マンダラチャート @1 大谷翔平選手 / @2 タイムスリップ
@1 大谷翔平選手
――大谷選手はね、高校生のときから人生の目標を決めていたんですよ。
アナウンサーは、まるで自分のことのように誇らし気に語った。
テレビ画面には、九×九の八十一のマス目が大写しになった。エンゼルスの大谷翔平選手が高校一年生のときに書いたものだと言う。
――これはね、目標達成のためのマンダラチャートなんですよ。
中心のマス目には、「ドラ1、8球団」と書かれている。
プロ野球のことはよく知らないが、ドラフトで八球団から一斉に一位指名されるのが目標、ということなのだろう。
それを取り囲む周りのマス目には、目標を達成するための技術的なことや、体力をつける方法や、精神面を強くするアイデアが書き込まれている。「あいさつ」や「部屋そうじ」は、運を呼び込むためのものらしい。
――もう一枚あるんです。高校三年生になったときに、「人生設計シート」も作っているんです。すごいですねえ。
アナウンサーは、惚(ほ)れ込んで感心しっぱなしといった表情で言った。
人生設計シートと呼ばれる紙の真ん中あたりには、「人生が夢をつくるんじゃない! 夢が人生をつくるんだ!!」と大きく書かれている。そして左側の余白いっぱいに、「悔いのない人生に」だとか、「俺の人生を、野球、に」、そして「俺がやらなくて誰がやる!?」と、勢いのある字で記されている。
時系列に沿った目標を見ていくとーー
18歳 メジャー入団
20歳 メジャー昇格 15億円
22歳 サイヤング賞
26歳 ワールドシリーズ優勝 結婚
・
・
・
28歳 男の子誕生
30歳 日本人最多勝利
31歳 女の子誕生
32歳 ワールドシリーズ二度目の優勝
33歳 次男誕生
37歳 長男野球をはじめる
眺(なが)めているうちに胸が苦しくなってきた。
知らない間に息を止めていたらしい。
大谷選手は子供の頃から将来の目標を定め、それに向かって一直線に突き進んで生きてきたという。彼の設計した人生の途上には、結婚があり、そして子供が次々に三人も生まれるといった大イベントの予定があるが、それらに野球人生が邪魔されることなどあり得ない。
彼の人生は真っ直ぐな一本道であり、家庭生活のために人生の目標を断念することなど考えたこともないだろう。それどころか家庭というものは、自分を応援してくれるものだと信じて疑わず、妻子の存在が野球人生の足を引っ張るどころか、励みになると思っているに違いない。
つまり、妻はあくまでも脇役だ。彼が落ち込んでいるときは励まし、美味(おい)しい料理を出してくれて、いつも優しい微笑みを浮かべる女だ。なんなら彼のために栄養学の学位を取ることだって厭(いと)わないような「できた」女だ。
その女は、自分自身が何者かになりたいと願う野心家ではない。男を支えて生きていきたいと考える女だ。
いいなあ、男は。
目標に向かってまっしぐらじゃないの。
それに比べて、女の人生は結婚や出産で否応なく中断させられてしまう。そしてあっという間に、六十歳だ。
は?
今さら何を言ってるの。
そんなことは誰に教えられずとも幼いときからわかっていたはずだ。母や親戚の叔母さんたちや近所の小母さんたちの、無償の家政婦みたいな生活を見て育ってきたのだし、テレビで見る総理大臣を始めとするエライ人たちのほぼ全員が男だった。
それなのに、将来はきっと何者かになってやると思っていた時期が私にはあった。あの時代の封建的な空気にめげなかったのは、何歳くらいまでだったろうか。
自分の価値観が徐々に変わり始めたのは、中学に入学した頃からだ。顔の可愛い女子だけが、かっこいい先輩男子から声をかけられるといった現実を目の当たりにした。男子中学生だけならともかく、男性教師の中にもそういった傾向が垣間見られたのは衝撃的だった。
それまでの価値基準――勉強ができる、走るのが早い、努力家だ、親切だーーが崩れ去り、顔の可愛い女子の方が世間的にはずっと価値が高いことを思い知らされた。
可愛い顔をした女子の中には、小学校時代は引っ込み思案だった子もいた。だが中学に入って、男子にちやほやされ始めた途端、それまでとは打って変わって堂々とした態度を取るようになった。中には、他の女子たちを見下すようになった子もいた。
そんな下剋上(げこくじょう)を遠巻きに眺める日々が、私の考え方に影響を及ぼさないはずはなかったが、それでも私の軸は思ったほどはブレなかった。というのも、幼い頃から都会に強い憧れを抱いていて、広い世界をひたすら夢見ていたからだ。だから、あんなド田舎の中学校で繰り広げられる恋愛ごっこには、さほど興味を引かれなかった。
だって、自分の未来は開けているし、可能性は努力次第で無限大だーーあの頃の自分は、本気でそう信じていた。輝かしい将来を夢見ていて、勉強や部活に精を出したのだった。
自分たちの世代は、母や叔母たちとは異なる時代を生きることになるに違いないと思っていた。それは願望ではなくて確率の高い予測のはずだった。
大人になる頃には、古臭い封建主義的な社会の風潮など跡形もなく消え去り、男女平等の世の中になっていると心底信じていた。子供時代の時間の流れの感覚は、ひどくゆったりしたものだったから、十年先、十五年先の未来を果てしないほど遠いものに感じていた。だが、あっという間に時間は流れた。
明るい未来を信じていた中学生の私が、六十代になった今の私を見たらどう思うだろう。
――がっかりだよ。なんだかんだ言ってパート主婦じゃないの。お母さんや叔母さんたちとどこが違うの?
