2022 09/15
著者に聞く

【講談社科学出版賞受賞記念】『南極の氷に何が起きているか』/杉山慎インタビュー

進化する南極研究の最前線を解説した『南極の氷に何が起きているか 気候変動と氷床の科学』が、第38回講談社科学出版賞を受賞しました。受賞を記念して、著者の杉山慎さんに今の想いや研究の原点、伝えたいメッセージなどをうかがいました。

――講談社科学出版賞のご受賞おめでとうございます。受賞後の気持ちをお聞かせください。

杉山:著書の受賞は初めての経験ですが、正直、出版した時よりも大きな喜びを感じます。それはつまり、書籍の出版はゴールではなく、人に読んでもらうことが目的だと、心の中で意識していたからでしょう。振り返れば、冒頭の数ページを執筆した時、編集担当の楊木さんが「サイエンス読み物のスター」を何人か挙げて、「彼らに遜色ない」と褒めてくれました。過去の受賞者の中にまさにその方々の名前を見て、励ましに応えることができたのを嬉しく思います。

――そんなことを申し上げましたか。赤面の至りです…(笑)。ではまず本の内容について、初歩的な質問ですが、どうして南極に世界最大の氷があるのでしょうか。

杉山:端的に言えば、降る雪の量が融ける量よりもずっと多いからです。南極に降る雪の量は意外と少なくて、日本の降水量と比較すると十分の一に過ぎません。しかしながら気温が低いので、雪はほとんど融けずに溜まる一方です。この雪が自分の重みで氷となり、広大な大陸の上を覆いつくしているのが南極氷床です。

――そのように南極を覆う氷(=氷床)ですが、観測のあり方が劇的に進化したのは、21世紀に入ってからだそうですね。

杉山:ええ、人工衛星を使って地球を観測する技術によって、巨大な氷床の変化を正確に測定できるようになりました。宇宙からレーザー光の反射を使って氷の標高変化を誤差10センチメートル以内で調べたり、衛星画像の比較によって氷が流れる速さを南極の全域で測定したりと、そんな観測が実現したのです。日本の約40倍の面積を持つ南極氷床は、現地で全てを見渡すには大きすぎます。日本も得意とする人工衛星技術が、氷床研究のブレイクスルーになりました。

――杉山先生は具体的にどのような研究をされているのでしょうか。

杉山:私が一番力を入れているのは、実は「南極の全てを見渡せない」現地での観測なのです。人工衛星技術が発達した今も、南極に行かなければ解決できない課題がたくさんあります。たとえば、氷床の底面は年間数千メートルの速度で大陸の上を滑っているところもあり、氷の融け水が潤滑剤の役割を果たしていると考えられています。しかしながら、平均厚さ2000メートルの氷床の底がどうなっているか、宇宙からの観測では分かりません。そこで私たちは氷に深い孔を掘って、氷床底面の水圧や氷が滑る速度を測定しています。

――「氷の奥底で起きていること」を調査しているのですね。まだまだ謎も多そうです。そもそも杉山先生はどうして南極に興味を持ったのですか。

杉山:雪が溜まって陸上に形成された大きな氷を「氷河」と呼びますが、私はその氷河の研究者なので、世界最大の氷河である南極氷床にはとても興味があります。もっとさかのぼって言えば、ある時期に山登りが大好きになり、自然を相手にする仕事に就きたいと考えました。氷河の研究者となってその思いをかなえた今、最も重要な研究対象のひとつとして南極氷床に向き合っています。

――南極について、近年はとくに気候変動の観点から注目が高まっています。単刀直入に言って、人類の活動にともなって「南極の氷が融けている」という証拠はあるのでしょうか。そして、仮にそうだとすれば、どのような影響が今後考えられるのでしょうか。

杉山:南極氷床は氷を少しずつ失って、その融け水が海水準に影響を与えていることは確かだと考えます。しかしながら、北極圏やその他の地域にある氷河のほうが、ずっと多くの氷を失っています。また、人類の活動の影響で南極氷床の融解が進んでいる、という証拠は少なくて、研究者のあいだでも意見が分かれています。これは、人為起源の温暖化で急速に融けている北極のグリーンランド氷床や山岳地域の氷河とは対照的といえます。

