっていた。
 もうどうなってもいい。
 だって私の人生、もうどうしようもないんだからと、開き直っていた。
「だったら聞きますけど、今日はどうして私のようなコネなし四大卒女子と面接したんですか?」
 そう問うと、面接官は大きく頷いた。
「僕もさっきから疑問だったんです。たぶん事務の女の子の手違いだと思います」
 事務の女の子......女性社員を「女の子」呼ばわりする時代だった。いや、それは令和の世の中になっても続くのだ。
「もうひとつ教えてください。なぜ短大生ばかりを採用するんですか?」
「さっきから、お引き取りくださいと言ってるでしょう? しつこいですよ」
「四大卒より短大の方を採る理由を正直に言ってくれるまで帰りません」
「そんなのわかりきったことじゃないですか。短大卒の方が二歳も若いし、短大にはあなたのように生意気な女性はいないからですよ」
「生意気って......」
「我が社は、社内恋愛で結婚する社員がとても多いんです。ですから女子社員を採用するときは、我が社の男性社員の結婚相手として適切かどうかを見極めることになってるんです」
「つまり、花嫁候補を探しているということですか」
「なんだ、わかってるじゃないですか。あなたのような優秀な女性は我が社には必要ないんです。仕事をするのは男性の役割ですからね。じゃあ、これでお帰りいただけますね?」
「もうひとつだけ質問させてください」
「しつこいなあ。僕も忙しいんですよ」
「自宅通勤に限るのはなぜですか? 男性はどの都道府県の出身でも関係ないですよね?」
「だから花嫁候補だと言ったでしょう。親の監視の目が行き届いた、穢(けが)れのない女の子じゃないとダメなんですよ」
「なんですか、それ。まるで一人暮らしの女子は、夜な夜な男をとっかえひっかえアパートに引っ張り込んでいるとでも妄想してるんですか?」
「そうは言ってないですよ。ただ、そういう可能性がなきにしもあらずだし、これは男性社員の好みの傾向を選考に取り入れているだけで、僕個人が勝手に採用しているわけじゃないから、僕を責められても困るんだよ」
 面接官の物言いが、だんだんくだけてきた。
「百歩譲ってアパート暮らしの女がみんな男にだらしないとします。ですが、そんなプライベートな事情と仕事の出来不出来とは何の関係もないでしょう?」
「仕事の出来不出来? 女の子に仕事なんて期待してないですよ」
「えっ?」
「お茶くみとコピー取りで給料がもらえるんなら御の字でしょう? 僕ら男からすると羨ましい限りですよ」
「それはまさか、四大卒もお茶くみとコピー取りしかさせないということですか?」
「もちろん、そうです」
 悔しくてたまらなかった。二年と四年という年数の違いだけではない。受験勉強の大変さに雲泥の差がある。青春を犠牲にして得た大学合格なのだ。
「何よりも、自宅通いの女性なら家賃や光熱費や食費が親がかりだから、その分の給料が少なくて済むんです。それだけじゃありません。男性社員も東京育ちのお嬢さんを望んでいるんですよ。上品な子が多いし、何と言っても結婚後も子育てを実家に頼れる自宅通勤の女性の方が便利ですからね。男は深夜残業も徹夜もあるから、家事育児は妻の役割となるでしょう? 奥さん一人だけじゃ大変だから、実家の母親の出番となるんですよ」
 この八年後に、あの有名なCMがテレビで流されるのだ。
 ――黄色と黒は勇気のしるし 二十四時間戦えますか 
溜め息が漏れた。誰が考えたって、同じ仕事内容なら安く雇える方がいいに決まっているし、二十四時間戦う男性社員を支えるだけの役割なら、私のような女は論外だ。
「そもそも短大卒と四大卒と、どちらが男にモテると思いますか?」
 びっくりして面接官を見た。こういった下世話な話をするタイプだと思わなかった。たぶん私が「東京のお嬢さん」ではなくて「アパート暮らしの汚れた女」に見えたから、気を許したのではないか。
「どちらがモテると聞かれても......もしかして短大卒ですか?」
