マンダラチャート@3 一九七三年 / @4 初恋の人に呼び出される

@3 一九七三年

 あ、この曲、知ってる。
 ――片隅で聴いていた ボブ・ディラン あの時の歌は聴こえない 人の姿も変わったよ 時は流れた
 懐かしいなあ。何ていう曲だったかな。
 両隣からも背後からも歌声が聞こえてくる。
 どうやら自分は集団の中に立っているらしい。
 そっと見回してみると、みんな整然と並んで前を向いて歌っている。
 ここは、どこ?
 そのとき、隣の人が更に声を張り上げた。
「きーみーとー、きーみーとー」
 ハモったりして、なかなかいいじゃない。
 あ、わかった。この曲は『学生街の喫茶店』というのだった。歌っていたのは、男性三人のフォークグループ「ガロ」だ。
 歌が終わると、周りの人たちは一斉にお辞儀をした。そのとき、前列の人たちの頭がいきなり消えたから、前の景色がぱっと開けた。
 前方は客席だった。黒っぽい服装の集団で埋め尽くされている。目を凝(こ)らして見てみると、中学生か高校生のようだった。
 どうやら自分は舞台に立っているらしい。舞台といっても学校の体育館くらいの広さだ。
 そう言えば中学生のとき、クラス対抗の合唱コンクールがあったが、そのときと雰囲気がそっくりだ。
 これは、夢だよね?
 今までにも何度か、これは夢なんだとはっきり認識している夢を見たことがある。だけど......夢にしては妙にはっきりしている。
 いや、夢なんかじゃない。私はさっきまでカフェでモーニングを食べていた。そこには、他人の不幸は蜜の味とばかりに、噂話を楽しんでいた二人連れの中年女性がいた。そして、ブスを人間扱いしない男子大学生の三人連れもいたはずだ。
 彼らはどこに消えたんだろう。
 それと、買い物リストの裏に書いたマンダラチャートはどうなった? 見ているうちに、目標を書いた中心のマスを軸にして、ぐるぐる回り出したのではなかったか。
 そして、その中心に自分の身体が吸い込まれていったような......まさかね。あんな小さなマス目に自分の身体が入るわけない。
 だけど、やっぱり......。
 そのとき、誰かが私の背中を人差し指か何かでそっと突いた感触があった。どうやら私だけがぼうっと突っ立っていたらしい。みんなぞろぞろと舞台の袖に向かって歩き始めている。私も流れに沿って歩いた。
 歩きながら自分の着ている服を見おろして見てみると、シングルのブレザーにプリーツスカートだった。中学のときの制服と同じだ。横目で見ると、男子たちは詰襟(つめえり)の学生服だった。
「ねえ、北園さんたら、聞いとるの? 今日は朝からぼうっとしとるよね」
 北園さん......旧姓で呼ばれたのは久しぶりだった。
 気づくと、校舎へ向かう渡り廊下で、小柄な女子生徒が私と並んで歩いていた。 
「男子の声がちょっと小さかったと思わん?」
「え?」
「せっかくのハーモニーやのに、女子の声ばっかり大きく聞こえて残念やった。あんだけ何回も練習したのに」
 この女の子は誰だっけ? 見たことあるような......。 
 あ、ケメコだ。
 名前は森田公子だが、みんなケメコと呼んでいた。数年前の還暦同窓会で会ったときは体脂肪率の話になり、お互い三十五パーセント以上もあると嘆き合ったのだ。だけど、いま目の前にいるケメコのそれは、十パーセントもないように見える。そういう私もお腹がぺちゃんこだ。平らというより抉(えぐ)れているほどだ。
 やっぱり夢なのだろうか。だったら変な夢だ。夢にしては、はっきりしすぎている。もしかして夢遊病者になってしまったのか。それとも、なかなか醒(さ)めない白昼夢なのか。まるでタイムスリップしたかのようだけれど、そんなことは現実にあるわけないし。
 わけがわからないままケメコの後ろをついていくと、二年五組の教室に入っていくので、私もそれに続いた。
 えっ、天ヶ瀬(あまがせ)良一?
 心臓が飛び跳(は)ねた。
 教室に一歩入ったところで私は思わず足を止め、最後列の窓際の席で、窓の外を見ている男子を見つめた。切なく懐かしい感覚で胸がいっぱいになった。
 中学の三年間、私は天ヶ瀬良一に恋をしていた。彼は女子に絶大な人気があった。勉強もできるし走るのも早い。明朗快活といった印象と、控えめで優しそうな一面が混在する男子だった。
 俺が、俺が、と、目立ちたがる男子が多かった中、彼の静かな微笑みは女子生徒の好感度を上昇させた。「天は二物を与えず」という言葉は、実は?っぱちなのだと私に教えてくれた最初の人だった。
 大人になってからも、ときどき彼を思い出すことがあった。いつだったか、新宿の雑踏の中で、思わず息を?(の)んで立ち尽くしてしまったことがある。向こうから歩いてくる男の子が天ヶ瀬に似ていたからだ。
 ――天ヶ瀬くんのわけがない。私はもう中年のおばさんだよ。彼とは同級生だったんだから、彼だけが中学生のままなんてありえないでしょ。
 人知れず苦笑いをしながら、寂しい気持ちになったものだ。
 中学時代は彼を遠巻きに見ていただけで、話をした覚えもほとんどない。それなのに、思春期の思い出というものは、こうも永遠に心の中に住み続けるものなのか。
 短大時代に渋谷のプラネタリウムで恋人と天井の星を見上げていたときも、天ヶ瀬のことを考えていた。星に詳しかった彼のことだから、きっとここを訪れたに違いないと思うと、恋人に手を握られているのにもかかわらず、天ヶ瀬を身近に感じて温かい気持ちになった。彼が東京の大学に進学したことは聞いていたが、東京は広すぎて一度も見かけたことはなかった。
 今、中学生の天ヶ瀬の姿を目にして、どきどきが止まらない。
 まるで恋心が再燃したみたいだ。
 本当は六十三歳のおばさんだっていうのに?
 あれは何歳のときの同窓会だったろうか、彼がすごい美人と結婚したとケメコから聞いた。そのときは、「へえ、そうなの」などと興味のないふりをしたが、本当は何とも言えない空しさに襲われた。
 美女が美男と結婚するとは限らないが、美男は必ず美女と結婚する。そんなことは昔から当たり前のことで、遠くから憧れていただけの自分には、初めから出る幕などなかった。だから天ヶ瀬が誰と結婚しようが自分には関係ないことだし、そもそもそのときの自分は既に結婚していて子供もいた。
 恋愛に全く興味がなくなったのは、四十代半ばを過ぎた頃からだった。これといったきっかけはなかったが、世の中はどこへ行っても男尊女卑で溢れていて、それらに抉られた傷がその年齢になると溜(た)まりに溜まって許容量を超えてしまい、疲れ果ててしまったのだろうと思う。マンスプレイニングに対しても、感心したそぶりで頷(うなず)いてあげるといったサービス芸当もできなくなった。そして、いつの間にか男というもの全員に対して苦手意識を持つようになった。
 だから今、天ヶ瀬を見た途端に切ない気持ちになるのは予想外だった。
 だが、これは夢の中の出来事なのだ。自分も中学生に戻っていると思えば、それほどおかしなことではない。
 私の視線に気づいたのか、天ヶ瀬がこちらの方に身体の向きを変えようとしたので、私は慌ててケメコに視線を移した。
「北園さん、いつまでぼうっとしとるの?」
 ケメコに言われて気がついた。全員が席に着いているのに自分だけが突っ立っていた。だがそのおかげで、自分の席がどこだかわかった。空いている席は、廊下側の前から二番目だけだった。
 天ヶ瀬とはほぼ対角線上にある離れた席だった。一度でいいから近くの席にならないものかと、席替えのたびに残念に思った中学時代の切ない気持ちがまたしても蘇ってきた。だが近くの席にならないどころか、三年生になったときはクラスが別になり、天から見放された気分になったのだった。
 それにしても長い夢だ。
 さっきから?や手の甲をつねってみるが、普通に痛みを感じるのはどうしてなのか。これが夢ではなくて何なのか。本当にタイムスリップしてしまったというのか。
 まさかね。ばかばかしい。
 そのとき担任教師が教室に入ってきた。
 あれ? この人、こんなに若かったのか。中年のおじさんだと思っていたけれど、まだ三十代かもしれない。
 連絡事項だけの短いホームルームが終わり、みんなが一斉に帰り支度を始めた。私は席に座ったまま、それらをぼうっと眺めていた。
「北園さん、何をしとるの?」
 ケメコがやってきて、不思議そうな顔で尋ねた。
「何って......そろそろ私も帰るけどね」
「珍しいなあ。部活を休むなんて」
「部活って、何の?」
「はあ? バスケ部の次期キャプテンて言われとるくせに何を言うとるの。やっぱり今日の北園さん、ちょっとおかしい」
 バスケ部? 
