2020 11/18
著者に聞く

【サントリー学芸賞受賞記念】『人類と病』/詫摩佳代インタビュー

感染症などの病と人類はいかに闘ってきたか――。協力と対立を繰り返しながら、時に病を克服し、時に大きな被害を受けてきた国際社会の苦闘の歴史を描いた『人類と病 国際政治から見る感染症と健康格差』が第42回サントリー学芸賞を受賞しました。受賞を記念して、著者の詫摩佳代さんに本書へこめた思いと、新型コロナウイルスに揺れ続ける現在の国際社会をどう見ているか、聞きました。

――サントリー学芸賞の受賞おめでとうございます。本書はすでに版を重ねて話題となり、詫摩さんのメディアへの出演も増えていますね。本書への反響をどのように感じていますか。

詫摩:ありがとうございます。根気強いサポートと的確なアドバイスで支えて下さった田中正敏編集長はじめ、多くの皆様のご指導・ご鞭撻のお陰です。今までお世話になった全ての方に御礼申し上げます。

本書は国際保健協力を歴史的な視点で振り返り、また、その背後にあるパワーゲームを様々な切り口で明らかにしたものです。新型コロナそのものをメインに扱っているわけではありませんが、多くの方に読んで頂いていることは、新型コロナとの闘いにおいて、歴史から学べることが少なくないからだと感じます。

本書で紹介した、冷戦下の米ソが天然痘の根絶やポリオワクチンの開発に関し、協力したというストーリーは、新型コロナへの対応が米中対立に阻まれている現状に対し、示唆に富むものです。またアメリカがどのような思いで世界保健機関(WHO)設立に携わったのかも、今、振り返る価値があるストーリーだと思います。

もちろん過去の経験をそのまま現在に適用することは容易ではないですし、適切でもないのですが、過去の経験を紐解き、その背景を掘り下げて考えることで、見えてくることがあると感じるのは私だけではないのだと感じています。

――人類と病との闘いの歴史と現在について描いた本書は、期せずして新型コロナウイルスの感染拡大の渦中に出版されることになりました。本書の執筆を進めながら、今回のパンデミックをどのように見ていましたか。

詫摩:ちょうど原稿を書き上げた頃に新型コロナの感染拡大が始まりました。瞬く間に世界に広がり、経済や社会を混乱に導きました。目に見えない未知のウイルスに人類社会が右往左往する姿は、デフォーの『ペスト』やカミュの『ペスト』、ボッカッチョの『デカメロン』で読んだことと重ね合わせずにはいられませんでした。

何世紀を経ても、人類と病の闘いには変わらないものがあるのだと感じる一方、新型コロナを巡っては、グローバル化時代ならではの、感染症の脅威を感じました。これだけ短期間に世界全体に感染が広がり、その影響が人間の健康のみならず、経済や社会にも広範囲に及んでいる現状からは、感染症がもはや公衆衛生という閉じられた領域における課題ではなく、グローバルな危機なのだということを改めて感じます。

だからこそ政治的な対応が求められていると思います。感染症の管理は非政治的であるべきだ、政治が関わるべきではないという意見があります。しかし、国際社会で何かを実行に移すには、合意の形成が必要です。感染終息に必要なステップ――ワクチンの公平な分配や国際保健規則の見直しなど――にも、国際社会の構成員の合意形成が必要ですし、そこには必然的に政治が介在します。

強いリーダーシップや国際連帯によって、終息に向けたステップを積み上げていければ望ましいですが、現状では、国家間対立や自国優先の動きが、収束に必要な連携や合意形成を阻んでいます。今後、収束までにどれだけ時間がかかるのかは、ワクチンや治療薬の開発状況に加え、こうした政治の行方にもかかっていると思います。

――コロナ禍が続く今、病に対して人類が時に対立しながらも、協力を進めてきた歴史から何を学ぶべきでしょうか。

詫摩:本書では、協力と対立が人類と病の歴史を彩ってきたことを描き出したつもりです。新型コロナへの対応にも、協力と対立が混在しています。米中対立や先進国のワクチン独占が報じられる一方で、国際保健規則の見直しやWHO改革に向けた動きが各国の協力により進められています。

また史上初のワクチンの公平アクセスを目指す枠組み(COVAXファシリティ)が成立しました。今後、協力と対立の双方をのせた天秤がどちらに傾くかは、国際社会のパワーバランスの行方にかかっていると思います。

