2021 02/04
私の好きな中公新書3冊

企画が手詰まりなときの「俯瞰思考」/秋満吉彦

廣野由美子『批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義』
植木雅俊『仏教、本当の教え インド、中国、日本の理解と誤解』
熊野純彦編『現代哲学の名著 20世紀の20冊』

NHK Eテレの教養番組「100分de名著」のプロデューサーを担当してまる7年。未だに毎月迫りくる企画書提出書締切日にだけは慣れない。焦れば焦るほど思考は空回り。これぞとばかりに選んだ本を読み進めたあげく、どうやら当て外れだったとわかった時には、大げさではなく目の前が真っ暗になる。

そうしたドツボを中公新書がどれだけ救ってくれたことか。極小容量のわが脳味噌の中身に囚われ、がんじがらめになっているとき、ふっと富士から見下ろすような絶景をかいまみせてくれるのが、他でもないこの老舗新書レーベルなのである。

廣野由美子『批評理論入門』には痺れた。何に痺れたかって? 「『フランケンシュタイン』解剖講義」というサブタイトルに決まっている。文字通りツギハギだらけの名作「フランケンシュタイン」を現代批評理論というメスでばっさばっさと切りまくる。現れたのは見事なまでに今を映し出す臓腑の数々。これにはフグの肝を食らうより痺れた。おかげで、ずっと取り上げたかったこの作品を解説する視角が一気に開け、1時間で企画書を書きあげたのを今でもよく覚えている。

植木雅俊『仏教、本当の教え』もそんな救世主ともいうべき一冊。仏教史ほどカオスなものはない。そしてそれぞれの研究分野は、ほぼ蛸壺化。入門書と銘打たれている仏教書に限って、ある宗派や学派によるバイアスがひどくかかっていて、そのまま鵜呑みにすると大やけどをする。頭を抱えていた時にたまたま手に取ったこの本だが、著者はなんとインド、中国、日本...と広大な空間を横断する仏教史の大河を軽快にクロールでもするように泳ぎ切っているではないか。仏教を思想と捉えようとする在野のこの研究者には、サンスクリット語原典への深い知識もあってか、今までの本のような宗派臭が全くない。仏教書で企画書を書く時、儀式のようにまず手に取る本だ。

熊野純彦編『現代哲学の名著』は凡百のブックガイドとは訳が違う。各パートは若手から中堅までの研究者が担当しているのだが、プロデューサーたる熊野の精神が隅々まで行き届いている。まず選書がいい。この手の本は大抵、現代フランス思想やフランクフルト学派など左派系のドイツ思想に選書が偏りがちだが、英米の分析哲学系へもしっかり目配りしている。果ては日本の坂部恵(1936 - 2009)や廣松渉(1933 - 1994)の著作まで! 同時代に彼らの思考に刺激を受けてきた人間としては「よくぞ」と唸りたくなる。そして、全体の読みを決するともいえる熊野による序文。硬質で揺れのない彼の筆致からは、新しい哲学史を提出しようという並々ならぬ意気込みが伝わってくる。それを受けてか各パート執筆陣たちの文体にも緊張感のようなものが漲っているのだ。おそらく原稿を依頼してそれで終わり...ではなく、完成まで相当な議論が尽くされたのではないか。付け加えるならば、刊行の2009年時点で既に、古田徹也、荒谷大輔といった今をときめく才能たちが執筆者として選ばれていることにも驚愕する。名プロデューサー恐るべし! 私にとってプロデューサーの仕事の手本である。

木を見すぎて森が見えなくなっている私に、実は、企画の肝が「俯瞰思考」にあるという大切なことを教えてくれたのがこれらの本だ。ほら、だから企画が手詰まりな今夜も、こうして中公新書に手が伸びている。

秋満吉彦(あきみつ・よしひこ)

1965年生まれ。大分県中津市出身。熊本大学大学院文学研究科修了後、1990年にNHK入局。ディレクター時代に「BSマンガ夜話」「土曜スタジオパーク」「日曜美術館」「小さな旅」等を制作。その後、千葉発地域ドラマ「菜の花ラインに乗りかえて」「100分de日本人論」「100分de手塚治虫」「100分de石ノ森章太郎」「100分de平和論」(放送文化基金賞優秀賞)「100分deメディア論」(ギャラクシー賞優秀賞)等をプロデュースした。現在、NHKエデュケーショナルで教養番組「100分de名著」(毎週月曜22時25分/NHK Eテレで放送)のプロデューサーを担当。
著書に『仕事と人生に活かす「名著力」』(生産性出版)、『行く先はいつも名著が教えてくれる』(日本実業出版社)ほか