2017 05/09
私の好きな中公新書3冊

根本にある価値は変わらない/開沼博

野口悠紀雄『「超」整理法 情報検索と発想の新システム』
佐藤俊樹『不平等社会日本 さよなら総中流』
園田茂人『不平等国家 中国 自己否定した社会主義のゆくえ』

今回の原稿を書くにあたり、中公新書の表紙を思い出してみた。その際、最近読んだいくつかの中公新書と同時に脳裏に浮かんだのが『「超」整理法』だった。

良い仕事を続けている人の方法論・仕事術を学ぶ機会はなかなかない。読書論、執筆論、作業場論。このweb中公新書の「知の現場から」も、最初に見た時に良い企画が始まったなと思っていた。いつの時代もいわゆる「ノウハウ本」は玉石混交、世にあふれるが、時代を超えて残る本は少ない。中公新書には、川喜田二郎『発想法』をはじめ、いくつもそういう本がある。もちろん、IT化、デジタル化した現代とそれらの刊行当時と時代背景は違う場合もあるが、根本にある価値、学ぶべき考え方は変わらない。

方法論と並んで、理論の良書も思い浮かぶ。私が「社会学」という言葉を知った高校生の頃、「格差論」が語られはじめていた。「一億総中流」の時代ではないんだ、と。新聞、テレビ、雑誌のその先にある深い議論を知るのに良質な新書は知の扉を開いてくれた。『不平等社会日本』がそれだった。これから不平等社会に放り込まれる高校生にとって切実な問題に触れていた。格差論ひとつとっても苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』など必読書が中公新書には揃っていた。

また、自分の専門とする分野以外に目を配ろうとする際、手軽に、しかしつかんでおくべき議論の柱をしっかりとつかめるように提示してくれる本も多い。中国を考えるうえであまりにも前提となる知識が乏しいと感じたため、『不平等国家 中国』を手に取ったが、大変勉強になった。前提とすべき知識のみならず、事実を見ていかに解釈すべきか考えるための枠組み、前提条件を学ぶことも必要で、たとえば国際情勢の変化の中で高坂正堯『国際政治』のような古典的名著を読むことも大きな学びになった。

開沼博(かいぬま・ひろし)

1984年福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。専攻は社会学。立命館大学衣笠総合研究機構准教授、東日本国際大学客員教授、福島大学客員研究員などを務める。著書に『「フクシマ」論』(青土社)、『フクシマの正義』(幻冬舎)、『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『はじめての福島学』(イースト・プレス)ほかがある。