2020 11/30
著者に聞く

『古代メソポタミア全史』/小林登志子インタビュー

トルコ領内を流れるユーフラテス河

世界四大文明のひとつで、誰もが知っているのが「メソポタミア文明」です。しかし、現在の教科書では1頁くらいで駆け足で通り過ぎてしまい、どんな文明が生まれ、どんな王国が現れては消えていったか、どんな社会でどんな文化をもっていたか、くわしく習うことはありません。そんな「知っているけれども、よくは知らない」この文明を1冊で解説する『古代メソポタミア全史』を刊行した小林登志子さんにお話を伺いました。

――そもそも「メソポタミア」とはどこですか。また、「古代」と本書のタイトルにありますが、「古代メソポタミア」とはいつからいつまでですか。

小林:メソポタミアはほぼ現在のイラクにあたります。「古代メソポタミア史」は紀元前3500年の都市文明のはじまりから、前539年の新バビロニア王国の滅亡までを、学問的には扱います。

ただし、本書ではその後にアラブ人がやってくるまでを扱いました。メソポタミアを支配していたサーサーン朝ペルシアが紀元後651年に滅ぶまでです。日本史でおなじみの645年の「大化の改新(乙巳の変)」の少し後の時代までになります。これ以降はイスラーム教を信じるアラブ人が支配する時代に変わります。

――メソポタミア文明が、四大文明の他の文明とちがうところはどこですか。

小林:「四大文明」の中で一番古いのがメソポタミア文明で、普遍的な都市文明はここから誕生しました。

文字を考案したのは、メソポタミア文明の一番古い段階に登場するシュメル人です。シュメル人は粘土板に書く楔形文字だけでなく、粘土に転がす円筒印章(ハンコ)も考案しました。「四大文明」のほかでも、文字はありましたが、メソポタミア文明で使われた楔形文字は、東アジアの漢字以上に普遍性のある文字で、アナトリアやシリアなどでも使われました。楔形文字の採用は、当然メソポタミア文化の採用にもなります。

エジプト人に文字や円筒印章を伝えたのもシュメル人だと考えられています。エジプトは乾燥した土地ですから、メソポタミアのような、湿った粘土板に書く楔形文字や湿った粘土に転がす円筒印章は適さず、エジプトにあった形に改良しました。エジプト文明は一部メソポタミア文明に由来しますが、ミイラを作り続けるなど独自の文化を維持し、メソポタミア文明に比べれば、かなり特異な文明です。

ちなみに、最近「押印廃止」とやり玉にあげられている日本のハンコも、メソポタミアに由来します。

――「目には目を」のハンムラビ王は教科書で習いましたが、本書を読むと、それ以外にもたくさんの王がいて、「同害復讐法」ではない、「やられても、やりかえさない」法典も作られていたことがわかります。古代メソポタミアといってもいろいろなのですね。

小林:メソポタミアの歴史は長いので、『アッシリア王名表』には117人の王名が記されています。もちろんバビロニアにも多数の王がいました。

日本ではハンムラビ王ぐらいしか知られていないのは残念で、「顔見世」程度になってしまいましたが、本書では多数の王を紹介しました。これと思う有能な王は長めに入れました。

歴史学では社会の制度や仕組みの解明に力を入れます。これは大切なことです。ですが、やはり歴史は人間が登場しないとおもしろくありません。時代を象徴するような、躍動感あふれる王たちにご注目ください。さまざまな民族がメソポタミアにはいってきたので、たとえば「約束」は「口約束」ではなく、粘土板に文字で記録しました。法律はもちろん「成文法」です。

ハンムラビ王はシリア砂漠からはいってきたアムル人の末裔なので、遊牧社会の掟に由来するともいわれる「やられたら、やりかえせ」を採用しました。ですが、現時点で最古のシュメル人が制定した『ウルナンム法典』は灌漑農耕社会に生きる人たちの法ですから、穏やかに「やりかえさない」刑罰を採用しています。多様性のある社会です。

