2018 07/20
著者に聞く

『仏像と日本人』/碧海寿広インタビュー

近代仏教研究者の碧海寿広さんが、『仏像と日本人』を上梓した。宗教学はもとより、歴史、美術、ツーリズムなど多くの領域を踏まえ、副題にある「宗教と美の近現代」を描こうとした一冊だ。馴染み深い仏像から見えてくる、日本の近現代の一面。その狙いなどについて話をうかがった。

――本書を執筆された理由をお教えください。

碧海:私の専門は明治以降から現代までを扱う近代仏教です。ただ、「近代仏教を研究しています」と話すと、ときどき「近代の仏教なんてあるの?」といったリアクションをされることがあります。仏教は、インドのお釈迦様や、昔の偉いお坊さんが説いた教えというのが一般的な理解で、「近代」のイメージとは、なかなか結びつかないのだと思います。

しかし実際には、仏教は近代化のなかで大きく変化してますし、また近代以降にまったく新しい仏教の思想や文化が生み出されてもいます。そして、今回の本で扱った仏像鑑賞という文化も、はっきり言って近代に出現した新しい仏教文化の一種です。鑑賞の対象となる仏像は、仏教への信仰から生まれたモノにほかなりません。ただ、これが通常は「仏教」として認識されていないところがポイントで、この辺に近代の仏教について語ることの、難しさと、面白さがあると感じています。

ということで、その近代仏教の面白さを、多くの方々に伝えたいと思い、今回の本の執筆に至りました。仏像鑑賞は、現代のわりとポピュラーなカルチャーの一つかと思いますが、その歴史を振り返ってみると、背景には近代以降の日本人のさまざまな活動があって、これ自体がとても興味深いです。しかも、そこでは当然のごとく、仏教への信仰が重要な役割を果たしている。その文化的・宗教的なダイナミズムをとらえてみたいという、研究者としての意欲も、執筆の動機付けとして大きかったですね。

――本書では、錚々たる人々が仏像と関わったり論じたりする様子が描かれています。フェノロサ、岡倉天心、和辻哲郎、保田與重郎、高村光太郎、土門拳、白洲正子、いとうせいこう、みうらじゅんなど……。日本近現代と仏像の関わりを振り返ってみて、どのような感慨をお持ちですか?

碧海:明治から大正、昭和そして平成の現在と、時代ごとに日本人と仏像の関係が実に劇的に変化していることがわかり、改めて驚かされました。さらに同じ昭和時代でも、戦時下はまた非常に大きく変わる。社会状況が人々の精神状況に直接的な影響を与え、そして、それが仏像への関わり方にも反映されるという事実が、明確に見えてきました。

ただ、本でおもに取り上げた、いわゆる“知識人”の仏像への向き合い方には、一定の共通性も見て取れます。伝統的な信仰心を大事にしながら素直に仏像を拝む、というのとは全然違う、美術鑑賞的なまなざしや、もしくは教養を得ようとする態度です。これは、もともとフェノロサが西洋から持ち込み、岡倉天心などをとおして日本に広めた態度といってよく、ということは、近代以降の知識人は、おおむね「西洋人」の態度で、日本の仏像に向き合うようになったわけです。そしてその態度は、彼らから影響を受けた多くの日本人にも伝わっていきました。

一方で、そうした西洋的な美術鑑賞に対する疑念もときに噴出して、亀井勝一郎は、仏像は美術的に見るものではなく、あくまでも拝むものだと主張しました。ちょうど戦時下のナショナリズムが高揚している頃の話ですが、このような揺り戻しにも注目する必要があります。

――碧海さんはこれまで近代仏教史のキーマンである井上円了や清沢満之、近角常観などを論じています。そうした人々と仏像はあまり交差しないのでしょうか?

