2024 09/06
著者に聞く

『在日米軍基地』/川名晋史インタビュー

米軍基地/国連軍基地 横須賀海軍施設 国連旗がはためく(著者撮影)

世界で最も多くの米軍基地を抱え、米兵が駐留する日本。なぜ、いつから基地大国になったのか。米軍は何のために日本にいるのか。本書では、在日米軍の〈裏の顔〉である「国連軍」が駐留してきた実態を明らかにし、戦後日本の外交、防衛、安全保障、民主主義を問い直しました。『在日米軍基地 米軍と国連軍、「2つの顔」の80年史』を著した川名晋史さんに、執筆の背景を伺いました。

――日本にはいま、どれぐらいの米軍が駐留しているのでしょうか。戦後の大まかな推移を教えてください。

川名:本土と沖縄をあわせて5万4000ほどの米兵がいます。朝鮮戦争の際に20万を超えますが、その後はだいたい5万人前後で推移しています。冷戦終結後に減少することもありませんでした。そして彼らが駐留する基地が日本に130ヵ所あり、そこに個別の施設が7000以上ある。世界的にみて、これは突出した数字です。日本は世界一の基地大国で、2位以下の韓国、ドイツを大きく引き離しています。

――国連軍とは、いかなる軍隊か。どの基地に駐留しているのでしょうか。

川名: まず、括弧付きで「国連軍」と呼ばなければなりません。朝鮮戦争の際に即席でつくられた米国の有志連合軍のことを、便宜的に国連軍と呼んでいるのです。国連憲章に定められた、正規の国連軍ではありません。だからといって、べつに怪しいものでもなくて、きちんと安保理決議にもとづいて作られています。韓国を支援する有志国で統一司令部を作りましょう、と。そして、その司令官を米国に任命してもらいましょう、ということになりました。そうしてできた軍隊に国連旗の使用を認めた。それがここでいう国連軍です。当時、ソ連が安保理を欠席していたことで、そんなミラクルが起きました。後々への影響を考えれば、歴史のいたずらと言ってもいいかもしれない。いずれにせよ、名称には揺らぎがあります。

ちなみに、日本の外務省は「朝鮮国連軍」と呼んでいます。国連軍の司令部は韓国にあり、その後方司令部が日本にあります。東京の横田基地がそうです。横田のほかに、座間(神奈川)、横須賀(神奈川)、佐世保(長崎)、普天間(沖縄)、嘉手納(沖縄)、ホワイトビーチ(沖縄)の7ヵ所が、現在日本にある国連軍基地です。米軍基地でもあります。米軍基地を友軍に「又貸し」できる。そのことを日本と約束したのが、国連軍地位協定(1954年締結)です。国連軍地位協定の存在を知る人はあまりいないのではないでしょうか。本書を著した背景です。

厚木飛行場に進駐した米軍 ダグラス・マッカーサー(右から2人目)

――本書は、終戦直後から現代まで、基地と日米関係の軌跡を追い、いわば戦後史を描き直した一書です。どのように思索を深め、書き上げられたのでしょうか。

川名: 研究テーマを変えるのが面倒で、もう20年以上、米軍基地だけを追っています。ただここ数年でそれらをいくつかの書籍にまとめる機会に恵まれました。それで一区切りと思ったのですが、まだ引っかかるものがありました。本書で取り上げた「吉田・アチソン交換公文」です。聞き慣れない方もいると思いますが、これはこの分野の教科書では必ず取り上げられます。

しかし、これについて大学の講義でくわしい話を聞いた覚えがない。外交史のテキストを読みかえしても、それと同時に結ばれた日米安全保障条約やサンフランシスコ平和条約には紙幅が割かれるものの、吉田・アチソン交換公文については、進行中の朝鮮戦争に支障をきたさないように結ばれた云々、とごく簡単な説明しかない。原文を読んでみても、あまりピンとこない。