「当たり前です。若い方がフレッシュですし、四大卒なんて、いわば年増ですよ。それに、男と同じ仕事をさせてくれと、とんでもないこと言い出すことがあって、手を焼いてるんです。早く寿退社してくれたらいいのに、そういうのに限って男にモテないから三十過ぎても居座るんですよ。まったく勘弁してほしいですよ」
 面接官は、どんどん饒舌(じょうぜつ)になってきた。
「悪いことは言いません。この会社はよした方がいいですよ。だって、あなたと同じ大学の男子を今年も何人か採用したからね」
「それは、つまり?」
「つまりね、同じ大学なのに男子は遣り甲斐のある仕事をして、どんどん出世していく。その一方、あなたはお茶くみで、そのうえ年増だから男性社員にモテない。そうなるとお局様まっしぐら。ほら、もう未来が見えてるでしょう?」
 そう言うと、面接官はさっと立ち上がってドアに向かって歩いた。
「ちょっと待ってください。もう一つだけ聞かせてください。建築物は、それが公共施設であれ一般の住宅であれ、女性も使いますよね? 人類の半分は女性なんですから」
 面接官はドアの前で振り返り、「だったら、何ですか?」と言い、醒(さ)めきったような目で私を見た。
「女も使うんだから女の意見も大切じゃないですか。女から見た使い勝手というのも考慮に入れるべきですよ。だから設計者に女が必要だと......」と言いかけたとき、面接官が「不要です」と遮(さえぎ)った。
「どうして女の意見や感性が不要なんです?」
「男性の設計したものに、女性の方が合わせれば済む話です」
 そう言い放つと、ドアを大きく開けて、「次の面接の方、どうぞ」と呼び、顎(あご)をくいっと上に向けて、私に出ていくよう促した。 
「私の気持ちを想像してみてくれませんか」と、私は往生際悪く、なおも言い募った。
 面接官は無視したが、私は構わずしゃべり続けた。「成績はオールAなのにどこからも内定がもらえないから、自分のどこが悪いのかわからない。面接で落ちるたびに人格を否定されているようでつらくてたまらない。同じクラスの成績の悪い男子たちが次々に名のある企業から内定をもらっている。私が採用されない理由は女だからです。この絶望感が、男のあなたにわかりますか?」
 少しは何かを感じてくれるかもしれないと期待したが、面接官は平然とした表情で言った。
「これ以上居座るなら警備員を呼びますよ」 
 本社ビルを出ると、すぐに公衆電話からアケタに電話した。
「今からアケタのアパートに行っていい?」
 ――いいけど? いったいどうしたの? 鬼気迫る声だね。でも、ちょうどよかったよ。すき焼きの残りがあるから一緒に食べよ。
「すき焼き? ずいぶん豪勢だね」
 聞けば、昨夜アケタの弟が遊びに来たという。アケタが言うには、弟は子供の頃から秀才で、今は神奈川県にある国立大学の二年生だ。
 駅前でケーキを四個も買った。緊張と怒りから来るものなのか、今までになく口の中が苦かったからだ。
 ケーキの箱をぶら下げて、アケタが住む木造モルタル二階建てアパートの外階段を上った。鉄製のそれは、ところどころ錆(さび)が浮き出ていた。自分のアパートも似たりよったりで、古くて上下階の音が響く安普請(やすぶしん)だった。
 そんな暮らしも四年間の辛抱だと思っていた。卒業後は名のある企業の正社員となり、風呂付きのマンションに住み替える予定だった。
 だけど、たぶん......この錆ついた鉄階段とは離れられそうにない。
 それは当分の間だろうか。 
 いや、一生涯かもしれない。
「いらっしゃい。どうしたの雅美、そんな暗い顔しちゃって」
 アケタの部屋のドアが内側から開いた途端、炊き立てのご飯の匂いがした。
「すき焼き丼、食べるよね?」
 そう聞きながら、アケタはボウルに卵を四つ割り入れた。
 食事が出来てからゆっくり聞いてもらおうと思っていたが、すぐに話したくてたまらなかった。
フライパンを熱しているアケタの隣に立ち、今日の面接の様子を私は機関銃のごとくしゃべった。
「雅美、あんたは素晴らしいよ。雅美が粘ってくれたお陰で、企業のカラクリが見えてきたじゃん。やっぱりそんじょそこらの女とは違うよ。さあ出来たよ」
