2019 03/06
私の好きな中公新書3冊

現代のメディア状況を歴史から照らす3冊/飯田豊

古川隆久『皇紀・万博・オリンピック 皇室ブランドと経済発展』
加藤幹郎『映画館と観客の文化史』
松田美佐『うわさとは何か ネットで変容する「最も古いメディア」』

中公新書といえば近年、日本史ものが好調であることは周知のとおり。もっとも、メディア論と文化社会学を専攻している僕にとって、そのラインナップの魅力といえば、歴史的な視座にもとづいて執筆されているにも関わらず、まるでわれわれの足下を背後から照らすかのごとく、現代のメディアや文化の状況に光を当ててくれる著作が豊富な点にある。

たとえば、東京オリンピックの開催が近づく現在、1964(昭和39)年を回顧する機運の高まりに加えて、1940(昭和15)年に開催されるはずだった「幻の」東京五輪と東京万国博覧会の再検証もさかんにおこなわれている。2025年に再び大阪で万博が開かれることが決まって、この機運は来年以降もしばらく続きそうだ。

そこで先行研究として絶対に外せないのが、古川隆久『皇紀・万博・オリンピック』(1998年)である。1940年は皇紀2600年にあたっていて、奉祝事業の目玉として東京に招致されたのが五輪と万博であった。日中戦争の長期化にともなってこれが霧消したのち、日本政府はこの節目を精神動員の目的でのみ利用しようとするが、結果的には五輪と万博の余韻が色濃く残り、経済発展指向の行事が数多く開催されたのだった。消費主義とナショナリズムとの分かちがたい関係を克明に描いた名著である。

加藤幹郎『映画館と観客の文化史』(2006年)は、映画の作品論でも監督論でもなく、映画館という空間と、映画を観る観客の身体との関係に目を向ける。ジュークボックス映画、歌や踊りが実演される劇場での上映、ドライブ・イン・シアター、シネマ・コンプレックス、テーマパークの映画館など、映画の黎明期から100年以上にわたる上映形態の多様性が跡づけられている。

われわれは現在、数え切れないほどのデジタル・スクリーンに取り囲まれた生活を送り、映像体験が多様化しているなかで、映画と非映画の境界はきわめて曖昧になっている。映像が受容される空間と身体との関係を問い直すうえで、日本初の映画館(観客)論を標榜する本書は、きわめて重要な参照点になる。

松田美佐『うわさとは何か』(2014年)は、うわさ研究の古典を批判的に検討したうえで、1980〜90年代の都市伝説から2010年代のネットにおけるうわさの拡散まで、幅広く論じている。本書によれば、うわさが広まることで事実が生み出されることもあれば、事実ではないと分かりきっているうわさが人びとを魅了し、気持ちを共有させる働きもある。

本書刊行からしばらくして、「ポスト真実」や「フェイクニュース」といった言葉が流行することになり、その新しさばかりが強調される傾向にある。しかし、ある現象の新しさを正しく認識するためにも、歴史的な補助線を引いておくことは不可欠であり、本書を読むことで格段に見通しがよくなるだろう。

飯田豊(いいだ・ゆたか)

1979年広島県生まれ。立命館大学産業社会学部准教授。専攻はメディア論・メディア技術史・文化社会学。著書に『テレビが見世物だったころ』(青弓社)。共著に『メディア論』(放送大学教育振興会)、編著に『メディア技術史』(北樹出版)、共編著に『現代メディア・イベント論』(勁草書房)、『現代文化への社会学』(北樹出版)などがある。