2017 12/12
著者に聞く

『物語 フィンランドの歴史』/石野裕子インタビュー

フィンランド建国100周年パーティーでのパネル前で

フィンランドは今年12月6日に建国100周年を迎えました。それに合わせて、この国の通史『物語 フィンランドの歴史』(10月25日)を刊行して下さった石野裕子さん。日本では、教育や福祉、先進的なIT産業などで注目を浴びる同国ですが、フィンランド史の研究者はあまりいません。フィンランドとの出会い、体験、そして、今回のご本についてお話をうかがいました。

――フィンランドへの関心は幼い頃からですか。

石野:偶然のきっかけで大学生のときにフィンランドに行くまで、全くありませんでした(笑)。中学の頃から英語に興味があって語学教育に力を入れていた高校に進学。海外に行きたいという気持ちが強くありました。ただハードな英語教育に疲れて、大学に進学したら英語圏ではない外国に留学したいと思うように。高校と大学で第2外国語としてスペイン語を学んだので、スペインか中南米に行きたいなぁと。

大学3年だった1995年4月、NPO法人ICYEが企画がしている海外の長期派遣プログラムに応募しました。留学というより国際ボランティア。ホームステイ先を紹介してくれるものです。そこで希望国を問われて、第1希望ボリビア、第2希望コスタリカ、第3希望フィンランドと書きました。何よりスペイン語圏に行きたくて。フィンランドと書いたのは、母が北欧の織物を教えていたので何となく。本当はスウェーデンを希望したかったんですけど、枠がなくて。そうしたら、「フィンランドへ行って下さい」と連絡が。「え……!」と絶句です(笑)。関心も予備知識もなかったのでね。でも海外に行きたいという気持ちが強く承諾しました。

――用意、準備はされたんですか。

石野:日本での事前研修はあったのですが、別段フィンランドについてのものはありません。様々な国に派遣される学生、海外からの日本へ派遣された学生と、震災後の神戸でのボランティア経験といったもの。それで8月初めにフィンランドへ。翌1996年8月までの1年間のプログラムでした。

当時日本でフィンランドに行くというと、「フィリピンに行くの?」と勘違いする人が多く、私の周囲ではフィンランドの情報があまりなく、多くの人が場所さえよくわかっていなかった。私がフィリピンに行くと祖母は最後まで思っていました。

――ホームステイ先ではどうでしたか。

石野:中部のハーパヴェシという8000人ほどの小さな町でした。町の中心でもスーパーマーケット、郵便局、キオスク程度。首都ヘルシンキから電車で5時間半、そこからクルマで30分ほどの距離です。畜産コンサルタントの「父」と調理学校の教師の「母」と私と同世代の3姉妹の家庭にホームステイしました。ホストファミリーとは今でも仲がいいです。私の帰国後、来日したり、私の両親がホストファミリーを訪ねたこともありますよ。

最初の半年は、近くの保育園での子どもたちのお世話、残りの半年は小・中学校などで日本文化を紹介するボランティアをしました。当時ハーパヴェシは日本人どころか外国人自体が珍しく、地元の新聞にも「留学生の日本人が来た」と数回掲載されました(笑)

――フィンランド語はどのように習得したのですか。

石野:フィンランド語は全く話せなかったですし、ホストファミリーは英語が苦手だったので習得は“死活”問題(笑)。フィンランド到着直後にヘルシンキで買った英語=フィンランド語辞典――ポケット版と中辞典の2冊でしたが、それが命綱でした。

留学ではなくボランティアであり、近くにフィンランド語を教える学校もなかったので、「母」が英語を話せる友人に頼んでくれて、市販の教科書を使い無料でフィンランド語を教えてもらいました。その他にも日課のボランティアが終わってから、1日4~5時間は自習し、単語を覚えたり、日記を書いてはそれを添削してもらいました。周囲がフィンランド語しか話せない世界。サバイバルのための修行でしたよ。

フィンランド語の単語は、英語やスペイン語から類推できません。アルファベットではあるけれど成り立ちが全く違うので。結局、一つひとつ覚えていかなければならない。それがとにかく大変でした。文法も英語やスペイン語とは全く違う。難しかったのですが小さな町で生死がかかっていたので(笑)、かなり真面目に勉強しました。毎晩、食卓で繰り広げられている家族の会話が、3ヵ月ほどしてからでしょうか、ある日聞き取れるようになり、さらに会話に参加できるようになったときは、本当にうれしかったです。

半年ほど経った頃、ICYEの派遣生のなかから宣伝のためにヘルシンキに呼ばれて、公共テレビ局YLEの番組「おはようフィンランド」に出演させられました。全国放送のライブ番組で10分ほどフィンランド人からインタビューを受けました。「『母』が心配していつも声をかけてくれるのだけれど、一人になりたいときもある」と話したことだけは覚えています。そんな気持ちもあったんですよ。テレビ出演後、地元の子どもたちが「Yuko!」と名前を呼んで手を振ってくるようになりました(笑)