 奥にある和室の六畳間に移り、小さな折り畳み式の卓袱台(ちゃぶだい)に向かい合った。
「美味しい」
 熱々のすき焼き丼をふうふう言いながら食べた。
「食欲をなくしたら終わりだよ。雅美、そんなオヤジどもに負けずに頑張っていこうよ」
「......うん」
 だけど、いったい何をどう頑張ればいいのか。
 私はもうこれ以上......頑張れない。
 食後は、私が持参したケーキと、アケタが淹(い)れてくれた紅茶が卓袱台に並んだ。
「実は、私さ......」と、アケタは言いかけて、ふっと窓の外を見た。
 嫌な予感がした。
 就職は諦めて田舎に帰ると言い出すのではないか。
 アケタは上京後ずっと働き詰めで苦労して大学を出た。それらが何ひとつ報われないのか。  
「アケタ、何よ。もったいぶらないで言いなよ」
 そう言って、私はこわごわアケタの目を見た。
「......うん、私ね、アパレルの面接に行こうと思うんだよね」
「アパレルって、まさか、あのアパレル? ファッション関係の?」
「そうだけど?」と、アケタは苦笑いした。
 ――私たちは建築学科だよ。それなのにアパレルに行くの?
 本当ならそう言いたかったけれど、とてもじゃないが口には出せなかった。
 男女を問わず、どこからも内定がもらえない学生にとって、業種を絞るなんて贅沢なことは言っていられないのだ。日本の会社は終身雇用制なのだから、卒業する前に内定をもらえなければ、就職の道そのものが閉ざされてしまう。この時代は派遣会社もなかった。 
「どこでもいいから内定が欲しいよ」
 腹の底から絞り出すようなアケタの声を聞いて私は泣きそうになったが、目に力を入れてぐっと涙を堪(こら)えた。
「で、アパレルって、どこ受けるの?」
「鈴倉商事」
「あ、知ってる。新宿店でカーディガン買ったことある」
「アパレルだったら自宅通勤とか短大とか、そういったわけのわかんない条件はないみたいだから」
「ふうん」
「雅美、私を軽蔑したでしょ。易(やす)きに流れてるって」
「まさか。軽蔑するどころか私もアパレルを受けようかって、いま考えてた」
 そう答えると、アケタは笑った。
「ところでアケタ、アパレルに入ってどんな仕事をするの?」
「要は洋服屋の店員だよ」と、アケタは吐き捨てるように言った。
「大卒なのに店員? 最初の一年くらいは仕方ないとしても、そのあとは本社勤務になって企画とか宣伝とか、やらせてもらえるんだよね?」
「本社勤務は男ばっかりだよ」
「そんなこと......親に言えない。今まで高い学費を出してもらってきたのに店員になるなんて。だって高校生のアルバイトの子と同じ仕事でしょう?」
「そんなの東京では普通のことだよ。大卒の女性店員なんて、いっぱいいるよ。運が良ければ店長になれることもあるみたいだし、仕入れの決定権を持たせてもらえるかもよ。給料は安いけどね」
「そうか、やっぱり給料は安いんだね。だったらアケタは今まで通りホステスのアルバイトをやった方がいいんじゃないの?」
「給料のことだけ考えたら、そりゃホステスの方がいいけど、でも私、もうああいった仕事は金輪際やめるって決めたんだよ」
「どうして?」
「媚を売って、お世辞を言いまくって、男をいい気分にさせるのは罪だと思うようになった。女がもっと堂々としてなきゃ世の中は変わらないと思う」
「でも、そうなると、ホステスの仕事ってどうなるの?」
「ああいう店は全部なくなればいいんだよ。男尊女卑の男しか来店しないんだから。男と対等なホステスなんて寛(くつろ)げないでしょう? つまり男より劣る女っていう生き物がいてくれるからこそ、いい気分になれるんだよ。モテない男たちは、ああいった店でしか女に優しくしてもらえないでしょう? だから可哀想なヤツらだと同情してたんだけど、もうそういう温情は捨てる。だって男に媚を売る女がこの世からいなくならない限り、対等な社会は訪れないと思うから。だからね、雅美、あんたいつか結婚するときは、バーやキャバレーに出入りするような男を選ばないようにしなよ」
「うん、わかった。肝に銘じるよ」


