マンダラチャート@14 麗山大学就職課 / @15 揺らぐ心 / @16 高層建築は誰のため
@14 麗山大学就職課
「北園さん、このままうちで働いたらどうだ?」と、上田工務店の上田社長は言った。
「そうしなさいよ。それがいいわよ」と、社長の妻である専務も言う。
上田夫妻は、揃(そろ)って優し気な笑顔を向けてくれた。それほど私は疲れきった顔をしていたのだろう。それとも荒(すさ)みきった心の内が透けて見えたのか。
「アルバイトから正社員になっても、北園さんの学歴に見合うような給料は出せないと思う。その点は申し訳ないけど、でも俺んとこは男女同一賃金だからさ」
そう言ったときの私を憐れむような目は、社長としてではなく、父親が息子の同級生を見る目だった。
この時代は仕事内容が男性と全く同じでも、男女には賃金の格差があった。上田社長はわざわざ男女同一賃金の会社であると口にしたが、上田工務店はこれまで一度も女性の正社員を雇ったことはないと、同級生の上田からは聞いていた。
「......ありがとうございます。少し考えてみます」
ひとつも内定が出ていないくせに、何を言っているのだ。考える余地などあるのか。そう自分に突っ込みを入れたくなった。
だが、頼みの綱がひとつだけ残されていた。大学の就職課だ。そこで相談すれば、自分に合った企業を紹介してもらえるのではないかと、アケタから聞いたばかりだった。
「それとも、この前言ってたアパレルに就職するの? せっかく建築学科を出たのにもったいないじゃないの」と、専務が言う。
「いえ......実は、そっちも落ちまして」
「ええっ、信じられない」と、専務が小さく叫んだ。
「俺は落ちると思ってた」と社長は、呟(つぶや)くような小さな声で言った。
「あなた、どうしてよ。なんで北園さんが断られるの? こんなしっかりしたお嬢さんなのに」と専務が興奮気味に尋ねる。
「俺はさ、高卒だからさ、学歴で人を判断するヤツは好きじゃないんだけど」
そう言って社長はお茶をひと口飲んでから続けた。「そのアパレルってのは、要は洋服屋のことだろ? 中小零細の洋服屋で働いている男は、ほとんどが高卒か専門卒か、大学を出ていたとしても三流だろ。北園さんみたいないい大学出ている女の子が部下になったって、うまく使える自信がないんだよ。それ以前に強烈な劣等感や嫉妬心がある。同じクラスのアケタさん、とか言ったっけ? その人のことを田舎もんだとか言って馬鹿にするのだって、他に見下す要素がなかったからじゃねえのか?」
社長は、工業高校を出てから現場で経験を積み、一級建築士の資格を取ったと聞いている。
「ああ、なんだか嫌だわ。私、嫌でたまんないわ」と、専務が両手で顔を覆(おお)った。
「要はさ、秀才女子はどこ行っても煙たがられるんだよ。有名大卒理系女子なんて、ある種の男から見たら腹の立つ存在なんだ。雇ってもらえるわけないんだよ」
「そんな企業なら内定が出なくて良かったわよ。こっちからお断りよ。そもそもアパレル業界が建築学科の学生なんて欲しくないのよ」
「それはどうかな。社員の専門分野や考え方や、それこそ出身地なんかもバラエティに富んでる方が、俺は企業にとっていいと思うぜ。逆にそういう会社じゃないと伸びしろがないよ。まっ、心配せずともそんな洋服屋、すぐにつぶれるよ」
私を慰めるためもあってか、二人ともアパレル企業に対して怒りをぶつけてくれた。
「最近になって、一戸建ての注文が来たんだよ。昔と違って今の若夫婦は家に対してこだわりを持っているからね。素人ながらも間取り図を描いて持ってきて、窓はこういう感じ、玄関はこんな風にって、雑誌の写真の切り抜きを添えてたんだ。夢を描いて楽しそうにしてるから、俺まで嬉しくなったよ。だからさ、上田工務店も捨てたもんじゃないぞ」
そう言って、社長は是非にと勧めてくれた。
大学の就職課に相談に行ってみることにした。
そういった部署があるのは前から知ってはいたが、自分の周りには相談に行った人はいなかったし、何号館にあるのかさえ知らなかった。
就職課は本館の奥にあった。ドアを開けると、ハリー・ポッターの世界に迷い込んだかと思うほど重厚感のある部屋が現れた。壁一面が木製の棚になっていて、マホガニー製と見える長いカウンターがある。創立以来百年間ずっとこのままだったのではないかと思われた。
棚には卒業生の就職先などの資料がファイルされてずらりと並んでいる。自由に閲覧するようになっていて、何人かの学生が手に取っていた。カウンターには五人の職員がずらりと並び、銀行の窓口のようにひとつずつ仕切られている。その中で女性の職員は一人だけだった。五十歳前後だろうか、痩身に地味なグレーのジャケットを羽織り、刈り上げに近い短髪に黒ぶち眼鏡をかけている。こういったタイプは、きっと女子学生の味方に違いない。お洒落もせず、化粧っけもないことから、仕事一筋の姿勢が窺えた。