おっしゃる通りです、と答えるしかないのが無念だった。
それどころか母や叔母たちは、電化製品が十分に普及していない時代に、身を粉(こ)にして長時間の家事労働に励んできた。それに比べれば自分は甘いのかもしれない。
だが言い訳させてもらえるならば、怠けた覚えは一切ないのだ。一生懸命に生きてきたつもりだ。母たちの時代と違って家電は揃っていたが、パート仕事に家事に育児に子供の受験にと気を抜けない毎日だった。そういうのをひっくるめて労働時間に換算したら、きっと夫より多くの時間を費やしてきたと思う。
もしも、もう一度人生をやり直せるならば、自分の人生を邪魔するものは一切合切排除してみたい。
そのためには......もう結婚はしない。もちろん子供も産まない。
自分自身の人生を生きてみたい。
だって人生は一度きりなのだ。
女の人生だって男の人生と同様に、かけがえのない大切なもののはずだ。私も本当なら、大谷選手のように一本の道を真っ直ぐに進んでみたかった。
――大谷選手は次々に夢を叶えていますね。人生設計シートに書いた通りの人生ですよ。ほんと、すごいです。
アナウンサーが自分のことのように嬉しそうに言う。
もうこれ以上、聞きたくなかった。
WBCの試合を見ることが、ここ数日の楽しみだった。チームジャパンが快進撃を続けるのを見ると、気分がスカッとした。それなのに、見たくなくなっていた。
思わずチャンネルを変えた。
――本日の料理はぶり大根です。デザートには牛乳プリンを作ります。
エプロンをつけた中年女性が画面に映っている。
料理番組も嫌いだった。見るたび悔しくてたまらなくなる。だって、この程度の料理なら誰だって作れるではないか。
私の友人知人には料理上手の女が多い。ブリ大根など朝飯前だ。その証拠に、今やネット上にはプロではない人々が様々なレシピを上げているし、動画も膨大な数にのぼる。
同じ料理上手でも、「料理研究家」と呼ばれる女と、「料理がうまいパート主婦」では、稼ぎにも地位にも雲泥の差がある。いったいどう努力すればテレビに出る側の人間になれるのか。どうすればレシピ本を出版できるのか。
人生というのは、思った以上に運に大きく左右される。実力よりも人脈がものを言う場合が圧倒的に多いのだ。そんな当たり前のことに気づいたときには、既に六十代に突入していた。
あーあ。
そのときLINEの着信音が鳴った。夫からだった。
――今日は早めに会社を出られそうだよ。夕飯に間に合うよう、ダッシュで帰るからね。
呆然(ぼうぜん)と、その文字を見つめた。
この文章は、いったいどういう意味なのか。
まさか、夫に一刻も早く家に帰ってきてほしいなどと、妻がいまだに願っていると考えているのか。
そんなのは、もうかれこれ三十年以上も前の話だ。
慣れない子育てで睡眠不足が続き、一度でいいから三時間ぶっ通しで眠りたいと切望していた日々のことだ。夫には一秒でも早く帰ってきてもらい、育児や家事をほんの少しでもいいから手伝ってほしいと願っていた。それを何度も懇願(こんがん)したが、当時の夫は「忙しいから無理」の一点張りだった。そしてそのうち私はあきらめ、夫には一切何も期待しなくなった。
今では子供たちも独立し、夫婦二人暮らしだ。今や夫に一刻も早く帰ってきてほしいなんて、これっぽっちも思っていない。
それどころか、「今日は遅くなるから夕飯は要らない」と言われたら、一気に解放感に包まれる。だって自分一人なら、余った野菜と肉で適当にお好み焼きもどきを作ればいいから簡単に済む。
ふうっと大きく息を吐きながら、よっこらしょとソファから立ち上がり、夕飯の準備に取りかかった。
若かった頃とは違い、料理は熟練の域に達し、あっという間に煮物と澄まし汁が出来上がった。
野菜サラダにゆで卵を盛りつけていると、玄関ドアが開く音が聞こえた。
「今日も日本が勝ったらしいね。ダルビッシュってすごいよな」
そう言いながら夫がリビングに入ってきた。
「へえ、そうだったの」
「あれ? 家にいたのに試合を見なかったのか?」
夫はネクタイを緩(ゆる)めながらキッチンに入ってくると、冷蔵庫から缶ビールを取り出して続けた。「今日のパートは四時までじゃなかったっけ?」
「そうだけど、なんとなく見る気がしなくてね」
熱したフライパンにバターを入れた。バターが八割がた溶けたとき、塩胡椒しておいた鱒(ます)をフライパンの縁から滑らせるようにして入れた。
「なんで見なかったんだ? WBCを見るのが最近の生き甲斐だなんて大げさなこと言ってたくせに」
「そんなこと言ったっけ? そうね、言ったかも。それより大谷選手のマンダラチャートって知ってる?」
「もちろん知ってるさ。碁盤(ごばん)目のやつだろ? 目標に向かって着実にクリアしていくなんて、ヤツは本当に意志が強いよ」
「実は私......大谷選手がすごすぎて、自分の人生って何だったんだろうって、落ち込んじゃったんだよね。だから今日の試合が見られなかったの」
正直にそう言うと、夫はいきなり声を上げて笑い出した。
「本気で言ってんのか? 自分と大谷選手を比べるなんて、お前のその自惚(うぬぼ)れって、いったいどこから来てんの? 信じられない」
「そういう言い方しなくても......」