 ああ、そう言えば......。
 厳しい練習の日々がまざまざと蘇ってきた。放課後だけでなく、試合前になると朝練もあり、他の中学との練習試合で土日がつぶれることもしばしばだった。
 ――いい加減に起きなさいっ。遅刻するよっ。
 母に何度起こされても、なかなか起きられなかった。最も睡眠が大切な成長期だったのに、毎日が体力の限界を超える日々だった。
 将来実業団に入るわけでもないのに、練習に時間を取られすぎていた。読書を楽しむ暇さえなかったし、趣味も持てなかった。週三日くらいならいいが、青少年の心身を鍛えるという範疇(はんちゅう)を明らかに超えていたと思う。
 もう一度中学時代をやり直せるのならば、自分の時間を確保したい。そのためには、この際、部活をやめてしまってもかまわない。そう決めると、私は帰り支度をしてから職員室へ行き、バスケ部の顧問を目で探した。
「先生、すみません。体調が悪いので今日の部活は休ませてください」
 いきなり退部と言えば、きっと理由を聞かれるだろう。うまい理由が思い浮かばなかったので、ともかく今日一日だけでもしのごうと考えた。
「そうか、お大事に。気をつけて帰れよ」
 顧問の生物教師は仮病を疑うこともなく、あっさりとそう言った。
 彼は普段から部活に熱心ではなかった。それなのに朝練まであったのは、三年生の副部長が熱血女だったからだ。部長が、その女のいいなりだったのだ。令和の時代なら、こういったこともパワハラと言われるのかもしれない。
 そのまま校門を出て自宅に向かった。
 中学校から家までは徒歩十分の道のりだ。商店街に差し掛かったとき、その賑(にぎ)やかさを目にして驚いた。シャッターが下りている店など一軒もなく、八百屋にも洋品店にも和菓子屋にも小さな本屋にも複数の客が入っている。
 そのとき、ガラス屋から商店主が飛び出てきた。
「こらっ、こんなとこでボール遊びするな。運動場に行けっ」
 道路でボール遊びをしていた小学生の男の子たちは、「すみません」と素直に謝り、すごすごと引き上げていく。
 商店街を通り抜けて小学校の横を通ると、校庭から歓声が聞こえてきた。見ると、たくさんの子供たちがドッジボールに興じていた。そのあとお寺の横を通ると、境内では鬼ごっこをしている子供たちが大勢いた。
 いつからなのだろう。放課後の校庭で遊ぶのが禁止され、寺の境内に「関係者以外立ち入り禁止」の札が立つようになったのは。
 中学生のときは、少子化の時代が来るなんて想像したこともなかった。今後も人口が増え続け、日本は更に大きく発展していくのだと信じて疑わなかった。
 だが令和の世の中になっても少子化は留(とど)まることなく進んでいく。家事や子育てで自分の人生を失ってしまうことを知った女たちの逆襲なのだろうか。少子化が進むのは日本、韓国、イタリアで、それらの国は、家父長制の名残が強いという共通点があると何かで読んだことがある。
 自宅の玄関引き戸には鍵がかかっていなかった。それどころか数センチ開(あ)いている。この時代の田舎は、どの家も無防備だった。
 二階の自分の部屋へ行き、ゆっくり見回した。鴨居にかかっている黄色のプリーツスカートとセーターの手触りを確かめ、本棚に並んだ本の背表紙を眺めた。有吉佐和子の『恍惚の人』、北山修の『戦争を知らない子供たち』、それに庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』などがある。その横には『高校放浪記』が全巻あった。従兄が読んで面白いと言ったから揃えたのだった。
 そのとき、階下の廊下を忙(せわ)しなく歩く母の足音が聞こえてきた。それがトントントンと軽快に階段を上ってくる音に変わり、私の部屋をノックすると同時にドアが開いた。
「雅美、洗濯物を取り込んどいてって言ったでしょう?」
 母の姿を見て驚いた。
「お母さん、いま何歳? 三十代後半くらい?」
「ごまかそうったってダメ。洗濯物を取り込みなさい。少しはお母さんを手伝ってよ」
「でも私、今はそれどころじゃないっていうか......」
 いきなり中学生に戻ってしまったのだ。昨日カフェにいた時点から今までのことを順に書き出してみようと思っていたところだった。 
「ちょっと雅美、お母さんの話、聞いとるの?」
「ごめん、お母さん、私いま勉強しようと思ってたとこだから」
 そう言いながら、ふと気づいた。今の自分の言い訳は、日頃の夫と同じではないか。
 夫は自分では決して認めないだろうが、常に自分のやりたいことが優先だった。子供たちが幼かった頃、家族で動物園や水族館によく行ったものだ。帰宅したら夫はソファに直行し、ビールを飲みながらテレビを見るのだ。子供連れで出かけたらひどく疲れるのは互いに同じなのに、妻を思いやることは一切なかった。私は台所に立って夕飯を作らなければならず、子供たちの宿題も見てやらねばならなかった。夫に頼んでも、それは俺の仕事でないとか面倒だとか口に出していってしまえる無神経さが信じられなかった。そして、そんな言い訳が通ると思っている人間がこの世にいることが不思議だった。妻が目の下に隈(くま)を作るほどの疲れを滲(にじ)ませていても、お構いなしだった。いや、隈など気づきもしなかっただろう。結婚して五年も経てば、妻の顔をまじまじと見ることすらなくなっていたのだから。
 夫さえいなければ、子供たちとの夕飯などちゃちゃっと簡単に済ませられるのに。そう思って恨みを溜めていったのだ。
 何でも話せる友だちのようだった若かりし日の関係はどこに消えてしまったのか。いつの間にか、夫は妻の私を軽く見るようになっていた。
 だが中学生に戻った今、私は母を軽くあしらった。夫が私を扱うのと同じだ。どんなにこき使っても、決してくたびれない雑巾か何かのように。
 母は朝早く起きて子供たちの弁当を作り、家族を送り出したあとは蕎麦屋にパートに行く。帰りに夕飯の買い物をし、家に帰ったら、すぐに洗濯物を取り入れて畳んでしまって夕飯を作る。そのうえ、裏の畑で家族が食べる分の野菜まで作っていた。趣味ではなく節約のためだ。あの当時は冷蔵庫の冷凍室の品質がいまいちで、家庭での冷凍技術など知られていなかったし、スイッチを押せば風呂が沸くという時代でもなかった。
 母は朝起きてから眠るまで、ほとんど座るということがなかった。そういう私も、結婚してからは母と同じような過酷な生活を送ってきた。
 六十代になってからときどき人生を振り返るようになった。家族一人一人が自分の分の家事をしたら、どんなに助かっただろうと思う。子供の頃から丁稚(でっち)奉公に出された時代があったことを思えば、小学生であっても分担できる家事はたくさんあるはずだ。母親一人の負担が重くなりすぎないようにするには、それしか方法はないのだ。家政婦を雇えるほどの金持ちなら話は別だが。
 だから、中学生の私も母を手伝うべきなのだ。
 でも......。
「ねえ、お母さん、どうしてお兄ちゃんには頼まないの?」
「だってお兄ちゃんは勉強で忙しいでしょ。雅美は女の子なんだから家のことを覚えんと、いいお嫁さんになれんよ」
「ちょっと、お母さん、そういう古い考えを子供に押しつけたらダメよ。そういうのは女の私だけじゃなくて、お兄ちゃんのためにもならないよ。お兄ちゃんの将来のお嫁さんが苦労するよ」
「何をわけわからんこと言っとるの? さっさと洗濯物を取り入れてちょうだい」
