2024 02/22
特別企画

[特別寄稿]「斎垣の歌」をめぐって/榎村寛之

伊勢物語図色紙(江戸時代)より第71段(斎宮歴史博物館提供)

道長の詠んだ歌の元歌

『光る君へ』第6回「二人の才女」で、ついに清少納言が登場したが、それはそれとして、藤原道長(柄本佑)がまひろ(吉高由里子)に渡した手紙の

   ちはやふる 神の斎垣も 越えぬべし 恋しき人の 見まくほしさに

に少し注目したい。
すでにネット上でいわれているように、この歌は『伊勢物語』第71段の

   ちはやふる 神の斎垣も 越えぬべし 大宮人の 見まくほしさに

の「大宮人」を「恋しき人の」に変えたものである。このころには定着していた本歌取り(元歌を匂わせて歌のイメージを重層化させるテクニック。作者の腕の見せ所)とも言えない稚拙な歌だ。まぁそこが『光る君へ』の道長らしい不器用さか。

『伊勢物語』と伊勢の斎宮

さて、『伊勢物語』は10世紀前半頃に作られた「歌物語」で、和歌を中心に物語が進む短編小説集だ。
テーマは、「昔男」と呼ばれる男の様々な恋で、相手は、貴族・庶民・都人・田舎の人・若い人・年をとった人など制限なく、しかも常に真剣で、お妃候補を盗み出すような大胆な話から、幼馴染との結婚と浮気まで、実に色々な恋愛が描かれる。男のモデルが平城天皇を父方の祖父、桓武天皇を母方の祖父に持つ9世紀後半の貴族、在原業平だというのは有名だろう。
じつは『伊勢物語」という題名は『源氏物語』の「絵合」巻で初めて出てくるもので、その由来には古来諸説あるが、第69段から73段までの「斎宮章段」という一連の物語に由来するという説が割合に有力だ。
これは、伊勢神宮に仕えるために派遣された未婚の皇族女性「斎王」の宮殿「斎宮」での不思議な恋物語である。女は「斎宮なりける人」とされているが、斎王本人、清和天皇の時代の斎王、文徳天皇皇女恬子(やすこ)内親王と見るのが定説で、それほどの重要な皇女との禁断の恋が題名になったというわけだ。

さて、「斎宮章段」で最も有名なのは第69段で、

狩の使(天皇の命令で鷹狩を行う勅使)として斎宮を訪れた男のもとに、ある夜、斎王らしき女が訪れ、翌朝「あれは夢か現実か」という歌が送られてくる。男は再会を求めた返歌を送って狩に出るが、戻ると伊勢国守を兼ねた斎宮寮(斎宮のマネジメントを行う役所)の長官が酒宴の準備をしていて、ついに逢えなかった。翌朝、尾張国に向かう男に斎王から、恨みの歌の上の句だけを記した別れの盃が送られ、男は再会を約す下の句を書きつけて旅に立つ。

という内容だ。この一夜が史実か虚構かについて約1000年の論争がある。
そして、第71段も斎宮章段だが、少し趣が違う。主役は斎王に仕える「すきこといえる女」、恋愛ごとが好きな女で、本エッセイの冒頭に掲げた「ちはやふる」の歌、

   ちはやふる 神の斎垣も 越えぬべし 大宮人の 見まくほしさに
   「神が定めた斎宮の斎垣という結界も越えてしまいそうです。都から来られたあなたを見たいがために」

は斎王が呼びかけたのではない。対して男も、軽い恋愛感覚の返歌をする。

   恋しくは 来ても見よかし ちはやぶる 神のいさむる 道ならなくに
   「恋しいなら越えてきたらいいんじゃないですか。神様は恋の道を禁じているわけではありませんよ」

で、この話は終わりである。

もしかしたら『光る君へ』の道長は、まひろからのこの歌をもじった返歌、つまり恋しいならそっちから来なさいよ、という歌を期待していたのかもしれない。

斎宮の垣根

それはともかく、ネット上では「神の斎垣」を「神社の垣」とする説明が多い。多くの伊勢物語の注釈でもそうだから仕方がないのだが、じつは「神の斎垣」には現実のモデルがある。

江戸時代に書かれた伊勢物語絵巻(冒頭の写真参照)では、斎垣はまさに小さな神社を囲む垣のような感じだ。この図柄は「嵯峨本」と呼ばれる伊勢物語印刷本の挿絵に基づいているが、史実の斎宮は鎌倉時代末期には廃絶しているので、現実のものではもちろんない。
一方、50年におよぶ斎宮跡の発掘調査では、斎王が暮らした内院区画が、9世紀前半には相当立派な塀で囲われていたことが明らかになっている。写真の模型からわかるように、斎王の生活空間はかなり厳重に警戒されていた。三重県多気郡明和町にある斎宮の遺跡、国史跡斎宮跡では、その塀の柱を現地に再現し、斎宮歴史博物館では実物大再現を公開している。

斎王の居住空間である寝殿の模型(斎宮歴史博物館提供)
斎宮歴史博物館に展示された、実物大の塀(斎宮歴史博物館提供)

現地に示された塀を支える柱(さいくう平安の杜南側)

じつは『伊勢物語』が書かれた10世紀前半には、この塀は無くなり、もっと簡易な囲みだったようなのだが、この厳重に警戒された斎宮は、平安遷都を行った桓武天皇の意志で完成したものである。奈良時代とは違う斎宮の形をはっきりと示すため、桓武は東西1km、南北500mに及ぶ、まるで一つの都市のような区画(現実に『大和物語』では、「たけのみやこ=伊勢国多気郡にある都のような所」と呼ばれている)が斎宮のイメージとなった。

とするならば、斎宮の「神の斎垣」も「とても越えられない」結界というイメージだったのかもしれない。道長もまひろも現実の斎宮を見たことはない。ならば道長は相当な決意をまひろに語ったことになる。

現実の斎宮の人々を世間から切り離してきた結界は、今も現地で体感することができる。

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大好評『謎の平安前期―桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年』著者の榎村寛之さんのエッセイについては、下記もあわせてご覧下さい。

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榎村寛之(えむら・ひろゆき)

1959年大阪府生まれ.大阪市立大学文学部卒業,岡山大学大学院文学研究科前期博士課程卒業,関西大学大学院文学研究科後期課程単位取得退学.三重県立斎宮歴史博物館学芸普及課長等を経て,現在,斎宮歴史博物館学芸員、関西大学等非常勤講師.専攻・日本古代史.博士(文学).
主著『斎宮―伊勢斎王たちの生きた古代史』(中公新書,2017),『律令天皇制祭祀の研究』(塙書房,1996),『伊勢斎宮と斎王――祈りをささげた皇女たち』(塙書房,2004),『古代の都と神々――怪異を吸いとる神社』(吉川弘文館,2008),『伊勢斎宮の歴史と文化』(塙書房,2009),『伊勢斎宮の祭祀と制度』(塙書房,2010),『伊勢神宮と古代王権――神宮・斎宮・天皇がおりなした六百年』(筑摩選書,2012),『律令天皇制祭祀と古代王権』(塙書房,2020)ほか.