マンダラチャートマンダラチャート

@4 初恋の人に呼び出される(承前)

 ラジカセのスイッチを押すと、歌謡曲が流れてきた。
 ――どうか私を捨てないで すがって泣いたの
「はあ?」と、思わず声に出していた。
 いったい誰がこんな歌詞を作ったの?
 どうせ男でしょ。
 なんでこんな歌詞を女の歌手に歌わせるのよ。
 そんな私の怒りを無視して、容赦(ようしゃ)なく歌は続く。
 ――あなた好みの女になりたいの
「ふざけないでっ。女の主体性はどこに行ったのよっ」
 この歌は大ヒットしたから、中学生のときから知っていた。だが中学生のときは、なんとも思わずに聞き流していた。たぶん、演歌の黴(かび)臭い世界と、明るい未来が開けている中学生の自分とは無関係だと思っていたのだろう。少なくとも私の周りには演歌好きな同級生はいなかった。こういった古臭い男女関係を想像して悦に入っていたのは、中高年がほとんどだったのではないか。
 いらいらしているうちに演歌は終わり、次の歌の紹介が始まった。
 やっと同年代の女性アイドル歌手の登場だ。抜群の歌唱力があり、中学時代は大ファンだった。
 ――秋風が吹く中 あなたを思う
 ああ、なんて懐かしいんだろう。
 ――夜空の星を数えたの ひとつ ふたつ......
 声量があるからか声の伸びがいい。うっとりして目を閉じて聞き入った。
 ――ねえ あなた 私が悪いときはぶってもいいのよ。
「は? なに言ってんの?」
 知らない間にラジカセを睨(にら)みつけていた。
 演歌ならまだしも、十代のアイドル歌手にどうしてこんな歌詞を歌わせるのだ。
だけど......この曲も中学生のときから知っていたし、何度も口ずさんだ覚えがある。なぜこの歌詞をさらりと聞き逃すことができたのか。
 何もわかっていなかったのだ。世の中のことも、女性の地位のことも。
 中学生というのは、大人が思っているほど子供ではないかもしれないが、自分が思っているほど大人ではないのだろう。
 残念ながら、この曲も大ヒットした。人気アイドルが歌ったのだし、サビの部分のメロディのノリがよくて覚えやすかった。
 こんな歌がヒットするのはまずいのではないか。「私が悪いときはぶってもいいのよ」などという歌詞を繰り返し歌ったり聞いたりしているうちに、その情景が脳内に刷り込まれてしまう。
 気に入らない女はぶってもいいのだ、制裁する権利が男にはあるのだと、単純に信じてしまう男が一人もいないとは言いきれない。簡単にクズ男の一丁上がりだ。
 棚にあった芸能雑誌『明星』を取り出した。この時代はプライバシー保護の考えがなかったから、巻末に芸能人の自宅住所が載っていたはずだ。丹念に追っていくと、作詞家の事務所の住所も載っていた。昭和、平成、令和と、長年に亘(わた)って何千曲も書き上げた大御所だ。その功績は政府にも認められ、八十九歳のときに紫綬褒章をもらう未来を私は知っている。
 机の中を探ると、スヌーピーのレターセットがあった。
 頭にかっと血が上った状態のまま書き出してしまったからか、ペンが止まらなくなった。
 ――突然のお手紙、お許しください。
 貴殿が作詞された『秋風の吹く街角』について言いたいことがあります。
 歌詞の中の「私が悪いときはぶってもいいのよ」の箇所ですが、これは男尊女卑も甚だしく、青少年に悪影響を及ぼします。こんなことに文句を垂れると、きっと野暮だとおっしゃるんでしょうね。子供のくせに男女の機微に口出しするなんてちゃんちゃらおかしいと?
 ですが、断固抗議いたします。将来に向かって日々勉強に部活にと刻苦研鑽(けんさん)を重ねている女子中高生の高い志をくじいてしまう可能性があります。どんなに努力したところで、男の奴隷のような立場から逃れられないと言っているのも同然なのですよ。あなたはそのことに気づいていますか? 
 言葉をとことん突き詰めて作詞をする義務があなたにはあるのです。女子だけでなく、男子の生き方にも悪影響を与えています。あなたのような有名で立派な大人が作詞したとなると、その一言一言を正しいことだと信じ込んでしまうからです。純粋で単純な男子中学生たちは、気に入らない女は殴(なぐ)っていいんだと勘違いしてしまいます。大人になって、横暴な男に幸福は訪れないことに気づいたときには手遅れです。
 あなたが想像する以上に影響力が大きいことを肝に銘じてください。
 あなたは罪なことをしています。――
 書き終えてから机の中を見ると、二十円切手が数枚あった。この時代は、二十円で手紙が届くらしい。
 明日の朝、登校の途中に投函しよう。