――ずばり、古代メソポタミアの魅力ってなんでしょうか。

小林:人間は勝手なもので、自分自身は平和な時代に生きていたいと願う一方で、歴史を見るときは平和な時代よりも、混乱期のほうがおもしろいと思うこともあるでしょう。混乱期からどのように平和な時代を建設していくかも興味のあるところです。だから、日本史だと、戦国時代や幕末明治維新に人気があるのでしょうね。

古代メソポタミアの先人たちも好きで戦争をしたのではなく、究極の自己主張の手段が戦争であり、生き残りをかけて必死で戦いました。こうした状況下では、異能の人が出現したりします。「アッシリアの狼」といわれ、数々の残酷な行為をした王が王宮建設時の借金を督促されたり、バビロニアを滅茶苦茶に破壊した王がアッシリアの都は整備したりと、創作よりも史実のほうがはるかにおもしろいといった印象があります。

――本書を読んで楔形文字が紀元後まで使われていたことに驚きましたが、いまの日本人が楔形文字を学ぶことはむずかしいですか。

小林:楔形文字は複数の言語で使われています。たとえば、シュメル語、アッカド語だと約600字の楔形文字を使います。日本人は小学校に入学すると、平仮名、片仮名各50字強を覚え、中学3年までには常用漢字2136字を習得することになっています。数からいえば、楔形文字は漢字よりははるかに少ないのです。

問題は文法です。日本語で書かれた、良い文法書はほぼないといえます。アッカド語はセム語に属しますから、ヘブライ語とか、アラビア語をかじってから学ぶと良いといわれています。日本語と同じ膠着語のシュメル語のほうが、日本人には飲み込みやすいかもしれません。

本格的に学ぶとなるとお金もかかり大変ですが、入門編といえるようなアッカド語やシュメル語の講座は博物館や大学の生涯学習の講座にありますから、インターネットで検索されると良いでしょう。

――本書執筆のご苦労がありましたら。

小林:執筆していて、難しかったのは第3章です。前2000年紀後半の一時期には、ミタンニ、アッシリアそしてバビロニアと3ヶ国が鼎立します。しかもエジプトやヒッタイトなどが絡んできます。3ヵ国の歴史をどうすればすっきりした形で読者に提示できるか、試行錯誤しました。普通はバビロニアを冒頭に持ってくると思いますが、最初に覇権を握ったミタンニからはじめるべきだと考えるに至り、ようやく筆が進みました。

メソポタミアの歴史の流れを読者に理解してもらおうというのが、本書の主旨ですから、残念ながら宗教などは削除しました。また、グデア王やシュルギ王については、書けることがまだあり、本音ではもっと紹介したかったです。

また、世の中の半分は女性なのに、歴史はともすると男性ばかり登場します。そこで、本書では、メソポタミアの歴史に登場する女性を名前だけでも読者に知ってほしいと考え、紹介しました。古代オリエント史即古代エジプト史ではなく、古代メソポタミア史のほうがおもしろいし、重要であると多くの読者にご理解いただけると嬉しいです。

小林登志子(こばやし・としこ)

1949年,千葉県生まれ.中央大学文学部史学科卒業,同大学大学院修士課程修了.古代オリエント博物館非常勤研究員,立正大学文学部講師,中近東文化センター評議員等を歴任.日本オリエント学会奨励賞受賞.専攻・シュメル学.
主著『シュメル―人類最古の文明』(中公新書,2005),『シュメル神話の世界』(共著,中公新書,2008),『文明の誕生』(中公新書,2015),『古代オリエントの神々』(中公新書,2019),『古代メソポタミアの神々』(共著,集英社,2000),『5000年前の日常―シュメル人たちの物語』(新潮選書,2007),『楔形文字がむすぶ古代オリエント都市の旅』(日本放送出版協会,2009)ほか.