2023 06/22
著者に聞く

『諜報国家ロシア』/保坂三四郎インタビュー 後編

KGBがエージェントを記録した登録簿。2020年、ラトビアの首都リガにあるKGB博物館にて。

 保坂三四郎さんが執筆した『諜報国家ロシア』は、諜報機関のKGB、そしてFSBがいかにしてソ連、そしてロシアを掌握してきたか、その歴史と思想、行動原理を解き明かします。保坂さんに執筆の背景を聞きました。インタビューの後編。

――かつては保坂さんご自身がプーチンに心酔する「ロシアかぶれ」だったと「あとがき」に記しています。考えを改める機会は何だったのでしょうか。

保坂:私は、大学在学中の2000年にモスクワに留学しましたが、ロシアでの体験に感化されて「ロシアかぶれ」となって帰国しました。大学卒業後も、ロシア関連の仕事に就き、モスクワやウラジオストクを訪問する度に「両国民の友好のために」と、何度乾杯したかわかりません。また、2006年にプーチン大統領がブッシュ米大統領に面と向かって「ロシアにはイラクのような民主主義は要らない」と言ったことに対して、私はソーシャルメディアへの投稿で拍手喝さいしました。ある意味、プーチンに心酔していたのです。

 しかし、2014年、ロシアがクリミアを違法に併合した際に、ロシア語やロシア政治・文化を教える先生・有識者たちが、ロシアのクリミア併合を正面から正当化こそしませんが、ロシア側から見た歴史・文化的視点から、または「過激なウクライナ民族主義」の台頭や欧米諸国の「ダブルスタンダード」を持ちだして、これを必死に相対化しようする姿を見て違和感を持ちました。

2014年12月、筆者が訪れたウクライナ西部リヴィウの「リチャキウ墓地」。ロシアのウクライナ東部侵攻に立ち向かったウクライナ兵が眠る。

 2014年の年末に、私はウクライナ西部のリヴィウに行き、ウクライナ語を少し学びました。リヴィウではロシアのプロパガンダがいう、東部の「ロシア系住民」に「懲罰」を与える「過激なウクライナ民族主義者」を見つけることはありませんでした。むしろ、そのプロパガンダを逆手に取って茶化した「民族主義」レストランで、ウクライナ東部から遊びに来た若者グループがロシア語で話しながら楽しく飲み食いしている光景がありました。また、ウクライナ各地の墓地に足を運び、何百名の戦死者の墓を訪ね、ウクライナで起きていることが現実的にも理論的にも、一部の欧米の学者が言う「内戦」でないことを確信しました。

 逆説的ではありますが、私はそれ以来、ロシアを深く知るためにウクライナ、バルト三国等の情報源にアクセスするようになりました。その結果、外国人が、ソ連やロシアの「周縁」を語る際に、いかにモスクワのメディアや専門家に依存しているかを、また、ロシアがそれを利用して自国を宣伝し、偽情報を流している構造が見えてきました。これは、ソ連研究からロシア研究へと引き継がれた問題点でもあります。

――驚いたのは、ロシアのウクライナ侵攻で、ご家族が住むキーウのマンションにも砲弾の破片が飛んできたとか。

保坂: 全面侵攻直前、ウクライナでは、政治家や一般市民を含め、いくらプーチンでも無謀な全面侵攻に踏み切るはずはない、米国の警告は誇張であり挑発だ、という見方が大勢を占めていました(ウクライナ軍は最低限の備えをしていたようですが)。

 当時、私の家族はキーウで暮らし、私はエストニアで研究所勤めをしながら生活していました。いろいろな情報が飛び交う中で私はいよいよウクライナが危ないと判断し、キーウに飛んで2週間かけて家族を説得して、全面侵攻の始まる10日ほど前に第三国に避難させました。

 侵攻開始から数日後、アパートの隣人が、銃弾や砲弾の破片で窓ガラスが割れた自宅や共有階段の写真を送ってきてくれました。その一方で、私の大学時代のロシア研究の恩師が、日本から「ロシア軍は軍事施設だけを狙っているから大丈夫」という趣旨のメールを送ってきて、これにはなんと返事をするべきか困りました。
 