「そんなこと絶対に他人には言うなよ。頭がおかしいと思われるぞ。大谷選手と自分を比べて落ち込む主婦なんて滑稽(こっけい)だよ。こっちまで恥かくよ」
「もう、いいわよ。この話はやめましょう」
それでも夫はにやにや笑いをやめず、ビールのプルタブを引いてごくりと飲んだ。
「もしかして、またフェミニストかぶれみたいなことを言い出すつもりか? 女は家庭の犠牲になって自分の夢を実現できなかったとかなんとか」
「そんなことひと言も言ってないでしょ」
「野球少年だった俺だって大谷選手と自分を比べたりしないのにさ」
「はいはい、すみませんでした。もういいってば」
いつからこうも夫と話がかみ合わなくなったのだろう。
夫はどんな話題であっても妻を見下そうとするようになった。友人たちが「いいわねえ、お宅は友だち夫婦で」と言って羨ましがったのが、今では遠い昔の幻のようだ。
若い頃に考えていたことーーいつか夫が定年退職したら、仲良く旅行をしたり、同じ趣味を楽しんだりして、穏やかな老後を慈しみ合いながら過ごそうーーは、虚構の夢だったらしい。
今となっては、必要不可欠の連絡事項についてしか話したくない。それどころか、金輪際関わり合いたくないと思ってしまう日もある。
ただ今日だけは、大谷選手のあまりの立派さに気持ちが塞(ふさ)いだから、それを乗り越えるために誰かの共感が必要だった。だからついつい正直な気持ちを吐露してしまったのだ。だが、これほどバカにされるのならば、もう二度と夫には気を許すまいと心に誓った。
いったいこれで何度目の誓いだろうか。あきらめの悪い自分にほとほと呆れてしまう。
互いに平均寿命まで生きるとしたら、あと二十年も三十年も一緒に暮らさなければならない。同じ屋根の下に夫がいるというのに、結婚当初から常に孤独感に苛まれてきた。今後も夫殺しの殺人犯にならず、精神を病むこともなく生きていく自信がない。
「大谷なんて雲の上の人間だぜ。ああいった超人と自分をいちいち比べて落ち込んでたら身が保(も)たないだろ」
しつこいっ。
大声でそう叫びそうになったので、流しに立ったまま急いでグラスに水道水を入れてごくりと飲んだ。
そして、気づけば振り返って夫を睨(にら)みつけていた。
「あなただってこの前、郷ひろみと自分を比べてたじゃないの。俺の方が歳下なのに老けて見えるって」
「アハハ、そうだった。だけど、これとそれとは違うだろ。そもそもお前って野球のルールをちゃんと知ってるのか?」
もういい加減にしてっ。
妻を言い負かすことでストレスを発散しようとしていることに、夫は気づいているだろうか。たぶん一生気づかないのだろう。
「お前がそれほど大谷のファンだったとは知らなかったよ」と、夫は言った。
顔に悔しさが滲(にじ)み出ているように見えた。
まさか、夫は大谷に嫉妬しているのか?
だとしたら、夫もかなりの身の程知らずだ。
「ヤツは体格に恵まれてるんだよ。それに親にも恵まれてる」
私が返事をしないのが気に入らないのか、ムッとした表情でこちらを見た。機嫌を損ねると鬱陶(うっとう)しいので「そうね」と相槌(あいづち)を打っておいた。
――夫の人柄に失望。もっといい人だと思っていたのに。
ブログをあちこち見ていくと、そういった言葉がたくさん出てくる。
――友だち夫婦だと思っていたのに、いつのまにか両親世代と同じような関係になってしまいました。
――そんな古い考えの夫は、団塊世代の夫婦までだと思っていたのに。
ブログを読んで自分たち夫婦だけではないことを知るたび、少しは慰められる。だが、何の解決にもならない。
交際期間中は、男の方が偉いだとか、男だから威張っているなどということは一切なかった。そもそも私がそんな男尊女卑野郎に惚(ほ)れるわけがないのだ。あの当時の夫は、常に私の意見に耳を傾け、私を尊重してくれていた。
それなのに、どうしてこうなってしまったのか。
いつからこうなってしまったのか。
それとも最初からこうだったのに、私が気づかなかっただけなのか。
夫に察知されない程度に小さく頭を左右に振り、頭の中からモヤモヤを追い出した。
「さあ、できたわ。食べましょう」
「えっ、今日の晩メシ、これだけ?」
「これだけって? 煮物と焼き魚とサラダとおみそ汁とご飯、これで十分じゃない?」
「今日のパートは四時までだろ? そのあと時間がたっぷりあったんじゃないのか? 野球も見なかったんだし」
「私だってもう若くないのよ。立ちっぱなしの仕事だから疲れが溜まるの。それとも黒毛和牛のステーキでもあれば満足だった?」
「黒毛和牛かあ、いいね」
「それは誕生日の楽しみに取っておいてちょうだい。普段から贅沢してたら、老後の生活が心配よ」
夫は家電メーカーの営業職だが、定年延長を申し出て、あと三年は頑張って嘱託(しょくたく)として働くと言っていた。だが給料は激減するし、年下の女性上司の物言いが腹が立つとかで、「いつまでも会社に縛られたくない」と、最近になってしきりに言い出した。まさかとは思うが、ある日突然「会社、辞めてきたよ」などと言うのではないかとひやひやしている。
だから私はますますパートをやめられなくなった。還暦を迎えたのを区切りに週四日に減らし、先月の六十三歳の誕生日から週三日に減らしたのだが、四日に増やした方がいいのかもしれない。でもさすがに週五日に戻すのは、もうしんどい。