@5 交換日記

 翌日学校へ行くと、予想通りケメコたちに取り囲まれた。
「見たよ、見たよ。昨日の帰り道、天ヶ瀬(あまがせ)くんと言い争っとったでしょう?」
「言い争う? いや、そんなことなかったけど?」
「だって肩をつかまれとったじゃないの。どんくらいの強さでつかまれたん?」と、由香が怒ったように尋ねた。その目つきは、天ヶ瀬の指の力の強さに比例して嫉妬が強くなることを意味していた。
「つかまれた? そんなことあったかな?」と、とぼけるしかなかった。
「数学の教科書を開いとったようやったけど」と、直美が冷静な声で言う。
 遠くの物陰から見ていたのだろうか。それにしても、双眼鏡を持っていたわけでもないだろうに、何の教科だったかまで知っている。
「で、何を話しとったん?」とケメコが私の答を急(せ)かす。
「応用問題の解き方に考え方の違いがあったみたいでね......」と、昨夜用意しておいた答を言った。
「なるほど。だから激しく言い争っとったんか」と、直美は簡単に納得した。
 都合のよいことに、ケメコたち全員が数学が苦手だった。どの問題の、どういった解き方に相違があったのかなどと、突っ込んで質問してこないから助かる。
「あーあ、私も数学が得意だったらよかったなあ」と、ケメコが無念そうに言う。
「私もそういう世界には入り込めんわ。珠算(しゅざん)二級だから暗算は速いけど、小学校五年生くらいから応用問題にはついていけなくなったもんでね」    
 と、直美も悔しがる。
「心配せんでいいよ。だって男子っていうのは、数学が得意な女子なんて好きじゃないもん」と、由香はそれが常識であるかのように言いきった。
「それは言える」と直美が同意すると、ほっとした空気が流れた。
「期末テストの前になったら、天ヶ瀬くんに数学を教えてもらおうかなあ」と、ケメコが言う。
「抜け駆けは許さんよ」と直美が釘を刺した。
「わかっとるよ。必ず直美と由香を誘うから安心して」と、ケメコが言った。
「私は遠慮しとく」と、由香は続けた。「だって、頭が悪い女だと思われたら嫌われるもん」
 数学ができる女子は男子から敬遠されるが、とは言うものの頭の悪い女も好かれないらしい。
「ほら、お出ましよ」と、由香が声を落とした。
 天ヶ瀬が後ろのドアから入ってくるのが見えた。
 隙(すき)を見て天ヶ瀬にノートを渡そうと思っていたが、いったいどのタイミングで渡せばいいのだろう。私のすぐそばにいるケメコ、由香、直美はもちろんのこと、他の女子の多くが天ヶ瀬をそれとなく視界の隅に置いている。ノートを渡す瞬間を、目敏(めざと)い女子たちが見逃すわけがない。
 大人から見れば、ほのぼのとした幼い恋に見えるだろう。だが大人の女とは違い、男の経済力や将来性など全く眼中になく、そのうえ肉体関係さえ想像もしない、ただただ純粋な気持ちなのだ。だからこそ強烈とも言えた。私がそうであったように。
 天ヶ瀬の合図は巧妙だった。私だけが天ヶ瀬を見た一瞬のことだった。
 首をくいっと上に上げたのは「ノートを寄越せ」の合図だろう。
 例えばトイレに行くふりをして、トイレの前で渡したとする。だが、手ぶらで手洗いに行った天ヶ瀬が、帰りにノートを持っているなんて、すぐにばれる。数学のことで、などと言ってごまかすのはおかしい。勉強に関してのノートならば、みんなの前で正々堂々と渡さないのは変だと、由香ならすぐに見抜くだろう。
 そのあとも渡すチャンスを窺い続けていたが、教室移動のときも昼休みにも、人目につかずに渡せる瞬間は訪れなかった。
 とうとう帰りのホームルームの時間になってしまった。
「今日は席替えの日だったな」と、担任教師が続ける。「コミュニケーションの偏(かたよ)りを防いで、人間関係を広げるためだ」
 誰も驚いていないところをみると、以前から席替えは予定されていたようだった。
「では、今からくじ引きを行います」と、学級委員の男子が言った。
 一人ずつ前に出ていき、四角い箱に手を突っ込んで、小さな紙を一枚引き抜いていく。私は最後列の廊下側になった。
「それでは、今から一斉に移動してください」と、学級委員が号令をかけた。
 私が荷物をまとめて移動すると、ぶ厚い眼鏡をかけた男子が隣の席に移動してきた。文芸部に所属しているもの静かな子で、みんなにマジメくんと呼ばれている。
 あちこちから歓声が上がったり、大げさに嘆いたりする声が聞こえてくる。そんな騒々しい中、天ヶ瀬が真っ直ぐこちらに向かって歩いてきた。目が合うと、素早くウインクを送ってきた。
 心臓がビクンと飛び跳ねた。
 中学生の男子相手にドキドキするなんて、どうかしてるぞ、自分。
 そもそも彼は六十三歳なのだ。十四歳のときの彼は、女子に向かって気軽にウインクをすることは絶対になかったと思う。つまり、中身は中年オヤジなのだ。だから落ち着け、自分。   
 天ヶ瀬はマジメくんのそばまで来ると、彼の肩に手を乗せた。「俺と席変わってやるよ。いちばん後ろじゃ黒板が見えにくいだろ」
「ありがとう。実は困ってたんだ。で、天ヶ瀬くんの席はどこ?」と、マジメくんが尋ねた。
「前から二番目」
「二番目かあ。できれば一番前がよかったんだけどな」
「隣の席は奥山由香だ」
「えっ、ほんと? 奥山さんの隣?」
 そう言うと、マジメくんは真っ赤になった。
「天ヶ瀬くん、恩に着るよ。眼鏡をかけても黒板の細かい字が見えづらくて」
 マジメくんは運んできたばかりの荷物を持ち、素早く前方の席へ移っていった。
「えっ、うそっ、なんであんたが私の隣に来るのよ」
 前の方から由香の大声が聞こえてきた。そんなきつい言い方をしたら可愛らしいイメージが壊れてしまうのに、そんなことに構っていられないほど激高しているらしい。
「だって天ヶ瀬くんが替わってくれるって言うから」
「はあ? なんで勝手にそんなことするのよっ」
 怒りを抑えきれない由香の声が教室中に響いている。天ヶ瀬も聞こえているだろうに、どこ吹く風といった体(てい)で、教科書や学生鞄を私の隣の席に次々に運んでくる。
 いちばん後ろの席は、全体が見渡せて好都合だった。中学生とはどういう生態の生き物なのかを観察できる。少しずつ真似をしていけばいい。というのも、タイムスリップして三ヶ月経った今でも、自分が中学生としておかしなーーつまり、おばさんみたいなーー振る舞いをしているのではないかと不安になることがあった。
「移動はだいたい終わりましたでしょうかあ」
 教壇に立った学級委員がそう尋ねたので、全員が前方に視線を移した。
 今だ。ノートを渡すチャンスだ。今なら誰も後ろを窺(うかが)っていない。
 素早く鞄からノートを取り出したとき、天ヶ瀬が机の下で手のひらを上に向けて早く渡せとばかりに私を見た。素早く差し出すと、天ヶ瀬がさっと手を伸ばして受け取った。
 次の瞬間、由香が振り返って天ヶ瀬を見たので、どきりとした。
 危ないところだった。最後列だからと気を緩めない方がいいらしい。
 天ヶ瀬は、机の下でノートをぱらぱらとめくった。そして字が書いてあるのを確認したのか、自分の鞄にさっとしまった。
「キティちゃんのノートはやめたのか?」と小声で尋ねてくる。
「うん、やめた。あれは目立つ」
 表紙には「数学」と書いておいた。そもそも交換日記などと勘違いさせない方がいいと考え直したのだ。天ヶ瀬と交際しているという噂が立ったら、女子の友人を一気に失ってしまう。中学生の友だちが欲しいわけではないが、学校行事や進路に関する情報まで遮断(しゃだん)されてしまうのは困る。
 仮に天ヶ瀬との交際を装った場合、それでもケメコが私のそばを離れないとしたら、彼とのことを事細かに知りたいからだろう。尋ねられるたびに恋愛している風を装い、嘘を塗り重ねるのは想像するだけで面倒でたまらなかった。
「移動が終わった人から帰っていいですよ」
 学級委員がそう言うと、天ヶ瀬はさっと立ち上がった。そして私の後ろを通り過ぎるとき、少し屈(かが)んで「じゃあ、また明日な」と耳元で囁(ささや)くように言って、私の肩にそっと手を触れてから教室を出ていった。
 ああ、またどきどきしてしまった。
 落ち着け、自分。
 だって考えてもみなさいよ。彼が中学生だったとき、気軽に女子の肩を触ったりしたと思う? つまり何度も言うが、彼は中年オヤジなのだ。
 そう自分に言い聞かせるが、気分の高揚は止められなかった。
 彼は自宅に着いたら、すぐにノートを読むに違いない。最初の一ページということもあって、タイムスリップしたときの経緯を淡々と書くに留めておいた。
 あの日、カフェでモーニングを食べていたときに、ふと思いついて大谷選手を真似たマンダラチャートを書いてみたこと。それを見つめているうちに、真ん中に書いた目標のマスが台風の目のようになって周りのマスがぐるぐると回り始め、あっと思ったときには、その小さなマス目に台風の目のように吸い込まれていったこと。そして気づくと中学生に戻っていたことなどだ。
 天ヶ瀬はそれらを読んでどう感じるだろうか。彼がタイムスリップしたときの様子も知りたかった。

