2023 02/09
著者に聞く

『物語 遺伝学の歴史』/平野博之インタビュー

ゲノム概念の提唱者木原均先生(本書101ページ)の彫像の前で。碑には、「地球の歴史は地層に、すべての生物の歴史は染色体に刻まれている」と、記されている(国立遺伝学研究所にて)。

いまや「PCR検査」という言葉は、ごく当たり前のものになりました。これは細胞の核内にあるわずかなDNAを増やして検査するもので、遺伝学の知見にもとづいています。(なお、新型コロナウイルスの場合、ウイルスのRNAをDNAに変換してからPCRを行っています。)
遺伝学は、メンデルの法則が1900年に再発見されてから、まだ1世紀少ししか経っていません。しかし、劇的に進展し、現在では生物学だけでなく、医学や農学などにも欠かせない学問分野となっています。この遺伝学とその歴史について、『物語 遺伝学の歴史』を刊行した平野博之さんにお話を伺いました。

――本書は「物語 遺伝学の歴史」というタイトルですが、そもそも遺伝学とはどういう学問でしょうか。

平野:もともとは、遺伝学は、親の特徴(形や性質)が子に伝わる仕組みを探る学問として出発しました。
その創業者ともいうべき科学者がメンデルです。19世紀半ば、メンデルは特徴そのものが子に伝わるのではなく、その特徴を決定づける「遺伝子」が子に伝わると考えて、遺伝の仕組みを明らかにしました。その仕組みが、今では「メンデルの法則」として知られているものです。
その後、この遺伝子が細胞内のどのような構造に担われているのか、遺伝子本体の化学的実体は何なのか、を解明することが遺伝学の重要なテーマとなりました。
ご存じのように、現在では、遺伝子は染色体上に存在し、その本体はDNAであることが明らかになっています。

このように、遺伝学は基礎的な学問として発展してきましたが、その成果は私たちの生活と密接に関わっています。
例えば、農耕の開始以来、有用な作物や家畜などの育成は偶然や経験にもとづいて行われてきましたが、20世紀に入ると、メンデルの法則を適用した品種改良が計画的に行われるようになりました。その結果、いろいろな利点をもつ品種が短期間で作製されるようになりました。
医学面でも、遺伝学は大きな影響を与えています。私たちの大敵である癌は、細胞分裂を調節する遺伝子の暴走が原因であることがわかりました。原因がわかれば、効果的な治療法や薬の開発が進むことになります。

この3年ほど、私たちは新型コロナウイルスに悩まされ続け、社会のあり方も大きく変わってしまいました。ワクチンはこの問題に対処する最も大きな特効薬ですが、このワクチン開発も遺伝学にもとづく基礎的な研究成果に成り立っているんです。

このように、私たちは知らず知らずのうちに、遺伝学の恩恵を受けていることになります。

――執筆にあたって、工夫されたことや苦心された点があったら、教えてください。

平野:そうですね。まず一つ目の工夫は、科学者の半生を簡単に紹介したことです。
これは、単に学問の歴史だけだと無味乾燥になりがちなのでそれを避けるためもありますが、もう一つは、科学者を身近に感じてほしいためでもあります。偉大な科学者も一人の人間ですので、その方の生き方から、何か感じ取ってもらえればと思いました。

二つ目の工夫は、偉大な発見に至る研究を具体的に解説するということです。
このため、少し難しいところも出てきてしまいました。でも、そういうところは、読みとばしていただいても、遺伝学の歴史の流れはわかると思います。

といっても、研究の部分はできるだけ正確に、かつ、わかりやすく解説するように心がけました。「正確に」と「わかりやすく」は、あまり生物学や遺伝学に詳しくない方に説明するには、二律背反的な要素になります。ですので、これがいちばん苦心した点ですね。
新書版ですのでページ数が限られています。それを考慮しつつ、本文の流れをこわさないように、予備知識や正確な記述をすることにもちょっと苦心しました。