「わかったよ。そんなことよりカップラーメン、ある?」と、夫が尋ねた。
「あると思ったけど? 確か戸棚の中に」
「ポテチは?」
「あなたが買ったのがあったはずだけど」
そう答えると、夫は途端に機嫌のいい表情になった。要はジャンクフードが食べたいだけなのだ。夫は栄養の知識がないだけでなく、健康に気をつける男性を健康オタクだと言ってバカにすることもある。
数年後に夫が完全に仕事から引退したあとも、私は夫の食事作りからは逃れられない運命だ。今となっては思い出すたびに腹が立つが、自分の世代は女子だけが家庭科の授業を受けたのだった。男子はその時間には椅子を作ったり、ソフトボールをしたりしていた。
何だったんだろう、あの時代って。
家事は女の仕事であって、男には関係ないと学校が教えていたも同然だ。
個人の力では抗(あらが)いようもない国の方針に、人生を牛耳(ぎゅうじ)られていた。国の方針と聞けば、巨大な組織だと錯覚しそうになるが、実は文部省の上層部の数人のおじさんに決定権があったのではないか。
会ったこともない古い考えのおじさんたちに翻弄(ほんろう)されて生きてきたと思うと、あまりに自分が可哀想で、涙が出そうだ。
そのとき、いきなり夫が噴き出した。
「何がおかしいの?」
「だって傑作だろ? 大谷と自分を比べる主婦なんてさ」
そう言って、さもおかしそうに夫は思い出し笑いをした。
「本当にしつこいわね。あなたって、もともとそんな性格だったっけ?」
思わぬ憎々し気な低い声が出たからか。夫はハッとした顔で黙った。
夫はこんなに執拗な人間ではなかったはずだ。明るくあっさりした男だった。その爽やかさに惚れたのだった。だが夫も会社の人間関係などで苦労を重ねるうちに、性格が屈折していったのだろうか。
「ごちそうさま」と私は言って立ち上がった。
仲の良い夫婦ならば、夫の食事が終わるまで妻は会話を楽しみながらつき合うのかもしれない。だが、晩酌しながらのだらだらと長い夕食は、自分にとっては時間の無駄以外の何物でもなくなっていた。
「自分の食器は自分で洗っといてね。私、腰痛がひどいのよ」
「俺だって流しが低すぎて腰が痛くなるんだよ」
「あっ、そう」
「そんなに怒ることないだろ。誰が見たって流し台の高さは日本人女性の平均身長に合わせて作ってあるじゃないか」
「えっ?」
言われてみれば......そうかもしれない。
どう考えても、一五八センチくらいの女性に合わせて設計されている。最新のシステムキッチンならもう少し高いが、それでもせいぜい一六三センチくらいの女性に合わせてあるように見える。
企業がそういう姿勢なのだ。台所仕事は女がするものだと決めつけている。
ああ、もう、どいつもこいつも......。
だけど、私一人が騒いだところで、この世はどうにもならない。
「もういいよ。流しに置いといてちょうだい。あとで私が洗うから」
「サンキュー」
もう金輪際、夫にはどんな頼みごともしない。今までも、何度そう誓ったことか。
この気持ちを口にしたら、皿洗いぐらいでなんて大袈裟なと、夫は鼻で嗤(わら)うだろう。頼みごとというほど大層なことかよと。
だから口を閉ざす。言えばその分、落胆が大きくて悲しくなるし、夫のズルさを垣間見た思いで軽蔑してしまいそうになるからだ。
私は夫を尊敬していたかった。そして、夫にも尊敬されたかった。
それとも、こんなつまらないことでいちいち腹を立てる私は、人間が小さいのか。
いや、そんなことはない。決してつまらないことなんかじゃない。
こんな日々を重ねるうち、結婚した女の心には常に屈辱感が居座り、そして心身を蝕んでいくのだ。
@2 タイムスリップ
ああ、よく眠れた。
朝目覚めた瞬間にそう感じられる日は、一日中気分がいい。
そのうえ夫が早朝からゴルフに出かけたとなれば、心に解放感が広がる。
ベッドに寝ころんだままテレビを点けると、『キング大門の情報モーニング』が始まっていた。画面には、頬のたるんだ中年男たちと、容姿の整った若い女たちが映っている。
どんな娯楽番組でも、雛壇には様々な年齢層の男性が座っているが、女性たちは二十歳前後からせいぜい三十代までだ。四十代以上の女性が登場するときは、実年齢より驚くほど若く見えるか、それとも極限まで贅肉(ぜいにく)を削(そ)ぎ落した女だけだ。つまり、男は中身で勝負だが、女は結局のところ若さと美しさが最も重要だってことだ。男性目線がすべての価値基準になっているが、日頃はそのことに気づかない。
だから、こんな光景は見慣れていたはずだった。けれども今朝に限っては、なぜだか猛然と腹が立ってきた。
日本のマスコミは、この先もずっとこんな調子なんだろうか。
きっと......変わらない。平成になっても令和になってもずっと変わらなかったのだから。
――次はお天気のコーナーです。
白髪まじりのキング大門の声で、画面が日本地図に切り変わり、気象予報士の若い男が登場した。
――今日は高気圧が張り出し、関東一円は晴れマークひとつです。
明るい口調でそう言ったとき、キング大門が尋ねた。
――このマークは紫外線を表しているんだっけ?
