2020 09/25
私の好きな中公新書3冊

新書よりも中公新書を読め/荒木優太

潮木守一『キャンパスの生態誌 大学とは何だろう』
廣野由美子『批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義』
瀧澤弘和『現代経済学 ゲーム理論・行動経済学・制度論』

最近、某新書から本を出した。そのことをある学者に伝えたら、「中公新書で出せばよかったのに」と言われた。カッ、失礼なやつめ! とはいえ、そこでいわんとしていることも分からんでもない。専門知の盤石さとジャーナリスティックな門のたたきやすさを絶妙に両立させてきたそのブランド力は、いまや単なる新書レーベルにとどまらず、《中公新書》という固有のメディア形式を、学者界を中心に築きつつある。《中公》っぽい知というのが確かにある。この大量生産大量消費の時代によくぞここまで。あっぱれなことだ。とりわけ私が愛するのは次の三冊だ。

第一は、一九世紀から今日に至るまでの各国の大学の特色をタイムマシン風に駆け巡っていく『キャンパスの生態誌』。読書の副次的な、しかしそれなりに大きな愉しみの一つは、たとえば、かつてのアメリカの大学では暗記ばっかやってたんだぜ、や、最初期の京大の卒業者名簿は成績順じゃなくて「いろは順」だったんだよ、など、雑学という知の断片化でインテリごっこができる点にある。堅牢な体系ならば物怖じしてしまうような知識の数々を、砕いて粉々にすることで、かなりフランクに扱える。

ただし、優れた書物は断片の親しみやすさで読者を引きつけておきながらも伏在ふくざいする再統合の契機によって散漫に終わらない読後感を残す。歴代の大学巡りの果てに本書が最終的に提示する「自動車学校型」「知的コミューン」「予言共同体」の三類型は、大学論にとどまらず知的コミュニティを考えるための基本的な道具立てとなるだろう。

つづいては、『フランケンシュタイン』の一作を様々な批評理論で読み解いてみせる『批評理論入門』。断っておけば文学テクストを読むとき「理論」を用いるのを私は好まない。理論がもっている硬直性が金太郎飴よろしく同じ教訓しか与えない――たとえば《ブルジョワ・イデオロギーへの反省がない》や《家父長制が女性をないがしろにしている》など――のならば、多様な文学テクスト群をわざわざ読む必要がないからだ。

しかし、本書は種々の理論的アプローチをただ一つのテクストに仕掛けることで、メタ理論的な姿勢への準備運動を促している。よく切れるからといって日本刀で大木を切ってはならない。理論の硬さは選択可能性にさらされることで、つまりは理論批判=境界設定とセットになって初めてその研磨を得る。これは文学に限った話ではない。直近の類書として小林真大『文学のトリセツ』(五月書房新社、2020)も挙げておこう。

ところで、経済学が苦手だ。派閥によってものは言いよう、という印象をぬぐえないから。にも拘わらず、『現代経済学』は興奮して読んだ。他者の意思決定が自己の意思決定に相関する(ゲーム理論)、人間が合理的な選択ばかりすると思ったら大間違い(行動経済学)...どんな人間観を採るかによって学問のかたちが大きく変わる。理論と実験に関する考察にも慧眼けいがんあり。

荒木優太(あらき・ゆうた)

1987年、東京生まれ。在野研究者(専門は有島武郎)。明治大学大学院文学研究科日本文学専攻博士前期課程修了。2015年、第59回群像新人評論優秀賞を受賞。著書に『これからのエリック・ホッファーのために――在野研究者の生と心得』(東京書籍)、『貧しい出版者』(フィルムアート社)、『仮説的偶然文学論』(月曜社)、『無責任の新体系』(晶文社)、『在野研究ビギナーズ』(共著、明石書店)、『有島武郎――地人論の最果てへ』(岩波新書)など。