 その翌日、帰りのホームルームで天ヶ瀬からノートを返された。
 帰宅後、二階の自分の部屋に入ると、すぐに鞄からノートを取り出して開いた。着替える間も惜しかった。
 びっしりと書かれた几帳面(きちょうめん)な文字が目に飛び込んできた。  
 字が小さすぎる。こんなの読めないよ。そう思ったが、目を走らせてみると、まったく問題なかった。それもそのはず、中学生の私はまだ老眼にはなっていないのだった。
 ――北園さん、これからお世話になります。よろしくお願いします。同じ時代からタイムスリップしてきた人間が僕以外にいたと知ったときは、本当に嬉しく思いました。僕にとって北園さんは、この世で唯一の理解者です。お互いに助け合って、今後の人生を乗りきっていければと願っております。
 ビジネスレターかよ。普段は自分を「俺」と言うくせに、文章では「僕」になっている。外見は中学生でも、文章は長年のサラリーマン生活を経た六十三歳のオヤジなのだと、改めて思い知らされた。
 ――このノートを僕に返すのは、朝いちばんにしてください。僕が北園さんに返すのは帰りのホームルームの時間にします。つまり、北園さんの鞄の中に入っている時間を最小限にしましょう。僕の鞄を無断で開けてノートを見るヤツはいないと思うけれど、北園さんの鞄ならケメコや奥山由香が勝手に開けてしまう可能性がないとは言えないから。
 つまり、俺と違ってお前は舐(な)められている、と言われているような気がしたが、考えすぎだろうか。
 ――大谷選手の活躍ぶりはすごいね。彼のマンダラチャートは、僕も週刊誌やネットで何度か見たことがあります。それを北園さんが真似して書いてみたってことに、僕は驚きました。だって既に六十三歳なのに、将来の目標を書いてみたってことだよね? そのバイタリティはすごいと思います。
 天ヶ瀬は勘違いしている。私は過去に戻れたら人生をやり直したいと思っただけであって、まさか六十三歳の時点での将来の目標なんて、書くわけがないじゃないの。努力が実るのは八十代ってことになる。そこまで生きられるかどうか、頭がしっかりしているかどうかもわからないのに。 
 ――僕がタイムスリップしたのは、自宅のリビングのソファに座って考えごとをしていたときでした。北園さんみたいに、何かに吸い込まれたというような感覚はなくて、ハッと気づいたら中学生に戻っていたといった感じです。今の気持ちとしては、パソコンやスマートフォンのある時代に戻りたくてたまらないと思う一方で、せっかく与えられた二度目の人生だし、この際だから全く別の生き方をしてみたいとも思っています。じゃあ、今日はこの辺で。
 なんだ、たったこれだけか。なんだか物足りない。
 もっと心の内側を見せてほしかった。そういう私もタイムスリップしたときの状況を書いただけで、大谷翔平と自分の人生を比べて落ち込んだことまでは書かなかったし、マンダラチャートにどんな目標を書いたのかまでは言うつもりはない。
 ――だって傑作だろ? 大谷と自分を比べる主婦なんてさ。
 夫と同じように、男はみんなそう言って嗤(わら)うに決まっている。そもそも心の中を吐露(とろ)するほど天ヶ瀬と親しいわけでもない。中学のときは、ほとんど話したこともなかったのだから。
 私は用心深くなっていた。いや、用心深くあらねばと自戒していた。不用意な文章がきっかけで天ケ瀬と険悪な仲になったりしたら、唯一の理解者がこの世からいなくなってしまう。
 天ヶ瀬は、全く別の生き方にチャレンジしてみたいと言う。「この際だから」という軽い言い方からして好奇心からだろう。私のように後悔だらけの人生とは違う。
 そりゃあそうだ。大手銀行に定年まで勤め上げた男だ。エリート街道まっしぐらだ。美人を妻に娶(めと)り、子供は二人とも優秀だと、同窓会のとき噂で聞いた。人も羨(うらや)む順風満帆の暮らしだったのだ。