――そうです。まだそれほど強くはないんですが、そろそろ女性は日焼け止めが必要ですね。
――おっ、もうそういう季節なのか。おい、リン子、お前、日焼け止め、塗ってるか?
キング大門は若い女性タレントに尋ねた。
――当たり前でしょ。女優はみんな真冬でも塗ってるわよ。
――色白を保つのも大変だな。
もしかして、この番組はバカしか出られないのだろうか。
女性は美白に気を遣って当然だと公言しているのも同然だ。それだけじゃない。現在の日本には、様々な国の出身者が暮らしている。全国放送のテレビを通して色白至上主義みたいなことを言えば不快になる人もいるだろうし、差別だととらえる人だっているに違いない。
そういった単純なことに、なぜ出演者たちは気が回らないのだろう。
――今日もご視聴ありがとうございました。また明日お目にかかりましょう。キング大門がそう言うと、出場者全員がカメラに向かって手を振った。
番組が終わる直前、さっきの気象予報士が満面の笑みで叫んだ。
――奥さん、今日は洗濯日和ですよっ。
「ふざけないでっ」
知らない間にテレビに向かって叫んでいた。
何なのよ。洗濯は「奥さん」だけがやるとでも思っているの?
世の中は独身者だらけなんだから、自分で洗濯する男なんてゴマンといる。それに、いまどきの若夫婦は共働き家庭の方が多いのだ。
そもそも洗濯機が家庭に普及して半世紀以上が経つ。隣近所でも、ベランダで洗濯物を干したり取り込んだりしている夫たちを見かけることもしょっちゅうだ。うちの夫ですら頼めば取り込んでくれる。恩着せがましく「手伝ってやった」と顔に書いてあるとしても。
昨今は乾燥機能つきのドラム型を買う人も増えてきたから、干さずに済む家庭も多いのだ。それなのに、この気象予報士は若いのに、頭の中は昭和時代のままなのか。洗濯は「奥さん」がするものという固定観念が彼の頭の中にはまだ居座っているのか。
テレビが発する一言一言が、知らず知らずのうちに、人々の心に大きな影響を与えているのではないか。特に幼い子供たちの真新しい心には、偏(かたよ)った男女観がするりと入り込んでしまうだろう。
マスコミから発せられるこれらのメッセージが、取り返しのつかない現在を作り出してしまったのではないか。そして今日放送された『キング大門の情報モーニング』も、取り返しのつかない未来を作り出している。
このままでは、日本は世界から置いてけぼりにされてしまう。そう考えると、いてもたってもいられない気分になった。
そういえば......「愛妻号」という名の洗濯機があった。あれは昭和何年ごろだったか。当時はテレビのコマーシャルで頻繁に流れていたものだ。
家電にそんな名前をつけるのが許されていた時代があった。あの昭和時代に、大人が声を上げていてくれていたならば、平成時代や令和時代にはもう少しマシな風潮になっていたかもしれないのに。
そんなことを考えながらテレビの画面を睨みつけていると、いつの間にか通販番組が始まっていた。
――ビタミンCがレモン五十個分入っていますので、お肌がきれいになるんです。女性にとって嬉しい情報ですね。
はあ?
なんで女だけが嬉しがると決めつける?
美容に熱心な男性が増えてることくらい、みんな知ってるでしょ? それともこの番組のスタッフだけは、女だけが朝から晩まで美容のことを考えているとでも思っているのか。
いやいや、誰もそこまでは言ってないでしょ。
最近の自分、なんだか過激だぞ。
だけど、小学生や中学生の深層心理に偏見が植えつけられるのは間違いないと思うのだ。だって、毎日のように目にするものもや耳にするものが偏ったものだらけとなると、いつの間にか洗脳されて、女とはこういうものだ、男とはこういうものだという決めつけから男女ともに抜け出せなくなって、息苦しい人生を送ることになる。
その結果......何年経っても変わらない世の中が続くのだ。少しずつ変化は見られるけれど、その速度があまりに遅くて、世界のジェンダー指数に未来永劫追いつけそうにない気がする。
私はいいけどね。
だって、もうおばさんというより、お婆さんだもん。
お婆さんともなれば、今さら人生を変えることなんてできないから気楽なものよ。
他人の意見に動揺することも少なくなった。どんな偏見に満ちた言葉――女性というものは、こうあるべきですーーが耳に入ってきたところで、騙されない自信がある。どれもこれもまやかしだと知っているから、ばかばかしいと鼻で笑って済ませられる。とはいえ、心の奥底ではしばらく燻(くすぶ)り続けることも、たまにはあるけれどね。
ふと顔を上げると、カーテンの隙間(すきま)から太陽の光が部屋の中に降り注いでいた。季節や時刻によって、差し込んでくる光の強さや角度が違う。四季の移ろいや頬に当たる風や真っ赤な夕焼けに、いちいち感動するようになってきたのはいつ頃からだったろうか。これも歳を取ったからなのか。
壁に映る光の束を見ているうちに、だんだん気分が上向いてきた。
「なんだかんだ言って私は幸せ者よ」
誰もいない部屋で、自分に言い聞かせるように口に出して言ってみた。
子供たちの学費からも解放され、両肩に重く圧し掛かっていた住宅ローンも完済した。子供たちが独立したことで、家事も激減して自由な時間が増えた。それらを思うと、今がいちばん幸せだと思う。
資産家の息子と結婚した希実子みたいに海外旅行に行きまくって目いっぱい老後を楽しむってわけにはいかないけれど、でも、この穏やかな生活を幸せと言わなくて、何を幸せと言うのだ。
身体を起こし、両手を天井に向けて大きく伸びをした。
だけど......家事や子育ての重責からやっと解放されたときには、悲しいかな、歳を取っていた。体力だけじゃなくて気力まで失ってしまったらしく、今日はせっかくの休日なのに、身体がだるくて出かける気がしない。寝そべったまま、だらだらとテレビを見続けることが、ここのところ増えてきていた。