 日本では一部のロシア専門家が、ロシアがウクライナに全面侵攻するはずない、と発言し、その後も、侵攻すればキーウは3日で制圧されてゲリラ戦になるから日本はウクライナ支援には慎重になるべきだ、NATO拡大がロシアを刺激した、など発信していたようです。しかしこれらの見解は、モスクワ発の情報依存や、オルタナティブを求める認識論、さらにそれを利用するロシアの宣伝・偽情報活動などが背景にあります。本書では、これらの問題についても分析しました。

――保坂さんは本書を、ロシアに関心を持つ若い学生や、ロシアに関わるビジネスマン、公務員の皆さんに読んでほしいとおっしゃっています。

保坂:この本は、ある意味で、自らの反省であり、同じ過ちを若い世代に繰り返してほしくないという思いから書きました。

 聞くところによると、ウクライナ全面侵攻以降も、日本の大学ではロシア語やロシアの政治、文化に関心を示す学生が増えているそうです。それはもしかしたら、英語やフランス語などの「メジャー」な言語とはひと味違うロシア語に魅力を感じたり、ロシアの「真の姿」を知りたいという思いだったりするかもしません。若い人は、既存の社会や価値観への反抗心があります。自らを振り返ってもその気持ちはよくわかりますし、何も考えないで受け入れるのではなく、そこで一歩立ち止まって批判的に考えてみること自体はよいことだと思います。

 一方で、ロシア政治やロシア語を勉強した多くの研究者や学生の発言、SNSの投稿を見ると、「欧米メディアの描くロシアは一面的だ」、「ロシアを悪者扱いしてはいけない」、「ロシアには欧米と異なるロジックがあり、我々はそれを理解しなくてはいけない」、という思考になっているのを見受け、強い危機感を覚えます。実はこれは日本だけでなく、欧米にも共通する傾向です。

 日本でも欧米でも大学の授業では、ロシアの公式な政治・社会制度は教えても、アクティブメジャーズや偽情報、政治技術を始めとした現代ロシアの理解に必要な知識体系は教えてくれません。ソ連史の教科書はあるけれど、KGBに付随する知識についてはごっそり抜け落ちています。本書で詳しく書きましたが、ソ連・ロシアのプロパガンダには、重要な事実から相手の注意を逸らす「ワタバウティズム」や、西側諸国による正当な批判を回避する「ロシア嫌悪症」などの政治レトリックがあります。

 ロシアについては、これらを認識した上で情報収集し判断しないと、いつのまにか「欧米メディアの描くロシアは一面的だ」、「ロシアを悪者扱いしてはいけない」という考えに染まってしまうのです。

 従来のロシア研究のアプローチを見直そうという動きも出ています。例えば、昨年11月、シカゴで開催された米国スラブ・東欧・ユーラシア学会で、カルフォルニア大学ロサンゼルス校でロシア語を教える先生が、大学3年次以降を対象にしてロシア・メディアの報道を単に翻訳するのではなく、批判的に読むメディアリテラシーの教授法について発表していました。この先生は、最近、アクティブメジャーズ関連論文を読み始めたと言っていました。まだ試行錯誤の段階と言っていましたが、この先生のようにもともとインテリジェンス研究から遠い分野の先生の意識が変わり始めたことはよいことだと思います。
 
 ロシアの情報機関は、ロシアに関心を持つ外国の研究者や学生の傾向を深く研究しています。ロシアのプロパガンダ放送「RT」の標語は、「もっと疑え(Question More)」です。 この標語に隠れている目的語を補えば、「ロシアではなく欧米をもっと疑え」ということになります。既存の価値観への反抗心が強く、「オルタナティブ」を求める35歳以下の若者は格好の標的になっているのです。

――本書の最大の特徴は、今まで知りえなかった「諜報国家」の行動原理にウクライナで近年公開されたKGBの極秘文書、反体制派やハッカーによるリーク情報から迫っていることです。人間の性を研究しつくしたロシアの工作には息を飲むばかりです。

