2022 09/08
著者に聞く

『日本のコメ問題』/小川真如インタビュー

東京農工大学の田んぼ(FM本町)にて

田んぼを見ない日はあっても、コメを見ない日はないでしょう。日本人にとってコメはもっとも身近な食物のひとつですが、それを作っている田んぼのことは忘れがちです。しかし、いま、この田んぼに大きな危機が忍び寄っています。『日本のコメ問題』を刊行した小川真如さんに話を聞きました。

――『日本のコメ問題』とはスケールの大きなタイトルですが、いま、そもそもどんな問題があるのでしょうか。

小川:たくさんあります。
コメの生産・流通・加工・消費にまつわる個別の問題はもちろん、日本人にとってコメは、国土、農地、社会、文化、水に深く関わりますから、幅広い問題を抱えています。
『日本のコメ問題』で描いたように、現在ではとくにコメというよりも田んぼにまつわる問題が非常に多くなっています。
『日本のコメ問題』では、担い手不足や耕作放棄地、補助金への依存などについても、田んぼに注目しながら解説しました。

また、コメ問題を理解するうえで厄介なのは、産地偽装や事故米不正転売事件(2008年)のように、明らかに悪い問題だけが問題なのではないということです。
現時点では表立っていない問題もあれば、理想を追求するからこそ生まれる問題もあります。

――表立っていない問題や、理想の追求によって生まれる問題とはなんでしょうか?

小川:表立っていない問題には、たとえば、虫・菌・草・鳥獣による被害があります。
農薬や柵などで一時的に抑え込むことはできますが、問題の原因となる生物は根絶されてはいません。
しかも、農薬によっては環境や人体への影響が懸念されるほか、害虫もコメも食べるスズメのように、益鳥であり害鳥でもあるという生き物もいます。
ですから、完全に解決された問題ではなく、持続的に押さえ込めるか、いかに共生するかという問題を抱え続けているわけです。

また、農機具の燃料、化学肥料・農薬は輸入資源に依存しています。
電力で揚排水しなければ使えない田んぼもあります。
もしも、日本が世界から完全に孤立して資源や電力が不足すれば一気に深刻な問題が表面化します。

さらに、理想を追求すればするほど、乗り越えるべき障壁にぶつかります。
もっとおいしく安全・安心なコメや、いまよりも環境に配慮したコメ作り、地球温暖化や輸出戦略に対応した品種やコメアレルギーでも食べられるコメの開発、先物市場の容認などあるべき価格形成の仕組み作り、よりおいしい炊き方の追求、などといった理想です。

日本は現在、社会全体としてみれば、「コメを満足に食べたい」、「おいしいコメが食べたい」「安全・安心なコメを食べたい」「効率的にコメを作りたい」という欲求は基本的に満たされています。
その上で、たとえば、農薬による環境や人体への影響、海外資源に依存したコメ作りへの不安感をどの程度重く受け止めているのかは、一人一人違いますよね。
また、おいしいコメといっても、もちもち感や固さの好みは人それぞれです。
いまは、品種改良や保存技術の向上によって、まずいコメを食べるという機会が減っていますから、そもそもコメの味の違いは大して気にならないという人もいるでしょう。

コメをめぐって表立っていない問題をどこまで不安視するか、あるいは、どこまで理想を追求するかといえば、人それぞれの欲望や体質に影響を受けるため、多様であり、際限がありません。
このため、コメ問題には、個別に挙げはじめるときりがないという構造的な特徴があります。

このように、コメ問題と一口にいっても、問題の切迫状況や、思い描かれる理想像は実に様々です。
上に挙げたもの以外にも、たとえば、草刈りの負担、農道や水路などインフラの管理や更新が難しくなってきていること、田んぼの所有・利用形態の理想、などもあります。
コメ問題のスケールは、個人的な問題から地域社会、国全体の問題まで多様です。

――コメ問題は、今後どのような方向に変わるのでしょうか。

小川:価値観の多様化によって、さらに多様で複雑になっていくでしょうね。
コメ問題の個別化と専門化はより一層進んでいくと思います。
そして同時に、多様な人々がコメ問題の全体像を把握しながら、お互いにコミュニケーションをしていくことが、とても重要な時代になってくると思います。