@12 どこまで妥協すればいいのか

 鈴倉商事の面接の日が来た。
 大手の建設会社とは違い、鈴倉商事はこぢんまりした四階建てだった。
 ガラス張りの立派な建設会社とは違い、外壁が薄汚れていて、驚いたことにエレベーターもなかったから、面接会場の四階まで階段で上らなければならなかった。ただでさえ狭い階段に、生地見本や段ボール箱などが壁に寄せて置かれていて歩きにくく、何度もよろけそうになった。
 大手建設会社との建物の差が、給料その他の待遇の格差に如実に表れている。  
 ――お前にはこのくらいがお似合いなんだよ。
 ――お前にはこれくらいの価値しかないんだよ。
 そう言われている気がした。
 面接会場とされた部屋にも、所狭しと商品が積まれていた。パイプ椅子に座って呼ばれるのを待っていると、ドアからアケタが入ってくるのが見えた。
 目が合うと、アケタは小さく頷いた。知り合いではないふりをしようと前もって約束していた。一人では 心細くて友だちと一緒でなければ面接を受けられないといったような子供っぽい女子学生だと誤解されたら困るからだ。
「全員こちらへお入りください」
 どうやら集団面接のようだ。
 長テーブルにずらりと並んで座り、長机を挟んだ向かいには、男性面接官が五人も待機していた。
 女子学生の全員が紺色のスーツ姿で、髪型もみんなショートカットだ。この似たり寄ったりの中で、何を基準に選考するのだろう。どうせ女子の能力など期待していないのだろう。となれば判断材料は美人かブスかなのか。
「では右端の方から順に自己紹介をお願いいたします」と、最も若そうな三十歳前後と見える男性が言った。
「私は山際短期大学家政学部二年の大山里美と申します。よろしくお願いいたします」
「私は我妻短期大学英文科二年の山下聡子と申します。よろしくお願いいたします」
 ここでは目立たないことが得策なのかもしれない。咄嗟にそう判断した私は、余計なことは言わず、同じように挨拶した。
 そのあと短大卒が二人続き、その次はアケタの番だった。
「麗山大学工学部建築学科四年の明田芳子と申します。よろしくお願いいたします」
 それまで笑顔だった五十がらみの面接官が、ふと顔を顰(しか)めたように見えた。
 アケタのどこがそんなに気に入らないのか知らないが、短い自己紹介をしただけで、既に勝敗が決まっているのを私は直感した。
 アケタは就職活動のために、別人かと思うほど外見を変えていた。髪をばっさり切り、口紅を深紅から薄ピンクに変えた。長身の細身ということもあり、紺のスーツがよく似合っている。いったいどこまで器用なのか、アケタは話し方まで真面目な女子学生風に変えたうえに、声のトーンまで高くしていた。
 六人の女子学生の中で、四年制大学は私とアケタだけだった。
「はい、みなさん、自己紹介ありがとうございました。次に質問に移りますね。まず山際短大の大山里美さん、この会社を選んだ理由は何でしょうか」
「私は高校生の頃から御社の洋服が大好きで、是非とも御社で働かせていただきたいとずっと憧れておりました」
「嬉しいことを言ってくれるねえ」
 五十がらみの面接官が、それまでと打って変わって満面の笑みを見せたからか、部屋の空気が少し緩んだような気がした。
「うちの洋服を気に入ってくれてるんだね。それはどうもありがとう」
 もう一人の年配の男性がそう言うと、他の男性たちにも笑みが浮かんだ。社の商品を褒められて嬉しいというよりも、若い美人を見て脂(やに)下がっているようにしか見えないのだが、考えすぎだろうか。
 いや、きっと考えすぎではない。六十女の直感は鋭いのだ。 
「僕からも質問していいかな」と、脂下がった表情のまま年配の男性が言った。
「どうぞ、部長、お願いいたします」
「この中で彼氏のいる人、手を挙げて」
 セクハラという言葉のない時代だった。怒りで身体が震えた。盗み見ると、女子学生たちはみんな曖昧に微笑んでいるが、アケタは唇を一文字に結んでいた。
 当然だが誰も手を挙げなかった。それはお約束だった。仮に彼氏がいると答えたら、次は「結婚の予定は」と質問が続く。そんなことは女子学生ならみんな知っていた。そもそも人事のオジサンたちは、彼氏がいるような「けがれた女」は好きではない。そんなことは若い女なら誰でも日々感じ取って生きていた。
 この当時、女性社員は「腰掛け」だと揶揄(やゆ)されることが多かったが、それは会社側が望んでいることでもあった。毎年四月になると、フレッシュで若い女性社員が入社してくる。その時期は、未婚既婚に関係なく男性社員たちが浮ついた雰囲気になるのを、私はパート先などで毎年のように目にしていた。会社側としては、女性社員の入れ替わりが激しい方がありがたいのだった。どうせコピー取りとお茶くみしかさせないのだから、若くて美人で自己主張しない女の方がいいに決まっている。
 悔しくてたまらなかった。
 この時代の女は、いつでもどこでもこういった辱めを受け続けたのだ。
 この時代にYouTubeがあれば、暴露してやるのだが、インターネットそのものが存在しない時代だった。
「正直に答えてよ。本当にみんな彼氏はいないのかな?」と部長はしつこかった。
 こんな会社では絶対に働きたくない。
強くそう思った。ここはセクハラの巣窟(そうくつ)に違いない。ワンマン上司の考え方や雰囲気は、部下や会社全体に伝染するものだ。
「では、次の質問に入りますが、部長、よろしいでしょうか」
「おお、すまん。先に進めてくれ」
「明田さん、あなたは大学入学までに二年間のブランクがあるようですが、留学か何かですか?」
「いえ、学費を貯めるために働いておりました」
「ほお、女性で苦学生とは、すごいね」
 部長はそう言ってから、馬鹿にしたように笑った。錯覚ではないと思う。
 アケタ、負けるな。
 私はアケタのことを立派だと思ってるよ。頭の回転が速くて、機転も利くし、私にとっては頼りになる姉御なんだからね。
「明田さんは栃木県の出身なんだね」と、部長が履歴書を見ながら続けた。「宇都宮市内なの?」
「いえ、川下郡です」
「川下郡? 聞いたことあるよ。へえ、あんな田舎の出なんだ」
 信じられないことに、部長は、今度ははっきり馬鹿にしたように笑った。
 びっくりしてアケタの横顔を盗み見たら、屈辱に耐えかねるといった表情をして下を向いていた。いま顔を上げたら、「お前、いったい何様だよ」くらいは言ってしまうかもしれない。
 なんなのよ。これが面接と言えるのか?
 アケタ、こんなことなら、奮発して買ったLEEのジージャンを着てきてやったらよかったんだよ。なんせここはアパレルの会社なんだから、個性的な格好の方が本来は評価されてしかるべきだろうからさ。
「あれ? 二人とも麗山大学じゃないの。もしかして知り合い? いい大学だし、それも建築学科。どうしてうちの会社を志望してるの? あ、もしかして建築関係の会社が全滅だったから仕方なく、とか?」と、  部長が尋ねた。
 そのときアケタはすっと顔を上げて言った。「子供の頃から洋服に興味を持っておりました。建築学科で学んだデザインや内装なども、ファッションに通じるものがあると思っています」
「へえ、そうなの」と、部長は興味なさそうに言ってから腕時計を見た。「もうそろそろ、終わりでいいんじゃないかな」
 私は一度も質問されなかったのだが、もう面接は終わりなのか。
 いったいこの面接で何を確かめたのか。
 学歴と年齢は履歴書を見たらわかるはずだ。
 添付した顔写真だけではわかりにくいからと、顔の美醜とプロポーションをはっきりと確かめたかったのか。
 そして、大人しそうな女か、それとも生意気そうな女かを見たかったのか。
「時間ですね。それでは、みなさんご苦労様でした。合否は追って封書で通知いたします」
 司会役の男はさっぱりした表情で言った。
 質問し忘れたことなど何一つないとでもいうように。