 その夜もまたラジオを聞いた。
 ――好きよ あなたの優しい目 あなたについていきたいの
「は?」
 あー嫌になる。
 誰もいない部屋でこれ見よがしに溜め息をついてみた。
 もういい加減にしてくださいよ。自分の人生なんですよ。それなのに、どうして男につき従わねばならないんですか。
 歌っているのは十七歳の女の子だ。これを聞いた同世代の若者にどんなに悪影響を与えることか。本当に罪深い歌詞だ。
「さて、次のリクエスト曲は......」
 やっと男のアイドル歌手の出番が来た。この時代の男性アイドルは、「俺についてこい」といったような、いわゆる「男らしい」とされる、男性優位の歌詞は歌っていなかったように記憶している。外見もマッチョではなかったし、みんな長髪で、可愛らしくて美しかった。
 ――君を思ってばかりいる その指先に触れてみたいんだ
 いいぞ、その調子だ。
 ――君にはいつだって笑顔でいてほしいから
「やめなさいっ」
 またもやラジカセに向かって叫んでいた。
 女に笑顔を求めるのは本当にやめてもらいたい。女は愛嬌(あいきょう)、男は度胸といった古い言葉がずっと生き続けている。始終笑っていることが、どれだけ大変なことか、五分でいいから、いや一分でいいからやってみろと作詞家の男に言ってやりたい。
 怒りを鎮(しず)めようと深呼吸をし、引き出しからスヌーピーの便箋(びんせん)を取り出した。歌詞の是正を求めなければならない。面倒だが、できるところからやっていくしかない。野暮だと言われようが、人生をわかっていない中学生のくせに生意気だと言われようが、ここで怯(ひる)むわけにはいかない。
 ――考えすぎだよ。
 ――流行りのフェミニストってやつですか?
 ――おお恐っ。
 ――旦那さんも苦労するね。
 今までさんざん言われてきた言葉が脳裏をよぎる。職場にもマンションの理事会にも、意地の悪い男たちがたくさんいた。
 でも、めげない。諦めたら終わりだからだ。こういった風潮が、将来のジェンダー・ギャップ指数に繋がっていくのだ。