保坂:最近いろんな方に言っているのですが、プーチンやロシアのエリートたちの思考回路を知りたければ、プーチンの演説や欧米の専門書を読むよりも、KGB内部で使われていた教科書や教本を読むのが一番です。これらはソ連崩壊後のロシアでも改訂を経て引き続き使われていますが、極秘指定なのでロシアでこれを読むことはできません。しかし、前篇でもお話したように、ソ連のKGB支部が置かれたウクライナやバルト三国では、KGB資料が公開されているので、読むことができるのです。

 本書でも少し触れましたが、プーチンが東ドイツで勤務した対外諜報(KGB第一総局)のエリート諜報員であるというのは、2000年の大統領選挙のために作られたかなり誇張された話です。プーチンが長く勤務したのは、KGBレニングラード局第五課、つまり反体制派の取り締まりです。プーチンは、選挙前に出版した本で反体制派取り締まりには関与していないと言っていますが、これは嘘です。そして第五課の出身者はKGBの中でも最も保守的であり、彼らの発想には、西側諸国がソ連にエージェントを送り込んでソ連を解体させようとしているという陰謀論が染み付いています。実際にはこの反対で、ソ連がこの陰謀論を元に、西側諸国にエージェントを送り込んでいたのですが……。

 ソ連、ロシアの行動原理を読み解くには、思想も押さえておかなければなりません。ソ連時代の思想の根幹は、もちろん共産主義です。ところがソ連は崩壊しました。そこで彼らの思想的空白を埋めたのが、アレクサンドル・ドゥーギンの「ゲオポリティカ」です。本書でも解説しましたが、このネオファシズム的思想は直訳的に「地政学」と解釈してはいけない用語です。そのほかにも「大祖国戦争」神話、「ロシア世界」、ロシア正教会など、ロシアの根本となる思想、考え方を本書で解説しました。

 KGBやFSBについての良書は海外にたくさんありますが、本書は、ソ連崩壊前夜のKGBによる経済への浸透、「民主化」の下での選挙への出馬、メディア多様性への適応など、現代ロシアのアクティブメジャーズを大きくまとめた点で世界でも稀だと思います。もちろん、すべての分野をカバーできたわけではありませんし、技術は日々進化を遂げていますが、読者にとっての実用的な知識となることを考えて執筆しました。

 ちなみに、私の研究論文の多くはウェブで公開しているのですが、ロシアのアクティブメジャーズやKGB、FSB関係の研究には、近年、中国から最も多くアクセスがあります。きっと、ロシアの手法を勉強しているのだろうと想像します。この本で解説した多くの手法は、民主的統制のない中国の情報機関にも共通していると思います。

――プーチンは戦争をいつやめるのでしょうか。

保坂:戦争は、政治的な戦略目標を達成するための手段です。私は、ロシアの対ウクライナ戦争を、ロシアのアクティブメジャーズと軍事作戦の比重で、以下の3段階に分けて考えています。

①2013年初頭から同年末頃までの、ウクライナのEU接近阻止を目的としたプーチン肝いりのアクティブメジャーズ「包括措置」の期間

②2014年から2021年までの、クリミア併合やウクライナ東部侵攻を含む強弱さまざまな軍事介入とアクティブメジャーズの並行的展開

③2022年2月以降の全面侵攻による傀儡政権の設置
 
 この間、戦術の変化こそあれ、ロシアの戦略目標はウクライナをその「影響圏」に留める、すなわちウクライナを事実上の属国化することで一貫しています。対ウクライナ戦争でも、ロシアの戦車やミサイルなどが枯渇すれば、軍事作戦の相対的な強度や比重は一時的に低下するでしょうが、戦略目標が変化する兆候は今のところないと言っていいでしょう。

 そして、ロシアでは実質的な政権交代は期待できませんが、ウクライナや欧米では選挙による政権交代が起こります。ロシアは、これらの選挙へ介入する構想を練っているでしょう。