彼女が担当になってくれることを祈りながら、ソファに座って順番を待った。
すると、その女性職員に名前を呼ばれた。
「北園さんですね、お座りください」
「よろしくお願いします」
私はカウンターを挟んで彼女の正面に腰を下ろした。
「今日はどういった相談ですか?」
「はい、実は......」
私はこれまでの就職活動の内容を、順を追って話した。
「ふうん、なるほどね。どこに行っても駄目だったのね。そっかあ......」
何か変だった。彼女には、ヤル気がまるで感じられない。
どうしてなのか。意味がわからない。
たぶん若いときは見抜けなかっただろう。だが六十代まで経験した私には、いま目の前にいる五十歳前後の女が、頭の中で全く別のことを考えているのが手に取るようにわかった。
「いったい、どうすれば就職できるんでしょうか」
聞いたところでどうせロクな返答はないだろうと思いながらも、藁(わら)をもつかむ思いで尋ねた。
「コネはないの? 知り合いに代議士とかいない?」
「いないです」
「だったら後ろの棚のファイルを見てみて。たくさん置いてあるでしょう? その中に気に入った企業があれば、電話をかけて先輩訪問をしてみればいいわ」
その先輩とやらは男ばかりではないのか。地方出身者のコネなし女もファイルされているのか。
きっと......ない。
絶対に......ない。
そのときだった。
「あ、徳田さん、こっち、こっち」と言いながら、彼女はいきなり満面の笑みを浮かべて立ち上がった。
何ごとかと振り返ると、背の高い女子学生がドアから入ってきたところだった。道ですれ違ったとしたら、思わず振り返ってしまうほどの美人だった。そこにいた学生だけでなくカウンター内の職員も顔を上げて彼女を見つめている。彼女はリクルートスーツではなく、小さな花がちりばめられたシックな紺色のワンピースに身を包んでいた。
「えっと、あなたね、その上田工務店でしたっけ? もうそこに決めちゃったら? せっかく来てくれって言ってるんだし。ねっ?」
そう言い捨てると、カウンターから出て美人学生に駆け寄り、親し気に話し始めた。
えっ、私の相談はこれでもう終わり?
不満だったが、これ以上は話しかけられない雰囲気だった。話しかけたりしたら邪険に扱われ、もっと惨(みじ)めな気持ちになることがわかっていた。
今朝アパートを出るときの、期待でいっぱいに膨(ふく)らんだ気持ちが一気に萎(しぼ)んだ。こんなことならアルバイトを休まなきゃよかった。
立ち上がって、椅子を元に戻そうとしたとき、背後から「大丈夫?」と遠慮がちに尋ねる声が聞こえてきた。見ると、リクルートスーツを着た小柄で地味な佇(たたず)まいの女子学生が立っていた。
「私も同じ目に遭(あ)ったの」と、彼女は小声で続けた。「徳田さんが相談に来た日は相手にされないのよ」
「それって、どういうこと? 詳しく教えてくれない?」
「いいよ。ここ、出よう」
部屋を出て、キャンパスの中に置かれたベンチに並んで座った。
「毎年三月くらいになるとさ、週刊誌なんかに高校ランキングが載るの知ってるでしょう?」
いきなり何の話だろう。
「知ってるけど? どこの高校が東大や早慶に何人合格者を出したかっていう、あれでしょ?」
「そう、それよ。それと同じでね、どの大学がどの有名企業に何人入社させたかを競い合ってるの。それは大学の評価に直結するし、大学入試の受験者数を左右するからね。ほら、私たちのときも受験料って高かったでしょ?」
「うん、意味がわかんないほど高かった」
「でしょ? どこの大学も受験料でがっぽり儲(もう)けたいのよ。だから、受験倍率が高ければ高いほどいいわけよ」
「なるほど、それで?」
「有名企業に何人入社させたかっていうのは、大学ごとの評価だけじゃなくて、職員個人の評価にも繋(つな)がってるのよ」
「へえ、そうなんだ。それで?」
私は鈍いのだろうか。彼女の言いたいことがわからなかった。
「さっきの美人は経営学部なの。私は文学部の英文科だから彼女とは接点はないんだけど、就職課に通うようになってから彼女が有名人だと知ったのよ」
この大学は、経営学部だけが突出して偏差値が低いので、見下している学生も少なくなかった。そして、女子学生が文学部ばかりを受験するからか、英文科が最も偏差値が高かった。
「彼女、すごくきれいでしょう? ミス日本と言っても誰も疑わないよね。だからね、どうやら彼女はどこでも就職先を選べるみたいなのよ。今のところ、都銀の秘書室か、商社の秘書室か迷ってるみたい」
「えっ、それって、まさか美人だからってことじゃないよね?」
「美人だからってことだよ?」
絶句していた。
「つまりさ、私たちみたいに一流企業に就職できそうにない学生は相手にされないってことだよ。職員の昇級にもボーナスにも寄与しないから」