『日本のコメ問題』の狙いは、まさにそこにあります。
個別のコメ問題を切り分けて解説するのではなく、コメ問題全体の底に流れる需要なターニングポイントをたどりながら、日本人とコメの歴史をたどりました。

いまでも、コメ問題というと、専門的な農家が十分育っていない理由として兼業農家の存在を批判したり、農協や政策を悪玉に仕立てたりして論じられることがあります。
また、慣行農業と有機農業を対立させたりしてコメ問題が論じられることがあります。
しかし、そうした時代は黄昏を迎えていると思います。

日本農業全体が切磋琢磨されるような生産的な批判や対立というよりも、現状ではお互いに叩き合って日本農業全体が縮退しているからです。
農業をめぐって社会が分断、対立している状態といえるでしょう。

だからこそ、分断や対立よりも、よりよくしていくためのコミュニケーションが求められている時代が来ていると思います。
『日本のコメ問題』では、立場や価値観の違いを乗り越えて、一緒に考えていくための前提となるような、コメ問題の真相を描き出そうと思いながら書きました。

――『日本のコメ問題』では、「田んぼ余り」や「領域X」というキーワードが登場します。これらはコメ問題についてコミュニケーションする上で、どのような役割を果たしますか。

小川:「田んぼ余り」とは、田んぼのうち、コメを作るために必要な田んぼの面積を除いた田んぼのことです。
そして「領域X」とは、農地のうち、食料安全保障のために必要な農地面積を除いた農地のことを指します。

田んぼ余りや領域Xは、これからの日本農業を語る上で不可欠な議論の土台としての役割を果たします。
余った田んぼでいうと、これまで、「田んぼは余っていない」という考え方が根強く残ってきました。

使わない田んぼがあるにもかかわらず、「田んぼは余っていない」、というのは奇異に聞こえるかもしれませんね。
具体的には、理想的な田んぼの使い方をすれば、コメを毎年作らずに田畑輪換にした方が良いという考え方や、平時で使わない田んぼでも、有事となればコメ作るために必要という考え方などが登場してきたのです。
こうした、「田んぼは余っていない」という考え方は、転作補助金をはじめ、余った田んぼへの補助金を肯定する重要な論拠となってきました。
一番わかりやすいのは、食料安全保障ですよね。コメの自給達成という幸せの副産物として生まれた田んぼ余りは、食料安全保障などの観点から、存在意義が認められてきたのです。

しかし、この考え方は、「田んぼは足りていない」という考え方にもとづいており、田んぼが足りていない時代の延長線での発想にとどまっています。
つまり、眼前には余った田んぼが増えている一方で、余った田んぼをどうするかという問題に正面から対峙することなく、今日に至っているわけです。

日本は食料自給率が低いですから、食料安全保障は大変重要です。
しかし、注意しなければならないのは、人口減少によって食料安全保障からみて必要な農地が減っていくことです。
そして、近い将来、食料安全保障上必要な農地は、日本の農地全体よりも少なくなる可能性があります。
「いざというときに必要な田んぼ」は減っていくのです。

食料安全保障からみて足りていないという論理は、田んぼのみならず農地全体で成り立たなくなる可能性があるわけです。
近未来の日本人は、田んぼはもちろん、農地が余っているということに正面から対峙していくことになるでしょう。

――本書執筆の最終段階でウクライナ危機が勃発しました。それにより、小麦やいろいろな資源の値上げなどがニュースになっています。最近では円安も急激に進んでいます。そのなかでコメは比較的値段も供給も安定していると思いますが、今後どうなるのでしょうか。

小川:まず何よりも、燃油や肥料などの価格高騰や流通コストの上昇をコメの価格に適切に転嫁できるかが重要となります。国や地方自治体は対策として補助金を出していますが十分ではありません。2022年内に2万品目もの食品が値上げされる見込みであるなか、コメの価格も適切な程度に値上がりするのか、また、値上がりしたとしてコメ農家が適切に恩恵を得ることができるかが注目されます。

一方、消費に目を向けると、 小麦価格の高騰を受けて、家庭用小麦が値上がりしたことで家庭での米食も見直されてきています。
大手宅配ピザチェーンはコメを生地に使ったピザを新発売しました。
こうした小麦からコメへの再帰の流れによって、国内のコメの消費量の低迷が和らぐかもしれません。しかも今は、円安も進んでいるため、コメの輸出増加も期待されます。