人類と病の闘いの歴史が示すのは、感染症のコントロールには対立ではなく、協力が必要だということです。冷戦期の米ソは政治的対立を継続しつつも、感染症への対応に関しては、互いに協力することを選びました。それぞれの国益を冷静に見つめる視野を有していたからでしょう。目先の対立や利害関係ではなく、長期的な視野で国益や国際公益を見据える視野が今、求められていると思います。

――アメリカ大統領選でトランプ氏が敗れ、バイデン大統領が誕生します。このことは、グローバルヘルス(国際保健)にどのような影響があるでしょうか。

詫摩:アメリカが保健協力に背を向けたこの4年間は、グローバルヘルスにとって厳しい時間でした。トランプ政権が実施したメキシコシティ政策(人口妊娠中絶に関する活動への対外援助の禁止)により、女性の健康に関する分野は大きな打撃を受けました。アメリカのWHO脱退により、世界的なポリオ根絶の動きやエイズへの取り組みが打撃を受けることも懸念されていました。その意味で、アメリカが一協力者としてグローバルヘルスに戻ってくることは、明るいニュースです。

他方、「アメリカの復帰=グローバルヘルスにおけるアメリカのリーダーシップの回復」には簡単には結びつかないでしょう。アメリカ不在の間に、ドイツをはじめとするミドルパワーの国々が、財政的にもリーダーシップの面でも、確実に存在感を高めてきました。

また今後アメリカは、国内の感染終息や経済回復にそのエネルギーを費やすものと思われ、グローバルヘルスに注げるエネルギーは限られてきます。2024年の選挙で再びポピュリストの大統領が誕生する可能性も排除できず、そのような不確実性が付きまとうアメリカへの期待は、それほど大きくありません。

そうした中で、いかに安定的なグローバルヘルスの枠組みを構築できるかが目下の課題と思われます。アメリカやビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団のような少数のアクターに支えられた現在の枠組みはとても不安定です。政治的な変化に耐えうる、持続可能な保健協力枠組みを整備することが今後4年間の課題の一つになると思います。

――最後に、今後研究を進めたいテーマについて教えてください。

詫摩:新書では新型コロナと国際政治の関わりについて、時期の制約もあり論じきれませんでした。ですので、その後に書いたものを中心に、新型コロナと国際政治の関わりについて、近々まとまったものを出したいと思っています。

このほか、アジアにおける保健協力の可能性について、研究を進めて行かねばと感じています。グローバルなレベルでの保健協力の見直しに加え、アフターコロナにおいては間違いなく地域レベルでの協力の重要性が高まります。EUでは従来、保健分野の統合にはそれほど熱心ではありませんでしたが、新型コロナの経験を踏まえ、域内保健協力の発展に向けて動き出しました。アジアでも、日本政府によるASEAN感染症センター設立支援など、近隣諸国との連携に向けた動きがあります。他方、アジア全体で見たとき、日韓関係など外交関係が障害となり、実質的な協力枠組みについては殆ど進展がありません。

感染症は一国では対処に限界があります。とりわけ近隣諸国とは平時から情報の共有を行い、緊急時の渡航制限の基準や物資の供給網などを整えておく必要があります。戦前のアジアには、日本の提案によってシンガポール感染症情報局というものが設立され、感染症情報の拠点として機能していました。このような経験も参考としつつ、また、現在のアジアにおける国際関係の現状も踏まえた上で、実現可能な保健協力のあり方を探り出したいと思っています。

詫摩佳代(たくま・かよ)

1981年、広島県生まれ。2010年、東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻(博士課程)単位取得退学。博士(学術)。日本学術振興会特別研究員(DC2)、東京大学東洋文化研究所助教、関西外国語大学外国語学部専任講師などを経て、2018年より首都大学東京法学部准教授。大学名称変更により、2020年4月より東京都立大学法学部教授。専門は国際政治学、国際機構論。著書に『国際政治のなかの国際保健事業 ―― 国際連盟保健機関から世界保健機関、ユニセフへ』(安田佳代、ミネルヴァ書房、2014年)、『新しい地政学』(共著、東洋経済新報社、2020年)、『グローバル保健ガバナンス』(共著、東信堂、2020年)など。