 その数日後、アパレルの鈴倉商事から封書が届いた。
 アケタも私も不採用だった。
 こんなことなら、「田舎者のどこが悪い?」とアケタは怒鳴ってやればよかったのだ。「そういうあんたはどこの出身なんだ」と聞いてやればよかったのだ。
 もうウンザリだった。
 いったい、どこの会社なら内定がもらえるのか。
 部屋の隅に立てかけてある製図道具を見つめた。平行定規を備えた製図板ひとつ取ってみても三万円もしたのだ。図面ケースや製図ペン、そして製図用シャープペンさえ学生の身には高額だった。これらは全部無駄な出費だったというのか。
 授業料や四年間のアパート代、電気代、ガス代、水道代......総額いくらになるだろう。私が進学しなかったら、今頃両親は沖縄旅行や北海道旅行や、もしかしたらハワイにだって行けたかもしれない。
 気分転換をしなければ頭がおかしくなってしまいそうだった。
 そんなどうしようもない気分の夕刻、面白そうな二時間ドラマが放映されることをテレビの番宣で知った。探偵が登場するミステリーだというから、嫌なことを忘れるにはぴったりではないか。
 放映時刻となり、煎餅(せんべい)と熱いほうじ茶を用意してから、十四インチのテレビの前に陣取った。
「ええっ、若いときは、こんなにかっこよかったの?」
 ドラマが始まってすぐ、誰もいない部屋で思わず驚嘆の声をあげていた。
「この女優さんが、ここまで美しくて可憐だったとはね」
 平成時代に亡くなってしまった俳優も多かった。その一方で、老人役として令和時代にも活躍し続けている俳優も何人かいた。
 みんな平等に歳を取る。そんな当たり前のことをしみじみと思った。
 人間の一生は長いが、振り返ってみると案外短いものだ。
 いよいよ犯人を追い詰めるシーンになった。
 草木の生い茂る山道で、探偵たちが茂みに隠れ、息を殺して犯人の動きを観察している。
 あれ? このシーン、見たことある。
 そのとき初めて、過去に見たことのあるドラマだと気がついた。そして、突如として次の展開を思い出し、胸の奥からどすぐろい感情が込み上げてきた。
 犯人に気づかれないよう、決して音を立ててはいけない場面なのに、探偵助手の若い女が、車のドアをばたんと音をさせて閉めるのだ。
 ――やっぱ女ってバカだな。
 当時つきあっていた男がそう吐き捨てたのがきっかけで、その三分後には男をアパートから追い出し、生涯二度と会わなかった。
 そんなことを、六十代になっても昨日のことのように鮮明に憶えていた。もう四十年以上も前のことだ。
 犯人は、追跡されていることに気づき、素早くバイクにまたがって一目散に走り去る。
 ――何やってんだよ、お前。
 探偵助手の若い女はさんざん仲間に非難されて泣きだしてしまう。
 泣いてる場合じゃないのだ。すぐに犯人を追いかけなければならないのに、女がぐずぐずしているせいで、犯人を見失ってしまう。
 この当時のドラマや映画では、ドジを踏むのはいつも女だった。そして、事件や事故のシーンでは、パニックに陥って泣き叫ぶ女が必ず出てくるのだ。
 現実は違う。
 いざとなったとき、恐ろしいほど冷静に行動できる女が多いのを、世間は知らないのだろうか。
 私はすぐにチャンネルを変え、棚に置いてあるスヌーピーの便箋に手を伸ばした。                                
                      (つづく)