「ええっ」
私は思わず大声を出していた。
「だって、中小零細じゃ職員のお手柄にならないでしょう? そんなに落ち込まないでよ」
彼女はそう言って、私の肩をポンと叩いた。
「でも、彼女は自宅通いなんでしょう?」
「地方から出てきてアパートで独り暮らしだったんだけど、就職活動をする間際になって、急遽(きゅうきょ)親戚の家に下宿しだしたみたいよ。それで自宅通勤の扱いになってるって、噂で聞いた」
「そんなあ」
「でも、就職課はいいところもあるの。私みたいに箸にも棒にもかからない、どこからも内定がもらえない学生には就職先を世話してくれるの。といっても、社員十人くらいの零細企業ばかりだけどね」
そう言って、彼女は寂し気に微笑んでから立ち上がった。「ということで、私、もう戻るね」
「いろいろありがとう」
「どういたしまして。また会ったら声かけて」
そう言うと、建物の方へ走っていった。
私って、どこまで世間知らずなんだろう。
昨日まで私はこう思っていた。就職課というのは、就職先が見つからない女子学生に同情してくれて、世間の理不尽に対して一緒になって憤慨(ふんがい)してくれ、そのうえ学生に発破(はっぱ)をかけて励ましてくれて、「だったらこういった素晴らしい企業があるわよ」などと、大学の偏差値に見合う優良企業を紹介してくれるところなのだと。
あんた、甘いんだよ。
究極の甘ちゃんだよ。
誰しも自分のことしか考えてないんだよ。
誰も助けちゃくれないんだよ。
世間の冷たさが骨の髄(ずい)までしみ込んだ日だった。
その数日後、アケタから電話が来た。
――就職、決めたよ。
「えっ、ほんと? どこに?」
――前に話したことあるでしょ。梅里設計事務所のこと。
世田谷の住宅街にあり、従業員は上田工務店より二人多いと聞いていた。
栃木に住むアケタの母親が心配して、親戚中に聞きまわってくれたのだ。その結果、遠い親戚の知り合いが経営している梅里設計事務所に辿り着いたらしい。
「そうか、アケタ、決めたんだね。だったら私も上田工務店に決めちゃおうかな」
もはや選択の余地がないのはわかっていた。上田社長が声をかけてくれたことが御の字だってことも。
とにもかくにも実務経験を積まなければ話にならない。経験もなしでは独立することも、一級建築士の試験を受けることもできないのだから。
――私はいいと思う。上田工務店。
アケタが背中を押してくれた。
――だってさ、上田工務店って北千住にあるんでしょう? あの辺りは庶民の街だから家賃も安いし、スーパーや八百屋も安いんじゃない? だから雅美、上田工務店の近くにアパート借りればいいよ。そしたら大手と比べて給料が安くても、物価の差額分を考えれば少しは挽回(ばんかい)できるでしょ。
「そうか、そういう考え方、いいね。大企業はみんな大手町にあるからね」
大手町の近くには、家賃の安いアパートなどない。となると、一時間以上かけての電車通勤となる。それを考えれば、給料のことだけでなく体力的にも厳しい。そのうえ満員電車に乗れば必ずと言っていいほど痴漢に遭うから、朝っぱらから神経を擦り減らし、爆発寸前のストレスが溜まり、会社に着いた頃にはぐったり疲れているだろう。
上田社長は誠実で穏やかな人物だし、専務である奥さんは、営業から設計、左官までやるバイタリティ溢れる人だ。社員とアルバイト全員の昼ごはんを作ってくれるから、昼食代が浮くのも助かる。
「アケタ、私、決めた。上田工務店で雇ってもらう」
そう口にした途端、すうっと気持ちが楽になった。
@15 揺らぐ心
昨日は心を決めたはずだった。
アケタが梅里設計事務所で働くと決心したというから、つい釣られて上田工務店に決めたと言ってしまった。だけど、今までずっとアルバイトをしてきたの だから、上田工務店での仕事の内容は知っている。それを考えると、将来性もないし、希望が見えなかった。
社長は若夫婦から一戸建ての注文が来たと言ったが、それは滅多にないことだし、そんな面白そうな仕事は社長と先輩社員が担当するのだろうから、自分の出る幕はない。たまに意見を聞かれたり、社長の背中を見て学んだりといったことはあるかもしれないが、所詮(しょせん)自分が責任を持つ仕事とはならない。
給料の額をはっきり言ってくれないのも、モヤモヤの原因だった。
――学歴に見合うような給料は出せない。
――でも俺んとこは男女同一賃金だから。
だったら初任給はいくらなのか。はっきりと額を知りたかった。
それもこれも日本人の悪い習慣だ。最も大切なのは給料の額なのに、なかなか言わない。こちらから聞けばいいことだとはわかってはいるのだが、聞きにくい雰囲気があった。
男性の先輩社員二人は三十代だが、休日の過ごし方などを聞いている限りでは、かなり給料が抑えられているように感じていた。専務である奥さんの洋服などを見ても節約生活が垣間見られる。たぶん儲かっていない。
