2021 10/27
著者に聞く

『現代民主主義』/山本圭インタビュー

2月刊行の『現代民主主義 指導者論から熟議、ポピュリズムまで』は、20世紀以降の文字通り「現代」の民主主義の潮流について、その見取り図を提示しながら今後を考えた一冊です。

ウェーバー、シュミット、シュンペーター、アーレント、マルクーゼ、デリダ、ハーバーマス、ムフ、ラクラウ......多くの学者や思想家のエッセンスを踏まえながら、試行錯誤の軌跡を照らした本書。その著者である山本さんに話をうかがった。

――まず、本書のご執筆理由をお教えください。山本先生は『不審者のデモクラシー ラクラウの政治思想』(岩波書店)や『アンタゴニズムス ポピュリズム〈以後〉の民主主義』(共和国)の著書などを著しており、ラディカル・デモクラシーの専門家として知られています。それらと比べますと、本書は書名通り現代の民主主義の大きな見取り図を示すもので、これまでの著書との違いなども感じますが。

山本:私はこれまでラディカル・デモクラシーや左派ポピュリズム論など、どちらかと言えば、制度よりは運動寄りの民主主義について研究してきました。ポピュリズムの台頭や抗議運動の活性化などを受けて、2010年代には、そうした民主主義論の図式がそれなりの説得力を持ったと思います。

しかし、左派ポピュリズム勢力の伸び悩みや凋落を横目に、そうした理論にどこか行き詰まりを感じ始めていたのも事実です。たとえば左派ポピュリズム論などは、一時的な盛り上がりを作るには有効ですが、そこからポジティブで持続的な政治ビジョンを実現していくには向いていないのではないかと。今回、現代民主主義の系譜に置き直してみて、少し距離を置いたところから眺めるよい機会になりました。

いわゆる入門書や通史を書くことは、とても勇気が要るものです。「このまとめで過不足ないか」「あの思想家にも言及しておくべきか」、そうした逡巡は執筆中いつも頭にありました。はじめは気楽に引き受けたつもりでしたが、予想以上に時間がかかってしまった。

実を言えば、本書の大詰めの作業を行なった時期に「民主主義本」の刊行が相次いだ(宇野重規著『民主主義とは何か』、空井護著『デモクラシーの整理法』、権左武志著『現代民主主義 思想と歴史』など)ため、内心ヒヤヒヤしながら仕上げの作業を進めていました。結果的に、どの本も関心やフォロー範囲がほどよくバラけましたが、何か同時代的な問題意識の共有があったのかもしれません。是非読み比べてもらえればと思います。

――民主主義と聞くと政治学の領域というイメージが強いですが、本書はウェーバーやシュンペーター、マルクーゼ、デリダなど、多様な分野の人物も取り上げられます。その理由をお教えください。

山本:民主主義論は政治学で最もポピュラーなトピックの一つです。政治思想のみならず、政治行動論や比較政治など、様々な角度から民主主義について活発に論じられています。それでも思想から見えてくる光景というものもあって、たとえば古代ギリシャの「陶片追放」やルソーの「一般意志」から現代の民主主義を考えなおすような視座は、やはり思想研究に独特なものではないでしょうか。

本書の特徴の一つは、政治学の民主主義論と哲学・思想分野での民主主義論を接続したところにあると思います。もともと互いに誤解しているところもあるように感じていたので、それではもったいないのではないかと。

政治学方面に向けてデリダやランシエールはこういった見方を示していることを伝える一方、哲学・思想方面に向けてはケルゼンやポリアーキーについて政治学ではこういう議論をしてきましたよ、と伝える感じです。共通の土台に載せてみると、両者はくじ引きやポピュリズムなど、多くの論点を共有していると分かります。

――第4章では新自由主義の潮流を踏まえつつ、熟議民主主義と闘技民主主義が論じられます。山本先生は闘技民主主義の論客シャンタル・ムフの翻訳なども手がけていますが、改めて熟議と闘技の議論を検討してみて感じられたことなどはありますか?