 日曜日になると、実家の隣の公民館で結婚式があった。
 この時代の山田町は、民間の結婚式場がなく、自宅か公民館で結婚式を挙げるのが一般的だった。
「雅美ちゃん、お嫁さんのお菓子、もらってきて」
「お嫁さんのお菓子って? ああ、あれか」
 懐かしかった。餅撒(ま)きならぬ、お菓子を撒く風習があったのだ。小さな紙袋に様々なお菓子が入っている。
「あのお菓子、私嫌いだもん。生姜(しょうが)煎餅(せんべい)やらカルシウム煎餅やら、年寄りが好きなものばっかりじゃない」
 思い出しながら言ってみた。本当の中学生だった頃も、同じことを言った覚えがある。
「だって私、生姜煎餅が大好物なのよ」と、母が拗(す)ねたように言う。
「自分でもらいに行けばいいじゃない」
「いい歳して恥ずかしいよ」
「はいはい、わかったよ。もらってきてあげる」
 家を出てすぐ隣の公民館に行くと、ちょうど花嫁さんが門を潜(くぐ)って出てきたところだった。背の高い美人で、白無垢(しろむく)がよく似合っていた。まるで雪の精のようだ。
 花嫁が自らお菓子の袋を手渡しながら、優し気な微笑みを向けてくれた。思わず見とれていると、背後から「北園さん」と声をかけられた。
 振り返ると、天ヶ瀬がいた。
「親戚の結婚式だったんだ」
「なるほど。だから日曜日なのに学生服を着てるんだね」
 会話が途切れた。すぐ隣でお菓子の争奪戦が始まっていて騒々しいのをいいことに、しばし見つめ合った。
 もしも中学生でなかったなら、またはここが都会だったならば、カフェで向かい合って話がしたかった。天ヶ瀬も同じ気持ちだったらしく、「せっかく学校以 外で会えたのに、残念だけど......」と、あたりを見回しながら続けた。
「無理だよな。タケコプターか、どこでもドアさえあれば、銀座のマックに行けるんだけどな」 
 そのとき、ふっと、ある部屋が思い浮かんだ。
「私、いい場所知ってる」
 公民館の中に女中部屋があるのを思い出した。私が幼い頃は、ここは公民館ではなくて民家だった。よく遊びに来ていたから、千坪以上ある敷地内の隅から隅まで熟知していた。製糸業で財を成した人の家だったが、後を継ぐ者がおらず、町に寄付して公民館になったのだった。
「天ヶ瀬くん、こっちよ」
 お菓子争奪戦の騒々しい中をそっと通り抜け、勝手口から屋敷の中に入っていった。
「えっ、こんなところに隠し階段が?」
 天ヶ瀬が驚きながら、狭くて急な階段を私に続いて昇ってくる。
 三畳ほどしかない薄暗い部屋だった。小さな四角い窓がひとつだけあり、そこから明かりが漏(も)れている。幼い頃は女中さんが住んでいたから、所狭しと 生活道具が置いてあったが、今は何もない。だからか、余計に狭く見えた。
 私は突き当たりまで行って体育座りをした。天ヶ瀬は入口近くに腰を下ろし、壁にもたれて足を投げ出して座った。
「こんな部屋があったとはね」と、天ヶ瀬はもの珍しそうに狭い部屋を見回している。
「私、毎日ストレス溜(た)まりまくりだよ。天ケ瀬くんもそうでしょう?」
「俺はそうでもないよ。目標を立てて頑張ってるから」
「目標って、どんな?」
「まだ秘密」
「あっ、そう」
 自分だけが無為に毎日を過ごしているようで悔しくなった。
「私にも一応、目標はあるのよ。山倉太郎にも手紙を出したし」
「山倉太郎? それって、あの作詞家の?」
「そうよ」
「歌手じゃなくて、作詞家宛てにファンレターを出す人がいるなんて知らなかった」
「ファンレターじゃないよ。抗議文だよ」
「抗議って、何に対する?」
「歌詞の内容に我慢できなかったのよ」
「どんな内容?」
「例えば」と、私は今まで出した抗議文について説明した。
「北園さん、それに何か意味があるの? 単なる憂(う)さ晴らし?」
「違うよ。令和時代のジェンダー・ギャップ指数を改善するためには、この時代から是正していく必要があると思ったのよ」
「へえ、壮大な志だな」
「もしかして、バカにしてる?」
「まさか。だって日本の男女観はおかしいだろ」
「意外なこと言うね。天ケ瀬くんがそんな考えの持ち主だったなんて」
 ますます好きになりそうな予感がした。
 天ヶ瀬夫婦は典型的な古い型の夫婦だと思っていたが違ったのだろうか。天ヶ瀬はエリートサラリーマンで、妻は専業主婦だったはずだ。もしかしたら天ヶ瀬の妻は仕事を続けたかったのに、家事育児のために仕事をやめざるをえなかったのかもしれない。
 ミス東華女子大と聞いただけで、美貌を武器に男にうまく取り入るタイプの女だと勝手に思い込んだのはなぜだったのか。同窓会でのケメコの言い方からして、少なくとも好意的ではなかった。今思えば嫉妬から来る勝手な思い込みだった。思っている以上に、私自身もドラマや小説のステレオタイプに洗脳されているのだろう。やはりマスコミの罪は大きい。
「北園さんは、高校はどこにするつもり?」
 前の人生では、私は県立高校に進み、天ヶ瀬は偏差値の高い私立男子校に進学した。
「私は前と同じ県立だよ。うちは兄貴にばかり教育費を注ぎ込む家だから、私に回す余裕はないの」
「そうなのか。で、県立高校は通ってみてどうだった?」
「自由な雰囲気だったよ。中学と違って、生徒の服装や髪型を血眼になってチェックする偏執狂みたいな教師は一人もいなかった。その証拠に、長髪の男子やパーマかけている子もいたけど、特に注意されることもなかったし」
「勉強は? 厳しい?」
「そうでもない。いい大学に行きたいヤツは勝手に頑張れって感じ」
「そうか、だったら俺もそこにする」
「えっ、どうして?」
「俺が通った私立の男子校は、バリバリの受験校で殺伐(さつばつ)としてて嫌だったんだ」
「そうだったの。知らなかった」
「それに俺、北園さんと同じ高校に行きたいんだ。北園さんと話すと精神が安定する。なんせ、この世でわかり合えるのが北園さんしかいないんだから」
「......うん、私も」
 心臓の高鳴りを悟られないようにするのに精いっぱいだった。
 誤解するなよ、自分。告白されたわけじゃないんだぞ。天ヶ瀬が言ったのは、同時代からタイムスリップしてきて頑張っている同志という意味なのだ。
 ああ、それがわかっているのに、ときめきを抑えられなかった。中学のときには話すチャンスもなかったことを思うと、不思議な巡り合わせだとしか思えない。
「そろそろ帰ろう。遅くなると変に思われるから」と、天ヶ瀬が言った。
 もう帰るの? 
 こんな薄暗く狭い空間にいるのだから、キスぐらいしてもいいような気持ちになっていたのだが......。
 おい、おい、自分、どうかしてるぞ。
 この時代に、田舎の中学生がキスなんかするわけないだろ。
 これだから六十三歳のおばさんは困るよ。
 まったくもう、身も心も汚れきっちゃってさ。
「北園さんと話せてよかったよ。まさか今日、こんな偶然が訪れるとは考えてなかったから嬉しかったよ」
 気持ちを素直に口に出せること自体、私を女として見ていない証拠だ。同志に過ぎないのだ。でも同志はこの世に私一人しかいないのだから、私は貴重な存在なのよ。そう心の中で言って、自分を慰めた。
 