マンダラチャート

Synopsisあらすじ

「私」は、現在63歳。子どもは巣立ち、夫と二人で暮らす平凡な主婦だ。夫は私に関心がなく、家政婦程度にしか思っていない。

ある日、私はふと、気がつく。WBCで活躍した、大谷選手やダルビッシュ、ヌートバー……。彼らは子どもの頃からの夢を一途に追いかけて、あの場所に立っている。なぜ自分はここで、こんなふうに不満ややるせなさを抱えて生きているのだろう。「私は、成績も良かった、努力すればもっと自分の能力を生かせる生き方が出来たはず。けれども、美しくあろうと外見にばかり注力してきたために、今はただのオバサンになってしまった、もし、あのとき、外見をつくろったり、男性の目を気にすることなく、自分のやりたいことを一途に貫いていたら」

もう一度、人生をやり直したい……激しい後悔とともに、そう強く願った私は、気がつくと、中学生に戻っていた……。

Profile著者紹介

2005年『竜巻ガール』で小説推理新人賞を受賞し、デビュー。テレビドラマ化された『リセット』『夫のカノジョ』『結婚相手は抽選で』『定年オヤジ改造計画』や、映画化された『老後の資金がありません』のほか、『四十歳、未婚出産』『夫の墓には入りません』『姑の遺品整理は、迷惑です』『うちの子が結婚しないので』『もう別れてもいいですか』『あきらめません!』『懲役病棟』など著書多数。

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