――貴重なフィンランド体験ですね。

石野:そうですね(笑)。この偶然の体験がきっかけとなり、帰国してフィンランドについて勉強しようと大学院に進み、研究者の道に進むことになりました。2002~03年の博士課程のとき、フィンランドのナショナリズムについて研究するため、今度はフィンランド政府の奨学金でヘルシンキ大学に留学します。研究と他国の留学生との交歓は愉しかったですが、小さな町ハーパヴェシでの“留学”のほうが、やはり鮮烈で記憶に残っています。私自身をつくってくれたと同時に、多くの自信を与えてくれたと思います。

――では、あらためて『物語 フィンランドの歴史』について聞かせて下さい。執筆にあたって最も苦労した所はどこですか。

石野:どこに焦点を当てて書くのか、まず各章の構成に苦労しました。また、先史時代からスウェーデン統治時代を扱った序章と第1章は、私も知らないことが多く、あらためてフィンランド人研究者に聞くなど勉強しました。さらに、わかりやすくするために明確に言い切って書くことが求められ、そこも大変でした。断言できるよう資料を読み込むように心がけ、学会で解釈が分かれる記述や、特徴ある解釈を引用するときは、その点を明記するようにしました。いろいろと指摘をして下さった編集者と校閲の方には感謝しています。

――特に注目して読んでもらいたい所はどこでしょうか。

石野:ロシア(ソ連)との関係です。かつての統治国であった大国ロシアの隣国として、どのような関係を模索していったのかですね。独立してちょうど今年が100年目ですが、ロシア革命直後に独立し、第2次世界大戦中にはソ連と2度――冬戦争、継続戦争を行いますが、その過程。ソ連に敗北しながらも、戦後なぜ東欧諸国のように東側陣営にとりこまれなかったのか。さらには、ソ連崩壊後に受けた経済的打撃の深さ、その後の復活も合わせて、読んで下さればと思います。

――『物語 フィンランドの歴史』を通して、伝えたかったことは何ですか。

石野:ベタですがフィンランドがどのような歴史を歩み、創られていったのか知って下さればうれしいです。日本では「北欧」「フィンランド」というと、いいイメージが先行している印象ですが、夢のように素晴らしいことばかりではありません。とはいえ、ずっと苦難続きだったわけでもない。他の国と同様、様々な出来事や歴史が積み重なり、現在の姿があると実感していただければと思っています。

――今後の関心やテーマについてお聞かせ下さい。

カレリア学徒会(1923年5月)

石野:2つあります。1つは第1次世界大戦後から第2次世界大戦までの時期に「大フィンランド」という膨張思想がどのように文化的に表現されていったのか。実際フィンランドは近親民族がいると主張し、ロシア(ソ連)に攻め込んだことがあります。特に第3章で取り上げた反共産主義の学生団体カレリア学徒会(130-131頁)が、「大フィンランド」をテーマとして刊行した詩集を中心に分析しています。もう1つは、日本とフィンランドの交流史です。2019年は日本がフィンランドと外交関係を結んでから100周年を迎えます。その時期までにできれば両国の交流史をまとめることができたらと思っています。

――ところで、フィンランド人は日本人をどのように思っていますか。またフィンランド人の印象は?

石野:真面目な国民だと思っているみたいですよ。近年、アニメ、漫画、小説を通して日本文化がよく知られるようになったので、それを創り出した日本人に好意的な印象を持っていると思います。やはり宮崎駿や北野武の映画作品は人気で、村上春樹や吉本ばななの小説も読まれています。そういえば、朝のテレビで日本製「ムーミン」が放映されていますよ。特に若い人からは日本のアニメや漫画の話題をよく振られます。

他方でフィンランド人は真面目な人が多いと思います。印象論ですが、待ち合わせに先に着いて待っている人が多い。また、男性は寡黙な人が多いです。特に年配の方は。とはいえ女性は総じておしゃべりで気さくです。これは万国共通でしょうか。

――読者にメッセージがあれば是非に。

石野:『物語 フィンランドの歴史』は、一般の方々に向けて、「フィンランドってこんな国だ」とわかりやすく描いたつもりです。長い年月を扱っていますが、好きな箇所から読んで下さればと思います。関心のある時代の章、興味を惹いた小見出しの場所から、またとっつきにくいと感じる方は「サンタクロース」「サウナ」「ムーミン」「食」「禁酒法」といったコラムから、自由に読んでください。近年話題にあがる教育、福祉、文化についても、それがつくられる歴史的背景として読んで下さればうれしいです。

※後述談※
石野:『物語 フィンランドの歴史』を刊行直後、父に会いました。そのとき「裕子には黙っていたことがある」と切り出され、「実は、ボリビア、コスタリカではなくフィンランドに行くことになったのは、派遣プログラムの方に私がお願いしたんだよ」。私「え……!」と絶句。
ICYEの派遣プログラムでは、親への面談もあり、そのときに依頼したとのこと。政情不安の中南米より北欧のほうが安全と思った親心なんでしょうか。20数年を経て知った事実でした。まさかそれがきっかけでフィンランド研究者になるとは(笑)

石野裕子(いしの・ゆうこ)

1974年神奈川県出身.2005年津田塾大学大学院後期博士課程単位取得満期退学.11年博士号取得(国際関係学).津田塾大学助教などを経て,14年4月より常磐短期大学キャリア教養学科准教授 専攻・フィンランド史,国際関係学
著書『「大フィンランド」思想の誕生と変遷』(岩波書店, 2012年)
共編著『フィンランドを知るための44章』(明石書店,2008年)など