もしかしたら、スーパーのレジだとかブティックの店員なんかのアルバイトの方が稼げるのではないかとまで考えてしまう。
だからまだ、上田工務店に入社します、と社長に宣言できないでいた。
本当は選択の余地などないのに、どうしても言えなかった。心の奥底で、もう一人の自分が「絶対に嫌だっ」と叫び声を上げていたからだ。
そんな気持ちを抱えながら、今日もアルバイトへ向かった。
上田工務店では、昼食の三十分前になると専務がさっと立ち上がり、奥の台所に入っていく。全員分の昼食を作るためだ。
「専務、私にも手伝わせてください」
そう言いながら専務の後を追った。
「手伝ってくれるの? 助かるわあ」
「おいおい、北園さんにそんなことを頼んじゃだめだよ」と社長が言う。
「そう? やっぱりだめよね」と、専務は私の表情を窺(うかが)うように覗(のぞ)き込んだ。
「大丈夫です。私、手伝いたいんです」
上田工務店の中で、女は専務と私だけだった。たぶん家族経営の会社ならどこでも似たり寄ったりなのだろうが、社長には昼休みが一時間あるから、ゆっくり本を読んだりテレビを見たりできる。ときどき近所に住むおじいさんと碁を差すこともある。だが専務である奥さんは昼食を作ってみんなに食べさせたあとは皿洗いが待っていて座る暇もない。夕刻になり仕事が終わったあとも、夕飯づくりや洗濯物の取り込みなどの家事が山積みで、休憩する時間がないことくらい、実際には見ていなくてもわかる。前の人生で嫌というほど経験済みだ。
それでもいつも明るく振る舞う専務を見ると、複雑な気持ちになる。若いときは、そういった年上の女性を見るたび立派だと思ったものだ。だが六十代を経験した今は違う。思いきって爆発しちゃいなよ、とけしかけたくなる。
実は、この夫婦関係を傍から見ているだけでもストレスが溜まっていた。奥さんがふっと疲れた横顔を見せたときなどは、ついつい余計なお節介を口にしそうになる。
――社長もソファにふんぞり返っていないで手伝ったらどうですか。不公平でしょう? 自分の妻が疲れきっているのがわからないんですか? 熟年離婚に繋がっても知りませんよ。
そう言いたくてたまらなくなる。
おっと危ないと口を閉じる。私が六十代からタイムスリップしてきたことなど奥さんは知る由(よし)もないのだから、若い女が奥さんに夫婦関係のアドバイスなんかしたら、十中八九嫌われるだろう。
休日になると、ときどき上田からアパートに電話がかかってくるようになった。彼は早々に大手ゼネコンに就職が決まり、大学の単位もほぼ取り終えたらしく、石垣島の民宿でアルバイトをしながらサーフィンを楽しんでいるという。
――もしもし、北園さん、うちの両親、すげえ厄介だろ? 大丈夫?
「厄介どころか、すごく良くしてもらってるよ」
――本当に? だったらいいけど、嫌なことがあったら遠慮なく俺に言ってくれよな。
「ところでさ、上田くんは就職したらどんな仕事を担当するの?」
――そんなことまだわかんないよ。研修期間も長いしね。でもニュータウン開発のチームができたから、たぶんそこじゃないかって面接のときに言われたけどね。北園さんは今うちでどんな仕事してるの?
「近所に松の湯っていう銭湯があるでしょ? あそこのタイルが剥(は)がれちゃってね。その補修工事の見積もりを任されてるの」
――北園さん、ごめん。
「何で謝るの?」
――だって俺より北園さんの方がずっと成績良かったのに、俺んちの実家の小さな工務店で働いてもらうなんて、申し訳ないよ。
「まだ上田工務店に就職するって決めたわけじゃないけど」
――うん、それは聞いてる。でももしも正式に俺んちに就職したとしても、今やってる松の湯のタイル直しと同じような仕事ばかりだと思うから、なんだか悪くて。
「私は上田くんに感謝してるよ。もしも上田工務店に就職できなかったら、路頭に迷うかもしれないんだし。それに、お昼ご飯を専務と一緒に作るのも楽しいしね」
――えっ? まさか北園さんに昼メシ作らせてんの? 嘘だろ? 信じらんない。ごめん。今すぐ母ちゃんに電話してやめるよう言っとく。
そう言って電話を切ろうとするので、私は慌てて否定した。上田くんのお母さんと一緒に料理を作るのを楽しんでいるのだと。自分から申し出たのだと。
――それ、本当に本当の本心? 無理してんじゃないの? しつこいようだけど、もし言いにくいことがあったら、俺から言っとくから遠慮なく教えてくれよな。
「ありがとう。でも本当に大丈夫」
――うちの母ちゃんの料理、ワンパターンだろ。炭水化物多めだし。だけどプリンや牛乳寒天だけは上手で、ガキの頃から楽しみだったけどね。
「へえ、そうなの? 私も食べてみたいなあ」
――北園さん、話変わるけどさ、アルバイトがもう一人いるだろ?