「......わかった。とりあえず洗濯物だね。はいはい、やりますよ」
 そう言いながら、私は物干し台に出た。
 ――いいお嫁さんになれんよ。
 ――もらい手がなくなるよ。
 ――嫁(い)き遅れたら大変なことになる。
 さすがにこういった言葉は、令和の時代には聞かれなくなった。
 女性に結婚を無理強いし、がんじがらめの人生を送らせる時代は終わったのだ。それもこれも女性が働ける場が増えたからだ。結局女の人生は、自身の経済力に左右されるのだ。
 洗濯物を取り入れて階下に降りると、母がいなかった。町内会の用事か何かで外へ出たらしい。
 お腹が空(す)いてきたので冷蔵庫を開けた。茄子(なす)と挽(ひ)き肉があったのでマーボー茄子を作ろうかと思ったが、この時代は一般家庭に豆板?(トウバンジャン)など置いてないのを思い出し、七味唐辛子と味噌で代用することにした。
「お隣の奥さんにつかまって遅うなってしまったわ」と言いながら、母が帰ってきた。「まあ、雅美ちゃん、いつの間に料理を覚えたん? ちょっと味見させて。あら、まあ、ピリ辛で美味しいこと。こんだけ作れたら明日にでも嫁に行けるわ」
 母は満面の笑みだった。嫁に行けるというのが最大の誉め言葉だと思っていることにうんざりする。
 母と夕飯の用意をしていると、高校二年生の兄が学校から帰ってきた。兄はあまり勉強が得意ではない。地元の県立高校に受からなかったので、隣町の私立高校にバス通学していた。
「お兄ちゃんも手伝ってよ。そこの胡瓜(きゅうり)、薄切りしてから塩もみして」
「えっ、僕がやるの?」
 兄は驚いたように私を見たが、意外にも嬉しそうな顔をしている。
「ダメダメ、圭介は勉強しなくちゃ。来年は受験なのよ」と、母が口を出す。
「お母さん、ほんの十分やそこら料理を手伝うだけで、そんなに目くじら立てなくてもいいじゃないの」
「そんなこと言うけど圭介は男の子なんだし、将来がかかってるのよ」
 あのね、お母さん、私は兄貴の悲惨な未来を知ってるよ。料理ひとつ作れない男の老後の一人暮らしがどんなものか、想像したこともないでしょう? 昭和時代の田舎なら、女手がない暮らしは大変だと周りが同情して、誰かが必ず手を差し伸べたからね。親戚も多かったし、近所づきあいも濃密だった。だけどそんな時代にまもなく終わりが来るんだよ。
 隣の居間からテレビの音が流れてきた。
 知らない間に父が会社から帰ってきていたらしい。
「お父さんも手伝ってよ。テレビなんか見てないで、ご飯をよそってちょうだい」と、私は居間に顔だけ出して思いきって言ってみた。
「えっ、わしが?」と、テレビの前に寝そべっていた父は驚いたように言い、ひょいっと立ち上がって台所に来た。
「みんな忙しいのに、お父さんだけのんびりテレビ見たりして不公平だよ」
 子供の頃は父が怖かった。何がきっかけで癇癪玉(かんしゃくだま)を破裂させるのかが読めなかった。だが、いま目の前にいるのは、たかだが四十代の若造だ。こっちは酸(す)いも甘いも?み分けた六十女なのだ。何を恐れることがあるだろう。
「よせ、雅美。今日はどうしたんだよ」と、兄は小声で言い、私の袖を引っ張った。見ると、おっかなびっくりの顔をしている。
「雅美、お父さんにおかしなこと言わんといて」と、母が睨(にら)みつけてくる。
「だって、みんな疲れてるのに、お父さんだけテレビ......」
 語尾が消えそうになった。母と兄が、父に異様なほど気を遣っているのを目の当たりにしたからか、子供の頃に恐れていた父の雰囲気が突如として蘇ってきた。
 そのときだ。
「わしがご飯をよそうって? よし、任せとけ」と、父は言い、シャツの袖をまくりあげた。ちらりと見ると嬉しそうな表情をしていたので、拍子抜けした。
 もしかして、父が何も手伝ってくれないというのは、母の思い込みだった部分もあったのではないか。だって、「はい、喜んで」と父の顔に書いてあるではないか。
 父にしてみたら、台所で妻子が楽しげに料理を作るのを見て、仲間外れにされた気分だったのではないか。今日は珍しく兄までが台所に立っているとなればなおさらだろう。もしかして寂しかったのか。だが、うちの夫のように、頼んでもやってくれない男もいるから、男もそれぞれなのだろうけど。
 食事は居間で食べた。和室に正座したのは久しぶりだった。私が東京の短大に進学したあと、リフォームしてダイニングキッチンにしたからだ。テーブルが低くて食べにくかった。これで猫背にならない方がおかしいくらいだ。
 テレビは点(つ)けっぱなしで、ニュースを見ながらの食事は誰も話さず、黙々と食べるだけだった。暴力団抗争に関するニュースが多くて興味が湧かない。
「今、西暦何年だっけ」
 さりげなく兄に尋ねると、「一九七三年だろ」と兄は答えた。
 どんな時代だったのだろう。詳しく知りたくて、いつもの癖でポケットに手を突っ込んでスマートフォンを探していた。
 あ、この時代はスマホなんて存在しないのだった。そうなると余計に、グーグルですぐにでも検索してみたい衝動にかられた。
「総理大臣は誰だっけ?」
「田中角栄だろ。去年までは佐藤栄作だったけど」と、父が答えた。
「そうだったね。度忘れしちゃって」
 田中角栄といえば、真っ先に上越新幹線を思い出す。『日本列島改造論』がベストセラーになったのだ。
 洗濯物を取り入れるのを一度は断ってしまった反省から、夕飯が終わったあとは率先して皿洗いをしようと決めていた。食べ終わった自分の皿を重ねていると、兄は箸を置いて立ち上がり、さっさと二階に上がろうとした。
「ちょっと、お兄ちゃん、自分の食べたお茶碗くらい、流しに運びなさいよ」
「えっ、僕が?」
 兄はそう言うと、自分の食器を台所に運び、またもやさっさと二階に上がろうとする。
「置いただけじゃダメよ。洗いなさいよ」と言って、私はスポンジを兄に渡した。
「わかった。洗うよ」
 母は父の晩酌(ばんしゃく)につき合って一緒にテレビを見ているからか、こちらの様子には気づいていないようだった。
「お兄ちゃん、洗剤つけすぎ」
「そうなのか? 半分くらいでよかったか?」
「ほんの少しでいいんだよ」
「雅美って意外とケチなんだな」
「そうじゃないよ。洗うよりすすぐ方が手間がかかるの。洗濯だって同じよ」
「へえ、知らなかった」
 兄は感心したように言ってから、「あれ? 雅美、何を作っとるんだ? 夕飯が済んだばかりなのに」と、野菜を切っている私を見て尋ねた。
「明日のお弁当よ」
 そのとき、「雅美、自分でお弁当作ってくれるの? 助かるわあ」と、背後からいきなり母の声がした。
 ピーマンと玉ねぎと合い挽き肉を炒めて塩胡椒(こしょう)し、最後に溶き卵をからめた。「さあ、出来た」と、私は言った。
 冷めたら冷蔵庫に入れておいて、ご飯は翌朝に詰めればいい。
「ええっ、冗談でしょう? そんな惨(みじ)めなお弁当を学校に持っていったら笑われるよ」
「いったい誰が笑うの? 栄養バランス満点なのに」
「そんなん、お弁当とは言わんよ。非常識やわ」
「笑われようが非常識だろうが、これでいいんだってば。他人の目なんかどうだっていいでしょ」
「今日の雅美、なんかすごい」と、兄が言う。
「だってお兄ちゃん、他人が何をしてくれる? 人の噂話をして楽しむ他人なんて一生涯相手にしなくていいのよ。そういう人には近づかないのがいちばんなの」