パートを週三日に減らしたというのに、この体たらくだ。
情けないぞ、自分。
何気なく時計に目をやると、早や十時半になっていた。
あ、まずい。
近所のカフェのモーニングは十一時までだ。
心の中で「えいやっ」と号令をかけて起き上がり、速攻で洗面を済ませてから、昨日と同じ服を着て家を出た。
最近はひとりでモーニングを食べに行くのが、ささやかな贅沢だった。週に二回だけだし、もう老い先も短いんだから、人生の最終盤にこの程度の浪費は自分に許している。
「Aセットお願いします。飲み物はホットコーヒーで」
このチェーン店のトーストサンドは、ツナとチェダーチーズ、サラダほうれん草を挟んで焼き上げてある。飲み物つきで四百八十円という安さだし、ボリュームがあるので昼食と兼用できるのも嬉しかった。
トレーを受け取って奥へ進んでいき、いつものお気に入りの席に着いた。
「いい天気でよかったわ」
どこからか甲高い声が聞こえてきた。声の方を見ると、自分と同世代と思われる女性の二人連れだった。
これから出かけるのだろうか。二人ともきちんと化粧をし、傍らには高級ブランドのバッグが置かれている。見るからに生活に余裕がありそうだ。
「私ね、最近また太っちゃったのよ」
太ったと嘆く女性は、ワンピースにツイードのジャケットを羽織り、五センチほどだがヒールのあるパンプスを履いている。年齢の割には髪が豊かすぎるところを見ると、ウィッグをつけているのだろう。
「ほら、ここ。肉がついちゃって」と女性は言い、ブラウスの上から腹の肉をつまんでみせた。「だから私ね、先週からダイエットに励んでるのよ」
彼女らの声が気になって、持参した文庫本の文章が頭に入ってこない。
あきらめて本を閉じ、壁にかかった西洋画を見つめながらコーヒーを飲んだ。
「いやだ、あなた十分スマートじゃないの。痩せる必要なんてないわよ」
「だって私、いつまでもきれいでいたいんだもの」
六十代や七十代になっても、強固に美意識を保ち続けられる女性もいる。私はそんなのとっくの昔に捨てたのに、この差はどこから来るのだろう。
五十代半ばくらいからだったか、外見より健康を優先するようになった。野菜と蛋白質をしっかり摂り、おやつはお菓子をやめてナッツを食べる。洋服は伸縮性のある動きやすいものにして、靴はクッション性の高いウォーキングシューズに変えた。見た目など二の次だ。
若い頃とは違い、誰も私のことなんか見ちゃいない。それに気づいたことが、もともと持っていた合理的な考え方に更に拍車をかけた。
「そういえば......」
女性が声を落としたので気になり、聞き耳を立てた。
「北村さんが訪問ヘルパーのお仕事をお始めになったんですってよ」
「あら、あの噂、やっぱり本当だったのね。ご主人が株で大損なさったって」
「そうなの? 株で? それは初耳だわ」
「あら、みんな知ってるわよ」
「でも本人の弁は違ってたわよ。働く方が健康にいいから始めたんだって」
「そんなの嘘に決まってるじゃない。お金に困ってるからよ」
「そう? そうかしら。うん、そうよね。今まで専業主婦だった人が、あの歳になって働きに出るなんておかしいものね」
「そうよ。それよりね、山崎さんちの息子さんが会社を辞めて家に引きこもっているの、あなた、ご存じ?」
「本当? 知らなかった。山崎さんもたいへんね。息子さんが麻布から東大に合格したときは、あんなに自慢なさってたのに」
「あの人、自慢しすぎなのよ。罰が当たったのかも」
「やだ、ふふふ」
他人の不幸は蜜の味だ。
他人に掛け値なしに同情することがあるとすれば、びっくりするほど悲惨な不幸に見舞われたときだ。天災だとか強盗に入られたときなどだ。だがそれだって条件つきだ。普段から謙虚で、家族の誰一人としてエリートであってはならない。
それにしても、六十代以上の女性同士の会話とは、こんなにくだらない内容ばかりなのだろうか。政治に対する不満や、環境問題や、円安について話し合っている女たちなんて滅多にお目にかからない。カフェなどの公共の場で、こんな次元の低い噂話を聞かされたら、世間から「おばさんはみんなバカ」だと思われても仕方がない。そう思うのは男だけじゃない。若い女だってそう思っている。
そのとき、ダイエットに励んでいると言った女性がこちらを振り返り、私の頭のてっぺんから爪先まで素早く視線を動かした。値踏みして満足な結果が得られたのか、薄く笑ったように見えた。
あなたは目いっぱいおしゃれをしてきたんだろうけど、私は近所に買い物に行くときの服装なんですよ。
そう心の中で言いながらトーストサンドを食べ終え、コーヒーも飲み干した。
それでっと......今日は帰りにスーパーで何を買って帰るんだっけ。
ポシェットに入れておいた買い物リストの紙片を取り出して目を走らせた。
――鶏ささみ、胡瓜(きゅうり)、練り胡麻、ラップ小。
果物も欲しい。特売コーナーにも寄ってみよう。
紙片に「果物」と書き足したあと、ふと思いついて紙を裏返し、真っ白な紙面に碁盤目の線を引いてみた。
きっと大谷選手も、こうやって線を引くところから始めたのだ。
そして中心のマス目に、彼はこう書いた。
――ドラ1、8球団
もしも自分が高校時代に戻れるとしたら、何を書くだろう。
考えてみるが、何ひとつ具体的な目標が思い浮かばなかった。これといって得意なものもなかったし、大谷選手の野球に対する熱意に匹敵するようなものを、人生を通して一度も見つけられなかった。
だから仕方なく「一本道の人生」と書き入れてみた。もう一度人生をやり直せるのならば、目標を一つに絞りたい。
その目標を実現するための要素を周りに書き入れなければならないが、またしても、ひとつも思い浮かばなかった。
そもそも「一本道の人生」では抽象的すぎる。
だったら、「同一労働には同一賃金を」とか?