「大熊くんのこと?」
――そう、そいつ。どうなの? 仲良くやれてる?
「うん、まあ。表面上はね」
そう言うと、上田はアハハと声を出して笑った。
――表面上かあ。だったらデートに誘われたりしてないってこと?
「デート? それはあり得ない」
だって大熊は私を見下している。私が女だからという以外に理由は見つからない。
彼は明解大学の建築学科の学生で今三年生だ。明解大学は私も受験した。第二志望だったが合格し、入学金の締め切り日が早かったから十五万円も振り込まなければならなかった。その三日後に麗山大学の合格発表があった。私は麗山大学に進学したいと言い、母は十五万円も払ったのだから明解大学に行きなさいと猛反対だった。女が建築学科に進学したところで何になると母は思っていたから、十五万円もドブに捨てるのが許せなかったのだ。だが私は麗山大学を蹴るなんて考えられなかった。畳に手をつき、「就職したら絶対に十五万円は返します」と言って頼んだのだった。
上田工務店を入ってすぐの土間に、衝立(ついたて)で仕切っただけの応接コーナーがある。そこで私と社長夫婦が話している声は、きっと事務所中に聞こえている。
私がどこからも内定がもらえないことや、それに同情した社長夫妻がうちで雇ってやってもいいよと言ってくれていることも知っているのだ。それ以来、大熊の態度が一層横柄になった気がしていた。きっと大熊は、明解大学を卒業後は大手の建設会社に就職できると思っているのだろう。
――ところで明田さんはどうなった?
「彼女は知り合いの設計事務所に決まったよ」
――そうか、それは良かった。彼女、将来独立したいって言ってたからね。
「それは、どういう意味?」
――設計だけならゼネコンなんかより色んな案件に数多く関与できるだろ? だから早いうちにたくさん経験を積めるから、独立にはいいと思うってことだけど?
私もアケタも、大手設計事務所にはことごとく相手にされなかった。だけど、どう考えたって上田工務店より、零細であってもアケタが決めた梅里設計事務所の方が将来性がある。
上田工務店に長年勤めたとしても、独立できる可能性は少ないのだ。
どうやらクラスの中で私一人だけが取り残されたらしい。
その何日後か、昼食を作っているときに、何の気なしに専務に話した。上田くんが言ってたんですけどね、お母さんが作るプリンや牛乳寒天が子供の頃から大好きだったって。
それを聞いた専務は、今まで見たこともないほど嬉しそうな笑顔になった。
そして、その翌日の昼食づくりのときだ。
専務が冷蔵庫から大きなタッパーを取り出した。中身はプリンだった。それを大きなしゃもじで掬い取りながら、ガラスの小鉢に取り分けていく。
「北園さん、そこのバナナ、皮を剥いて切ってくれる? プリンの横に添えるの。二人で一本の勘定でね」
お盆に載せたプリンを台所から運んでいくと、おおっという歓声が上がった。
「嬉しいなあ」
「おっと美味しそうじゃないですか」と、次々に声が上がる。
「ひどいんだぜ。俺だってプリン大好きなのに、専務ときたら息子が家にいるときしか作らないんだもん。息子が来年四月から社員寮に入ったら、もう二度と食えないんじゃないかって、夜蒲団に入ってから、俺毎晩泣いてたんだ」と社長が言う。
「社長、大げさです」
「社長、その冗談、つまらないです」
「やだわ。男のくせに」と、専務は笑いながら続けた。「こんなの女子供の食べ物でしょ」
「それはそうかもしれませんけど、男だって好きなんですよ」
「大きな声では言えませんが、俺も甘いもの大好きです」
「右に同じです」
令和の時代になれば、男が一人で甘味処やパフェ専門店に入るのが珍しくなくなるのだ。こんな小さなことがらまで、男たちは「男らしさ」を強要されて我慢していたのだろうか。
――ねえ、男たち。もっと自由に生きようよ。それと引き換えに、女に女らしさを強要しないでちょうだい。
心の中でそう呟(つぶや)いていた。
@16 高層建築は誰のため
その日の上田工務店での昼食はカツカレーだった。
いつもと同じように、社長と専務、男性社員二人と私、それとアルバイトの大熊の六人で大きなテーブルを囲んだ。
カツカレーの日は、男性陣は決まって歓声をあげるのだった。これだけ喜んでもらえるのかと思うと、作った方としても気分がいい。
社長夫婦以外の全員が独身だった。独身者にとって、ここでの昼食が一日のメインの食事となっているようだった。そういう私自身も、仕事が忙しくて家に帰ると疲れてしまい、自分一人分の食事作りが面倒になってきていたので、ここの昼食への期待感は日に日に大きくなっていた。
いつだったか、天ヶ瀬が夕飯には鯖(さば)の味噌煮が食べたいと思っていても、帰宅したらグラタンだったらがっかりするなどと言っていたことがあった。そのときは、夫側の視点を初めて知って同情したものだ。
日本は戦後豊かになった。戦前や戦中の頃のように、何でもいいから腹いっぱい食べられれば幸せというような時代はとっくの昔に終わっている。好きな物を食べたいと思って当然だ。となると、キッチンも男性が使いやすいように改良した方がいいのではないだろうか。
夫が言ったことがあった。
――誰が見たって流し台の高さは日本人女性の平均身長に合わせて作ってあるじゃないか。
そんな屁理屈(へりくつ)をつけて、夫は皿洗いを拒否したのだ。
「いただきます」
次々に機嫌の良い声がダイニングルームに響いた。
食事中はいつも、大型のブラウン管テレビは点けっぱなしだ。チャンネルはNHKと決まっていて、昼のニュースが流れていた。
――池袋サンシャインビルを追い越すそうです!
