2022 01/20
著者に聞く

【トリプル受賞記念】『ロヒンギャ危機』/中西嘉宏インタビュー

ロヒンギャは、仏教国ミャンマーに住むイスラーム系民族のひとつである。軍事政権下、国籍が与えられないなど長く差別されてきた。2017年、紛争と国軍による掃討作戦で、隣国バングラデシュへ大量のロヒンギャ難民が発生した。

「アジア最大の人道・人権問題」とも言われるロヒンギャの難民問題の全貌を、歴史的な背景やミャンマーをめぐる国内・国際政治を踏まえて描き出した『ロヒンギャ危機―「民族浄化」の真相』は高い評価を受け、昨年、第16回樫山純三賞(一般書部門)・第33回アジア・太平洋賞特別賞・第43回サントリー学芸賞(政治・経済部門)を受賞した。

受賞した中西さんにお話をうかがった。

――樫山純三賞・アジア・太平洋賞特別賞・サントリー学芸賞のトリプル受賞おめでとうございます。受賞の知らせを受けたとき、それぞれどのように感じましたか。

ありがとうございます。運がよかったとしかいいようがないですね。樫山純三賞とアジア・太平洋賞は編集部から応募してもらいました。だめでもともと、という気持ちでした。受賞の知らせを受けたときは、これをきっかけに本書を手に取ってくれる読者が増えてくれればいいなと感じました。

サントリー学芸賞は応募型ではないため、突然、知らせが来ます。比喩ではなく、文字通り仰け反って驚きました。選考の対象になるとすら思っていなかったからです。いずれの賞も、個性と伝統のある賞でとても光栄に思います。

ただ、トリプル受賞というのはちょっと出来すぎですね。その反動で、今年ものすごく不運なことが起きるのではないかと不安になりました。幸い京都には神社がたくさんあるので、今年の正月はいつもより多めに参拝して厄を払いました(笑)。

――受賞作『ロヒンギャ危機』について聞かせてください。まず、本書の構想はどのように練ったのですか。

ミャンマーの西部にあるラカイン州で武力衝突が起きます。2017年8月25日未明のことで、危機の端緒といってもよい事件です。その後、70万人といわれる大量の難民がバングラデシュに流出しました。

当時私は、在外研究で同国第一の都市であるヤンゴンにいました。武力衝突の翌日に国営紙の一面には「テロ攻撃があった」という記事が出ましたが、信用はできません。周りに聞いても、みな、思い込みを話すばかりで、何が起きているのかすらわからない。このとき感じた、いったい何があったのだろうか、という素朴な疑問が構想のきっかけです。

そこから、関係者に聞き取りをしたり、歴史を整理したりと作業を続けていました。そのうちにロヒンギャ危機は大きな国際問題となりました。2016年にアウンサンスーチー政権ができて明るくみえたこの国の未来に、暗雲が立ち込めます。その頃から危機の全体像を書く作業をしたいと思うようになり、構想を詰めていきました。

――執筆する上で工夫した点や苦労した点を教えてください。

最後まで苦労したのは、2017年8月25日の武力衝突から1ヵ月ほどの間に何が起きたかを知ることです。民族浄化やジェノサイドがあったのではと疑われている期間ですね。この部分の考察がないと本にしたくても、核心部分が欠けていることになります。

どうするかなと考えていたとき、国連人権理事会が設置した国際独立事実調査ミッション(IIFFM)が大部の報告書を出しました。バングラデシュに非難した難民たちからの聞き取りなどから紛争時の人権侵害の実態を調査したものです。ただ、情報が足りませんでした。特にミャンマー政府と軍側の情報が乏しく、これだけでは書けないなと思いました。

そこにミャンマー政府側の独立調査委員会(ICOE)の報告書が出ます。こちらもこちらで難民への聞き取りが不十分でした。ですが、現地での武力衝突の情報や、軍の動きに関する情報が豊富に含まれていました。両報告書の内容、それと自身の調査を合わせたら、真実まではたどりつけなくとも、情報の偏りがまだ少ない本が書けるかもしれないなと思いました。

――刊行の直後にクーデターがありました。中西さんは現在のミャンマーをどのようにご覧になっていますか。

とても深刻な状況です。個人的な例を出しますと、さきほど申しましたように、私は2017年から18年にかけてヤンゴンで在学研究をしていました。同国で最も古い大学であるヤンゴン大学で学生を教えていたんですが、政変後、かつての職場はとても混乱しています。

私の授業を補助してくれた若い教員は、軍に抗議して大学を辞めました。同世代の同僚は民主化勢力がつくった政府(NUG)で幹部をつとめています。年長の先生たちは、今ある教育制度を壊すべきではないと大学の正常化に奔走しています。元教え子たちのなかには、武器を持って革命を目指すものもいれば、母国に見切りをつけて海外での就学や就労を目指すものもいます。

みなギリギリの判断で選択した行動です。政変に翻弄され、人生の見通しがつかなくなっている人が多くいます。とても痛ましい状況です。

――刊行からおよそ1年が経ちました。この間のミャンマー、ロヒンギャの変化、中西さんご自身の変化などお聞かせください。

私自身はメディアからの取材依頼が増えて忙しくはなりました。ですが、ほぼすべてオンラインでこなしてきたので、テレビで観たよと知人に言われても、あまり実感がないまま、取材依頼の波は3、4ヵ月でおさまりました。

ミャンマーでは深刻な状況が続いています。軍と民主化勢力との衝突がこれからも各地で続きそうです。バングラデシュの難民キャンプにいる90万人近くのロヒンギャとなると帰還は現状では絶望的といってよいと思います。軍からの迫害を逃れて流出した難民たちが、軍の統治下で元いた場所に戻ることを希望することはありません。

――今後のお仕事について、教えてくださいますか。

本書の最後に、日本政府は第二次アウンサンスーチー政権を支えるしかないだろう、といったことを書きました。すると、出版から1週間後に政変が起き、スーチーは拘束されました。結論の前提が変わってしまったわけです。

政変はこの国の先行きを大きく変えそうです。振り返ってみると、ミャンマーではこれまで4度、軍事クーデターが起きてきました。そのすべてを軍は成功させ、国の方向性を変えてきました。鉄道の転轍機のような役割をクーデターは果たしてきたんです。

こうした独立以来の政治変動の一部として今回の政変をとらえると、なにが言えて、今後の展開をどう予想できるのか。そうしたことについて原稿を書いています。日本の責任や対ミャンマー政策のあり方についても検討するつもりです。できれば今年中に本として出版したいですね。

――ありがとうございました。

中西嘉宏(なかにし・よしひろ)

1977年兵庫県生まれ.2001年東北大学法学部卒業.07年京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科より博士(地域研究)取得.日本貿易振興機構・アジア経済研究所研究員などを経て,2013年より京都大学東南アジア研究所准教授,17年同大学東南アジア地域研究研究所(組織統合により改称)准教授.
著書『軍政ビルマの権力構造―ネー・ウィン体制下の国家と軍隊 1962-1988』(京都大学学術出版会,2009年,第26回大平正芳記念賞),『ミャンマー2015年総選挙―アウンサンスーチー新政権はいかに誕生したのか』(共著,アジア経済研究所,2016年)ほか