2018 07/09
著者に聞く

『温泉の日本史』/石川理夫インタビュー

小説『草枕』の舞台で、夏目漱石が逗留し、ヒロイン「那美さん」のモデルの女性と混浴した、熊本県小天温泉の前田家別邸にて

旅行に出かけるなら温泉地は有力候補――そう考える人は少なくないだろう。広く親しまれ、なくてはならない温泉だが、その歴史的、文化的な意義が顧みられることはあまりない。日本人と温泉の長くて深い関わりを『温泉の日本史 記紀の古湯、武将の隠し湯、温泉番付』にまとめた石川理夫さんに話を聞いた。

――そもそも温泉に関心を持つようになったきっかけは。

石川:小さい頃から旅行が大好きで、温泉は身近な存在でした。父の転勤で2歳頃から中学に入るまで過ごした熊本では、まだ牧歌的な時代で、父が教えていた大学の親睦バス旅行にくっついて行って、今では全国人気の由布院や黒川温泉をはじめ周辺の温泉地によく出かけました。学生時代はワンダーフォーゲル部の山行帰りに温泉で息抜きをしています。

――今回、執筆依頼を受けて、どのように感じましたか。

石川:温泉に関する執筆では近年、歴史や温泉文化に関わるテーマが増えており、温泉の歴史についてそろそろまとめなければと考えていました。その絶妙なタイミングでの執筆依頼でしたので、温泉の神が「書きなさい」と背中を押してくれたようで、本当に感謝しています。

――執筆にあたって苦労した点は。

石川:温泉地や宿のパンフには「開湯千何百年」とか「日本一(世界一)古い宿」といった紹介が多いですが、ほとんど根拠はありません。史料の裏付けも物証もない言い伝えを垂れ流しているのが、「世界一の温泉大国」と言える日本の悲しい現状です。このような中で、温泉の歴史や文化史をまとめること自体にまず重圧を感じました。

それに実際、古代や中世の時代には、都に近い古湯だった有馬温泉などを除くと、温泉に言及した史料は限られています。今まで注目されていない史料の中に温泉に関わる記述はないかと探すのが時間がかかり、大変でした。もちろんこれぞ執筆の醍醐味ですが。

――執筆中のエピソードや、何か新しい発見はありましたか。

        中世から存続する箱根「姥子(うばこ)の湯」の天然湯つぼ

石川:江戸時代に相撲の番付に見立てた「諸国温泉功能鑑(こうのうかがみ)」という温泉番付が流行しました。不動の東のトップ(大関)が草津、西のトップが有馬、番付を仕切る行司役に熱海が入っていますが、この有馬と熱海の史料を見直せて、両温泉の奥行きの深さを再発見した思いです。

とくに有馬温泉の「湯女(ゆな)」と言えば有名です。有馬の共同浴場で入浴の時間や順番などを仕切り、空いている時間には宿の客の部屋に呼ばれて有馬節を唄い舞って、接客サービスも務めた女性たちです。彼女たちは中世後期までは「ユナ/ゆな」としか呼ばれていません。それが江戸時代に入ると、「湯女」とひとくくりで言われるようになります。呼称の変化がなぜ起きたのか、彼女たちがどのような前史、役割や背景を持っていたのか、謎解きにも挑戦しています。

――日本温泉地域学会の創設メンバーで、現在は会長を務めておいでです。同学会の活動内容とは。

石川:温泉に関する学会は、地質や温泉分析化学など自然科学分野と医学分野の2つの学会が戦前からありました。しかし歴史文化や観光・経済など主に人文社会科学分野から研究する学会はありませんでした。そこで2003年に創設されたのが日本温泉地域学会です。

折しも「源泉かけ流し」や秘湯ブームの一方、温泉偽装問題が起きて温泉に対する国民・利用者のまなざしは厳しくなっていました。温泉志向や従来型観光温泉地の転換期に入っていたのです。こうした背景もあり、大学教員など研究者に加えて、温泉や観光行政に関わる公務員、温泉自治体、温泉事業者、ジャーナリスト、温泉をもっと深く知りたい一般の方まで幅広く会員として参加しているのが特徴です。

論文等を査読・掲載する学会誌を年2回刊行、全国の温泉地で年2回開催している研究発表大会が基本活動内容なのは、他の学会と同じです。ただ、研究活動を通じて温泉地域の発展に寄与することを目的としているのはユニークで、大切だと思います。私自身はとくに「総湯(そうゆ)」という歴史的な共同湯の研究を続けており、石川県加賀温泉郷の山中、山代(やましろ)温泉に代表されるような総湯広場を中心とした温泉地の活性化に注目しています。

――NHKの紀行番組「ブラタモリ」でも温泉地は人気スポットです。

石川:熱海や別府、有馬温泉を取り上げた回では日本温泉地域学会の会員が案内役を務めていました。「ブラタモリ」の魅力は、温泉地の場合でも街の成り立ちへの歴史的文化的な背景を丁寧にふりかえっていることです。こうしたまなざしで温泉地を訪れ、成り立ちや蓄積されている歴史・文化資産に関心を持たれて散策してもらえればうれしいです。

――今後のご関心やテーマについてお聞かせください。

石川:『温泉の日本史』の中では、史料・物証から確実な「江戸時代の前からの温泉地」を地図で示しました。62か所の温泉地を挙げていますが、その数を読者は「意外と多い」、それとも「あの温泉地も入っていない!」と思われるでしょうか。今回グレーゾーンで取り上げられなかった温泉地もいくつかありますので、何か史料の裏付けが見つからないか、さらに調べていきたいと思います。

もうひとつは、日本の温泉・温泉地の成り立ちや文化にも東日本と西日本、東西の微妙な差異が想定されることです。それが何によるのか、いわば“日本の温泉のフォッサマグナ”もテーマにしてみたいですね。

――最後に読者へのメッセージをお願いします。

石川:温泉ほど日本人に親しまれているものもないでしょう。一方、温泉ほどその歴史的文化的な意義を評価されていないものも少ないと思います。つまり軽い、娯楽的な対象とみなされがちです。しかし古くから洋の東西、温泉地はだれしも安らげる「癒しの聖地」と崇められ、温泉のもたらす恵み、治癒力に感謝する温泉信仰も育まれてきました。私が温泉という場を「平和なアジール(避難所)」と考えるゆえんです。

日本の温泉の歴史をすこし見つめただけでも、それはうかがえます。戦国大名が温泉地では将兵の乱暴狼藉を戒める命令を出しています。また、将兵のリハビリのため「隠し湯」も用意しました。先の大戦時には、熱海や別府など温泉地は空襲を受けず、大都市の学童疎開を受け容れました。今もお元気なら80代前後になっておられるでしょう。子供・孫世代を誘い、当時の疎開先を訪れるツアーがあってもいいと思います。そうした旅は、温泉地が重ねた歴史や存在意義を見つめ直す機会となり、ひいては外国人観光客に「ニッポンのオンセン」の魅力をアピールする機会ともなるでしょう。

石川理夫(いしかわ・みちお)

1947年、仙台市生まれ。東京大学法学部卒業。温泉評論家。日本温泉地域学会会長。環境省中央環境審議会温泉小委員会専門委員。著書に『温泉の平和と戦争』『本物の名湯ベスト100』『温泉巡礼』『温泉法則』『温泉で、なぜ人は気持ちよくなるのか』など。監修・編集・共同執筆に『熱海市制施行80周年記念 熱海温泉誌』がある。