アナウンサーの興奮気味の声が聞こえてきた。
見ると、広大な土地に鉄杭が何本も打ち込まれた建設現場が映っていた。
「サンシャインを追い越すってことは、六十階を越すってことだよな」と、社長が言う。
「すごいビルができるんですね。何メートルくらいになるのかな」
「次のビルも、サンシャインみたいに水族館か何か楽しい施設が入るといいなあ」
男性社員二人と大熊が口々に言う。
昭和の時代から、ビルはどんどん高く大きくなっていった。平成の時代になると、高層の建物は商業ビルだけでなく、居住用のマンションも雨後の筍(たけのこ)のように増えていったのを私は知っている。
「やだねえ」と、社長が溜め息交じりに言ってからカツを一切れ口に放り込んだ。
「ああ、やだやだ」と、専務も相槌(あいづち)を打つ。
「なにが嫌なんです?」と、大熊が尋ねた。
「高い建物が建てば日陰になる家ができるじゃないの」と、専務は憤懣(ふんまん)やるかたないといった表情で言う。
「そうさ。高ければ高いほど、大きければ大きいほど、日陰になる家が多くなるってことなんだ」と、社長も同意する。
そのとき、ふっと苦い思い出が蘇(よみがえ)ってきた。
以前の人生で初めて買った築三十年の中古マンションは、杉並区にある六階建ての五階だった。節約に節約を重ねて頭金を貯め、残りは三十年ローンを組んだ。高層マンションではなかったが、高台にあったために、天気の良い日は窓から富士山がくっきり見えた。
茶色の古い窓枠が額縁の役目を果たし、まるで絵画を見ているかのようだった。絵画とは違い、四季折々に変化を見せてくれる。富士山そのものよりも、その周りの景色の季節の移ろいが好きだった。それを眺めつつ読書をしたり、ヴィヴァルディを聴いたりしたら、どんなに癒されるだろうか。不動産屋に連れられて内見したとき、そう夢想したのを今もはっきり憶えている。
いくつもの中古マンションを内見したが、その窓が購入の決め手となった。契約を済ませたあとすぐに、窓辺に置くコーヒーテーブルと椅子のセットを、あちこちの店に行って探し回った。
リサイクルショップで一目惚れしたのは、イギリス製のアンティークだった。我が家には贅沢すぎる価格だったが、目が釘付けになってしまい、その場から離れることができなかった。それを見た夫は苦笑し、「そんなに気に入ったんなら買えばいいだろ」と言った。夫が優しかったからではなく、家計を私に任せっぱなしで、物の値段にはいつも無頓着(むとんちゃく)だった。
コーヒーを淹(い)れて、旬の果物とともにテーブルに置き、肘掛け椅子に座って窓から景色を眺めた。もうそれだけで、何とも言えない幸福感に満たされたものだ。パート先で頭の悪い上司から怒鳴られたときは、この景色を見ながら悔し涙を流した。祖母が亡くなったときも、その景色を見ながら幼い日々をしんみりと思い出したりした。
この頃が、夫との会話が最も弾んだ時期だった。「富士山を見ながらお茶を飲む会」などと称して、休日になるたびに窓の外を眺めたものだ。幼い息子たちを、それぞれの膝の上に乗せていたのが懐かしく思い出される。季節ごとに異なる姿を見せてくれる景色は、どんな高価な絵画よりも価値があるねと、夫婦で繰り返し話したのだった。
だが、そんな幸せが続いたのも、マンションを購入した最初の三年間だけだった。というのも、マンションのすぐ隣にあった、見るからに由緒ありそうな古い大邸宅が取り壊され、高級感溢れる十五階建てのマンションが建ったことで、我が家の窓が完全に塞(ふさ)がれてしまったからだ。
――お宅は残念だったわね。私の部屋からは今も富士山が見えますけどね。
自慢げにそう語ったのは、同じマンションの六階の角部屋に住む年配の女性だった。
しかしその三年後には、角部屋に住む彼女の部屋の前にも高層マンションが建ち、五十戸あるマンションのどの部屋からも富士山を望めなくなった。
夫婦の会話が少なくなったのは、その頃からだったように思う。「富士山を見ながらお茶を飲む会」がなくなったからだ。隣のマンションを見ながらお茶を飲んだって面白くも何ともない。向こうは十五階建てだから、きっと景色はいいのだろうと思うと、見下されているような気持ちになった。彼らのベランダにはためく洗濯物すべてが高級ブランド品であるかのような錯覚に陥ったものだ。敗北感でいっぱいになり、隣のマンションの住民全員を嫌いになった。
だが、三十年ローンはまだまだ終わらなかった。
眺望の良さが、これほど重要なものだったとは、東京に出てくるまで知らなかった。実家で暮らしていた頃は、眺望というような言葉は聞いたことすらなかった。田舎には高い建物は一つもなかった。ときどき平屋を見かけたが、それ以外はすべて二階建ての戸建てだった。そのことは、令和になってからも変わっていない。