それが実現したら、パート主婦の時給が大幅にアップする。そうなったら人生は劇的に変わるはず。
いやいや、さらに目標が壮大になってるでしょ。そんなの自分一人の力ではどうすることもできないよ。
万が一この紙が夫に見つかったらどうなる? きっと「出た出た。またフェミニストかよ」と、ここぞとばかり馬鹿にするに決まっている。
おい、自分、妻の切実な願いを馬鹿にして嗤うヤツなんか相手にするな。
ああ、これまでの人生で、何度そう自分に言い聞かせてきたことか。
――二刀流なんて馬鹿じゃねえのか。
大谷選手が高校生だった頃、そう言ってせせら笑った人々も少なくなかったと何かで読んだ。だけど、彼は成功した。
だったら、やっぱり......。
おいおい、自分、何をそんなに真剣に考えているのだ。
もう六十代なんだから、どんな目標を立てたところで実現不可能だ。せいぜいレンチンだけの簡単調理のレパートリーを一つか二つ増やすだとか、ウォーキングを一日五千歩にするだとか、それくらいが関の山だ。年齢とともに体力がなくなり、その程度のことでさえ実現するのが難しいヘタレに成り下がってしまっているのだから。
だけど、大谷選手が大リーグで活躍するなんて、周りの大人は誰も信じていなかったのではないか。実現不可能な「夢」に過ぎないと思いながらも、目標に向かって努力することは高校生にとって良いことだし、精神的な鍛練という意味でも将来のためになる。そう考えて、「頑張れよ」と励ましの気持ちで口にしていたのではないか。
六十代の私の場合は、どうせ架空の夢なんだから壮大なことを書いてもかまわない。一瞬でいいから夢を見たいだけなのだ。大谷選手のような「将来の希望」ではなくて、単なる「夢」に過ぎない。それも想像の中の夢だ。
だったら、目標は「男女平等の世の中」にしてみたら?
まさか、ばかばかしい。
最近の若い女は世の中に嫌気がさしている。だから結婚もしないし子供も産まない。自分の人生が夫や子供という他者に牛耳られることが目に見えているからだ。田舎であれば、それに舅姑や親類縁者が加わるかもしれない。こんな日本なら少子化が進むのも無理はない。
そう結論付けたとき、大学生らしき男性三人が店に入ってきた。
彼らは次々にカウンターで飲み物を注文すると、私のすぐ隣の丸テーブルに陣取った。
「昨日の夜、お前、あれからどうした?」と、尋ねる声が聞こえてきた。
それに答える声が聞こえないので、気になって見てみると、お前と呼ばれた男子学生はうつむいてコーヒーを飲んでいた。
「こいつ、例の女と二人で飲みに行ったんだよ。それも高級なとこ」と、隣の男子が代わりに答えた。
「うそっ、信じらんねえ。お前、あんなブスにおごってやったの?」
「ああいうのが好みとは知らなかったなあ」
「違うよ。成り行きで仕方がなかったんだよ」と、やっと男子は答えた。
「だよなあ。無駄遣いもほどほどにしろよ」
「わかってるよ。俺だって後悔してんだよ。ブスと結婚するくらいなら一生独身の方がましだよ」
「そんなの当たり前だろ」
男性三人の会話を聞きながら、知らない間に息を止めていた。
胸糞悪いとは、こういうことを言うのか。
世の中は、こういった低レベルの連中で溢れている。
ブスやババアのどこが悪い。私だって一生懸命生きてきたんだよ。
今朝も顔を洗うとき、鏡に映った自分を見てショックを受けた。太ったし、老けたし、昨夜水分を摂りすぎたからか、いつもよりむくんでいて頬が垂れ気味だった。
だけど......だから何だって言うの?