碧海:近代仏教史は、思想・哲学的な側面から振り返ると、浄土真宗と禅が非常に強いです。とりわけ真宗は圧倒的で、これは真宗関係者が近代的な学問にいち早く飛びついたからなど、様々な理由があるのですが、ともかくも、あげていただいたキーマンたちは、みな真宗関係者です。そして、真宗では聞法(もんぽう)と言って、言葉で伝えられる教えを学ぶのが第一で、仏像のような偶像はあまり重視しません。真宗のお寺や、門徒(信徒)さんの家の仏壇には、「南無阿弥陀仏」などの名号(みょうごう)が書かれた掛け軸が祀られている場合が少なくないです。仏像などのモノよりも、言葉を非常に大事にするわけです。

なので、思想系の近代仏教では、仏像との関係はあまり重要ではないです。ただ、これが面白いところなのですが、近代仏教の思想を導いた井上円了や清沢満之は、いずれもフェノロサから哲学を教わっています。その西洋哲学に基づき、仏教思想の近代化を進めていったのです。つまり、仏像を美術鑑賞するスタイルと、仏教を哲学的に再構築する運動は、どちらもフェノロサをルーツにしているわけです。日本の近代仏教は、基本的にフェノロサによってつくられた――などと言ったら、ちょっと陰謀論みたいですが(笑)、すごく大雑把な理解としては当たっている部分もあるはずです。

――本書では、苦しい戦時下にあって人々が仏像へ向けた想いも印象に残りました。

碧海:先にも少し述べましたように、昭和の戦時下の人々の仏像への向き合い方は、近現代のほかの時代とは、ちょっと異質です。端的に言えば、それまで美術に追いやられがちだった信仰が、明らかに復活している。なぜか。国民の多くが不安を抱えていたからです。その大部分は、自分や身内が死ぬことへの不安です。そして、人が宗教的になるのに、死を意識するほど大きなきっかけは、ほかにあまりない。

わかりやすいと言えばわかりやすすぎる話ですが、実際に、戦時下には仏像に対する信仰心や、祈りの意志を、広く観察できます。とくに示唆深いのが亀井勝一郎の例で、彼は評論家として戦争礼賛的な発言を繰り返す一方で、奈良の古寺や仏像の前で、自己の苦しみから逃れるために、ひたすら祈りを捧げました。戦時下の知識人の社会的責務として、猛々しく暴力的な言葉を発するとともに、より私的なところでは、仏像に対し、個人的な救済の願望を示していたのです。こういう戦時下を生きた日本人の多面性は含蓄深く、その実情を明快に記述することで、多くの読者に伝えたいと思いながら執筆しました。

――好きな仏像を教えていただけますか?

碧海:基本的に飛鳥・奈良時代の仏像が好みですが、なかでもやはり本の帯に写真を使わせていただいた、中宮寺の菩薩半跏像がベストですね。何度会いにいっても見惚れてしまいます。一度、元旦の午前中に訪れたことがあって、あまり初詣に行くという感じのお寺でもないので、参拝客がほかに誰もいない時間にお目にかかることができました 。これはもう至福の時間で、この時間が永遠に続けばいいのにとか、自分はこの瞬間のために生まれてきたんじゃないかとか、ロマン主義的な気分が爆発しました(笑)。今回の本にも、そういう得がたい感動から得られた見識が、ところどころで活かされているはずです。

――最後に読者へのメッセージを。

碧海:仏像は日本全国の至る所に存在していて、日本人は昔からずっと仏様と一緒に生きてきた、とすら言えます。ただ、その仏像との関わり方が、明治以降、ガラッと変わりました。そして、その変化はすなわち、私たち日本人の生き方の変化をあらわしてもいます。私たちは、近代という時代をどのように経験し、そこからいかなる影響を受けてきたのか。仏像あるいは仏様との関係から考えてみるのに、本書は役に立つかと思います。

碧海寿広(おおみ・としひろ)

1981年東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒、同大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。博士(社会学)。(公財)国際宗教研究所宗教情報リサーチセンター研究員を経て、 龍谷大学アジア仏教文化研究センター博士研究員 。慶應義塾大学、立教大学、武蔵野大学、フェリス女学院大学ほか非常勤(兼任)講師。
著書に『近代仏教のなかの真宗』(法藏館、2014年)、『入門 近代仏教思想』(ちくま新書、2016年)。共編著に『清沢満之と近代日本』(法藏館、2016年)、共著『宗教と資本主義・国家』(KADOKAWA、2018年)などがある。