実家のある町では、どの家の窓からも山々が見えた。物干し台からは、もっと開けた景色が見えた。夜になったところで東京のような夜景もなければ東京タワーもないのだから、家を建てるときに眺望をことさら重要視する必要はなかった。
私たち家族がまだましな方だと知ったのは、ずっとあとになってからだ。港区の海沿いにあるマンションを買った知り合いは、もっと悲惨だった。ベランダからは墨田川や東京タワーやレインボーブリッジが見え、逆側の共用廊下からは太平洋が見えるというのが売りのマンションだった。
最初のうちは不動産屋の言う通り、素晴らしい景色を堪能する日々だったようだが、数年後にはベランダ側から見えるのは隣のマンションの壁となった。だが、それだけじゃすまなかった。高層マンションの新築ラッシュによって、彼女のマンションの東西南北すべての方角が塞がれてしまったのだ。
――太平洋どころじゃないわよ。今じゃ空だって少ししか見えないの。それも、細長いのよ。引っ越したいけど住宅ローンがまだ三十年近くもある。この眺望じゃあ安く買い叩かれそうだし。
そう言って嘆いていたことがあった。
隅田川の両脇にびっしりと高い建物が隙間なく建ち並び、少し前まで漁師町だった面影は跡形もなくなった。そのせいで風の通り抜けが邪魔され、夏は更に暑くなった。だがその一方でビル風は、通行人をよろけさせるほど強烈なものになってしまった。
「東京もニューヨークみたいになるんですかね」
男性社員の声で、現実に引き戻された。
「そうかも知れねえな。戦後、日本はがむしゃらに頑張ってきた。アメリカみたいな近代的な都市を早く作らなきゃって。遅れを取り戻そうと必死だったんだ」と社長が言う。
「戦後は目覚ましい復興を成し遂げたって、祖父がよく自慢げに言ってました」
「うん、頑張りは認めるけどさ、あまりに節操がなかったと思うよ。都市計画っていう概念がなかったんじゃないかな」
「東京オリンピックが、その節操のなさに拍車をかけたのよ」と専務が言う。
「そうそう。あれで一気にコンクリートだらけになっちまったんだよ。一九六四年のオリンピックに間に合わせるために、戦後復興はラストスパートをかけたんだ」
「あ、そのときですね。新幹線を東京と大阪の間に走らせたのは」
「そうなのよ。外国人が来るからって、急げ急げの突貫工事よ」
「あの頃は、高層ビルが建つたびに見に行ったもんだよ」と、社長が懐かしそうな目をして言う。
「あの当時、日本で一番高かったビルは何だったかしら」
「霞が関ビルだったんじゃないか? そのあと世界貿易センタービルができて、それから西新宿のビル群で、その次がサンシャイン60だ」と社長が言った。
高度成長期の求めるものが高さであり、大きさであったのだろう。その根底には、「男らしさの証明」のような何かがあったのではないか。というのも、女でそういったものに魅力を感じる人は、そう多くはない気がするからだ。
関東地方には「富士見」の名の付く地名がたくさんある。それほど昔はあちこちから富士山が見えたのだ。それらを家の窓から愛でることができるのんびりした暮らしを、女は求めていたのではないか。
大きなビルは、果たして人間を幸せにしたのだろうか。その時代から女の視点が入っていたならばと、残念でならない。
それにしても、戦後の復興期だけではない。そのあとも次々に高いビルが建つ。その傾向が令和になっても続くことは、この中では私だけが知っている。そして、池袋のサンシャイン60が最も高かった時代があったなんて信じられない、などと若者は言うようになる。
「駅前のコンクリート打ちっぱなしのレストラン、かっこいいっすよねえ」と、痩身の先輩社員が思い出したように言った。
「俺も見た。ああいうお洒落な店に彼女を連れていきたいよ」と、色白で小太りの先輩社員が言う。
「お前、彼女作ってから言えよ」と、痩身の社員がからかった。
この当時は、コンクリート打ちっぱなしのブティックやレストランが流行ったのだった。だが、永遠にお洒落であり続けるのは難しい。
今日「お洒落」なものは、明日には「ださい」のだ。コンクリート打ちっぱなしのマンションを見ると、貧乏臭く感じるようになる日が来る。私より下の世代となると、予算が足りなかったからコンクリートのままだと思う人もいるほどだ。
そのあとは吹き抜けや広いリビングが流行るようになる。だがそれも、いつしか冷暖房費がものすごくかかることに誰もが気づき始める。大震災やロシアの ウクライナ侵攻などで電気代が爆上がりすると、光熱費が無視できなくなり、四畳半くらいの狭い部屋ならエアコンがよく効き、効きすぎてすぐに電源を切るから節約になることが知れ渡るようになる。
