2021 02/19
著者に聞く

『マックス・ウェーバー』/野口雅弘インタビュー

©️Werner Gephart

ドイツを代表する政治学者・社会学者のマックス・ウェーバー(1864-1920)。1920年6月14日に、スペインかぜが原因とみられる肺炎で、56年の生涯を閉じます。昨年は、没後100年の節目であったことから、岩波新書『マックス・ヴェーバー』(今野元・著)やちくま新書『ヴェーバー入門』(中野敏男・著)など関連書の刊行も相次ぎました

資本主義の発展や近代社会の特質を明らかにした彼の学問は、戦後日本の知識人にとって「近代」を捉え直すための多くの示唆を与えることになります。彼の人生、そして、没後日本に与えたインパクトまで『マックス・ウェーバー』で論じた野口さんにお話をうかがいました。

――ウェーバーをテーマに新書を打診されたときの、率直なお気持ちをお聞かせください。

野口:2020年にマックス・ウェーバー没後100年を迎えるということは、もちろん以前から意識していました。でも、いざご依頼をいただいたときは、正直なところとても困りました。最初は真剣にお断りしようかとも思いました。

日本では世界的にも例外的にウェーバーの本が熱心に読まれてきました。シュヴェントカー『マックス・ウェーバーの日本』(みすず書房、2013年)という本まであります。私より上の世代には、一般の読者でもウェーバーのテクストや研究状況に詳しい方がたくさんいます。ところが、私より下の世代になると、ウェーバーがしだいに読まれなくなります。羽入辰郎『マックス・ヴェーバーの犯罪』(ミネルヴァ書房、2002年)とそれをめぐる激しい論争をみて、ウェーバー研究には近づかないほうが賢明だと思う人が多くなったのかもしれません。さらに本質的なことに、グローバル化、新自由主義、多文化主義、あるいは気候変動などが時代の課題になってくるなかで、ウェーバーの議論が古びてみえるようになったという事情もあると思います。私自身は現代の問題に取り組むうえでも、ウェーバーから学ぶことは多いと考えていますが、それでも徐々に大学生の「ウェーバー離れ」が進んできたとはいえるでしょう。

このため2020年に「一般向け」の新書という形式で『マックス・ウェーバー』を書くのはとても難しいと思いました。どういう読者に向けて書いたらいいのかがわかりませんでした。そして実際、かなり苦しむことになりました。

――野口さんは、いつ頃からどんなきっかけでウェーバーに関心を抱き、研究対象にしたのでしょうか。

野口:私が大学生だったのは、ベルリンの壁が崩壊した頃です。巷では「自由主義が勝利した」というフクヤマの「歴史の終焉」テーゼが話題になっていました。そんなときに、早稲田大学で政治思想家の藤原保信先生の講義を聞きました。「勝利した」とされる自由主義を今だからこそ再検討しなければならないという話をしていました(そのあたりのことは彼の『自由主義の再検討』(岩波新書、1993年)に書かれています)。

藤原さんは自由主義を狭義の政治原理としてではなく、市場経済や精神的な態度(エートス)とも関連づけて包括的に論じていて、強い印象を受けました。それまでバラバラに理解していたものが「繋がった」感じがしました。しかしそれと同時に、コミュニタリアン(共同体主義)目線の彼のウェーバー解釈に違和感も持ちました。そういうわけでロシア革命からソ連崩壊までの「短い二〇世紀」(ホブズボーム)の少し前のウェーバーに遡って、自由主義の問題を考え直そうと思いました。社会学ではなく政治思想の領域でウェーバーを研究することにしたのはそうした理由からです。もちろん権威主義の台頭に直面している現在となっては、「自由主義の勝利」なんて言うことはできません。しかしだからこそ「自由主義の再検討」という課題は残ったと思います。

――刊行後、反響はいかがでしょうか。

野口:『読売新聞』で苅部直先生、『熊本日日新聞』で竹内洋先生、『朝日新聞』で宇野重規先生、その他たくさんの方に書評を書いていただきました。本当に幸せな本になりました。感謝しています。

今野元先生の岩波新書『マックス・ヴェーバー』と「読み比べ」されることが多かったのも、この本の「反響」の特徴だと思います。両新書の筆者は同時期にドイツに留学してウェーバーをテーマにした学位論文を書いた男性の政治学者です。そして本の発売日はともに5月20日、値段はどちらも860円(税抜き)。揃いました。事前に取り決めをしたわけではもちろんありません。私自身もかなり驚きました。しかしそれでいて、同じMax Weberについて書いているのかと思うくらいに、目の付け所やスタイルが異なっている。テーマが「かぶる」というだけでなく、「読み比べ」していただきやすい組み合わせになりました。僥倖というよりほかにありません。もちろん、タフな今野さんと並べられて、「今野本」「野口本」のような表記で批評されるのは、書き手としてはいくぶんしんどくはありますが(笑)。

