2021 09/09
著者に聞く

『物語 東ドイツの歴史』/河合信晴インタビュー

2020年に、統一から30年を迎えた東西ドイツ。『物語 東ドイツの歴史』で、ソ連による占領からはじまる40年の内幕を描いた河合さんに、研究をはじめた理由やドイツでの思い出などうかがいました。

――そもそも、なぜ東ドイツを研究対象にしたのでしょうか。

国家社会主義体制が崩壊するなかで、公平や平等という問題を現実に即して考えたかったのです。最初は、漠然と東欧やソ連(コーカサスや中央アジア)の研究をしたいと思っていました。恩師から指導を引き受ける際の条件として、現地の言葉が分かることと現地に行くことを示されました。第二外国語でドイツ語を勉強していたのもあり、またベルリンの壁の崩壊が印象的だったこともあって、東ドイツを選びました。

――あとがきに、本書を読めば「東ドイツ市民が独裁体制を平和裡に打倒したという結末(中略)の期待は裏切られ」るとあり、その期待は河合さんが「研究の道に入った時に抱いていた」ともあります。以前の統一への見方と、本書を書き終えて気づいたことを教えてください。

研究を始めたときには、ベルリンの壁を潰した政治変革の主体は「市民」だった、政治は政治家でなくても変えられるというような、かなり理想的というか楽観的なことを考えていました。

「市民社会」が持つ優位性は今では信じがたいかもしませんが、1989年からおおよそ10年間は期待が強かったわけです。私自身は当時10代で、この「市民」が何者かについてもよくわかっていなかったのですが、国内で社会主義統一党(SED)を批判していた反対派と一般の人々が主役となり、体制を変革した、すごい出来事だと考えました。

しかし、本書を読めばわかるように、等身大のドイツの人びとを見てみると反対派にも弱点があります。たとえば、「ふつうの人びと」の意識をくみ取れず、西側の政治家と対峙した時には主導権を失い、統一には主導権をまったく発揮できなかったわけです。かといって「ふつうの人びと」が無垢の存在だったかと言えば、それもまた違います。SEDには文句を正直に言いますし、働いている場所の日用品をこっそり取っておいて知り合いに販売したり反対派に協力もします。最後には西ドイツ・マルクが欲しいがために、早急なドイツ統一に賛成したということも忘れるわけにはいきません。

しかし、このような人びとの行動を単純に批判、非難できるかというとそれもまた難しいともいえます。西ドイツ・コール政権が次期連邦議会選挙で勝利するためにかなり強引に統一を希求しましたし、そのために、東ドイツの人びとに無理な約束をしたという事実も見過ごせません。その意味で、東ドイツをどう見るのか、ドイツ統一をどう評価するかという点で統一後30年を経て現在、ドイツ本国でも「偉大」な成功だったと手放しで評価する見方は少なくなっています。私はドイツ統一が東ドイツの矛盾を解決したのではなく、その後も抱え込むことになったと見ています。

――関連して、従来的な「東ドイツ像」を、本書を通してどのように刷新したかということも聞かせてください。

本書では最新の研究成果や私自身の専門の知見を活かし、人びとはシュタージ(秘密警察)によって一方的に抑圧されていた、また、人びとが政治に対して自分の世界のなかに引きこもって「本音」と「たてまえ」を使い分けて行動をしていたというイメージについては覆せたと思います。むしろ体制が人びととの関係に苦慮していた様子が読み取れるのではないかと。社会主義統一党は当初、暴力的にふるまうことがありましたが、ベルリンの壁を作った後は人びとを逃げられないようにしてしまったため、人びとからの批判を無視できなくなったとみることもできます。

またこれは体制としての社会主義、共産主義体制に対するある種のレッテル貼りを避けるうえでも意義はあるかと。日本では国際政治や国内政治のある局面において、いまだに現実的な脅威としても受け取られることがありますから。