そう考えながら暗い気持ちで手許に目を落とすと、さっきの紙片があった。
悔しさが胸に充満していたからか、はっと気づいたときには、碁盤目の真ん中に書いた「一本道の人生」を二重線で消し、ペンを走らせていた。
――女性が胸を張って生きられる世の中にする。
だって、こんな男どもをのさばらせておくわけにはいかないじゃないの。
今朝のワイドショーにしたって、男性出演者の年齢や外見は様々だけど、女性はみんな若くて美人だった。
だけど......女性が胸を張って生きられる世の中って、どんな世の中?
そんな壮大な目標を達成するためには何をすればいいの?
ああ、そんなことより、帰ったら風呂掃除をしなくちゃ。湯船に設置されているエプロンを外す大仕事が待っている。
それにしても、風呂の掃除のしにくさときたら本当に腹が立つ。なんであんな造りにしたのか。エプロンを外すとカビだらけなのだ。だからみんな強烈なカビ取り剤を使わざるを得ず、その結果として海を汚染していく。
知人に聞くと、最初からエプロンを外して使っていると言う人もいる。外しにくいし嵌(は)めにくい代物だ。腕が長くて力持ちの人でないと難しい。かといって、うちの夫に頼んでも「今度の休日にやるよ」と言うのだが、「今度の休日」という日は永遠に来ない。
台所だってそうだ。都会のシステムキッチンは狭すぎる。家が狭いのだから仕方がないとはいうものの、不必要なほど大きな流しと立派な三口コンロのガス台がついているのはなぜなのか。そのせいで調理台がないに等しい。いったいどこで野菜や肉を切ればいいのか。洗った食器はどこへ置けばいいのか。
コンロが三口になったことで、手前の二口が身体のすぐそばにある。鍋の柄を洋服に引っかけてひっくり返しそうになったことは一度や二度ではない。そのうえ、以前はガスレンジを台の上に置くだけでよかったが、今やシステムキッチンに備え付けとなったから、交換する費用が驚くほど高額になってしまった。何から何まで金儲け主義の改悪としか思えない。
あ、そうだ。
そういった水回りの設(しつら)えも女性の貴重な人生の時間を奪っているのだから、マンダラチャートの目標を囲むマス目に書いておこう。
――家庭内の設備は、家事に熟練した人間が設計すること。
マスを一つ埋めたことで勢いがつき、次から次へと乱暴な字で書き入れていった。
――偏見に満ちたコマーシャルを全部排除すること。
――偏見に満ちた発言をするアナウンサーを馘(くび)にすること。
――きゅうりは曲がっていてもいいから低農薬の実現を。
あれ? 路線がずれてきたぞ。
いや、これも食材を買って日々料理をする生活者の考えを取り入れるということだから、うん、これはこれで合ってる、ということにしよう。
事件は現場で起こっている。そんな台詞を聞いたことがある。料理も風呂掃除もやったことのない男たちが、机上でシステムキッチンの設計をするなんて言語道断だ。現場を知っている者が設計すべきなのだ。
知らない間にマス目を埋めることに夢中になっていた。
だんだんとアイデアの量が増えてきて思考が深まり、漠然としていた考えが整理されて明確になってくる。優先順位も見えてきた。すると、漏れがないかどうかも確認しやすくなった。
夫よ、やっぱり私はバカじゃないぞ。
書き終わって眺めていると、マンダラチャートの中心が台風の目のようになり、周りの文字がぐるぐると回り始めた。
目の錯覚だろうか。
ここのところ目が霞(かす)むようになり、先週、眼科に行ったばかりだ。白内障の五段階のうちの一段階目だと医者は言った。ドライアイの目薬を処方されただけだったが、今朝もまた差すのを忘れてしまった。
それにしても、マンダラチャートがぐるぐる回るのに、なぜか眩暈(めまい)はしないし、気分も悪くならなかった。そのうえ意識もはっきりしている。
そのとき、頬に風を感じた。
玩具の風車か、それとも小型の扇風機を間近で見つめているような感覚だった。
気持ちのいい風だったので、そのままじっとマンダラチャートの中心のマス目を見つめていたとき......。
え?
どういうこと?
目標を書いた中心のマス目に、全身が吸い込まれていった。
声を上げる間もなかった。
(つづく)
Synopsisあらすじ
「私」は、現在63歳。子どもは巣立ち、夫と二人で暮らす平凡な主婦だ。夫は私に関心がなく、家政婦程度にしか思っていない。
ある日、私はふと、気がつく。WBCで活躍した、大谷選手やダルビッシュ、ヌートバー……。彼らは子どもの頃からの夢を一途に追いかけて、あの場所に立っている。なぜ自分はここで、こんなふうに不満ややるせなさを抱えて生きているのだろう。「私は、成績も良かった、努力すればもっと自分の能力を生かせる生き方が出来たはず。けれども、美しくあろうと外見にばかり注力してきたために、今はただのオバサンになってしまった、もし、あのとき、外見をつくろったり、男性の目を気にすることなく、自分のやりたいことを一途に貫いていたら」
もう一度、人生をやり直したい……激しい後悔とともに、そう強く願った私は、気がつくと、中学生に戻っていた……。
Profile著者紹介
2005年『竜巻ガール』で小説推理新人賞を受賞し、デビュー。テレビドラマ化された『リセット』『夫のカノジョ』『結婚相手は抽選で』『定年オヤジ改造計画』や、映画化された『老後の資金がありません』のほか、『四十歳、未婚出産』『夫の墓には入りません』『姑の遺品整理は、迷惑です』『うちの子が結婚しないので』『もう別れてもいいですか』『あきらめません!』『懲役病棟』など著書多数。
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