――本書には、多くの思想家や文学者が登場します。このような方針で執筆したのはなぜですか。

野口:どのような「方針」で執筆するかについては、いくつかの選択肢があります。あくまでウェーバーのテクストに沈潜して、それを内在的に読みとくのも一つですし、ウェーバーの同時代の人との関連でウェーバーを解釈するのも一つです。

今、大学でウェーバーの本がしだいに読まれなくなっているなかで、カフカやアーレントやロールズなど、比較的若い読者がアクセスしやすい「ウェーバー以後の人」との関連を示すことで、多角的、かつアクチュアルにウェーバーを描くことができるのではないかと考えました。多くの思想家や文学者が登場するのはそのためです。

ただ、こうした「方針」に対しては、ご批判をいただくことも少なくありません。成蹊大学法学部の同僚の板橋拓己さんからは「とにかく「脱線」が多い(笑)」とツイッターで書かれました。その通りかもしれません。でも、ウェーバーはプロテスタンティズムの研究をし、『音楽社会学』を書き、新聞にたくさんの政治評論を発表し、選挙にも立候補したような人です。また新自由主義のハイエクから「戦後啓蒙」の丸山眞男、そしてフランクフルト学派に至るまで、かなり異質な人たちによってウェーバーの知的遺産は引き継がれていきます。そうした人物について書くのであれば、「本通り」だけでなく素敵な「脇道」を通リたくなるのも当然ですよね、というのが私の言い訳です。

――終章は、ウェーバー受容史がテーマです。どうしてこのようなテーマ設定にしたのでしょうか。

野口:「受容史」に注目するという時点で、一つの立場性を表明しているつもりです。「自分こそが正しいマックス・ウェーバー解釈を示す」という前提では、ものは書かないということです。とりわけ日本では、ウェーバーをめぐる激しい論争が行われてきました。どの解釈がどういう根拠で「正しい」のかを詰めていく作業は、もちろん学問的に大事です。しかし、いろいろな「読まれ方」をしてきたという事実をむしろ積極的にとらえて、それらを素材として、時代や社会を考察するというのも、一つの「文化の政治学」として「あり」ではないかという思いはあります。

もちろん大塚久雄やホルクハイマーの「誤読」を検討することも必要です。でも、彼らの「読み」の偏差の面白さの方に、関心を持ってしまうところが私にはあります。

――執筆にまつわるエピソードがあれば。

野口:2019年2月に依頼をいただいてから半年ほど、なかなか書き始めることができませんでした。その年の夏にミュンヘンに滞在したときに、1週間ほど集中して最初のドラフトを書きました。ミュンヘンには別の用事で行ったのですが、もちろんこの都市は「仕事としての学問」「仕事としての政治」の講演が行われた場所でもあります。それにしても、没後100年ということで、2020年6月14日(ウェーバーの命日)までに本を出すという「お約束」がなければ、あと15年くらいは書き始めなかったと思います。

――ウェーバーと野口さんの共通点は、「ビール好き」ということですが、野口さんのオススメのドイツビールを教えてください。

野口:アルト・ビールのUerige(https://www.uerige.de)とボンの地ビールBönnsch(https://www.boennsch.de)。どちらもウェーバーとは関係ありませんが。

――今後のご研究テーマについて教えてください。

野口:次のテーマは「価値自由」のつもりでいます。別の言い方をすれば「政治的中立性」をめぐる問題です。「あいちトリエンナーレ 2019」の企画展の作品が「政治的中立性」の原則に反するとして抗議を受け、知事のリコール運動などにも発展しました。「政治的中立性」はもちろん大事なのですが、この言葉は今日とても政治的に用いられています。ウェーバーは価値をめぐる対立がある状況で、学問の「客観性」について考えた人でもありました。彼の「価値自由」論とその受容史を再検討しながら、事実と価値の二分法をめぐる思想史的研究に取り組みたいと思っています。

――ありがとうございました。

野口雅弘(のぐち・まさひろ)

1969年東京都生まれ.早稲田大学大学院政治学研究科博士課程単位取得退学.哲学博士(ボン大学).早稲田大学政治経済学術院助教,岐阜大学教育学部准教授,立命館大学法学部教授などを経て,現在,成蹊大学法学部教授.専門は,政治学・政治思想史.
著書『闘争と文化――マックス・ウェーバーの文化社会学と政治理論』(みすず書房,2006),『官僚制批判の論理と心理』(中公新書,2011),『忖度と官僚制の政治学』(青土社,2018)ほか
訳書シュヴェントカー『マックス・ウェーバーの日本――受容史の研究1905-1995』(共訳,みすず書房,2013),ウェーバー『仕事としての学問/仕事としての政治』(講談社学術文庫,2018),ノイマン/マルクーゼ/キルヒハイマー『フランクフルト学派のナチ・ドイツ秘密レポート』ラウダーニ編(みすず書房,2019)ほか