また、コメが安定的に供給される豊かさや、コメ農家に感謝する社会的機運が一部で生まれていますね。
ウクライナ危機で困難に直面している方々が世界にいることが背景ですから、きわめて不健全な形ではありますが、日本のコメ産業にとっては間違いなく追い風が吹いています。

一方、大局的にみれば、コメには困っていないという漫然とした安心感が社会を覆ったり、食料安全保障や国際的難局にかこつけて農業支援が手厚くなったと冷めた目でみる国民が増えたりすることで、コメ問題が将来的に深刻化することに対する関心がかえって薄れるのではないかと私は予想しています。

――『日本のコメ問題』では過去の教訓をもとに、未来の転換点が描き出されています。過去から学ぶとすれば、ウクライナ危機はどのように映し出されるのでしょうか?

小川:1990年代以降でいえば、コメ・田んぼに社会的関心が高まった時期は3回ありました。
平成のコメ騒動(1993年)、東日本大震災(2011年)、ウクライナ危機(2022年)です。そして、時代を経るごとにコメへの関心は薄くなっています。

2021年に作られたご飯用のコメは701万トンでした。
これは大凶作でコメ騒動が起きた1993年の収穫量781万トンより10%も少ない量なのです。
しかし、いまの社会は当時ほどパニックになってはいないですよね。作られるコメは大きく減っていても、コメ不足に直面しているわけではないため、コメへの社会的関心は当時ほどには高まっていないのです。
コメの消費量が減った日本ではコメ不足への耐性が強まっているともいえます。

東日本大震災では、津波や原発事故によって、コメの主産県である宮城県、福島県が甚大な影響を受けました。しかし、タネをまく前の3月に発生したため、被災しなかった県や他の地域にある余った田んぼでコメ作りをすることでカバーできました。
ウクライナ危機は2月に始まり、その結果として余った田んぼでは小麦や大豆を作る意欲が強まりました。
余った田んぼは、社会を安定化させるバッファ装置といえます。

このように、日本社会でみますと、コメの消費量が減れば減るほど、コメ不足への耐性が強まっており、さらに余った田んぼが増えることで、タネをまく前に発生した自然災害や社会情勢の急変への対応力が高まってきたわけです。

いま、食料安全保障や国際的難局を理由に農業支援を手厚くしても、実感がわかず、単なる農業支援の名目のように感じる消費者も多いのではないでしょうか。
ウクライナ危機をきっかけに食料安全保障への関心を高めることは重要ですが、一時的な関心や、とにかく食料安全保障からみて農業が絶対必要なのだと思考停止して満足するのではなく、現在の田んぼ余りや将来の農地余りも想定した戦略的な食料安全保障論の展開につなげていくことが求められていると思います。

――ところで小川さんのご専門はそもそもなんですか。

小川:農業経済学です。農業政策や農業経営のほか、食品流通、農村社会、環境問題、農村計画など幅広い領域を対象としている学問分野です。
農業は、自然科学、社会科学、人文科学を横断する総合的なアプローチが求められる学問でもあります。また、農業は人間が自然・生き物に働きかけて行われるほか、農業政策は人間が決定していますよね。このため、よりよくしたいという人間の主体性や、人間らしさという部分を無視して農業は語れません。
『日本のコメ問題』は、歴史、農業技術、法制度、経営、人間ドラマなどを織り交ぜながら解説しています。個別テーマの深掘りのみならず、こうしたダイナミックな分析ができるのも農業経済学の醍醐味の一つです。

――なぜ農業経済学を志そうと思ったのですか。

小川:『日本のコメ問題』のあとがきに記しているように、もともとコメや田んぼに興味があったので、経緯を話せば少し長くなります。
中学時代には、地元の特産品を作ろうと思い立ち、ダイコンに含まれるジアスターゼを使ってサツマイモから水あめを個人的に作ったこともありますが、当時は農学というと自然科学というよりも文系のイメージでした。
とくに、字切図(あざきりず)を収集して地名を眺めたり、郷土史を読んだりするのが好きでしたね。
字切図は明治時代に作られた地図で、田んぼには全て名前が書いてありました。全国各地でも田んぼには色々な名前が付けられてきました。
由緒ある人名がついた「源五郎田」、神社の跡地で木立を抜いて田んぼにした「杜田」(もりた)、よいコメがとれる「米丸」(よねまる)、細長い田んぼで苦労する「嫁泣田」(よめなきだ)などユニークです。
田んぼの呼び名は、単純に識別を目的とするものではなく、田んぼ一つ一つへの愛着も育んできたのではないかと想像しています。
また、実家の近くでは、飛鳥時代に作られた堤が現在も使われており、作った人物の名前で親しまれています。

