2024 02/06
著者に聞く

『帝国図書館―近代日本の「知」の物語』/長尾宗典インタビュー

国際子ども図書館(旧帝国図書館) 著者撮影

国家の「知」を支えるべく国立の図書館、帝国図書館が作られたのは明治時代。誕生までの道のりはもとより、以降も困難な歩みを続けることになりました。その軌跡を周到に描き出した『帝国図書館―近代日本の「知」の物語』の著者・長尾宗典さんにお話をうかがっています。
(2024年3月14日に国立国会図書館で長尾さんの講演とパネルディスカッションが開催。詳細はイベント告知ページでご確認ください)

――長尾さんの初の単著は『〈憧憬〉の明治精神史』で、高山樗牛や姉崎嘲風らを扱ったものです。その次に書かれたのが『帝国図書館―近代日本の「知」の物語』ですから、かなり異なるテーマのように思われます。ご執筆の経緯などをお教えください。

長尾:大学に移る前、私は11年ほど、国立国会図書館(以下NDL。)に司書として勤務していました。日本近代史を専攻していた大学院生の頃は高山樗牛や姉崎嘲風のことばかりやってきたのですが、就職してからはそれが一変して、とにかく勉強することが増えたのです。配属先では情報システムの運用業務にも関わるというので、帰宅途中に書店でIT資格系の本を買って読んだりとか。もちろん仕事ですので、しっかり覚えなきゃなと思ってはいたんですけど、それまでの歴史研究との落差に戸惑うこともあって。そんななか、上司から自分の専門を持つように勧められたんです。業務のなかから浮かんでくる課題の解決につながるような専門を。

 今でもそうだと思いますが、当時もNDLには、配属先の業務とは別に、特定の分野に一家言を持つ方がたくさんおられました。例えば語学が堪能な人は海外の図書館サービスを調べたりとか、自主的に勉強会をやったりする方もいました。それでいろいろ悩んでいたときに先輩から、「図書館の歴史をやってみたら?」と言われて、「そうか図書館の歴史という手があるのか」と思ったんです。姉崎も東大の図書館長でしたし、本の第六章にも書きましたが、NDLの設立とも少なからず縁のある人なので、むしろ、私の中で、図書館の歴史は今までの自分の取り組みと、これからの自分の仕事を橋渡ししてくれるものになると感じながら調べ始めました。

 そういうわけで、最初は姉崎と図書館のことを研究しようと考えていたのですが、やっていくうちに、帝国図書館の歴史についてもきちんとまとめてある文献があったら良いなあと思うようになってきました。そこからはだいたい本の「あとがき」に書いたとおりです。帝国図書館の歴史については1950年代に『上野図書館八十年略史』という本がまとめられているのですが、その後NDL職員でも研究している方がたくさんおられたので、情報のアップデートが必要であろうと。また、NDLのほうで、帝国図書館時代の文書がデジタル公開されたことにも後押しされまして、なんとかして、帝国図書館の持つ豊富な歴史をもっと知ってもらえたらと考えながら準備したのが本書です。

――帝国図書館の関係者が本書には多く出てきます。特に思い入れのある人物などはいますか?

長尾:難しいですが、やはり初代帝国図書館長の田中稲城の活動に関しては、もっと掘り下げたい気持ちがあります。やろうとして実現できなかったことがたくさんありますが、近代国家のなかで、国の図書館がいかにあるべきかについて広い構想を持っていた人だと思うので。同志社大学には田中の史料がたくさん残されていますので、これからも読み込んで考察すべきことがいっぱいあるかなと。

 この本に登場する図書館の関係者で、高等学校の日本史の用語集などに登場するレベルの人物は、たぶんほとんどいないのではないかと思うのです。著名な文学者や思想家のエピソードはできるだけ入れたつもりで、少年時代の山本五十六が帝国図書館に行きたがった話とかは、面白いと言っていただいたのですが、それでもかなりマイナーな人物ばかり取り上げているという印象をいだく方もおられるかもしれません。図書館員が縁の下の力持ちとして活動してきた結果なのでしょうが、そのような無名の人物が色々なことを考えて奮闘した結果、日本の図書館が現代まで発展してきたので、これから少しでも歴史のなかの図書館員にも光が当たると嬉しいですね。

――社会主義文献の取り締まりや戦時下の統制など、帝国図書館は時代の動きにも大きな影響を受けています。こうした流れは戦後になるとかなり変化したのでしょうか。

長尾:例に挙げていただいた利用の制限に関していうと、帝国図書館は、出版法などの規定により内務省が受け入れた図書の交付を受ける形で資料を集めていて、戦前期に内務省が行っていた検閲に深く関わっていました。つまり内務省が発売や頒布を禁止した本は帝国図書館の目録から削除され、利用者は見られなくなるわけです。そこには図書館を「思想善導」の機関と見なす発想があったといえます。