山本:先ほど述べたように、本書では、哲学・思想的な観点から民主主義を考える人を宛先の一つに考えていました。しかし、いわゆる「現代思想」と言われる分野では、熟議モデルはすこぶる評判が悪い。これはシャンタル・ムフのような人がかなり単純化した批判を繰り返してきたせいもありますが、とにかく熟議は「コンセンサスありき」といったイメージが強い。そこは修正する必要があるだろうと感じていました。熟議が着目されるようになった背景から比較的近年の議論まで、ある程度詳しく取り上げたのはそのためです。

熟議と闘技の論争をまとめながら、熟議モデルの手堅さのようなものにあらためて感心しました。本書でも取り上げたように、熟議モデルではミニ・パブリクスや討論型世論調査など、理論的な洞察を現実政治に落とし込む研究が進んでいます。

他方、アゴニズム(闘技)を考えてみますと、確かに対立や批判を重視して、危うい合意に警鐘を鳴らす闘技モデルの役割は大切でしょう。しかし、闘技民主主義の議論には、理論を制度や法と接続する意識が希薄であったことは否めません。これは最近だと、アゴニズム(闘技)の制度的な赤字(institutional deficit)と言われるものですね。熟議/闘技論争の第二ラウンドとして、現在取り組んでいる研究テーマの一つです。

――山本先生は、終章で民主主義が「目の眩むような多様性」を持っていることを指摘しています。いくつもの面を持つ民主主義ですが、いま現在、日本でそれを考えるに際し、見るべきポイントはどこだと思われますか。

山本:本書では、選挙中心主義的な民主主義観を問題にしました。2021年の衆院選、2022年の参院選と、いまは選挙が注目される時期ですね。確かに選挙は自由民主主義体制において欠かせないものです。それでも選挙だけにオールインしてしまうと、失望も大きくなってしまいます。結果、政治的無関心が広がったり、もっと効率のいい政治体制への誘惑が強まったりすることも十分に予測されます。

そうあっさり見切りをつけてしまう前に、民主主義には多様な側面があると考えた方が有益ですし楽しい。参加や話し合いもそうですが、最近では本書でも取り上げたくじ引きやケアにも注目が集まっています。そのほか、個人的には、民主主義のややダークな側面、たとえばカリスマ的な指導者を待望してしまう危うさや人々が抱く嫉妬感情に注目し、民主主義について考察を進めています。

民主主義には楽観ばかりではないですが、さしあたり私たちにはこれしかないわけですから、そういったいろんな実践やアイデアへとつなぎながら、それとの付き合い方を模索していけばよいのではないでしょうか。

山本圭(やまもと・けい)

1981年,京都府生まれ。立命館大学法学部准教授.名古屋大学大学院国際言語文化研究科単位取得退学,博士(学術).岡山大学大学院教育学研究科専任講師などを経て,現職.専攻は,現代政治理論,民主主義論.著書に『不審者のデモクラシー ラクラウの政治思想』(岩波書店,2016年),『アンタゴニズムス ポピュリズム〈以後〉の民主主義』(共和国,2020年),『現代民主主義 指導者論から熟議、ポピュリズムまで』(中公新書,2021年).共編著『ポスト代表制の政治学』(ナカニシヤ出版,2015年),『〈つながり〉の現代思想』(明石書店,2018年),『政治において正しいとはどういうことか』(勁草書房,2019年),『共生社会の再構築Ⅱ』(法律文化社,2019年)など.訳書に『現代革命の新たな考察』(エルネスト・ラクラウ著,法政大学出版局,2014年),『ラカニアン・レフト』(ヤニス・スタヴラカキス著,岩波書店,2017年,共訳),『左派ポピュリズムのために』(シャンタル・ムフ著,明石書店,2019年,共訳)がある.