南極はとても寒いので、多少の気温上昇で氷が大きく融けることはありません。現在起きている南極氷床の融解は、むしろ海に原因があります。海水温の上昇や海洋循環の変化で、氷が海の熱に融かされているのです。

――グリーンランド氷床や山岳地域のお話が出ましたが、杉山先生は南極だけでなく、それらの地域における氷河研究にも精力的に挑まれています。南極とくらべた時、それぞれの特徴や魅力、驚いたことなどについてもぜひ教えてください。

杉山:グリーンランドでは、南極に次ぐ大きさの氷床が陸地の80パーセントを覆っています。南極との違いは人が住んでいることで、厳しい環境に暮らしてきた先住民は、北海道のアイヌ民族ともつながる文化を持っています。グリーンランド氷床の変動は地球規模の環境問題ですが、そこに住む人たちにとっては身近な社会問題でもあります。現地の人々とも協力して、気候変動が地域社会に与える影響について研究を進めています。

また、南極とグリーンランド以外にある氷河は比較的小さいのですが、温暖化の影響を強く受けて急激に融けています。たとえば南米のパタゴニアは、世界で最も激しく氷河が縮小している地域のひとつです。氷河の多くが海や湖に流れ込んでおり、水に浸った氷の脆弱性が変化の原因と考えて調査を行っています。パタゴニアは豪雪と強風で知られる山岳域で、氷に削られた鋭い山々と風にたなびく雲が印象的です。この激しく美しい自然は、山登りをきっかけに氷河研究を志した時の気持ちを思い出させてくれます。

――ありがとうございました。最後に、環境問題に関心のある読者や、これから地球科学や極地研究に取り組みたいと考えている若者に、メッセージをお願いします。

杉山:コロナ禍でしばらく海外に出られませんでしたが、この夏は、アラスカ、グリーンランド、スイスと、久しぶりに各地の氷河を訪れました。あらためてその美しさと壮大さ、また地球環境に果たす特別な役割を実感しました。ぜひたくさんの方に極地や氷河に興味を持っていただき、研究仲間やサポーターになってもらえたら嬉しいです。大学院生と一緒に氷河へ行ったのですが、彼らが目を輝かせて野外観測に取り組んでくれたのは、とても嬉しいことでした。

また今回久しぶりに海外へ出て、自宅や自国に閉じこもってしまうことの危うさを感じました。コロナに関する考え方や状況が各国で大きく違い、同じ国の中でも意見が食い違っています。そんな局面で必要なのは、人と会って意見を交換し、お互いの立場や考え方を尊重することです。議論の機会がなければ、たとえばマスクを必要とする人と不要と考える人がいたとして、そのあいだの溝は深まるばかりです。地球規模の問題である気候変動についても、同じことが言えます。地域によって気候変動の影響はまちまちで、それを受ける経済や社会の状態も異なります。気候変動への考え方や対策は、各国で立場が異なって当然でしょう。こんな時だからこそ海外に出て言葉を交わして、相互の事情を理解し、相手を尊重しながら最適な解決策を見つけるべきだと感じますね。

杉山慎(すぎやま・しん)

1969年愛知県生まれ。93年、大阪大学大学院基礎工学研究科修士課程修了。同年より信越化学工業で研究開発に従事。 97年から2年間、青年海外協力隊に参加し、ザンビア共和国の高等学校で理数科教員をつとめる。2003年、北海道大学大学院地球環境科学研究科博士課程修了。博士(地球環境科学)。スイス連邦工科大学研究員、北海道大学低温科学研究所講師、同准教授を経て17年より同教授。南極や北極、パタゴニア等で大規模な氷河氷床の調査を主導。『南極の氷に何が起きているか』(中公新書、2021年)で、第38回講談社科学出版賞を受賞。その他著作に『低温環境の科学事典』(共著、朝倉書店、16年)、『低温科学便覧』(共著、丸善出版、15年)、『なぞの宝庫・南極大陸』(共著、技術評論社、08年)など。