2022 02/03
著者に聞く

『国造―大和政権と地方豪族』/篠川賢インタビュー

永昌元年(689年)の年号が刻まれた那須国造碑。現在は笠石神社の御神体(写真提供・笠石神社)

いまだ実態が定かではない、古代日本の地方支配と豪族たち――、この問題について最新の研究を紹介しながら包括的に解説するのが、『国造―大和政権と地方豪族』です。著者の篠川賢先生にお聞きしました。

――国造とは、そもそもなんでしょうか。

篠川:「大和(ヤマト)政権の地方官で、多くは地方の有力豪族が任じられ、国(クニ)を統轄した」というのが、教科書的理解といってよいと思います。
ただ、国造を制度的存在とは見ずに、地方の豪族を「国造」と呼んだに過ぎないとする説もあります。また、教科書的理解に従ったとしても、それがいつどのようにして成立し(施行され)、廃止されたのか、地方官としての国造の役割はどのようなものであったのか、国造のクニはどのような範囲であったのかなど、多くの点をめぐって見解は分かれています。
つまり、「国造とは何か」と問われても、「詳しいことはよくわからない、よくわかっていない」と答えるほかはない、というのが現在の研究状況です。

――そのような国造に篠川先生が関心をもたれたのは、なにがきっかけですか。

篠川:もともと日本古代史、とくに7世紀以前の古い時代に興味を持っていたのですが、国造について関心を持ったのは、多くの議論がありながら、よくわからない存在であるということからでしょうか。
もっとも、「よくわからない」という点は、国造に限らず、7世紀以前の古い時代における研究テーマのほとんどについて言えることです。

――「あとがき」を拝読すると、『常陸国風土記』に記された建評申請者と任命された初代官人が同一人物か等についての篠川先生のお考えの変遷が分かります。また、本書第2章にも「国造制の内容についてのこれまでの研究」という節があり、昭和26年に発表された井上光貞「国造制の成立」以降の国造制の研究について一望することができます。国造制についての研究はいつから始まったのでしょうか。また、現在でも議論百出の状態なのですか?

篠川:国造・国造制についての研究は、古くからあり、江戸時代には、国造に言及した研究もかなり現れます。戦前にも、太田亮による関係史料を網羅した研究など、優れた研究が行われていますが、議論が活発になったのは、本書で述べたように、戦後の井上光貞「国造制の成立」が契機となった、といってよいと思います。
私が国造制に興味を持った1970年代の初め頃は、石母田正『日本の古代国家』や、吉田晶『日本古代国家成立史論』の刊行に示されるように、活発な議論が行われた時代でした。しかし、その後、1980年代以降になると、国造制に限らず、7世紀以前を対象とした古代史研究(いわゆる「大化前代史」の研究)が停滞する時期を迎えます。
近年、7世紀代に遡る木簡の出土例の増加や、宮都の発掘調査の進展などにより、再び研究が活発化してきていますが、国造・国造制をめぐる議論がとくに活発であるということではありません。

――とくに気になる国造というものは存在しますか。

篠川:国造の具体例としては130ほどが知られていますが、個々の国造についての残された史料は、非常に限られています。
比較的関係史料に恵まれているのは、吉備地方の国造・筑紫国造・武蔵国造・出雲国造(とくに律令制下の出雲国造)などです。とくにどの国造が気になるということもないのですが、しいてあげるならば、「吉備地方における国造制の在り方」ということでしょうか。吉備地方の国造としては、『先代旧事本紀』の「国造本紀」には、「上道国造」「下道国造」「三野国造」「加夜国造」など9国造があげられていますが、ほかに吉備地方全体をクニとしたような「吉備国造」という名も史料に現れます。吉備地方に設置された児嶋屯倉・白猪屯倉と吉備地方の国造制との関係も興味深いものがあります。

――本書で篠川先生が特に強調されたことは何でしょうか。

篠川:「あとがき」でも述べましたが、「国造制は「大化改新」による評制の施行にともなって廃止されたのではなく、それが廃止されたのは天武朝の末年のことと考えられる」という点です。
また、律令制下における国造の存在を制度的なものと見て、それを「新国造制」と呼び、旧来の国造の制度を「旧国造制」と呼んで、両者を区別して考える説がいまでも一般的ですが、そうではなく、「律令制下の国造は、旧来の国造制の遺制と考えられる」という点も強調したかった点です。

――本書ご執筆にあたって、特に苦労されたことがありましたらお教えください。

篠川:国造および国造制全般について、限られた紙数で、分かりやすく叙述するということです。

――最後に、今後のご関心についてお教えください。

篠川:今後に期待することは、古墳・豪族居館・寺院址・集落址など考古学的研究によって、6~8世紀頃の各地域における豪族層の動向が具体的に明らかにされるということです。
このことは、個人の研究では成し遂げられない膨大な作業ですが、この点を十分に踏まえた国造・国造制研究が望まれます。

篠川賢(しのかわ・けん)

1950年,神奈川県生まれ.1973年北海道大学文学部卒業,1981年同大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学.成城大学文芸学部教授等を経て,2021年,同大学退職.現在,同大学名誉教授.文学博士.専攻・日本古代史.
著書『国造制の成立と展開』(吉川弘文館,1985),『日本古代国造制の研究』(吉川弘文館,1996),『飛鳥の朝廷と王統譜』(吉川弘文館・歴史文化ライブラリー,2001),『大王と地方豪族』(山川出版社,日本史リブレット,2001),『日本古代の王権と王統』(吉川弘文館,2001),『物部氏の研究』(雄山閣,2009),『国造制の研究 史料編・論考編』(大川原竜一,鈴木正信と共編著,八木書店古書出版部,2013),『日本古代の歴史2,飛鳥と古代国家』(吉川弘文館,2013),『継体天皇』(吉川弘文館,人物叢書,2016),『古代国造制と地域社会の研究』(吉川弘文館,2019)など.