 そんなことを子供の頃から知っていたならば、人生はどれだけ楽だったろう。だが田舎の狭いコミュニティの中で暮らしてきた母は、晩年になっても人の目を気にし続けていた。それどころか年齢とともにひどくなっていったように思う。
「笑われるのは雅美じゃなくて、母親の私なの」
「そんなバカども放っとけばいいでしょ。栄養さえ足りてれば、お母さんが作る幕の内弁当みたいな立派なの作らなくていいんだよ」
 パート先の昼休みに目にする仲間たちの弁当は、平成時代に入った頃からどんどん簡素化していった。ラップで包んだおにぎり二個とサラダだけというのが流行(はや)ったりした。
 令和の世の中になってからは円安が進み、日本のGDPはドイツに抜かされて四位に転落しそうだと、マスコミが騒ぐようになった。「失われた三十年」と盛んに言われていたが、この時代とは比べようもなく豊かだった。だって令和時代に、他人の弁当の中身を見て金持ちか貧乏かを判断する人間がいるだろうか。高級ブランドを身に着けているからといって金持ちだとも思わなくなっていた。それもこれも昭和より更に豊かな時代になったからだ。
 どこのパート先でも給湯室に電子レンジが設置されるようになり、みんな重宝していた。昭和時代には温めるだけの単機能の物でも二十万円以上もしたのに、いつの間にか驚くほど安価になった。独身の男性社員などは、昨夜の残りなのか、カレーとご飯を別々の容器に持ってきてチンして食べているのを何度か見かけたことがある。それくらい昼食というものが人それぞれバラエティに富むようになり、他人の目など気にする人間はいなくなった。
「僕も雅美と同じ弁当でいいよ」と兄が言った。
「お兄ちゃん、何で私に作らせようとするの? 私が女だから?」
「えっ、いや、別に、僕はそんな......」と、兄が戸惑った顔で私を見た。
 兄はそこまで深く考えていないのだろう。悪気がないからこそ罪深いのだが。
「お兄ちゃんも自分の分は自分で作りなよ」
「えっ、僕が、自分で?」と、兄はまたもや嬉しそうな顔になった。
「何を言うとるの、圭介は受験があるのに」と、母の声に怒りがこもった。
 兄はこの地域では最も授業料の高い塾に通っていたが、結局は一浪して予備校に通った。そしてFラン大学に入学したのだった。就職も苦労したようだったが、中堅の機械メーカーの営業職に拾ってもらった。というのも、見るからに人が好さそうだったからではないかと私は見ている。だが問題は結婚生活だった。義姉が怒っているのを偶然聞いてしまったことがある。
 ――共働きなのに料理はいつだって私の役目よね。一年三百六十五日、毎日作るのがどんなに大変かわかってないでしょ。だってあなた、リンゴもまともに?(む)けないもんね。
 ――俺だって洗濯物を畳んだりゴミを出したりして手伝ってるじゃないか。
 ――はあ? 頭を使わないで済む楽な家事ばっかりじゃないの。そんなの小学生だってできるわよ。
 兄がまだ小学生だった頃は、母はしょっちゅう兄に用事を言いつけた。私が幼かったからだろう。「お兄ちゃんだからお願いね」と言って、お使いに行かせたり、私の世話を頼んだりしたものだ。だが兄が中学生になって成績があまり芳(かんば)しくないとわかった時点から、母は兄に家事を一切手伝わせなくなり、「勉強、勉強」と追い立てた。それは兄の将来を思ってのことだったのだろう。
「やっぱり雅美、そんなお弁当じゃいくらなんでも......」と母はまだ拘(こだわ)っている。
「お母さん、もうちょっと自分を大切にしなよ。自分の時間を作った方がいいよ。家事はお父さんや私たち子供に分担させなきゃだめなんだってば」
 そう言うと、母は不思議そうな顔をして私を見つめて「なんで?」と尋ねた。
「だってお母さん、パートで疲れてるのに家事も町内会の仕事もしてるじゃないの。疲れてるしストレスも溜まってるはずだよ」
「どこのお母さんだって家のことやってるだろ。国語の桜田先生だって」と兄が反論する。
 桜田先生というのは、子供が三人いる中学の女性教師で、兄が中三のとき担任だった。
「お母さんが急にいなくなったらどうする? 困るでしょう?」と私は言った。
「なんで私が急におらんようになるわけ? 今日の雅美、わけわからん」と、母が呆れたような顔をする。
「だって結局は、お母さんが先に......」癌で死ぬんだよ。
 それはまだ先の話ではある。この三十数年後、父がこの家に一人残されるのだ。家事のできない父は、不健康な食生活が原因で体調を崩した。久しぶりに帰省したとき、見る影もないよぼよぼのおじいさんになってしまっていて、まだ七十代だったのに、九十歳くらいに見えたのがショックだった。家事もできないくせに頑として老人ホームには入ろうとしなかった。それが何を意味するか、父はわかっていただろうか。私と義姉が交代で父の面倒を見に帰省を繰り返したのだ。心身ともに疲弊し、そのうえ遠距離介護の交通費で家計が圧迫された。義姉はとうとうブチ切れて、兄に内緒で勝手に離婚届を出して家を出ていったのだ。そのあと父の介護は私一人の負担になった。思ったより早く逝ってくれて助かったけれど、親が早く死んでくれて助かったなんて思う日が来るとは、子供の頃は想像もしていなかった。そんな薄情な娘になってしまった自分を、私はことあるごとに思い出しては責め、何年も落ち込みから脱することができなかった。
 ――ねえ、お母さん、そんな未来がやってくることも知らないで無責任だよ。
 そんな言葉が喉元まで出かかった。
「お母さんのためだけじゃないの。自分でできることは何でもやった方が、お父さんや私たち兄妹のためでもあるのよ」
「今日の雅美はなんだか偉そうだわ。どっちが親だかわからんよ。そんなことより、明日の夕飯はどれがいい?」と母が寿司屋のメニューを広げた。
「えっ、明日はお寿司を取るの?」
「雅美、もう忘れたん? 明日から婦人会の旅行に行くって言ったでしょ」
「ああ......思い出した。お母さんは婦人会の旅行で出かけるときは、完璧に家事を整えてから出かけるんだったね」
 お父さんに不自由な思いをさせると申し訳ないからと、前日に寿司の注文を済ませてから出かけるのが慣例だった。それもあって子供の頃は、母が不在の寂しさよりも、滅多に食べられないご馳走の楽しみの方が勝っていた。
 それを考えると、私世代の夫婦関係は少しマシになった。私が旅行や残業で不在のときは、夫は唯一得意なナポリタンスパゲティを作って子供たちに食べさせてくれた。夫も四十代までは協力的な面もあったのだ。
「お金がかかるけど仕方がないわ」と、母はため息交じりに言いながら、メニューを見つめた。
「夕飯くらい私が作るよ。お寿司は取らなくていいから」
「無理無理。雅美には無理だわ」
「何言ってんの。今日の夕飯は私が作ったじゃないの。美味しくなかった?」
「今日のは確かに美味しかった。けど、でも......」
「天ぷらと澄まし汁はどう?」
「雅美に作れるの?」
「そんなの朝飯前だよ」
「そこまで言うんなら......家計も助かるし、そうしてもらおうかな」
「ええっ、せっかく寿司を楽しみにしとったのに」と、兄が口を出した。
「お兄ちゃん、今度の休みに私が作ってあげるよ」
「作るって何を?」
「握り寿司だよ」
「どうやって?」と、兄が問う。
「酢飯を小さいおにぎりにして、刺身を載せれば出来上がり」
 短大に進学したとき、気仙沼と清水の港町出身の同級生がいたが、彼女らは二人とも握り寿司を慣れた手つきで作ってご馳走してくれたことがある。