――東ドイツ市民が生き生きと描かれているのが印象的でした。本書では書ききれなかったエピソードなどはございますか。

今回はロストック留学時代に聞いた話をいろんな形でエピソードとして入れることができました。人びとの消費行動に関しては史料と証言のズレがないものを使いました。あえて紹介できなかったものがあるとすれば、今でも人気がある余暇活動の小菜園についてです。この話を丁寧に書くと日常生活における人間関係の重要性をより強調できたかもしれません。

1989年のベルリンの壁の崩壊時の考えを、あるとき何人かの方から聞きました。その想いは一様ではなく、これからどうなってしまうのだろうかと市電の停留所で涙が出てきたという人もいますし、職場から疲れて帰ってきて一晩明けたら壁が崩れていて驚いたという証言も得ています。これで西側の親戚のところに自由にいけるようになり嬉しかったという話も聞いています。このような話をいくつか紹介することもできたかもしれませんが、文字史料による確認ができないために本書では記述から外しました。ただ、このような多面的な評価を背景にして本書の執筆を進めました。そのために、断定的記述になっていないところが多いと言えます。

――刊行後、反響はいかがでしょうか。

ありがたいことに東ドイツがあった時代に当地にいたことがあるという読者の方からメールをいただきました。そこには詳しい体験談も添えられていました。体験に重なるものもあれば、そうでないという点も指摘していただき、全体としての現代史を書くむずかしさを実感しました。

いくつかのオンラインの研究会でこれまで話をさせていただく機会がありましたが、バランスが取れた作品であるという評価をいただいたのはうれしいかぎりです。この30年の最新研究で大きく変わった東ドイツの政治外交、西ドイツやソ連との関係の評価と並んで、「ふつうの人びと」の日常生活のあり方と政治と絡めながら記述できたのが、受け入れてもらえた理由なのではと思っております。

――執筆にまつわるエピソードがあれば。

2019年から20年にかけてはベルリンの壁崩壊、そしてドイツ統一30周年にあたります。本書が刊行される直前には東ドイツを扱った書籍が出ていますが、見方がどうしても従来通りのものでしたので、そのイメージが再度定着してしまうとは避けたいという思いがありました。そのために、どうしてもこの時期に出版をしたいと思い、執筆は短期集中でおこないました。

執筆の後半はちょうど新型コロナウイルス拡大の影響もあり、ほぼ自宅に籠って仕事をしたためになかなかメリハリがつけられなくて苦労しました。その結果、編集の吉田さんには校正の段階で残業を強いるなど多大なご迷惑をおかけしました。専門研究として東ドイツの余暇を扱ってきた身としては、「ライフ・ワークバランス」に配慮すべきであるといつも考えているのですが、それが実現できないという事態を引き起こしてしまいました。最後の最後までお手数をおかけしまして、申し訳ありません。

――はじめてドイツに行ったときの思い出などありますか。

統一後7年以上が経過した1998年の春が最初のドイツ行きだったと思います。ベルリンに3泊4日で訪問した記憶があります。まだベルリンが大改良の真っただ中で、今の首相官邸や連邦議会議事堂の近辺も整備がまったく進んでいませんでした。今の中央駅もまだないころで、これから工事が本格化するという状況でした。ポツダム広場もむき出しの工事の土管やプレハブの事務所が並んでおり、雨だったので非常にぬかるんでいたのを覚えています。

町の東側は今よりももっと東ドイツ時代の面影を残していました。ターミナルの駅も暗かったですし、Sバーンの駅はほとんど朽ちているところもありました。近年取り壊された東ドイツの人民議会が入っていた「人民宮殿」もそのまま残っていましたし、川を挟んだ向かいの公園にはマルクスとエンゲルスの銅像が残っていました。これは2019年最後に見たときは観光客が見る目立つ場所に移されていましたが。ベルリンの壁のオリジナルも初めて訪れたときはまだちらほら見ることもできたのですが、今はどちらかというと観光客用に修復されてきれいに公園として整備されているのが特徴的です。

――コラム(⑤トラバントと「オスト・プロダクト」の今)で、日本へ持ち帰るお土産に重宝する東ドイツ製品(「Viba」のチョコレート)をご紹介でした。これ以外に、河合さんのオススメや知っているとツウな「オスト・プロダクト」を教えてください。

