- 2020 08/17
- 私の好きな中公新書3冊
徳川宗賢『日本の方言地図』
祖父江孝男『県民性 文化人類学的考察』
野口悠紀雄『「超」文章法 伝えたいことをどう書くか』
鉄道旅行、とりわけ「普通列車に乗ること」を目的とする旅は、車内で地元の方々のなかに身を紛れこませることとなる。すると自分が喉に刺さった小骨になったような気がしてくる。つまり車内の異物と化している自覚があり、それゆえ己の輪郭が際立ち、どうしようもないほどに孤独を感じる。
こうして私は寂しさを抱く傍ら、朝であれば高校生、昼であればお年寄りたち地元利用者のたわいないやり取りに耳を傾ける。土地の言葉やイントネーションが聞きなれないものであればあるほど、遠くに来た喜びに浸ることができる。
『日本の方言地図』によれば土地の言葉、すなわち方言は中央(かつての京都)などから波のように広がり、定着していくのが典型の一つだったそうだ。実際、列車に乗り続けていると時系列に沿いながら言葉が変化していくのを感じる。
一方で『県民性』によれば、それら方言の使い手に感じられるどことなく似た地域性は、風土や社会構造などが影響しているそうだ。
もっとも『日本の方言地図』で示される方言分布は1903年以前に生まれた人たちが調査対象なので2020年現在の分布とは異なる。加えて、今や新しい言葉は一斉に伝播するので、どの地域の高校生にとってもタピオカは「タピオカ」だ。
でも、そっと盗み聞きすれば、タピオカに対する語り口が一様でないとわかる。山越えした先で乗り込んでくる高校生たちは、峠の前に下車した高校生たちと育った背景も異なれば、自ずと気質も異なる。
雑な旅人は、気を付けないと彼らを単に「地方の素朴な高校生」とざっくり描きがちだが、彩りを伴って変化していく車窓以上に地域性が強いのではないだろうか。
冒頭に記した孤独、そして土地ごとの歴史の上に生きる人々を感じることは、旅に出かけた人だけが得られる特権だと思う。
なお本稿は、メッセージ性が重要、三部構成が好ましい、比喩で筋力増強せよなど、文章のコツを教示してくれた『「超」文章法』を参考にしながら書き上げてみた。説明はすべて腹落ちしたはずなのに、実践してみると意外に難しい。