「俺も、ああいうコンクリ打ちっぱなしのビルを設計したいなあ」と先輩社員の一人が言った。
「そんなことよりお前ら建築士の試験はいつ合格するんだよ」
その社長の言葉で、私はびっくりして顔を上げた。大熊と同時だった。
「えっと、それって......お二人は建築士の資格を持っておられないってことなんですか?」
大熊が恐る恐るといった感じで尋ねると、二人ともむっとした顔を晒(さら)した。
嫌だったのは、私が言ったんじゃないのに、痩身の方が私を睨んだことだ。
「あ、すみません。余計なこと聞いちゃって」と、大熊が謝った。
「いいんだよ。大熊くんからも発破かけてやってよ。二人とも去年三十歳になったんだから、資格くらい取らないとね。ぼやぼやしてたら北園さんや大熊くんに追い越されちゃうよ」と社長が言った。
「いいよなあ、大熊くんも北園さんも大卒だからさ。俺たちとは格が違うよ」
今まで事務所内がこれほど嫌な空気に包まれたことはなかった。
そう言えば、社長はこう言ったのではなかったか。
――中小零細の洋服屋で働いている男は、ほとんどが高卒か専門卒か、大学を出ていたとしても三流だろ。北園さんみたいないい大学出ている女の子が部下になったって、うまく使える自信がないんだよ。それ以前に強烈な劣等感や嫉妬心がある。
それを話したのも応接コーナーだった。どう考えても筒抜けだったに違いない。社長は善人だが単純明快すぎて、周りに対する気配りが足りない。
二人とも感じのいい先輩だと思ってきたから、ショックだった。こんないじけた先輩たちに囲まれて、果たして自分は今後もここで働いていけるのか。社員が大勢いれば話は別だが、たったの二人なのだ。
やっぱり、ここは嫌だ。
でも......ここ以外に選択の余地はないのだった。
「社長は高層ビル建築に反対なんですか?」と大熊が尋ねた。
「だって何もない原っぱに建てるんじゃないんだぜ。今まであった旧い建物を壊して更地にして建てるんだ」
「社長、そんなの仕方ないですよ。東京には余った土地なんてないんですから」
「仕方ないなんてこと言っちゃあ、お終いよ。歴史ある建物や由緒ある屋敷も次々に解体されていってんだから」
「そうよねえ。本当に残念だわ」
「でも、文化財保護法とかあるから......」と、熊野が言いかけたのを、専務が遮った。
「そこまで有名じゃない一般人の家のことよ。この辺りでも、素敵な塀に囲まれた洋館がいくつかあったし、数寄屋造りの立派な家もあったのよ。それがどんどん取り壊されて、大手デベロッパーが無味乾燥な灰色のビルに変えてしまうんだもの。悲しくなっちゃうわ」
この数年後、麗山大学の百年の歴史を持つ大学図書館が取り壊され、味気ない四角いビルに変わってしまうことを私は知っている。旧館は、柱一本一本に彫刻が施され、窓にはステンドグラスが嵌(は)められていた。補修工事や耐震工事をして使い続けることもできたはずなのに、なぜそうしなかったのか。近代的な高層ビルの方がカッコいいというエライ人の判断だったのだろうか。
ヨーロッパの美しい街並みは、何百年も前から変わらないのに。
(つづく)
Synopsisあらすじ
「私」は、現在63歳。子どもは巣立ち、夫と二人で暮らす平凡な主婦だ。夫は私に関心がなく、家政婦程度にしか思っていない。
ある日、私はふと、気がつく。WBCで活躍した、大谷選手やダルビッシュ、ヌートバー……。彼らは子どもの頃からの夢を一途に追いかけて、あの場所に立っている。なぜ自分はここで、こんなふうに不満ややるせなさを抱えて生きているのだろう。「私は、成績も良かった、努力すればもっと自分の能力を生かせる生き方が出来たはず。けれども、美しくあろうと外見にばかり注力してきたために、今はただのオバサンになってしまった、もし、あのとき、外見をつくろったり、男性の目を気にすることなく、自分のやりたいことを一途に貫いていたら」
もう一度、人生をやり直したい……激しい後悔とともに、そう強く願った私は、気がつくと、中学生に戻っていた……。
Profile著者紹介
2005年『竜巻ガール』で小説推理新人賞を受賞し、デビュー。テレビドラマ化された『リセット』『夫のカノジョ』『結婚相手は抽選で』『定年オヤジ改造計画』や、映画化された『老後の資金がありません』のほか、『四十歳、未婚出産』『夫の墓には入りません』『姑の遺品整理は、迷惑です』『うちの子が結婚しないので』『もう別れてもいいですか』『あきらめません!』『懲役病棟』など著書多数。
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