復活した「オスト・プロダクト」で有名なものは、「Vitaコーラ」ですね。ドイツ人のコーラ好きは戦前からの話らしいのですが、東側ではアメリカから輸入やライセンス生産をするわけにいかないので、このコーラを開発して販売していました。私は当時を知っているわけではないので、味がどうなのかはわからないのですが、まずかったというのをよく聞きます。読者の方からもそのようなお便りをいただきました。留学時代、ある時から店頭やメンザ(学食)で売っているのを見かけるようになりました。

少し話が逸れますが亡くなった恩師と一緒にロストックのレストランで食事をしていた時のことです。サラダを注文したのですが、ハムが多くて葉物野菜が少ないのを見て、先生が「東ドイツ的だ」と言っていました。

――東西それぞれで、オススメのビールを教えてください。現地でしかお目にかかれないモノと、日本でも比較的流通している銘柄を教えてくださるとうれしいです!

北ドイツ、特に私のいたロストック周辺ではたいてい二種類のピルス・ビールがあります。「ロストッカー」と「リュプツァー」という銘柄です。お世辞にもおいしいとは言えないのですが、典型的な東ドイツ時代からのビールです。友人の1人はチェコのビールが一番いいというぐらいですので。東側のビールはうまく言葉にできないのですが、独特の癖があるので慣れないとおいしいくないかもしれないです。私はその味に慣れてしまいました。東側の町だと、このような地のビールのほかは西側の大手のビールが流通しています。

ビールでの思い出といえば、ロストッカーが新作のビール(レモンやオレンジを混ぜたりするのが留学中に流行っていた)の販促をするために大学の図書館の前で夏にタダで配っていたので、それをもらって飲んだことです。勉強しにいったのにアルコールを飲むことになるという本末転倒な状態でしたが、ドイツ人は基本アルコールに強いので問題にならないようです。

西側の大手のビールはドイツでも全国で飲めます。ピルスナーだと「ビットブルガー」「ベックス」、へレスなら「レーベンブロイ」、ヴァイツェンならば「エディンガー」「フランシスカーナー」など。また、生産場所はドイツとは限りませんが、この手のビールは日本でも輸入していますし、今ではドイツ料理レストランもありますからそこでも飲めます。他にもドゥンケルやシュバルツ、ボック、アルト、ケルシュといように下面発酵も上面発酵もいろんな種類のビールがありますね。これは西側のライン地方のビールやバイエルンのものが有名です。

――今後のご研究テーマについて教えてください。

基本的には今後も東ドイツの研究を継続するつもりです。1980年代について「ふつうの人びと」と反対派、社会主義統一党との関係について専門研究を深めること、また東ドイツ人のアイデンティティの40年間の変遷についても、東ドイツの体制崩壊や現代ドイツ社会を知るうえで重要になるので、研究を進めていきたいです。そして東ドイツに関するこれまでの研究を踏まえて、西ドイツの歴史研究ができればと思っています。また前著で扱った余暇についてさらに遡った時期や西ドイツ、さらには日本との比較を含めて考えることも重要なテーマです。日常のなかで政治が持つ意味を明らかにしたいというのが私の全体の研究目標ですので、それを忘れないようにしていきたいと思います。

――最後に、読者に一言お願いします。

本書の結論は決して私たちが一般的に考える基準から東ドイツを批判するものではないために、分かりにくいと思われかもしれません。このわかりにくさを楽しんでいただいて、皆さんが何度も読み直して考えをめぐらしていただける一冊になれば幸いです。

――ありがとうございました。

河合信晴(かわい・のぶはる)

1976年静岡県生まれ.99年成蹊大学法学部政治学科卒業.2011年ドイツ連邦共和国ロストック大学歴史学研究所博士課程現代史専攻修了(Dr.Phil〔現代史〕).現在,広島大学大学院人間社会科学研究科准教授.
著書『政治がつむぎだす日常―東ドイツの余暇と「ふつうの人びと」』(現代書館,2015年),『歴史としての社会主義―東ドイツの経験』(共編著,ナカニシヤ出版,2016年)ほか