2018 07/23
著者に聞く

『物語 アラビアの歴史』/蔀勇造インタビュー

イエメンの首都サヌアーにある金曜モスク。キリスト教の教会の一部が転用されている(世界遺産。著者撮影)

紀元前一千年紀の古代文明から、サウジアラビアやアラブ首長国連邦、イエメンなどアラビア半島の諸国家の現状までを解説する『物語 アラビアの歴史 知られざる3000年の興亡』を刊行した蔀勇造さんにお話を伺いました。

――本書は、古代から現代までアラビアの歴史を通観するという、スケールの大きなものですが、本書の特長をお教えください。

蔀:そもそもアラビアの通史というのが、国の内外を問わず非常に珍しいのではないかと思います。皆さんがよく目にされるのは「アラブの歴史」と銘打った書で、先イスラーム時代のアラビアについてのおざなりの記述に続いて、イスラームの勃興とアラブ・イスラーム軍の征服活動の経過が詳しく語られ、そこから先は、イラクからシリア、エジプトを経てマグリブやアンダルシアに至るまでの地に成立したアラブ系諸王朝の歴史が、時代を追って解説されるというのが一般的なパターンです。

アラビアについては聖地への巡礼がらみの記事とインド洋交易におけるアラブ商人の活躍などへの言及があった後、いきなり二十世紀に飛んでアラブの反乱、そしてオイルマネーによって豊かになった半島諸国の現状が語られるくらいではないでしょうか。

それに対して本書は、「アラブ」ではなく「アラビア」に焦点を絞った歴史書という点に最大の特徴があります。類書がないという状況に鑑みて、事実をできるだけ正確に伝えることに主眼を置いたため、「物語」を期待した読者を裏切る「概説」になってしまったのは、申し訳ないと思っています。

「おわりに」にも記しましたように、時間的にイスラーム時代より長いにもかかわらず、我が国においては一般的にほとんど知られていない先イスラーム期について、より詳しく記述しました。

イスラーム時代になってからのアラビアについては、イエメンやオマーンなどの地域別、また近現代のアラビアなど特定の時代の専門家は日本にもいて、それぞれの研究を発表していますが、半島全体の歴史を通観した書は、少なくとも近年は見当たりません。そこで不完全ながらもそれを行い、読者にアラビアの長い歴史のアウトラインを示そうとしたのが本書です。

――本書ご執筆にあたっての御苦労をお教えください。

蔀:中公新書の一冊として本書の執筆をお約束したのは、もうかなり前のことです。しかしその頃は、これまた随分前(実に数十年前)から別の出版社に約束してあった『エリュトラー海案内記』の訳註書(*) を、なんとか仕上げなければと苦労している最中でしたので、こちらの仕事をなかなか進めることができず、ご迷惑をおかけしてしまいました。
  (*2016年に平凡社東洋文庫として刊行)

また同じ事情で、インド洋交易や海事史関連の研究にかまけて、本業のアラビア古代史方面の勉強がしばらく疎かになっていたため、いざ先イスラーム期の記述を始めようとしても、まず欧米研究者の近年の論著を取り寄せて読むことから始めねばなりませんでしたので、執筆が軌道に乗るまで結構時間がかかりました。

イスラーム期の歴史は全くの専門外ですので、「おわりに」にも記しましたように、腹を括って全面的に先行研究に依拠することとし、各地域・各時代の専門家の研究をなんとか繋ぎ合わせて近現代まで持ってきました。ただ、先イスラーム期の時代区分は自分なりに納得できるのですが、イスラーム期についてはなかなか明確なイメージがつかめないまま、きわめて図式的なものしか提示できなかったのは、私の限界です。

――そもそも蔀先生が古代アラビア史研究を志されたのはなぜでしょうか。

蔀:これは必ず受ける質問です。結論から先に申し上げますと、半ば偶然です。

私は大学で何を研究テーマとするか散々迷った挙げ句、イスラーム勃興前、6世紀のアラビアの歴史を調べてみようと思い始めていました。あの時期にあの地域で何故あのような宗教が生まれたのか、しかもそれが単なる宗教運動に止まらず、政治・軍事活動として短期間にめざましい成功を収めることができたのは、どのような要因によるのかという点に興味を覚えたからです。

一方でその頃私は、大林太良先生の考古学の演習に顔を出していました。民族学がご専門の大林先生が、どういう事情で考古学科の演習を担当されていたのか、考えてみれば妙な話なのですが。

そこで最初の時間に先生が、出席者各自に何を研究したいのか質問されました。私が、イスラーム勃興のちょっと前の時代のアラビアの歴史に関心があると答えたところ、早速翌週の演習で先生は、ご自身がフランクフルトやウィーンの大学に留学されていた頃に撮りまくられた雑誌論文のコピーの中から、古代南アラビアに関するドイツ語論文2点を選んで貸与され、これを読んでみなさいとおっしゃいました。