こうした文化的な様相をもつ田んぼなどは、コメが作られることにより現役で使われてきましたが、コメ余りが進むにつれて、管理に苦労したり、荒れたりしてしまうものもあります。こういったどうしようもなさや、その解決策に関心がありました。

その後、高校に入って農学が文系ではなく理系であることを知り、理系科目の勉強はもちろん、赤米、ヤーコン、トウモロコシ、エビスグサなどを栽培・加工したり、わら半紙や和ろうそく作りに挑戦したりしましたね。
コメや田んぼには引き続き関心があったので、同じような問題意識や関心を持つ友達を作るつもりで、大学に行くことにしました。
農学部は全国各地にあり、地域性を生かした農学教育をしている大学もあります。私の場合には、地域的な偏りが比較的少なく、また実習と座学の両方がバランスよく学べる東京農工大学に入りました。

具体的に農業経済学を専攻するきっかけになったのは、東京農工大学に入ってからです。
同大学の農業経済学研究室では、2人の恩師にお世話になりました。1人目は、農政分野を中心としつつ多分野に横断する共生社会システムについてダイナミックに論じる矢口芳生先生です。2人目は、紀元前中国から現代日本にいたる稲作技術の発展段階から、東アジアにおける稲作の展開過程をダイナミックに論じる鈴木幹俊先生です。
両先生から教わった、文系や理系といった枠にとらわれないダイナミックさや、農業経済学の奥深さに惹かれました。

――学生時代はどういった研究をされたのでしょうか。

「リーフスター」(右)は背丈が1m以上になる。茎が強く、穂が少ないため、大型台風でも倒れにくい特徴を持つ(東京農工大学科学博物館所蔵)

小川:偶然にも、私が大学に入学した年は、本格的なエサ専用のイネが初めて育成された年でもありました。「リーフスター」という品種です。
しかも、「リーフスター」は母校と農研機構による共同研究の成果ということもあり、作物学者の石原邦先生とともに最初の交配にたずさわった平澤正先生、大川泰一郎先生から作物学の講義で直接学ぶことができました。
とくに大川泰一郎先生の講義は、これまでにない全く新しい品種育成の方向性や、新しい日本稲作の展望について、冷静かつ情熱的に解説する内容であり、私の心に深く残りました。

ちょうどそのころ、環境学者の細見正明先生が代表を務めるエサ用のイネに関する研究プロジェクトがあり、農業経営学者の淵野雄二郎先生のもと参画させてもらったことをきっかけに、エサ用のイネをふくむ水田政策・水田経営の研究を進めてきました。
博士課程では、この研究プロジェクトの分担者でもあった早稲田大学の柏雅之先生のもとで研究を続けました。

――どの大学を受験しようか考えている高校生や、研究者を目指そうか迷っている学部生、大学院生など、後進に対する助言があれば教えてください。

小川:私の経験からいえば、大学には友達作りを目的に行くという気分でよいと思います。
家庭事情で実家に近い大学を選ぶ学生、関心分野がなくてとりあえず偏差値で大学を選ぶ学生、就職に有利な大学を選ぶ学生、昼間働きながら通える大学を選ぶ学生、子育てや介護がひと段落して入れる大学を選んだ学生……いろいろな学生と知り合ってきましたが、どれも胸を張って良い大学の選び方だと私は思っています。

程度の差はあれ、知りたい、学びたいという意欲をもってアクション(大学受験・入学)し、そこで友達を作れる、というのが大学という場の最も重要な役割だと思うからです。

ただし、なれ合いで一緒にいる友達ではなく、自分と他者で同じ部分や違う部分を発見し、それらを感じ取りながら、相互に認め合うような友達作りに徹することがポイントです。
他者と自己を同時に発見できるような友達を意識的に作ることが豊かな大学生活を送るコツです。

研究者を目指すか悩んでいる学生も、気構えて難しく考えるのではなく、友達作りの延長と気楽に考えれば、少し気が晴れるのではないでしょうか。
研究が順調に成功しても、途中で諦めて研究職以外に就職しても、真剣に友達作りに徹すれば、それぞれの人生の先で良い出会いがきっとあるので楽しみにしておきましょう!