 例えばウクライナの選挙では、全面侵攻を受けて有権者の反ロシア感情はかつてないほど強まっているので、親ロシアの候補者を擁立するのは極めて難しくなりました。しかし、ロシア支持であることを隠蔽して、ウクライナの「愛国者」や「国益」の観点から有権者の「戦争疲れ」に訴えることは可能です。今は強い意志を持ってロシアと戦っているウクライナ国民ですが、度重なるアパートや病院への攻撃に悲鳴を上げ、「これ以上市民に犠牲を出すよりも停戦を」という声が沸き上がるのを待っているのです。

 ロシアは対ウクライナ戦争を戦略的視点から長い目で見ています。今のところは完全に逆効果になっていますが、この状態が何年も続けば、いつか人々の忍耐が切れるかもしれません。これは欧米においても同様で、ロシアは、いかにして「ウクライナ支援疲れ」の国際世論を作っていくか考えているでしょう。

 実は、ゼレンスキー自身も、「停戦」を望むウクライナの有権者が誕生させた大統領です。2019年の大統領選挙前のウクライナは、2014年から続くロシアの侵攻で、すでに軍人と民間人合わせて約12000人の犠牲が出ていました。この状況下で、プーチンに対峙する姿勢を明確にして再選を狙った現職のポロシェンコ大統領に対し、「これ以上犠牲者を増やしたくない。人命第一、プーチンと腹を割って話せば戦争を終結できる」というスローガンを掲げて当選したのがゼレンスキーです。

 戦争の終わりではないにしろ戦局に一定の目途がつき、戒厳令が解除されれば(2022年2月以降、3か月ごとに延長されている戒厳令は選挙の実施を禁止)、ウクライナでは来年2024年春に大統領選が(今年秋の議会選は延期の可能性が高い)、さらに2024年秋にはアメリカ大統領選があります。ロシアは、硬軟織り交ぜて、これらの選挙結果に影響を与えるシナリオを模索していると思います。

――「プーチン後」もロシアはこのような体制であり続けるのでしょうか。

保坂:議論が分かれるのは、「プーチン後」です。つい先日、エストニアで行われた国際会議で、海外亡命中のロシア人ジャーナリストと話す機会がありました。彼は、「プーチンさえいなければ、ロシアは変わる」と話していました。とはいっても、ロシアのエリートはプーチンと同じ思考の人間ばかりです。それを私が指摘すると、「プーチン体制のエリートが一律に公職につけないようにすればよい」と言っていました。

 確かに、1990年代のロシアでも、共産主義体制エリートやKGB職員・エージェントが公職に就くことを禁じる、いわゆる「浄化法」が議論されたことがありました。しかし、本書で触れたように、これは失敗に終わり、最後にはこの法制化を積極的に推進した議員ガリーナ・ストロヴォイトヴァが(おそらくFSBに)暗殺されて終わりました。
 さらに、このジャーナリストは、「(大粛清を行った独裁者)スターリン後のフルシチョフの下でも自由化が進んだではないか」と言います。しかし、本書でも解説した通り、脱スターリン化には成功しましたが、脱KGB化には失敗したのです。同じ失敗が、1920年代の「赤色テロ」後の改革、ゴルバチョフのペレストロイカでのKGB改革、エリツィン政権下の保安機関改革でも繰り返されています。
 
 民主的統制のない情報機関は、再生産される独自の組織文化を持ち、我々が想像するよりもはるかに、体制の変化やリーダーの交代に対する適応能力が高いのです。100年以上続く体制の「盾と剣」の情報機関が廃止されない限り、ロシアが本質的に変わることはないでしょう。
 
 その背景となる、ソ連とロシアの情報機関の歴史、思想、体制を、本書で確認してもらえたら、と思います。

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保坂三四郎(ほさか・さんしろう)

1979年秋田県生まれ.上智大学外国語学部卒業.2002年在タジキスタン日本国大使館,04年旧ソ連非核化協力技術事務局,18年在ウクライナ日本国大使館などの勤務を経て,21年より国際防衛安全保障センター(エストニア)研究員,タルトゥ大学ヨハン・シュッテ政治研究所在籍.専門はソ連・ロシアのインテリジェンス活動,戦略ナラティブ,歴史的記憶,バルト地域安全保障.17年,ロシア・東欧学会研究奨励賞,22年,ウクライナ研究会研究奨励賞受賞.