「確かに言われてみれば、それだけのことか......だったら僕も手伝いたい」
「うん、一緒に作ろう」
 兄は子供の頃から寿司や刺身が大の好物だった。
「お兄ちゃん、寿司職人になればいいのに」
 そう言うと、兄はまさに鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。
「考えたこともないよ。えっと......そうなると僕は大学はどうするの? 行かなくていいのか?」
「行かなくていいんじゃない?」
「......そうか、そういう人生もアリだよな」
「何を馬鹿なこと言っとるの。受験勉強から逃げたいだけじゃないの。怠けとらんと、さっさと二階に上がって勉強しなさい」
 途端に兄はいつもの暗い表情に戻った。
 母は兄のためを思ってと言うが、見栄も多分にあったのではないだろうか。父の親戚筋には旧帝大に進んだ従兄弟たちが何人かいた。兄が県立高校に受からなかったとき、親戚の誰かが母の血筋のせいだと遠回しに言ったのだと、晩年の病床で母に聞かされたのだった。
 好きこそものの上手なれ、とは昔から言われている言葉だが、六十代になって振り返ってみると、その言葉の真実性が身に染みるようになった。何も宇宙飛行士になりたいだとか、アイドル歌手になりたいなどと言っているわけではない。
 好きなことだけでは食べていけないこともわかっているし、寿司屋を開いたとしても成功するかどうかはわからない。だが、昭和から平成にかけて、サラリーマンの兄はノルマが達成できず、長時間残業で身も心も削っていった。パワハラだのブラック企業だのという言葉もなかった時代だが、ひどく安月給だと聞いたこともあった。

    @4 初恋の人に呼び出される

 マンダラチャートを見つめているうちにタイムスリップし、中学三年生に戻ってしまってから三ヶ月が過ぎた。
 どうやら夢ではないらしいとわかってからというもの、学校でも地域でも目立たないよう気をつけて暮らしてきた。とはいえ、自分の言動や一挙手一投足が、果たして中学生として相応(ふさわ)しいのかどうかには自信を持てないままだ。
 かつて自分にも中学生だったときが本当にあったのだろうかと思うことさえある。根っこにある性格や考え方は変わっていないと思うのだが、その頃の感じ方や気持ちなどを思い出すことができなかった。中学生の自分が、六十三歳の頃の自分と同一人物なのかと疑いたくなるほどだった。
 その日の午後は、現代国語の授業から始まった。
 教壇に立った国語教師の桜田が、「宿題の読書感想文を提出してください」と言った。母親よりも年上で、当時はかなり年寄りだと感じていたが、たぶん五十歳そこそこだろう。特に好きだった覚えもないが、タイムスリップしてからは、授業で見るたび尊敬の気持ちが大きくなる。子供が三人もいて私生活はてんてこまいだろうに手を抜かず、綿密に練り上げた授業をする。
「あれ? 出してないのは天ヶ瀬くんだけよ。感想文はどうしたの?」
 教師の声で、みんな一斉に天ヶ瀬を振り返った。
「えっ、感想文?」と、天ヶ瀬は驚いたような顔で教師を見ている。
「珍しいわね。天ヶ瀬くん、持ってくるのを忘れたの?」
 教師はそう言いながらも怒っている様子はない。天ヶ瀬が学年でトップを争うほど成績優秀だからだろう。そのうえ明るくて真面目な生徒とくれば、男女問わず教師たちから好かれて当然だった。
「えっと、忘れたんだと思います......たぶん」と天ヶ瀬が言った。
「たぶんって何よ」と言って、桜田はおかしそうに笑った。
 やはり今日の天ヶ瀬は変だ。
 私は朝いちばんで、そのことに気づいていた。登校時、クラスメイトがすれ違いざまに「お早う」と元気よく声をかけているのに、彼は気づかなかった。教室に入ってからも、いつもの屈託のない明るい笑顔はなく、ずっと深刻な表情のままだった。
「体調が悪いの?」と、教師はさっきまでの笑顔を消し、心配そうに尋ねた。
「はい、まあ、そんな感じで」と、天ヶ瀬は目を泳がせている。
「保健室に行く?」
「いえ、そこまで悪いわけじゃないので」
「じゃあ次の授業のときに提出してね。では前回の続きから始めます。三十五ページを開いてください」
 私は天ヶ瀬のことが気になって授業どころじゃなかった。
 中学生だった五十年前、天ヶ瀬が宿題を提出しなかったことが一度でもあったろうか。これほど真剣に思い悩むような表情も見た覚えがない。当時から彼の心のうちは知る由もなかったが、少なくとも学校では明るく振舞っていたはずだ。とはいえ、何でもかんでも憶えているわけではないから、浮かない顔の日もあったのかもしれないが。
 だが、翌日も翌々日も、彼の態度はおかしかった。笑顔も見られず、勉強にも身が入らないように見えた。
 
 土曜日になった。この時代は会社も学校もまだ週休二日制ではなく、土曜日は午前中の授業があった。
 午後は女子四人で教室に残り、いつものように最前列のケメコの席の周りに椅子を寄せ、ラジカセを囲んで音楽番組を聴いた。ケメコだけが、社会科のプリントをまだ提出していなかったので、ラジカセを聴きながら、ケメコ一人が宿題と格闘していた。
 麻丘めぐみの『わたしの彼は左きき』が流れ始めたとき、ケメコが前のめりになって小声で言った。「天ヶ瀬のこと聞いた?」
「天ヶ瀬がどうかしたの?」と、奥山由香が膝を乗り出した。
 この当時の彼女らは、仲間内で天ヶ瀬を呼び捨てにしていた。今思えば、みんな彼を好きだったが相手にされないと諦めていたので、せめて呼び捨てにすることで、まるで近しい間柄であるかのような気分に浸りたかったのだと思う。
「天ケ瀬が陸上部をやめたらしい」
 そう言いながら、ケメコは刑事か何かのように、深刻そうに眉根を寄せた。
「ええっ、本当?」と、由香が小さく叫んだ。
「天ヶ瀬がハードルを跳ぶかっこいい姿をもう見られなくなるってこと?」と、沢田直美が言う。
 直美は野口五郎の熱狂的ファンだ。彼に会うために自ら歌手になろうと決め、オーディション番組『スター誕生!』に履歴書を送り続けているが、一度も返事が来ないという。背も高いしスタイルもいいのだが、瞼(まぶた)が一重なのがネックになっている、というのが本人の分析だ。
「だって天ヶ瀬は県大会に出るんじゃなかったっけ?」と言いながら、由香がケメコを見た。
「ね、びっくりするでしょう?」と、ケメコは得意げだった。
「北園さんがバスケ部をやめたときもびっくりしたけど」と、直美が言った。
「そう言えば北園さん、部活、なんでやめたの?」と由香が問う。
「......なんとなく疲れちゃってね」と私は答えた。
 部活などやっている場合じゃなかった。自分はどう生きていくのか、将来の目標は何なのか。それらを早く見極めないと、再び同じような平凡な主婦人生を繰り返してしまう。
「そうか、天ヶ瀬も部活やめたのか。雰囲気が以前と違うしね」
 心の中で言ったつもりだったが、気づいたときには小さくつぶやいていた。
「やだ、北園さんたら、勉強ばっかりで男子なんか興味ないくせに」
「え? いや、何ていうか、その......」
 知らない間に彼を目で追ってしまっている日々だったが、誰も気づいていないらしい。六十歳を過ぎてからも、思春期と聞けば真っ先に天ヶ瀬良一を思い出すほどだったが、最後まで誰にも知られずに終わった片思いだった。
 五年に一度くらいの割合で開催される同窓会でも......。
 ――どうして天ヶ瀬くんは来ないの?