――先生ご自身の研究もコラムに出てきますが、そもそも先生はなぜ遺伝学を志そうと思われたのですか。また、どんな研究をされてきたのですか。

平野:私は大学院時代から、植物のDNAに関する研究を行っていましたが、塩基配列の決定やゲノム内での状態などに関することで、遺伝学な研究は行っていませんでした。
でも、本や論文などで、遺伝学的アプローチが生命現象を理解するのに非常に有効であることは、勉強していました。

博士学位を取得するころ、植物でも分子遺伝学的な研究が今後進展するという気配が出てきました。
そこで、日本で初めて、シロイヌナズナを材料に分子遺伝学的な研究を開始した東大の米田好文先生の研究室にポスドク(日本学術振興会特別研究員)として参画しました。シロイヌナズナは小さなアブラナ科の植物ですが、世代時間が短いことや遺伝子をクローニングしやすいことなど、植物を分子遺伝学的に研究するために非常に適した材料として、世界の研究者が注目しはじめていました。
私は直接シロイヌナズナを扱うことはありませんでしたが、米田先生との会話や研究室のセミナーなどで、遺伝学の素晴らしさに段々引き込まれていきました。

その後、幸いにして、国立遺伝学研究所の佐野芳雄先生の研究室に採用されました。佐野先生はイネを材料に遺伝学研究を行っていたのですが、分子レベルの研究へと発展させたいという希望があり、私がそれを担当しました。
ここでは、主にワキシー遺伝子の研究を行いました(本書105-107ページ)。この遺伝子は、お米の性質を決定する遺伝子で、私は、ジャポニカ米とインディカ米の性質が、RNAスプライシングに関わるたった1個の塩基の違いによることを明らかにしました。
この研究を実際に進める中で、佐野先生からも、遺伝学の威力や素晴らしさを学ばせていただきました。私にとって、米田先生と佐野先生が、遺伝学の師であり、教科書でもありました。

その後、東京大学に移ってからは、イネの発生や形態形成の仕組みを遺伝学的に研究することになりました。
数多くの形の変異体を用いて、花の発生や幹細胞を制御する遺伝的制御機構の研究を行ってきました。とくに、イネの発生に関して、シロイヌナズナとは異なるユニークな遺伝子のはたらきや遺伝的メカニズムを明らかにすることができました。

――本書にはそのような先生のご研究をふまえて書かれた箇所もありますか。

平野:第7章で遺伝学の発展した分野として分子発生遺伝学を取り上げ、花の発生の仕組みを解説しましたが、これが私の専門分野だったからです。花の発生の研究については、だれよりも詳しいという自負がありますので、ここは、自信をもって書けましたね(笑)。
自分自身のイネの花の発生の研究にも触れたかったのですが、ページ数の制約で、残念ながら断念しました。
それから、マクリントックの章(第3章)の転移因子のクローニングのところでは、その手がかりとなるワキシー遺伝子のことから書きました。そこまで必要ないかもしれませんが、私としては、やはりワキシー遺伝子には、愛着があったので、つい……。

全般的なことを言えば、やはり、研究者の目線でそれぞれの科学者の研究を解説した、ということでしょうか。
私は本書の巻末に紹介したようなさまざまな本を読んできましたが、研究内容の詳細を理解できなかったり、首をかしげたりするような記述に、たまに出合ったことがあります。それは、詳細に解説すると難しくなるので、それを避けるためなのかもしれません。
しかし、読者の中には、生物学を学んでいる高校生や大学生もいるはずです。そういう方には先人の研究をきちんと理解してほしいと思いましたので、原著論文や研究者による解説論文を読んで、正確に解説するよう心がけました。尊敬する科学者の原著論文を読んで、解説を考えるのは、それはそれで、私にとって楽しい時間帯でした。