 家に帰ると、母が言った。
「えらく遅かったね」
「本屋に寄ってきたの」と嘘をついてから続けた。「はい、これ。お嫁さんのお菓子」
「ありがとう。今日の花嫁さん、可愛くなかったでしょ」
「なんでそんなこと言うの? 目鼻立ちのはっきりした美人だったよ」
「だけど、もう二十九歳なんだって」と、母が顔を顰(しか)めた。
「もう二十九歳? それって、どういう意味?」
「二十九歳なんて、もう薹(とう)が立っとるでしょ」
「お母さん、やめてよ。そういう考え方、もううんざりだよ」
 気づかぬまに大きな声を出していた。
 この時代に戻ってきて、様々な違和感があった。特に女性に対するがんじがらめの縛りが、まるで法律ででもあるかのように隅々まで決められている。 
 そういった不平不満を、昨日までは心の中で呪詛(じゅそ)のように繰り返し唱えているだけだったが、本当は口に出さなければいけなかったのだ。それがどんなに軋轢(あつれき)を生もうとも、人に嫌われようとも、だ。声に出さないと世の中は変わらない。この時代の大人が声に出して抗議してくれなかったからこそ、令和の時代になっても改善されないままなのだ。
 私の若い頃は、女はクリスマスケーキだと言われていた。クリスマスイブの十二月二十四日になぞらえて、二十四歳までは売れるが二十五歳を過ぎると売れ残るのだと。
 それは決して冗談ではなかった。女たちはその言葉に煽(あお)られ、本気で焦ったのだ。じっくり交際して相手を見極める猶予(ゆうよ)など与えられなかった。私の同級生の中にも、不良物件を掴(つか)んだ女が少なくない。二十歳も年上なのに頼りになるどころか定職を持たない男と焦って結婚した女もいた。  それ以外にも、結婚する前からギャンブル好きの男ではないかと薄々感づいていた女や、「お前は女のくせに生意気だ」と手を上げられた女もいた。それなのに、独身のまま歳を重ねる恐怖心に抗しきれずに結婚してしまったのだ。そんな彼女らが、六十歳を過ぎた今、どこでどういった暮らしをしているのか、全くわからない。噂すら聞かないからだ。同窓会に来ないのはもちろんのこと、同級生との関係を完全に断ち切っている。
「山田和裁教室の山田さんを見てごらん」と、母は続けて言った。「ええ歳して独身やから気が強うなって、嫁入り前の若い生徒さんに嫉妬して意地悪したり、 ヒステリー起こしたりするんだって」
「お母さん、実際にそれを見たの?」
「見るわけないでしょ。和裁を習いに行ってるわけでもないのに」
「だったらなんでお母さんが知ってるのよ」
「だって町内で有名だもの」
「そういう噂を流すおばさんたちの方がよっぽど意地悪だよ。和裁で身を立てるのは立派なことでしょう」
「そりゃあ......そう言えなくもないけど」
「それに、二十九歳の花嫁が可愛くないなんて、スケベなおっさん目線だよ。若ければ若いほど可愛いなんて気味が悪いよ。薹が立っているなんてひどい言葉、少なくとも同性の女が言うべきじゃないよ」
「なんだか雅美、最近ちょっと変わったね」
「お母さんも変わってちょうだいよ。女も人間なんだよ。おっさんの玩具(おもちゃ)じゃないんだよ」
「玩具だなんて思ってないけど」
「じゃあなんでそんなひどいこと言うの?」
 問い詰めると、母は宙の一点を見つめて黙ってしまった。
 そのとき、兄が二階からリズミカルな足音をさせながら降りてきた。「お母さん、今日の夕飯、何?」
「余りものでかき揚げでも作ろうかと思っとる」と母が答えた。
「天ぷらって作るの難しい?」
「簡単だよ。お兄ちゃんも挑戦してみれば?」
「何を言うとるの。圭介には勉強があるのに」
「僕、作ってみたい。天ぷらの揚げ方を教えてほしい」
「そんなん男が覚えたって何の役にも立たんよ。夕飯ができたら呼ぶから、それまで二階で勉強してなさい」
 兄は一転して暗い顔つきになり、俯(うつむ)いたまま私の前を横切って二階へ戻ろうとした。その瞬間、私は兄の腕をつかんだ。
「お兄ちゃん、お母さんの言いなりにならなくていいんだよ。そもそもお母さん、どうしてそういうこと言うのよ。お兄ちゃんがせっかく料理を覚えたいって言ってるのに」
「いい加減にしなさい。最近の雅美は鬱陶(うっとう)しいよ。圭介は男の子なんだからね」
「男も女も関係ないんだってば」
「関係ないわけないでしょう。わけのわからんことばっかり言って」
 古い考えに染まった母を説得するのは、そう簡単ではないらしい。だから私は、ためしに言い方を変えてみた。
「お母さん、三十分やそこら勉強したところで大差ないよ。料理するのは気分転換になるから、却(かえ)って集中力が増す」
 成績優秀な私が言えば、説得力があるのではないか。
「気分転換? 確かにそういうことはあるね。それなら、野菜を切るところから圭介にやってもらおうか」
 兄は母に言われた通り、玉葱(たまねぎ)、ピーマン、人参と、次々に千切りにしていった。慣れていないから時間がかかり、幅もばらばらだった。
「お兄ちゃん、なかなかじゃない」と私が褒(ほ)めると、兄は「そうかな?」と言って嬉しそうに微笑んだ。
 兄はまだ子供なのだ。失敗しようが下手だろうが、将来を考え、やる気をそがないために褒めまくる。だが、夫は大人だ。私は夫を褒めなかった。夫に家事をさせるために大げさに褒めましょう、夫をおだてて上手に操縦しましょう、などと言う人がいるが、私にはそんな賢夫人を演じる器はなかった。しかし、相手を操縦すると考えた時点で、実は夫婦の人間関係は破綻していたのだ。そんなことに気づいたのも、六十歳になってからで、時すでに遅しだった。