そんななか、ある韓国軍の士官の方とお話した際、その方が在日国連軍に強い関心をもっていた。いろいろと質問を受けたのですが、うまく答えられない。これはまずいと思い、調べ始めたのがきっかけです。そうすると、どうも吉田・アチソン交換公文と、それに連なっている国連軍地位協定の「系」は、日本の戦後安全保障の重要な一翼を担っていることがみえてきた。私はずっと在日米軍だけを追いかけてきましたから、もう一つの、よく知られている「系」である日米安全保障条約、日米地位協定のほうばかり見てきました。吉田・アチソン交換公文の系から眺めると、現在の沖縄の問題、なかでも普天間の辺野古移設問題もまったく違うストーリーとして描くことができると思ったのです。

――戦後、在日米軍のみならず、国連軍という枠組みがつくられ、あえて今日まで残された歴史に驚きました。「日本は基地を提供し、米国は防衛する」と説明されてきましたが、あらためて米軍にとって日本は何であるか、日本にとって米軍は何といえますか。

川名:依然として答えるのが難しい質問ですね。多様な読者のニーズを満たすには、いろいろな角度からお答えしないといけないと思いますが、ここでは安全保障の観点に絞ってお答えします。米軍からみた日本は、朝鮮半島の後背地です。日本にある基地は、朝鮮戦争を戦うための基地。これがもっともストレートな答えだと思います。つまり、韓国防衛のために日本に基地がある。現実を直視すれば、そう表現するしかない。

米軍基地/国連軍基地 沖縄ホワイトビーチ(著者撮影)

しかし、本来、モノにはいろいろな用途があります。基地も冷戦期であれば対ソ連、対ベトナム、現在では対中国、対北朝鮮というかたちで「極東」という面を対象に、用途の汎用性をもっています。しかも、日米地位協定と国連軍地位協定によって、米軍からみれば、かなり使い勝手のいい仕様になっている。ちなみに、この「かなり」という表現の具体的な意味を理解したいというのも、私がこの研究を続けている動機の一つです。「かなり」の意味は、諸外国と比較することでしか明らかになりません。その意味で言えば、排他的な基地管理権、つまり基地のなかで米軍はほとんど無制限の自由を得られるということ、そして全土基地方式、すなわち、好きな場所に基地を置き、いつでも手放すことができる、この2点が「かなり」使い勝手がいいと考えられる理由になります。諸外国ではあまりみられない、日本の基地に特有のものと言ってよいです。なぜ諸外国ではみられないかといえば、それはもちろん主権侵害に当たるからです。

他方、日本にとっての米軍は、自国の安全をアウトソーシングする対象です。安全保障の外部化といってもよい。憲法9条が自衛隊の存在と活動を制約し、その不備を補うために、日本に米軍を置く。これが基本的な構図だと思います。実際、戦後の保守政治家は、米軍を日本の「傭兵」と表現し、溜飲を下げていた。一方の米国もそうしたアナロジーを共有している。だから、たとえばトランプは米国に居てもらいたいなら金を払え、と言ったし、米国人の一部は、日本は米国にタダ乗りしているとみる。自衛隊を強化せよ、集団的自衛権を行使せよと迫るのは、「俺たちは日本の傭兵じゃない」という米国の異議申し立てでもあります。このあたりの日米間の認識ギャップはいまも大きいと思います。

日本は米軍を傭兵化して安全だけを手にしたい。一方の米国は日本のタダ乗りを許さない。米軍基地は両者のニーズの解になっている。戦後の日米関係を表現する「基地と安全の交換」とはそういうものです。戦後一貫して存在する基地問題は、日本が安全をアウトソーシングすることで抱えることになった費用だともいえる。ただ、基地が米軍から得られる安全保障上の便益と釣り合っているのかどうか、米軍は日本を防衛するために日本にいるわけではないということを本書で示しました。

――川名先生が「米国の海外基地」を研究テーマに選んだ理由はお聞かせください。また、長年お取り組みになる中で、「研究は面白い!」と感じるところはどこでしょうか。

川名: 個人的な青春の悩みの中から、基地にたどり着きました。詳細は伏せますが(笑)。ただ、もともと日米関係に関心があったことは間違いありません。大学3年生のときに9.11テロがあり、自然と安全保障にも関心が芽生えました。日米関係×安全保障となれば、日米安全保障条約が視野に入ってきます。しかしこれは研究者がひしめき合っていて、とても割って入る勇気はない。