 ――彼に会いたくて遠くから駆けつけたのに、ほんとがっかり。
 ――天ヶ瀬くんは一回も同窓会に顔を出したことないよね。
 ――今度こそ参加かと思ったのに。あーあ、会いたかったな。
 同級生の女性たちは口々にそう言って嘆いたものだ。だが、そんな気持ちを素直に口にできるのは、かつてのアイドルを懐かしむような、たわいのない思い出に変わったからだろう。
 会うことがなくなってからも、彼は女性陣の間では常に噂の中心人物だった。そのおかげで、彼が国立大学を出たあと大手銀行に就職したことも、二十七歳のときに結婚したことも知っていた。
 ――天ヶ瀬くんの奥さんて、今もきれいなんだろうか。きっとそうなんだろうね。
 ――歳を取った今でも、黒木瞳みたいに痩せてておしゃれだって聞いたよ。
 ――そりゃ勝てんわ。なんせ私、ダンナより体重あるもんね。
 還暦同窓会で、そんな会話があったのを憶えている。
 そのとき、教室の後ろのドアから天ヶ瀬が入ってきた。
「あらあ、天ヶ瀬くん、まだおったの?」
 由香が甘い声音で尋ねた。
「え? ああ、うん」と、天ヶ瀬は女子の方を見もしないで素っ気なく答えた。
 最後列の窓際の席で帰り支度をする彼の横顔は、まるで人生に疲れた中年男のようだった。やっぱりおかしい。家で何かあったのだろうか。
 天ヶ瀬は一人っ子で、父親は司法書士事務所を構えており、母親は自宅でピアノを教えていたが、特に家庭に問題があったというような記憶はない。
「ねえ北園さん、ブラジルってどこにあるんだっけ?」
 ケメコは社会科のプリントを指差しながら私を見た。
 当時からケメコはわからないことがあると、なんでもかんでも私に尋ねるのだった。少しは自分で考えたらどうなのよ、調べたらわかるでしょう、とイライラする感覚は、五十年を経た今も同じだった。
 若い頃の私は、友人たちにはできるだけ親切にすることに決めていた。それが正しい行いだと信じていたからだ。だけど、もう違う。
「そんな簡単なこと、スマホで検索すればいいでしょ」
「スマ? 今、何て言った?」
「だから、スマホよ、スマホ」と少し声が大きくなってしまった。
 あのね、ケメコ、人生は思った以上に厳しいんだよ。人に頼る癖がついていると、大人になってからつらい思いをするよ。
「北園さん、そのスマホって何なの?」
「だからさ......え?」あ、しまった。「ごめん。スマップと言い間違えた」と、とっさにごまかした。
「スマップって何?」
「え? あ、そうか、解散したんだった」
「解散って何が?」
 ごまかそうとすればするほどドツボにはまっていく。
「だから要はね、自分で検索しなさいって言ってるの」と、頭にきたふりをして言った。
「ケンサクって森田健作? この前まで郷ひろみが好きだって言っとったくせに、もう浮気? 北園さん、もしかして『おれは男だ!』の再放送を見とるんか?」
「えっと?」
 この時代の芸能人のことを思い出そうとして、一瞬の間が空いた。
 そのとき、鋭い視線を感じた気がして顔を上げると、天ヶ瀬良一が目を見開いてこちらを見ていた。
 私を見ている?
 なんで? と、目で問いかけてみるが、彼は微動だにしない。
 みんなも気づいたらしく、ケメコが囁(ささや)くような声で言った。「天ヶ瀬が北園さんのことじっと見とる。なんでだろ」
 ――可愛い顔の由香ならまだしも、よりによって、なぜ北園雅美を見るのか。
 そう問いたいのだ。
「勉強のことで聞きたいことがあるんじゃない?」と由香が言う。
 外見はいまいちだけど勉強はできる......それが私に対するみんなの評価だった。
 由香は色白で目が大きい子で、瞳が茶色いのを自慢に思っている。常に小さな鏡をポケットに忍ばせていて、階段の踊り場などの人目につかない場所を通るときは、さっと鏡を取り出して、自分の瞳の色を確かめるかように見入るのだった。
「いくら北園さんが勉強できるといっても、天ヶ瀬の方がちょっと上じゃない? わからん問題があれば、北園さんじゃなくて先生に聞きに行くんじゃないかな」と直美が不思議そうな顔をする。
 私も直美と同じ考えだった。
 そのときだ。天ヶ瀬が真っ直ぐこちらに向かって歩いてきた。
 女子の輪が緊張を帯びたのがわかる。
 ――なんなの? 誰に用があるの? やっぱり由香だよね? 北園さんを見ていたのはフェイントかましたんだよね?
 みんなはそう思ったのだろう。みんな一斉に椅子から立ち上がって由香から離れたので、由香だけがぽつんとその場にひとり残された。
 次の瞬間、天ヶ瀬は身体の向きを変え、教壇の横に突っ立っていた私を見て言った。
「北園さん、一緒に帰ろう」
「え? 私?」
 間近で見る天ヶ瀬は美しかった。肌がつるつるで透き通るようだ。実の息子でさえ、もう中年の域に達しているのだった。
「昇降口で待ってるから」
 有無を言わせぬ態度でそう言うと、天ヶ瀬は教室を出て行った。
「なになに、いまの」と、ケメコが興奮気味に叫ぶ。
「北園さんにいったい何の話があるの?」と、直美は納得できないといった表情で言った。
「何の話かって、それは......想像もつかん」とケメコが言う。
「きっと勉強のことで聞きたいことがあるのよ」と、由香はどうしても勉強に結びつけたいらしい。
「顔が真剣だったから、勉強で行き詰まってるのかも」とケメコが言う。
「勉強で行き詰まっているからって、なんで北園さんと一緒に帰るん?」と直美が問う。
「きっとスランプなんだと思う。だからガリ勉の北園さんからヒントを得たいの」と、由香が断言して続けた。「きっと優秀な中山くんが部活でおらんからよ。まだ教室に残っとる中でガリ勉が北園さんしかおらんかったんよ」
 意地悪な響きがあった。勉強ができるだとか成績優秀とか言うのならわかるが、何度も「ガリ勉」と言ったのだ。
「あ、だから、仕方なく北園さんを誘ったってことなんだ」とケメコが言うと、
「なるほど、そういうことなら」と、直美が大きくうなずいた。
 だが言葉とは裏腹に、三人とも本心では納得がいっていないようだった。不満と嫉妬と疑問が、下がった口角に残留している。
 ――天ヶ瀬にふさわしい女は、誰が見たって学年一美人の百合子だけ。由香は美人ではなくて可愛い系だから、最低ラインぎりぎりクリアってとこだけど、北園雅美ではあまりに釣り合わない。 
 それがみんなの共通認識なのだろう。
 令和の世の中では、小学生女児も既にファッションや化粧や髪型に気を遣うようになり、お金がかかるようになった。だが昭和時代の田舎で育った小学生は、外見のことなど眼中になかった。勉強ができるか、走るのが早いかという二つが評価対象だった。外見の評価の方が上回ることを思い知らされることが、中学生になったときの洗礼だった。男子も例外ではなかった。外見のかっこよさが重要な評価ポイントになった。だが、女性はそれが一生涯つきまとうが、男性は他の面で挽回できる場合が多いし、外見が良くてもバカだったり軽薄だったりすると、がっかり感が半端ないから、女の人生とは異なる。
「いいなあ、北園さん。どんなつまらん用事でもいいから、私も天ヶ瀬と一緒に帰りたかった」と、ケメコがおどけて言う。
 ――「つまらん用事」だと思いたい。
 ケメコが、みんなの気持ちを代弁したのだろう。ケメコは勉強はできないが、場の空気をすばやく読み、仲間割れを防ぐ雰囲気に持っていく。人には様々な能力があるという当たり前のことにも、中学時代は気づくことができなかった。自分の方が勉強ができるから、人間として上等だと思い上がっていた。
 六十三年間の人生の中で、中学時代が最もブスだった。高校生になると、自然とほっそりしてきたし、大学生になると薄化粧をするようになって、髪型や服装も多少は研究するようになった。その結果、以前よりマシになり、大学の同級生の男子から交際を申し込まれることがときどきあった。
「天ヶ瀬の家は、北園さんとは逆方向だよね?」と、由香が誰にともなく問う。
「うん、そうだね。反対方向だよ」と、直美が答えた。
「だったら断った方がいいんじゃない?」と由香が言う。
 厳しい視線の中で、私はさっきから帰り支度を急いでいた。天ヶ瀬の目が真剣だったからだ。何の用があるのか見当もつかなかったが、重大なことのような気がしていた。
「まっ、とにかく私に用があるみたいだから、先に帰るね」
 私はそう言いおいて、教室の出口へと急いだ。
「北園さん、あとで報告、お願いね」
「詳しく聞かせてくれんと怒るよ」
「ひとつも漏らさんと教えてね」
 背中に言葉を浴びながら、私は教室を出た。
 階段を駆け下りて昇降口に行くと、天ヶ瀬良一が靴箱の横の壁にもたれかかっているのが見えた。私をちらりと見ると、無言のまま靴を履き替えたので、私もそれに倣(なら)った。
「俺、自転車取ってくるから、門のところで待ってて」
 そう言いおいて、彼は自転車置き場へ走っていった。私になど無関心だと思っていたが、私が徒歩通学であるという程度のことは知っているらしい。
 門のところで立っていると目立つので、私は川沿いにゆっくり歩き始めた。
 帰宅途中の女子中学生たちが、ハッとしたように立ち止まるのが視界の隅に入った。そのことで、背後から天ヶ瀬が近づいてきたことがわかった。
 天ヶ瀬は、下級生の女子にも絶大な人気があった。美人でない私なんかと歩いているのを見たら、どう思われるだろう。
 ――天ヶ瀬先輩と、どういう関係なんだろうね。まさか交際してるってことはないと思うけど。
 ――もしかして、親戚関係じゃない?
