- 2025 06/24
- まえがき公開

歩道の片隅、建物の陰、池の水面……街を歩くとあちこちで雑草に出会う。ひっそりと、時には堂々と生えている雑草には、どんな生きぬく力があるのだろう? 小さな隙間に入り込むスミレ、子孫を残す工夫を幾重にも凝らしたタンポポ、生命力溢れるドクダミ、タネは出来ないがたくましく生き続けるヒガンバナ、ひっそりと冬を越すセイタカアワダチソウ。四季折々の身近な雑草を案内役に、個性豊かな植物の生存戦略を紹介。
『雑草散策 四季折々、植物の個性と生きぬく力』の「はじめに」を公開します。
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はじめに
私たちの身近な野や路傍、空き地や田畑の畦(あぜ)、住宅の庭や公園、校庭の片隅、池や水辺などには、多くの植物たちがいます。これらは、ふとした出会いをきっかけに、私たちに、いろいろな思いを抱かせてくれます。
たとえば、まだ寒くても少し暖かい日差しがある日に散策してみると、コンクリートで舗装された道路の端にある割れ目に、上品な紫色の花を咲かせている植物が見つかります。
「まだ寒いのに、もう春の訪れを告げている」と感激するとともに、「なぜ、このような隙間に育っているのか」との疑問が浮かんできます。これは、スミレです。
また、早春の散策では、6~8枚の細長い葉が茎の1つの節を輪のように取り囲んで立ち上がっている、やわらかなかわいい芽生えに出会います。ところが、この植物は、夏になると旺盛に繁茂するので、季節によって変身する姿に驚かされます。これは、「群がり生い茂る」という名前をもつヤエムグラです。
初夏になると、春に花を咲かせていた草が消えるとともに、入れ替わるように、いろいろな植物が姿を現します。たとえば、ハート形の3枚の葉っぱがセットになった植物が地面を被いはじめ、小さな紅紫色の花を咲かせます。これは、ムラサキカタバミです。まるで、自分たちの出番を心得て待っていたかのようで、植物たちの規則正しさに驚かされます。このように季節ごとの散策を続けていると、植物の変身する姿に出会えるのです。
雑草たちは、ひっそりと、ときには、堂々と、いろいろな生き方をしています。
植物たちは、自分たちの置かれた場で、自分の力で、身体を守り、子孫を残し、命を広げ、粘り強く生き続けています。そのための“しくみ”を身につけ、「工夫を凝らし、知恵をめぐらしている」と表現されるような生き方をしているのです。
自然の中を、自分の力で生きぬく植物たちには、“生き方”を越えた“生きぬく力”があるのです。その力は、私たちが目にする現象の中に秘められています。
何気なく見ていると、ただ育って繁茂しているようにみえる現象にも、それぞれの雑草たちが生き残るための“しくみ”が潜んでおり、“意義”が隠されているはずです。それらに目を向ければ、雑草たちの“生きぬく力”が、よりよく浮かび上がってきます。
その力のおかげで、それぞれの雑草たちには、個性が生まれ、それらの雑草たちの魅力となっています。雑草たちは嫌われることもありますが、それでも多くの雑草たちは絶やされることなく、私たちとともに生き続けています。それぞれに、私たちの心をとらえる魅力的な個性があるからこそ、本気で憎まれることの少ない存在となっているのです。
また、雑草たちは、自分の力で生きぬいてきたとはいえ、私たち人間の身近で育っているのですから、自然の中を歩んできた足跡や、たどってきた長い歴史から、人間との“つながり”が生まれています。雑草たちには“生きぬく力”と、私たち人間との“つながり”があるのです。
たとえば、雑草といえども、私たちの食用になるものがあります。また、雑草たちがつくる物質が薬として役に立ちます。その物質がたとえ有毒物質であっても、薬に変ずることがあるのです。さらに、雑草たちの生きぬく“しくみ”が、私たちの暮らしに役立つ製品として開発されることなどもあります。
本書では、自然の中を自分の力で生きぬき、“花”や“生きる姿”で私たちを魅せてきた、ごく身近な雑草たちを取り上げます。それらが見せる何気ない現象に着目して、その現象を支える“しくみ”と“意義”を考えます。そして、それぞれの“生きぬく力”と、その力を支える魅力的な個性、また、それらの雑草たちが生きぬく過程で生まれてきた、私たち人間との“つながり”などを紹介します。
読んでくださった方々が、植物としての“生き方”を越えた、それぞれの雑草たちがもつ、個性にあふれ、魅力に満ちた、“生きぬく力”に気づき、理解されることを願っています。
(はじめに、著者略歴は『雑草散策』初版刊行時のものです)