それで基地はどうかと考えてみると、学術研究としてそれほど蓄積があるわけではないことがわかってきた。もちろん、沖縄に関する研究は膨大です。しかし、沖縄じゃなくて、基地そのもの。これを研究する人は、ほとんどいなかった。というか、研究として成立するのかどうかもわからなかった。それが始まりです。誰もいないなら、自分がやってみよう、と。それくらいでした。

ついては、どうせやるなら、本当に未開状態だった米国の海外基地全般をやってやろうと。でも全然評価されない、期待もされない。指導教官だった故・山本吉宣先生だけは面白がってくれた。それが支えでした。他力本願もいいところです。でも、いまは自分自身、この研究が面白いです。仲間もできて、一緒に謎を解いているような感覚ですね。驚くような史料に出会えるのはごくごく稀ですが、結局それは偶然の産物です。それを気長に待つのが、いまのわたしの仕事ですね。

米国立公文書館(NARA、著者撮影)

――本書を刊行したあとの社会や国際情勢をどのようにご覧になっていますか。在日米軍基地について、今後の見通しをどう考えていますか。

川名: やはり沖縄を注視しています。台湾有事、南西諸島防衛、国民保護という言葉がメディアに踊ります。沖縄では先日、辺野古の埋め立て工事も再開されました。賛成か反対かではなく、普天間の移設問題ひとつをとっても、いったい誰がこの現象を理解し、説明できるのか、ということを考えざるをえません。

説明という行為そのものが、「責任」の重要な構成要件だと思っています。説明できないことを、誰かに押しつけるのはおかしい。逆に、説明できるのであれば、意見の相違や対立は、民主主義社会においては自然なことなので、時間をかけて対話すればいいと思います。決着がつかないのも民主主義のひとつの帰結です。ですが、誰も説明できないことを政策として進めるのは、明らかに問題がある。

沖縄の基地問題には、日米安全保障条約の法体系のみならず、本書で扱った国連軍も深く関わっています。問題の構図は複雑を極めます。本土でもPFAS(有機フッ素化合物)の問題を含め、日米地位協定に関心が集まっていますが、やみくもにその改定を求めても現状は変わりません。在日米軍基地の歴史と法制度、この絡まりあった糸を一つひとつほぐして、問題の核心を理解し、説明できるようにするところから始めるより他にないのではないでしょうか。

――最後に、本書をこれから読む読者へのメッセージをお願いします。

川名:米軍基地のことは知っていても、国連軍基地は初耳だという方も多いと思います。見慣れたはずの日本の戦後史も、あるいは安全保障をめぐる問題も、国連軍というレンズを通してみると新鮮な驚きに出会えるかもしれません。

先日、私の講演を聴いてくださった方から、「(川名は)最初は左派かと思っていたが、途中から右派にみえてきた。しかし今は過激派だと思っている」とコメントをいただきました。思わず笑ってしまいました。新書にしては厚めの本ですが、中公新書編集部の力をお借りして、なるべく平易に書いたつもりです。多くの方に手にとっていただき、私が「何派」にみえたか(笑)についても感想を聞かせていただけたらと思います。

川名晋史(かわな・しんじ)

1979年北海道生まれ.東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授.専門は,米国の海外基地政策.博士(国際政治学).青山学院大学大学院国際政治経済学研究科博士後期課程修了.著書『基地の政治学――戦後米国の海外基地拡大政策の起源』(白桃書房,2012年,佐伯喜一賞),『基地の消長 1968-1973――日本本土の米軍基地「撤退」政策』(勁草書房,2020年,猪木正道特別賞),『基地はなぜ沖縄でなければいけないのか』(筑摩書房,2022年).編著『共振する国際政治学と地域研究――基地,紛争,秩序』(勁草書房,2019年,手島精一記念研究賞),『世界の基地問題と沖縄』(明石書店,2022年)ほか.