DNAの立体構造の解明は、生物学の20世紀最大の発見といわれている一方、最もスキャンダラスなできごとを含んでいます。ここに登場する4名の科学者については、各々の立場から自伝や伝記、生物学史の著作が多数出版されています。この部分だけでも、10冊程度の本を読み直し、4名の原著論文にあたって、自分なりに消化して、客観的に執筆しました。
これも、研究者としてのこだわりでしょうか。

――本文中にときどき「研究室の雰囲気」について書かれているところがあります。これは先生はどんなお気持ちで書かれたのでしょうか。

平野:これは、まず、私がつい最近まで、研究室を主宰していたからだと思います。
研究を進めていくうえで、研究室の雰囲気はとても大切です。研究のディスカッションのときは、立場は関係なく、思ったこと、考えたことを自由に述べられる環境が重要です。対等で自由な立場でないと、実験の正しい解釈やユニークなアイディアは出てきません。
また、学生は、自分の研究だけではなく、他の学生の研究も理解し、お互いに意見を述べたり、批判したり、誉め合ったりして、お互いに切磋琢磨していくと、研究室全体としても、良い研究が進むと思っています。
時には、教授の悪口を言って、ストレス解消するのも良いかもしれません。

そういう理想的な、見習うべき研究環境として、モーガンやエマーソンの研究室があり、本書ではそれらを描いてみました。ショウジョウバエの研究を行っていたモーガンの研究室は「ハエ部屋」と冗談半分に呼ばれていましたが、実際、この「ハエ部屋」からは、歴史に残る研究成果だけでなく、多くの優れた研究者が輩出されています。

ところで、いち早く本書を読んだ私の研究室の卒業生から、「僕が学生時代すごした研究室は、“ハエ部屋”のような“イネ部屋”でした」という意味の感想を受け取りました。そのメールを見て、ちょっと、感動しました。

――今後、何をしていこうとお考えですか。

平野:私は、大学退職後は、一般の方に科学をわかりやすく紹介・解説する活動をしていきたいと思っています。本書の執筆もその1つですが、今後は、講演会やサイエンスカフェのような、聴衆と触れあえることも行っていきたいと思っています。

また、次作として、植物の発生や形づくりに関わる遺伝子のはたらきに関する本を執筆したいと考えています。
この本では、花が咲くためにはどのような遺伝子が働いているのか、花の器官分化はどのような仕組みで行われるのかなど、主に花の発生に焦点を当てたいと思っています。後者の仕組みは、本書の第7章で簡単に触れましたが、もっと詳しく、「ABCモデル」が提案され、それが分子レベルで証明されていく過程など、研究を追って、解説していきたいと思っています。とりあえず、タイトルは『花をつくる遺伝子の物語』、とでもしておきましょうか。
また、私自身の研究についても多少なりとも、触れられればと思います。さらに、植物と動物の発生の本質的な違いなどについても、考えていきたいと思っています。

――最後にとくに若い人に向けてメッセージがありましたらお願いします。

平野:研究は、楽しいものです。どんな小さなテーマ・発見でも、それを成し遂げたときの充実感や感動は何事にも換えられません。
もちろん、研究はスムーズに進むわけではなく、多くの困難に直面します。大学院に進むのですから、経済的なことも克服しなければなりません(これは、本来は、政府がもっとサポートすべきことなのですが)。
それでも、研究は、やり甲斐のある素晴らしい仕事だと思います。生物学の研究に興味をもち、その道を目指す方が、少しでも増えることを、期待しています。

平野博之(ひらの・ひろゆき)

1954年千葉県生まれ.1978年東北大学理学部生物学科卒業,1983年名古屋大学大学院農学研究科修了.国立遺伝学研究所助手,東京大学大学院農学生命科学研究科助教授,同大学大学院理学系研究科教授等を務める.東京大学名誉教授.農学博士.日本遺伝学会木原賞受賞.
著書『花の分子発生遺伝学――遺伝子のはたらきによる花の形づくり』(共著,裳華房,2018)ほか.