また、学問の場合、時空を超えた交流もできます。すでに他界した研究者と論文を通して悩みを共感できたり、離れた場所にいるまったく知らない研究者と分かり合えたりできます。
たとえ、いま、自分の研究が理解されてなくても、いつかきっと理解してもらえる人物に出会えるでしょうから期待しておきましょう!
就職活動、研究能力、研究成果……目下の課題に囚われ過ぎると、悩んだり、気が滅入ったりしそうになりますが、学部生、大学院生には大学ならではの新たな出会い、友達作りのワクワク感を忘れずにいてもらいたいですね。

――学問といえば真理の探究ですから、友達作りとは全く違う話ではないでしょうか。

小川:ところがそうでもないのです。学問と友達作りは、よく似ています。
研究者仲間は、真理を探究する者同士ですので、先輩の研究者と悩みを共有したり、知識を共有し高め合ったりすることができます。
実際に「友達」と口に出せば失礼ですが、意識としては学問も友達作りの一環といえるわけです。

そして、やはり学問でも、なれ合いで一緒に研究するのではなく、自分と他者で同じ部分や違う部分を発見し、それらを感じ取りながら研究を進めることが重要です。
たとえば、観測結果の違いを吟味することでより客観的な知識、認識を高めていくことができます。

信じる世界観や共感できる法則の違いによって、学問分野の分岐や学閥が生まれることもあります。
このあたりの話は、いろいろな学問に共通しますが、ひとまず農学や農業経済学を対象に分析したものとして小川真如『現代日本農業論考』(春風社、2022年)を刊行しましたので、興味がある方はぜひ手に取ってみてください。

――今後の研究テーマについてお教えください。

小川:行政や農協などで組織されている農業再生協議会について調べています。
農業再生協議会は都道府県段階と地域段階のそれぞれにあり、協議会数は全国で1500を超えます。そこでは、コメの生産調整などを推進するとともに、地域ごとのコメ作りのあり方や、余った田んぼの使い方を含めて、田んぼの使い方の将来ビジョンを描いています。

コメ政策に限らず、農業政策では地域のビジョンを各地域の主体で作るという取り決めがよくあります。しかし、実質的に多様な人々の農業観・農地観を統合するようなビジョンを作るのは、大変難しい作業なのではないかと私は考えています。
今も各地域のビジョンは作られていますが、その実態を調査していますと、補助金の要件を形式的に満たすために作られているという印象を強く感じるからです。

将来ビジョンをみんなで作るというのは、民主主義的な手続きとして理想ですが、実質を伴わずにみんなで決めたという名目だけが先走れば、全体主義的な傾向を強めることになるでしょう。
『日本のコメ問題』の最後で「農業観、農地観、国土観を問いなおす時代」だと提言したように、ビジョンをどのように描くかということに注目してくべき時代だと思っています。
余った田んぼをどうしていくべきか、また領域Xをどうしていくかというビジョンについて、農業経営から政治制度まで社会全体から捉える視座を保ちながら、研究を続けていきたいですね。

小川真如(おがわ・まさゆき)

1986年、島根県に生まれ。2009年、東京農工大学農学部生物生産学科卒業。同大学大学院農学府共生持続社会学専攻修士課程修了。早稲田大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。現在、農政調査委員会調査研究部専門調査員、東京農工大学非常勤講師、恵泉女学園大学非常勤講師など。専門社会調査士、修士(農学)、博士(人間科学)。専攻は、農業経済学、農政学、人間科学。
著書『現代日本農業論考』(春風社、2022)、『水田フル活用の統計データブック』(三恵社、2021)、『水稲の飼料利用の展開構造』(日本評論社、2017)、『和菓子企業の原料調達と地域回帰』(分担執筆、筑波書房、2019)ほか