 そういった会話をしているのだろうか。
 どうやらローティーンの頃から既にルッキズムにがんじがらめに囚(とら)われて生きてきたらしい。どの時点でそういった考えが刷り込まれるのだろうか。小学生の頃は意識していなかったのだから、生まれつき鑑識眼が備わっているわけではない。世間の風潮やマスコミの影響だろうか。太古の昔から、女は外見が最も重要視されたのだろうか。
 人生を振り返ってみれば、服装選びや化粧などに貴重な人生の時間を割(さ)いてしまった。その勿体(もったい)なさといったら、取り返しがつかないなどという言葉では足りない。歯噛みしたくなるほどだ。
 大谷翔平選手のような一直線の人生を歩むためには、服装や髪型や化粧の研究などすべて排除した方がよかったのだ。スティーブ・ジョブズにしたって、いつも黒いTシャツとジーンズだった。同じ洋服を何着も持っていたのは、朝起きて何を着ようかと考えること自体が時間と脳ミソの無駄遣いだからだと聞いた。
 新型コロナウイルス感染症が流行ってマスク生活となったのがきっかけで、ほとんど化粧をしなくなった。そもそも身だしなみなんていうものは、清潔感さえあれば十分だったと気づいたときには歳を取っていた。
 六十代ともなれば、女も男も生きざまが顔に表れる。もともとの顔立ちよりも、知性や寛大さや思慮深さが表情や話す内容に如実に表れ、それはごまかしようがないものになる。
 そのとき、隣にすうっと自転車が滑り込んできた。
「北園さん」
 天ヶ瀬はそう呼びかけると、自転車から降りた。そのまま私と天ヶ瀬は、自転車を間に挟んで川沿いをゆっくりと歩いた。
「あのさ......」と言ったきり、天ヶ瀬は黙り込んだ。緊張しているように見えた。
「天ヶ瀬くん、私に何か用だったの?」
 恋の告白などあり得ないし、かといって勉強や進路のことを私に相談するとも思えなかった。いったい何の用なのか、皆目見当もつかない。
「あのさ、なんつうかさ、聞き間違いじゃないと思うんだけどさ」
 あれ? 東京弁だ。なんで天ヶ瀬が東京弁をしゃべっているんだろう。
「さっきさ、北園さん、スマホって言ったよな」
「えっ?」
 思わず立ち止まって天ヶ瀬を見上げると、彼も立ち止まった。
「確かに言ったよな。わからないことはスマホで検索しろって、ケメコにさ」
 頭が混乱していた。
 どういうこと?
 天ヶ瀬は、この昭和時代からスマホという言葉を知っていたのだろうか。
 いや、違う。あり得ない。
 それとも私が未来からタイムスリップしてきたことがバレたのか?
 いや、それも違う。誰が見たって私は中学生だ。両親や兄でさえ疑っていないのだ。
 状況がよく?み込めなかった。だが、そんなときは迂闊(うかつ)なことは言わない方がいい気がした。心配性だし用心深い方だが、いつにも増して危険を知らせるアラームが頭の中で鳴り響いているように感じていた。
 この世の中には思いもしないことが起こるものだ。その証拠に、私はタイムスリップして昭和時代に到着したのだ。
「天ヶ瀬くん、そのスマホって、何のこと?」と聞き返しながらも、視線は真っ直ぐ前に向けていた。目が合ったら?をついているのがバレる気がした。
「スマートフォンのことに決まってんだろ」
 息を?んでいた。
 何も答えず再び歩き始めようとする私の肩を、いきなり天ヶ瀬がつかんだ。
「なんでとぼけるんだよ」
「いや、私は別に、とぼけてるわけじゃ......」
「スマホなんて、今の時代にはないだろ」
 ということは、将来そういったものが世の中に出現することを天ヶ瀬は知っているということだ。科学雑誌か何かに書いてあったのだろうか。
 ビル・ゲイツは、いま何歳だろう。もう既にプログラミングを始めているのか。そしてスティーブ・ジョブズは何歳で、どこで何をしている?
「天ヶ瀬くんの言ってること、よくわからないんだけど」
 そう答えるのが精いっぱいだった。
 私が未来から来たことを、天ヶ瀬が見抜いているとは考えられない。だが、宇宙人が公安に捕まって人体実験されて晒(さら)し者になるという映画を観たことがある。自分もそうなるような気がして、怖くなってきた。
「さっき、スマップが解散したって言ったよな?」
「え?」
「北園さんは、どの時代から来たの?」
 直球の質問に、私はいきなり立ち止まってしまった。
 そして、息を?んだまま恐る恐る天ヶ瀬を見上げた。
 彼も立ち止まり、息を詰めて私をじっと見つめてくる。遠目に見ると、マセた中学生カップルが見つめ合っているように見えただろう。木陰から、ケメコか由美が覗(のぞ)き見している気がした。
 どう答えるべきか迷っていると、天ヶ瀬は言った。
「俺は二〇二三年から来たんだ」
 途端に、両腕に鳥肌が立った。「二〇二三年?」
「そう。令和五年だよ」
 天ヶ瀬は、令和という年号まで知っていた。その年号は、どんな科学雑誌にも未来予測の本にも書かれていないはずだ。
 天ヶ瀬もタイムスリップしてきたのだ。そうとしか思えないではないか。だから観念して言った。「私も同じ。未来から来た」
「やっぱりそうだったんだね。ああ良かった。ずっと孤独だったんだ、俺」
「私も二〇二三年から来たのよ」
「だったら俺たち同時にタイムスリップしたのかな。六十三歳だったよね?」
「うん、同級生だから歳は同じ」
「北園さん、さっきから東京弁だけどさ、東京で暮らしてたの?」
「うん、そう」
「東京の大学に進学したの?」
 そんなことも知ってくれていなかったのか。わかってはいたが、面と向かって言われるとショックだった。天ヶ瀬が、いかに私なんぞに興味がなかったかがわかるというものだ。それに比べて、天ヶ瀬の卒業後のことは女子のほとんどが知っている。妻の容姿のことまでも。
「大学といっても短大だけどね」
「東京にいたのなら話も合うね。北園さんがタイムスリップしたときの様子も詳しく知りたいし、六十三歳に戻るにはどうすればいいのか、今の中学生活はどうやって乗り切ればいいのか、もう話したいことや聞きたいことが山積みで、いま頭が混乱してる」
「うん、私も聞きたいこといっぱいある」
「だけど北園さんは俺と違って中学生になりきって、きちんと学校生活を送っているように見えるよ。俺なんか戸惑ってばかりで」
「それはたぶん私の方が三ヶ月くらい前にタイムスリップしたからだと思う」
「そうか。俺はまだここに来て一週間の新参者だからな」
「私もまだまだわけがわからなくて戸惑ってるよ」
「だったら二人で協力していこうぜ」
「うん、そうしよう。天ヶ瀬くんと一緒なら心強いよ」
「北園さんにどうやって連絡とればいいかな。家に電話したら、親御さんが変に思う?」
「そうねえ。ほんの数分なら連絡網が回ってきたと思うだろうけど、長電話になったり、頻繁(ひんぱん)にかかってきたりしたら変に思うだろうね」
「やっぱりな」
「天ヶ瀬くんの家はどうなの? 女子から電話がかかってきても大丈夫?」
「絶対に無理」と、天ヶ瀬は強い口調で続けた。「うちは母親がそういうことに目敏(めざと)くてうるさいから」
「スマホもパソコンもない時代だし、家の電話しか連絡方法がないとなると......」
「この時代でも、銀座には既にマクドナルドがあったんだよな。そのあと代々木でもオープンした。だけど、この地域は令和になったあともマクドナルドもスタバもできなかったよな」
 そう言って、彼は自嘲気味に薄っすらと笑った。
 その笑顔を見た瞬間、それまでの緊張がすっと解け、私の口からフフッと笑い声が出た。
「もしも、ここが東京だったら人目につかないし、制服着たままマックに入ってジュース一杯で何時間でも粘って、たくさん話ができるのにね」
「だよな」
「毎日一緒に帰ることにする?」と私は提案してみた。