私が「ちょっと前」と言ったのは「数十年前」という意味だったのですが、論文が対象としているのは「数百年前」でしたので、歴史を研究する者と考古学や民族学の研究者とでは、時間の物差しが随分違うのだなあと妙に感心した記憶があります。

ともあれ私の関心とは異なる時代で、しかも南アラビアに興味があったわけでもないので、正直なところ困惑してしまいましたが、折角紹介していただいた論文ですし、あとで読後感を聞かれて読んでいませんとも答えられませんので、苦手なドイツ語と格闘しつつ、とにかくどちらも最後まで読み通しました。そこで突如、私の前に全く新しい世界が開けたのです。

今から二千年以上も前、現在のイエメンの地にそのように高度な文明があったことなど、それまで全く知りませんでした。また欧米では百年以上の研究史があり、学会誌に少なからぬ論文が掲載されていることも、そのとき初めて知りました。それで論文の注に挙げられている論著を芋づる式に探し出して読むというところから、私の勉強は始まりました。

古代南アラビア語の文法書もなんとか入手し、独学で言葉の勉強も始めたのですが、その頃はまだ古代南アラビア語の辞書がありませんでしたので、碑文史料を一つ読むのもたいへんな苦労でした。最初のサバァ語の辞書が刊行されたのは、ようやく1982年のことです。生意気に日本では誰もやっていないことをやろうと始めたものの、独学では当然限界があるわけでして、その後の私の苦労についてはお察し下さい。

結局は、一からやりなおそうと三十過ぎてからベルギーのルーヴァン大学に留学し、6年半ほどリックマンス教授の下で勉強しました。大林先生から、留学するなら学生のダンスの仲間に気軽に入れるほど若いうちに、とアドヴァイスされていたにもかかわらず、なかなか踏ん切りがつかなかったことを後悔しています。随分遠回りしてしまいました。

――研究の過程で、あるいは現地調査で印象に残っていることがありましたらお教えください。

蔀:地理的にも歴史的にも、アラビアを含めて中近東は英・仏・独、それに第二次大戦後は米・露も加わり、欧米の勢力圏なのだということを、痛切に感じます。

現地に設置した研究所が、学者の調査・研究の拠点であるだけでなく、自国文化の海外普及と現地学生の教育のセンターでもあるのです。その究極の目的は、その国への自国の影響力の強化にありますので、フランスなどの場合、文化政策とは言いながら、予算は文部省ではなく外務省の管轄下にあると聞いています。それで日本とは比較にならない金額が投下されているわけですから、鉄砲相手に竹槍で勝負しているような気にもなります。

それと、かつて植民地や保護領であった国は、独立後も旧宗主国の影響力が強いですね。愛憎相半ばすると言ったところでしょうか。

シバームの高層住居(著者撮影)

本書に掲載したシバームの写真のキャプションに、日干煉瓦を積み上げた高層の住居を密着させて、町の周壁(=防壁)としていると記しましたが、北部の山地帯に行くと、山から切り出した石材で同じような周壁を兼ねた高層の住居が造られているのを目にすることができます。

やはり町の外に面した下層部には窓も出入り口も設けられておらず、町へ出入りできる門は一つしかなく、二重の頑丈な扉によって守られています。

またわざわざ高い崖の縁に集落が設けられているのも、イエメンの高地帯でよく目にする光景です。これを見ると、如何にこの国の人々が厳しい部族間対立の歴史を生き抜いてきたのかが肌で感じられ、このような土壌の土地では、国民国家的な統一国家を永続させるのがそもそも無理なのではないか、という気にもなります。

――最後にアラビアや中近東の歴史に関心のある人々、とくに若い読者に対して、一言ありましたらお願いいたします。

蔀:他の地域、他の分野についても言えることですが、特にイスラーム期のアラビアや中近東を専攻する人たちには、対象に対する思い入れが強すぎて、事実をありのままに見るのではなく、こうあって欲しい、こうであるはずだというイメージを先行させる傾向が強いのではないでしょうか。

これからこの地域について学ぼうとする人には、先入観を捨て虚心坦懐に対象と向き合って欲しいです。また通説や権威者の言葉を決して鵜呑みせず、常に眉に唾して事に臨む心掛けが重要です。「あれ、ほんとかな?」という素朴な疑問を大事にして下さい。

蔀勇造(しとみ・ゆうぞう)

1946年,埼玉県生まれ.1972年東京大学文学部卒業,1977年同大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学.東京工業大学工学部助教授,東京大学大学院人文社会系研究科教授等を歴任.東京大学名誉教授.専攻・アラビア古代史,東西海上交流史.
著書『歴史意識の芽生えと歴史記述の始まり』〈世界史リブレット57〉(山川出版社,2004),『シェバの女王』〈ヒストリア022〉(山川出版社,2006),『エリュトラー海案内記 1・2』(訳註,平凡社東洋文庫,2016)ほか