「さて、次は衣を作るよ」と母は言い、兄に菜箸(さいばし)を持たせる。
 小麦粉と水を混ぜ始めた兄を見て、「ストップ。それ以上は混ぜたらだめ」と母は言った。
「えっ、でもまだ全然混ざってないよ」
「それくらいでいいの。こねたら衣が厚うなって、さくさく感がなくなるから」
「へえ、知らなかった。勉強になる」と、兄は楽しそうだ。
「勉強? こんなのが勉強だなんて、男の子のくせに......」と、母がまたしても不満を口にしかけたときだ。
「えっと......わしは? 何かすることないか?」と、背後から父の声が聞こえてきた。
 一斉に父を振り返った。この頃の田舎のサラリーマンは残業もなく、遅くとも六時には帰宅していたのだった。
「お父さんはそっちでテレビでも......」と言いかけた母を、私は遮(さえぎ)った。「お父さんはお箸並べて。それと、全員分のお茶淹(い)れといて」
「よし、任せとけ。ここにある玄米茶でいいんだな」
 父は変わった。それも、びっくりするほど簡単に変わった。
 食卓の用意ができ、家族揃って熱々のかき揚げを食べた。
「どう? 僕が揚げたかき揚げ、美味しい?」と兄が尋ねる。
「うん、美味しい」と私は答えた。
「上手に揚がっとる」と母が言う。
「お父さんはどう思う?」と、普段はあまり会話がない父に兄は尋ねた。
「うん、うまい」と父が即答すると、兄はほっとした顔をした。
 自分の料理を美味しいと思ってくれているかどうかが気になる。まずいのに我慢して食べているんじゃないかと気になる。それらは作る立場になってみないとわからないことだ。こういった経験を積み重ねていれば、もしかして兄の結婚生活もうまくいっていたかもしれない。
 そのとき、テレビからいきなり大きな声が流れてきた。
 ――ねえ、仕事と私とどっちが大事なのよっ。
 見ると、ダイアモンドジュエリーのCMだった。
「こんなバカ女、現実にいるわけないじゃん。仕事と私とどっちが大事かなんて、普通は聞かないよ」
 私は憤懣(ふんまん)やるかたない思いで、乱暴な言い方をしてしまった。
「いるんじゃないか?」と、兄が続ける。「そういう女がたくさんいるからコマーシャルになるんだよ」
「相当なバカ女だな」と父が言った。
「そうやね。男だろうが女だろうが、食べていくためには仕事せんならんのに」
「それがわかっとらん女なんて、少なくとも田舎にはおらん」と、父は断言する。
「こんなこと言うのは都会の女だけだわ」と、母も同調して続ける。「稼ぐのが何よりも大事なんは、女だって身に染みてわかっとる。『飲み会と私とどっちが大事なの?』って聞くんならわかるけど」
「お母さん、たまにはいいこと言うじゃない」と私が言うと、母は珍しく嬉しそうに微笑んで言った。「久々に褒めてもらえたわ。ここのところ雅美に叱られてばっかりやったから」
「え? あ、ごめんね」
 娘に非難される毎日でストレスが溜(た)まっていたのだろうか。
「ご馳走様。お兄ちゃんの揚げたかき揚げ、本当に美味しかったよ」
「私が揚げたときには何も言わんくせに」と、母が一転して不満顔になった。
「お母さんが揚げた方がサクッとしてうまいよ」と、兄が言った。「もっと練習してお母さんの味に近づきたい」
「そう?」と、母は口角を上げかけたが、次の瞬間、口元を引き締めた。
 そんな暇があったら勉強しなさい、男の子なんだから。本当はそう言いたいのだろう。
 その夜もまた、スヌーピーの便箋を取り出した。
 ――ダイアモンドジュエリーのCMについて抗議いたします。あれは単なる男のロマンに過ぎません。好きな女から、「仕事と私とどっちが大事なの」と迫られてみたいのでしょう。「君も大切だが、俺には仕事も大切なんだ」などと苦悩してみせ、女を待たせる男をかっこいいと勘違いしているのです。そして、「女はいつまでも俺を待っていてくれる」などと自惚(うぬぼ)れています。あまりに愚かで、恥ずかしくて見ていられません。
 男には仕事がある。だが女はそれを理解できない。つまり、そう言いたいのでしょうが、それではまるで女には知性がないと言っているのと同義です。
 このCMを見た人々はどう感じるでしょうか。
 きっとこう思うのです。男はみんな一生懸命仕事をしているが、女はみんな暇を持て余していて、多忙な男の状況も立場も理解せずに我儘ばかり言う。やはり 女はバカばっかりだ。そういった印象が深層心理に深く刻まれるに違いありません。
 何を大げさなとお怒りでしょうか。
 果たして、女は暇で楽な毎日を送っているでしょうか。女の生活をよく観察してみていただけませんか。私の母も親戚の叔母さんたちも近所の小母さんたちも、朝から晩まで身を粉(こ)にして働いています。
 それとも、あなたの周りにいる「都会の女」は、みんな遊び暮らしているのでしょうか。
 影響力の大きさを考えて慎重に言葉を選ぶのが、CM作家の責任であると私は考えますが、いかがでしょうか。
                                                                  (つづく)
                                              