「無理だよ」と天ヶ瀬は言い、周りを見渡してから、見てみろといった具合に、顎をくいっと上に向けた。
 言われずともだいぶ前から気づいていた。下級生の女子たちが遠くからじっと天ヶ瀬を見つめている。輪が広がっていき、ドーナツ状の層ができそうだ。よく見てみると、私と同学年の女子も少なくなかった。
 私は慌てて学生鞄を自転車の荷台に置き、数学の教科書を取り出した。そして適当なページを開いて覗き込むふりをした。
「私に勉強のことで何か聞きたいことがあったふりしてよ」
「そこまでする?」
「だって、美人の百合子や可愛い顔の由香ならわかるけど、私が声をかけられるなんておかしいとみんな思ってるもの。きっと勉強でわからないところがあったから私に声をかけたんだろうって、さっきケメコたちもそう言ってたし」
 そう言うと、天ヶ瀬はまじまじと私を見つめた。
「ばかばかしい。外見なんて」
「あら、意外なこと言うね。じゃあ聞くけど、君は美人とブスとどっちが好き?」
 気づけば天ヶ瀬を、キミと呼んでいた。どこから見ても中学生男子だからだ。
「北園、そういうの、やめてほしい。大人が子供を諭すような、そういう言い方。お前だって今は中学生なんだぜ」
「いま話をはぐらかしたよね」
「そんなことない」
「天ヶ瀬くんの奥さんは超絶美人だっていう噂を聞いたことあるんだけど?」
「え? いや、超絶ってほどでもないけど......」 
「ミス東華女子大に選ばれたことがあるって本当?」
「はい、はい、本当です」と答えてから、天ヶ瀬は大きな溜め息をついた。
「知ってると思うけど、天ヶ瀬くんて女子に絶大なる人気があるの。さっき教室で私に呼びかけたときだって、女子たちの嫉妬が怖いほどだったよ」
 天ヶ瀬はそれには答えず、前を見て再び歩き出し、そして言った。
「中学生の頃、たくさんラブレターもらったよ。特に中三になってからがすごかった」と、天ヶ瀬は照れもせずに言った。
「モテモテだったもんね。さぞかし気分良かったでしょ?」
「まさか。迷惑だった。知らない女子からいきなり好きって言われたって気味が悪いよ」
「......なるほど」
「そんなことより交換日記しないか? ほら、隣のクラスでもマセたガキどもがやってるだろ?」
「でも、そうなると、私たちもマセたガキ認定されるよ。交際してると思われるじゃない」
「北園さんが嫌なら......」
「私は嫌じゃないよ。天ヶ瀬くんが嫌なんじゃないかと思って」
「俺はそんなこと気にならない」
「そうなの? じゃあ交換日記しよう。それしか方法ないみたいだし」
 この時代は、サンリオの文房具が流行りだしたのだった。自分の部屋にも、キャラクターもののノートが置いてあった。
「私、キティちゃんのノート持ってるよ。それ、使う?」
「そうしよう。いかにも厨二病の恋って感じでいいね」
「中国でも『中二病』って言葉を使うようになったらしいよ。漢字は異なるけど」
「知ってる。You Tubeで見た」と言って、天ヶ瀬は微笑んだ。
 パソコンやスマートフォンだけでなく、SNSやYou Tubeを知っている人が私以外にもいる。そう思うと嬉しくてたまらなかった。
「ノートをどうやって渡す? 互いの机の中とか下駄箱とか? 場所を決めておいた方がいいよね」と私は言った。
「そんな場所、ダメだよ」
「なんで?」
「盗み見されるに決まってるだろ」
「いくらなんでもそこまでしないでしょ。他人の交換日記だよ?」
 天ヶ瀬が返事をしない。聞こえなかったのだろうか。
「ねえ、天ヶ瀬くん、他人の机の中を探ってまで交換日記を読む人が、この世にいると思う?」
 そう言うと、天ヶ瀬はなぜか溜め息をついた。「北園って、六十三歳にもなって世間知らずだな」
「はあ?」
「お前、純粋すぎるんだよ。女のくせに女の怖さを知らないのかよ」
「なに、それ。めっちゃ上から目線じゃん。私だっていろいろ苦労して生きてきたんだよ。女だっていうだけで見下すような世間と日々闘ってきたんだよ。そこいくと天ヶ瀬くんは男だしエリートだしイケメンだし生まれつきの陽キャだもん。私の苦労なんてわかるわけないよ」
 気づけば早口でまくし立てていた。天ヶ瀬に恨みつらみを言うのは筋違いも甚だしいのに口が止まらなかった。
「わかった。ごめん。俺の言い方が悪かった。謝る」
「そう? だったら......今のは私も言いすぎた。ちょっと情緒不安定かも」 
「情緒不安定になって当然だよ。いきなりタイムスリップしたら混乱するに決まってるさ。とにもかくにも交換日記は手渡しにしよう。渡されたら家に帰るまでずっと手元に置くこと。目を離すのは厳禁だぜ」
「了解」
「じゃあ俺の家、こっちの方角だから、また明日」
 天ヶ瀬は私の目を見てそう言うと、自転車に乗って去っていった。
 そのとき、後ろからバタバタと走ってくる足音がした。この特徴のある小走りの足音はケメコのに違いない。
 次の瞬間、私は後ろを振り向かずに真っ直ぐ前を見て走り出した。きっとケメコは尋ねるだろう。いったい天ヶ瀬と何を話していたのかと。
 適当にごまかそうとすればするほど墓穴を掘ってしまうのが目に見えるようだった。もしも由香も一緒なら、更に根掘り葉掘り尋ねるに決まっている。ケメコは適当にごまかせても、男女関係に鋭い由香はごまかせない。それに、?を重ねるのが面倒でたまらなかった。すぐに辻褄(つじつま)が合わなくなる。
 せっかく与えられた二度目の人生なのだ。
 つまらないことで時間を無駄にしたくなかった。 
 家に帰ると、学習机の棚から真新しいキティちゃんのノートを引っ張り出して机の上に置いた。
 白い頁を見つめながら、さっきまでのことを思い出していた。
 天ヶ瀬が同じ令和の時代からタイムスリップしてきたとわかったとき、言いようもないほどの喜びが込み上げてきた。それまでの三ケ月間、ずっと孤独の中にいたのだ。だが、話の通じる人間が現れた。ざっくばらんに話せる相手が見つかったのだ。未来から来たことをもう隠さないでもいい相手がいる。
 ノートに書きたいことが、次から次へと胸に溢れてくる。天ヶ瀬に尋ねたいことや聞いてもらいたいことがたくさんある。
 何から書けばいいだろう。                       (つづく)

マンダラチャート

Synopsisあらすじ

「私」は、現在63歳。子どもは巣立ち、夫と二人で暮らす平凡な主婦だ。夫は私に関心がなく、家政婦程度にしか思っていない。

ある日、私はふと、気がつく。WBCで活躍した、大谷選手やダルビッシュ、ヌートバー……。彼らは子どもの頃からの夢を一途に追いかけて、あの場所に立っている。なぜ自分はここで、こんなふうに不満ややるせなさを抱えて生きているのだろう。「私は、成績も良かった、努力すればもっと自分の能力を生かせる生き方が出来たはず。けれども、美しくあろうと外見にばかり注力してきたために、今はただのオバサンになってしまった、もし、あのとき、外見をつくろったり、男性の目を気にすることなく、自分のやりたいことを一途に貫いていたら」

もう一度、人生をやり直したい……激しい後悔とともに、そう強く願った私は、気がつくと、中学生に戻っていた……。

Profile著者紹介

2005年『竜巻ガール』で小説推理新人賞を受賞し、デビュー。テレビドラマ化された『リセット』『夫のカノジョ』『結婚相手は抽選で』『定年オヤジ改造計画』や、映画化された『老後の資金がありません』のほか、『四十歳、未婚出産』『夫の墓には入りません』『姑の遺品整理は、迷惑です』『うちの子が結婚しないので』『もう別れてもいいですか』『あきらめません!』『懲役病棟』など著書多数。

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