 そのような考え方は第二次世界大戦後に否定されています。国立国会図書館の納本制度には、全く「検閲」の意味は込められていません。公権力による検閲に反対し、国民が必要な情報に触れうる機会を出来る限りにおいて保証するというのが、NDLを含む戦後の図書館の大前提にある基本的な考え方であり、制度設計になっていると思います。

 ただ、図書館の経営が、時代のうごきから超越して、たとえば政治や社会の動向と全く無関係に行われうるとは私は考えません。それは一つには利用者が図書館に期待する必要な情報の質が絶えず変化するということであり、また一方では、国立にせよ、公共にせよ、図書館が税金によって運営される以上、政治の動きと無関係に存在することはありえないと思うからです。帝国図書館もその前身の図書館も何度も予算の不足に泣かされてきましたし、建物は当初構想通りに完成しないままでした。本が出た後、今も昔も文化に政治が予算を渋るのは嘆かわしいことだねという感想もいただいたのですが、やっぱり図書館の歩んできた過去をある程度長いスパンで踏まえた上で議論する必要があると感じています。

――本書の刊行後、多くの書評が掲載されました。たとえば新聞だけでも、読売新聞(牧野邦昭氏)、朝日新聞(保阪正康氏)、毎日新聞(加藤陽子氏)、日経新聞(佐藤卓己氏)など……。様々な評価が出たと思うのですが、どう受け止めていますか?

長尾:本当にありがたいことだと思っております。図書館というテーマだったからこそ、読書家の方に取り上げてもらえたのなら嬉しいです。図書館員時代、なかなか内部の事情は一般の方に伝わりにくいなと、もどかしい思いをしたこともあって、できるだけカウンターの外側の皆さんにもわかるように、図書館の歴史を知ってもらいたいと思いながら書いていたので、おおむね肯定的に受け止めていただき、興味を持っていただけたことにほっとしています。字数制約がある新聞書評だと、あまり批判的なコメントは取り上げられないというのはあるかもしれないですが。

 あとはもっと率直な意見として、戦争の時代の記述が薄いとか、図書館の話ばかりで近代史との接点が見えにくい、あるいは利用者のエピソードが物足りないというコメントも個別にいただいています。これは、そのあたりの史料が不足していることにもよるのですが、副題にあるような「「知」の物語」を語るならもっと頑張れよという叱咤だと思うので、今後も史料集めも含めて取り組んでいきたいなと考えています。

――現在の国立国会図書館(あるいは日本の図書館全般?)に関しては、どのようにご覧になっていますか? 課題だと考えている点などがあればお聞かせください。

長尾:最近も国立国会図書館サーチのリニューアルがありましたけれども、何か調べ物をしたり、大学生が卒論を書こうといったときに、紙の資料だけじゃなく、電子情報をリソースとして当たり前に利用する時代になって、知の基盤としての図書館は模索が続いています。新たな情報が日々爆発的に増加していくなかで、いったい何を見たらいいのかとわからなくなる人も多いと思うんです。そこで、情報を知るための入口を図書館側できっちり確保するという、言うのは簡単なんですけど、見えない部分で物凄い努力が必要なことを継続的にしているなと驚きをもって、いつも眺めています。

本書のなかでは、図書館の管理者の思惑とは異なる、利用者側の動向、例えば上から目線の職員に対する悪口の落書きのエピソードも意識的に紹介しました。図書館がこういう風に使って欲しいと、いくら高邁な理想を掲げても、利用者のほうは別のところで接遇が悪いと怒ったり、規則が窮屈だと不満に感じます。なので、どんどん変わっていくNDLや図書館界全般に対して、反対にユーザはちゃんとついていけるのかな?みたいなことは、少し思います。現時点で相当やっていると思いますけれども、図書館がさらにユーザのほうを向いてサービスを提供するということは引き続き必要でしょうし、でもそれとセットで、ユーザがもっといい意味で賢くなって図書館を使いこなせるようになることと、両方とも大事なのだろうと思います。

――今後の研究、現在のご関心などをお教えいただけますか。

長尾:高山樗牛や姉崎正治に関する明治時代の思想の研究と、「知」の物語としての図書館の歴史の探求は、私のなかでは出版物を媒介にしてつながっていることなのです。思想は出版されて本の形になって流通し、読者に読まれ、図書館で保管されて次の世代に受け継がれていく。

私は図書館の歴史と並行して雑誌メディアと読者に関する研究も進めておりますので、こういう本が流通していく一連のサイクルを意識しながら、明治時代を中心として、近代日本における出版のメディアの歴史を、もっと具体的な事例をもとにして描いていけたらと思っています。

長尾宗典(ながお・むねのり)

1979年群馬県生まれ。筑波大学第一学群人文学類卒業。筑波大学大学院博士課程人文社会科学研究科歴史・人類学専攻単位取得退学。博士(文学)。国立国会図書館司書、城西国際大学国際人文学部准教授を経て、2023年より筑波大学人文社会系准教授。専門は日本近代史、思想史、メディア史。著書に『〈憧憬〉の明治精神史』(ぺりかん社)、共著に『近代日本の思想をさぐる』『官僚制の思想史』などがある。