マンダラチャート

Synopsisあらすじ

「私」は、現在63歳。子どもは巣立ち、夫と二人で暮らす平凡な主婦だ。夫は私に関心がなく、家政婦程度にしか思っていない。

ある日、私はふと、気がつく。WBCで活躍した、大谷選手やダルビッシュ、ヌートバー……。彼らは子どもの頃からの夢を一途に追いかけて、あの場所に立っている。なぜ自分はここで、こんなふうに不満ややるせなさを抱えて生きているのだろう。「私は、成績も良かった、努力すればもっと自分の能力を生かせる生き方が出来たはず。けれども、美しくあろうと外見にばかり注力してきたために、今はただのオバサンになってしまった、もし、あのとき、外見をつくろったり、男性の目を気にすることなく、自分のやりたいことを一途に貫いていたら」

もう一度、人生をやり直したい……激しい後悔とともに、そう強く願った私は、気がつくと、中学生に戻っていた……。

Profile著者紹介

2005年『竜巻ガール』で小説推理新人賞を受賞し、デビュー。テレビドラマ化された『リセット』『夫のカノジョ』『結婚相手は抽選で』『定年オヤジ改造計画』や、映画化された『老後の資金がありません』のほか、『四十歳、未婚出産』『夫の墓には入りません』『姑の遺品整理は、迷惑です』『うちの子が結婚しないので』『もう別れてもいいですか』『あきらめません!』『懲役病棟』など著書多数。

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